平凡

平凡

モノカキたちの桃源郷

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「こんなところに……生き残っていたのか……」

流浪のすえに、絶えたと思っていた同胞を見つけた。

それもけっこうたくさん、しあわせそうに暮らしている。

そんな気持ちになったんですよ、いやマジで。

 

今年、いちばんインパクトがあった出来事は、

Web小説投稿サイトに登録したことだ。

 

そこには、外から想像していたものとは、ずいぶん違った世界が広がっていた。

とはいえ、登録前に抱いていたイメージは、貧しいものだ。

「なんか異世界転生ものが大人気らしい」

「流行ジャンル以外のものは、とにかく読まれない」

小説家になろう」は法人化されて11年、

カクヨム」だって正式オープンから5年経っているのだから、もう少し知っていてもよさそうなものだ。

 

そんなわけで、小説投稿サイトに登録・投稿し、驚いたことを挙げていく。

あ、わたしが登録しているのは「カクヨム」。

サイトによりカラーや傾向が違うらしいので、「小説家になろう」や「アルファポリス」はまた違った世界があるのだと思う。

 

それと、わたしの作品は、読者数もPVも、たぶんびっくりするぐらい少ない。

ただ、わたしの前提は、「誰に読まれなくても、いや、誰にも読まれないだろうけれどこの作品を更新し、完結しよう」だったので、

「反応が『ある』」ってだけで驚き感動し、真面目にむせび泣く、みたいな状態であることをお断りしておく。

 

 

 

驚きその1「毎日投稿の力」

今年の1月に登録して、まずは小説を1話投稿してみた。

当然、何も起こらなかった。

反応はゼロだ。

反応はほしいが、誰かに読まれるのだと思うとドキドキもする。

投稿するだけで緊張するので、春ごろまでは数話、ぽつりぽつりと投稿するのみだった。

ジャンルはいままで書いたことがなかったファンタジーラブロマンス系(分類するなら、たぶん)。

決して流行のものではない。

当たり前だが、やはりほとんど反応はなかった。

読まれないことにある意味安心したわたしは、「せっかくストックがあるんだから、毎日更新ってやつをしてみよう」と思い立った。

 

すると、読者登録数がすこしだけ増えた。

アクセスもちょっとだけ増えた。

「ちょっとだけ」と書いたが、それは世間の目を意識してのこと。

わたしにとって、それは「めっちゃ」だった。

 

そもそも、文章というものは、なかなか読んでもらえないものだ。

その点においては、テキストサイト時代やブログを経ての悟りがある。

 

なかでも、見知らぬ人に読んでもらうハードルが一番高いものが創作だと思っている。

何をアップしたとしても、1か月にPVは2、3ぐらいだろう。

そうあきらめていたので、毎日ゼロ「じゃない」アクセスがあることに、たいそう驚いたのだった。

流行りのジャンルでなくても、初心者でも、更新頻度が高いと、それだけでPVが増える(微々たるものであっても)。

これは、はじめての手ごたえだった。

 

驚きその2「感想の力」

更新を続けるうち、感想をいただいた。

「見知らぬ方から」「小説に」感想をいただいたのは、生まれてはじめてだった。

かなりがっつりした、熱いレビュー。

「うれしい」ということばで表せないぐらい舞い上がり、その直後、スーッと冷静になった。

「見知らぬ人から、小説の感想をもらったことがなかった世界」から、「もらったことがある世界」にカチッと切りかわった瞬間だった。

 

「感想はうれしいです」「力になります」と、プロの作家さんや漫画家さんが書いているのをよく目にする。

マチュア界隈でも、「感想がほしい」という声はよく聞く。

わたしはわかっているようで、わかっていなかった。

反応が返ってくるって、こんなにも、こんなにもうれしいのか!

