平凡

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地球で最後の「一番星」

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お気に入りの中華料理店が閉店すると知ったのは、きっかり4年前のことだった。

当時、ブログに書き残している。

hei-bon.hatenablog.com

 

古くてすすけて、それでいて掃除が行き届いた、清潔な店だった。その名も「一番星」。ラーメン、チャーハン、麻婆豆腐、カレー丼。みんなが好きなものはたいていある。有名ではないけれど、多くのひとに愛された。いわゆる街場の中華。かくいうわたしも、その店を愛したひとりだった。

 

もともと1か月に1~2回は足を運んでいたが、閉店を知ってからは、昼、夜と通い詰めた。そして、最終日。仕事が早く上がれた夫とともに、「ダメ元で、行ってみよう」と、足を運んだのだった。

 

カラカラと引き戸を開けると、店は常連らしき人たちでほぼ満席。ヘルプで来ているらしい中年女性に、「相席でいいなら」と言われ、長机の一角に夫婦で腰を下ろした。

さて、泣いても笑っても、今日が最後だ。何を食べようか。プラスチックのケースに入れられたメニューを手に、悩みに悩む。何しろ、何を食べても間違えがなかった店なのだ。

「やっぱりただの中華麺も捨てがたいなあ」

「これ、店の名前がついているよ。『一番星ラーメン』だって」

「それね、美味しいのよ。スープが澄んでるのよ」

向かいの男性が、ビール瓶片手に手酌しながら教えてくれた。その隣では、連れの男性が、別の常連客との会話に興じている。

店内のほとんどの人が、料理の到着待ちだ。もともと、この店の厨房を取り仕切るのは、大将ひとり。ふだんから店内が7割も埋まると、大将はてんてこまい。会計すらも待たされる店だった。

しかし、いらいらした空気はみじんもない。みな、この店での最後のひとときを陽気に楽しんでいる。「一番星」ラーメンをおすすめされたわたしたちも、その雰囲気に乗っかることにした。

「へえ、食べたことあるんですか」

「おうおう、たいていのモンは食べたよ」

「わたしたちは、引っ越してきて2、3年で。もっと通いたかったです」

閉店を惜しんでいるうちにも、次々と常連客らしき人々がやってきて、引き戸を開く。しかし、店内は満席だ。わたしたちよりもっと長く、もっと頻度高くこの店に通った人も多かろうと思うと、申し訳なさも感じる。

しかし、わたしたちだってこの店のファンなのだ。せっかく手に入れたこのチャンス、逃すわけにはいかない。引き戸が開き、冷えた風が吹き込むたびにそう思い、背筋を伸ばして椅子に腰かけ直す。

と、一度会釈をして去った常連客が、ビニール袋片手に戻ってくる。その中には、ドリンク剤の箱。同じように、酒やビールを届けて去っていく人もいた。

 

結局、わたしは一番星ラーメン、夫は野菜炒め。夫婦で分け合う予定で、餃子とチャーハンも頼む。鶏ガラスープの味が澄んだ一番星ラーメン、油をたっぷり使ったチャーハン、しっかりとした皮に包まれた餃子。チャーハンに付属しているスープは、一番星ラーメンともまた違った、こっくりとしたあの“街場の中華の付け合わせのスープ”。

 

ふたりで満腹になりつつ、「持ち帰りもできますか?」と聞いてみる。最後まで候補にあがった麻婆茄子があきらめきれなかったのだ。快くオーケーしてくれたので、しばし、店の雰囲気を楽しみつつ、できあがりを待つ。

いまやほとんどの客の前に空の皿が並び、多くのひとは食後の酒を楽しんでいる。画用紙を几帳面に短冊形に切り、マジックで丁寧に書かれ、壁に貼られたメニュー、店のすみのテレビ、カウンターに並ぶ雑誌。活気に満ちた店内。その空気を目に焼き付ける。

 

やがて、麻婆茄子ができあがる。お釣りを渡しながら、彫の深い顔をした大将は言った。

「ありがとうございました。どうか、お元気で」

 


次の日、夫と麻婆茄子をあたため直して食べた。折詰用のアルミ容器から皿に移して、電子レンジでチンして、正座して箸を構える。

「きっと、これがいま、地球上に現存する、最後の『一番星』の料理だよね」

そう言いながら、ラップを取る。湯気がたつ。油をたっぷり吸ったつやつやの茄子に絡む、味噌の味ときたら……!

「あのお店で、ほかにもテイクアウトしたひと、いたかな?」

「食べてる間は、いなかったね」

「きっとわたしたちが最後だよ。いま、わたしたち、地球で最後に『一番星』の料理を食べてる」

 

ひとつの店が消えると、その店の味は、失われてしまうのだ。永遠に。わたしたちはそんなことを話し合いながら、麻婆茄子を味わった。そしてその味も、日に日に記憶が薄れていき、4年が経った。いまは、北京オリンピックをやっている。かつてブログに書き残した、平昌オリンピックを見た「宝箱に閉じ込めた時間」は、いまでは夢のように感じる。

 

「一番星」があった場所は更地になり、駐車場になった。

ときどき、大将は何をしているのだろう、と考える。普段は白い調理服を着て、腰が低い人だったけれど、彫が深くて、目がくりっとしていて、意外とサングラスとかアロハとか似合いそう。店を閉めて、すこしはのんびりできたかな。ハワイでビーチサイドで寝転がる、そんな豪勢な時間が、あったらいいな。

「どうか、お元気で」

かつて店があったその角地の前を通りかかるたび、大将がくれたことばを、わたしも繰り返している。

 

 

 

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このエントリーに書いているのも、「一番星」のこと。たぶん、このとき読んでいた漫画雑誌は「ビッグコミックスピリッツ」か、「モーニング」。『月曜日の友達』と『エマは星の夢を見る』連載中は、「一番星」に行くたびに掲載誌でチェックしていたのもいい思い出です。

 

今週のお題「復活してほしいもの」

 

写真は《中華料理のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20201232346post-31677.html