なかでも、キャラクターを応援してもらえる喜びは格別だった。*1

架空のキャラクターは、作者にとって、独特の存在だ。

わたしのなかだけにいる、わたしにとってはたしかに「在る」存在。

しかし、彼らが外で「実在」を認められるかどうかは、わたしの手腕にかかっている。

その彼ら、彼女らが、誰かの心を動かしている。

わたしの「外」に存在することが、できている。

それは無上のよろこびだ。

 

これを実感してから、作品の「受け手」としての行動もすこし変わった。

何かを「よい」と思ったら、下手でもアホみたいな内容でも、自分なりに誠実な感想をツイッターなどに流すようになった。

 

しかし、「力」であるからには、ハッピーなことばかりではない。

それだけうれしいとなると、反面、プレッシャーも生まれる。

「この人たちをがっかりさせたくない」

「このキャラクターたちを絵空事に戻したくない」

結局は全力で書くしかないのだけど、この自分の「欲」には振り回された。

*2

ここでも、プロの作家・漫画家に対する見方が変わった。

プロ、または人気のアマチュアは、もっともっと無責任な感想が溢れかえるなか、

おもしろいものを追求しているのだ。

その重圧、それを受けてなお疾走する膂力たるや!

 

驚きその3「長けりゃ長いほど読んでもらえる!」

登録・投稿する前は、ぶっちゃけ、小説投稿サイトは「書き手」ばかりで「読み手」はほとんどいないと思っていた。

いやいやとんでもない。

おもしろい作品を探している人が、わんさかいる。

書いていると感性が近い人とつながりやすいので、「書き手」は「読み手」になっていくし、面白い小説を探している「読み専」の人もいる。

なかには、埋もれた名作を掘り起こす、「スコッパー」なんて存在もいる。*3

 

しかも、「ある程度の長さがないと読まない」人もけっこう多いらしい。

気になった作品が、10万字を超えていたら読む、とか。

10万字って、文庫一冊分だよ!?

短編しか読まれないだろうと思っていたわたしにとって、これは本当に驚きだった。*4

 

投稿を続けるうち、これは実感としても感じられた。

わたしの作品も、8~10万字を超えてからのほうが、読者が増えたかもしれない。

なかには8万字超えの時点で読者になり、全話に反応をくれた方もいた。

ありがたや……。

「読みたいもの」であれば、長さはハードルではない。メリットなのだ。*5

 

驚きその4「流行りじゃなくても、ある程度は読まれます」

「小説投稿サイトは、流行りのジャンル以外はほんっっとに読まれない」と聞いていたが、わたしの実感だと、そうでもない。

最低限、何が書いてあるかわかる文章で、書きたいものを熱量込めて書き、更新頻度週1以上、2~3万字超えるぐらい書けば、読者がゼロってことはまずない(たぶん)。

それだけに、「伸び悩むのは自分の力不足」「プレゼンテーション不足」も実感する。

ただ、「PV1日1万ぐらいないと」「絶対書籍化したい」などなど、夢の大きさによって、「ほんっっとに読まれない」の「ほんっっとに」がどれぐらいであるかは変わってくるだろう。

また、「長いタイトルでないとダメ」ってことはない。

人気の作品はキャッチやタイトル付けが上手いものが多いが、一見して内容が想像できないものでも、読まれているものは読まれている。

噂から想像するよりもずっと、”中身”が問われる世界だった。

 

驚きその5「PVが誰にでも丸見え」

カクヨム」も、たしか「なろう」も、各小説のPVを誰もが見ることができる。

ツールを使えばとか、裏技とかでもなく、サイトが用意した仕様で。

登録していなくても。

これには、本当にびっくりした。

古のテキストサイトのカウンターじゃないのよ!?

あれだって、設置するかしないかは個人の自由だった。

カクヨムは、各話のPVまで見える。

シビアな世界だ。

 

驚きその6「純度の高いテキストがたくさん見つかる!」

そうこうしているうちに、気がついた。

「ここ、小説だけじゃなくて、エッセイもけっこうある!」。

しかも、文章を書くことに熱情を費やしている人が書いたエッセイが。

 

わたしはひとのブログを読むのが好きだ。

まとまったエッセイ的なブログも、些末なできごとを記した日記も両方好き。

「ああ。人が息している」と感じたいのだ。

富士日記』など、作家の日記も大好物だが、なんといってもネットでは、今を生きる人のリアルタイムの息づかいが感じられる。

 

ただ、広大になり続けるネットの海にあって、そういった文章に出会うことは、年々難しくなっていると感じる。

ブログはただの手段なので仕方ないのだけど、一時期は「アフィリエイトでの収益を目指す雑記ブログ」、最近は、「意識が高いこと『だけ』に特化したブログ」、または「ハウトゥがメインの雑記ブログ。かつ、書いている人の顔があまり見えないもの」が多い。

それらのブログに罪はない。

さまざまな実用情報が手に入るのもネットのよさなのだ。

わたしの好みではないだけで……。

もちろん、一億総発信時代なので、探せばわたし好みのブログやサイトもある。

あるにはあるが、めっちゃ探しにくい。

ひとつ見つけても、昔々の「相互リンク集」があるわけではなし、芋づる式にそこから世界を広げるのも難しい。

広大なネットの大宇宙に、星がてんでばらばらに散らばっている。

そんなイメージなのだ。

探せば探すほど、大宇宙の孤独を感じる。

 

小説投稿サイトはブログと同じようなアフィリエイトはできないので、ハウトゥや雑記、顔が見えない文章はまずアップされない。

そこにあるのは、その人の体温や湿度を感じる文章か、そうでないとしたら、自分が研究している事柄をまとめたものだとか(世界各地のあまり知られていない紛争についてまとめている人とかいる)。

とにかく熱が感じられるものだ。

「自分が気に入った作品」から、さらなるお気に入りを見つけることもたやすい。

その作品を評価している人の作品、もしくはその人が評価している他の作品をたどると、けっこうな確率で「当たり」を引ける。

 

驚きその7「おもしろい小説が多い」

見出しそのまま。おもしろい作品が多い。

何度も読み返したくなる短編に出会うこともある。

日々、更新される長編を追いかけるのは、漫画雑誌で連載作品を読むときのワクワク感に似ている。

「あっ、この作者さん、筆乗ってるな、楽しんで書いてるなー!」と伝わってくる瞬間もあって、それも楽しい。

 

というわけで。

わたしにとって、熱意のある書き手と読み手がいる「小説投稿サイト」はさながら桃源郷だった。

ただ、それは何年も前からそこにあったのだ。

わたしが知らなかっただけで。

たとえるならば、山中に生まれ、それ以外の世界を知らなかった人間が、房総の海岸をひとり寂しく旅するうち、偶然にもディズニーランドを"発見"し、「こんな楽しい場所があったなんて!」と叫んでいるようなものだ。

「世界の人はみんな知っているし、それって海外にもあるんだよ」

まあそんなこんなで、小説投稿サイト生活をエンジョイしているうちに筆が軽くなり、ブログのほうの更新頻度も上がった。

更新頻度が上がり、同じ「今週のお題」で書かれたエントリーを読みに行くうち、少しずつ好みのブログも増えつつある。

 

今年は小説投稿サイトという「場」に出会えたことで、「書く」「読む」に、大きな影響を受けた一年だった。

半年という短い期間ではあったが、読者の感想を読みながらの(ほぼ)毎日更新をしたことで得たものは大きかった。

と、こんなエントリーを書いておきながら、小説はストックが尽き、投稿は現在お休み中だ。

年内には復活させ、今書いているものを、春には完結させたい。

完結させたら、また違うものが見えるだろう。

そこまではとりあえず、走りたいと思っている。

 

写真は《桃源郷の八重桜を眺めて休憩する婆ちゃんたちのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20181103333post-18694.html

*1:今までも小説は書いていたけれど、キャラクターが立つタイプのものではなかったのです

*2:最初は、「新展開に入って読者が離れても、逆にいうとそれまではきちんと読んでくれていたということ。そこまでは、読んでもらえたのだ」と前向きにとらえることができていたんです。「離れる」ことも反応の一種なので。とはいえ、だんだんそれだけじゃすまなくなってくるんですよね。数少ない読者だからこそ、この人たちを放したくない、みたいな心理もあり……。

*3:ありがたすぎる。神なのか?

*4:追いかけていた作品が、完結せず放置されたらいやだな、という心理もあるみたいです

*5:逆に、短編を書く場合は、コンスタントに作品を発表し、固定ファンがつかないとPVが伸びづらい傾向がある。短編を半年1本、みたいなペースだと、作品の出来、不出来関係なく埋もれてしまう。ただ、短編だと絶対に読まれないかというとそうでもなく、短編の名手的な位置づけでファンがついている作家さんもいる。そうしたトップオブトップの作家さん以外にも、コンスタントに作品を発表し、こまめに短編コンテストに応募することで、読者がついている作家さんもいる。短編~中編は公募的なコンテストが多く、そこで作品がピックアップされるので、目に入りやすい。最近だと、「赤いきつね」と「緑のたぬき」の短編コンテストが開催