平凡

平凡

あのころ、カヒミ・カリィがわたしのアイドルだった

驚いた。

こんな世界があるのかと思った。

 

20年近く前、春休み直前のころだったと思う。

東京からの転校生が、こう言った。

カヒミ・カリィって知ってる?」

「えっ、カヒミ……何……?」

耳慣れない名前を、何度か聞き返したことを覚えている。

なんでもそのカヒミ某が、ローカルラジオでMCをするのだという。

「聞きたいけど、その日、家族で出かけるから」

彼女は残念そうに言った。

 

ちょっとした親切心と好奇心で、

わたしはそのラジオを録音することにした。

きっと理解はできないだろうけど、

その変わった名前のミュージシャンの番組を、聞いてみようと思ったのだ。

 

当日、ラジカセの前で待機して、赤い録音ボタンを押し込む。

流れ出したのは、少しかすれた、囁くような声、

わたしの知らない新旧の洋楽、彼女自身の曲。

たしか、「Candyman」をかけたのだと思う。

なんておしゃれな音楽なんだろう。

あっという間に夢中になってしまった。

 

それまで聞くものといえば、

母の影響で聞いていた松任谷由実か、

トップ10に入るような邦楽か、

ゲームの音楽ぐらいだった。

カヒミ・カリィ自身の音楽も、彼女が紹介する曲も、

何もかもが新しい世界に感じられた。

 

この世界って、なんなんだろう。

この人の話に、どうしてこんなに惹きつけられるんだろう。

なんて愛らしい話し方なんだろう。

転校生から返ってきたカセットテープを、わたしは何度も何度も聞いた。

 

それからほどなく、NHK‐FMで、

カヒミ・カリィのミュージックパイロット」がはじまる。

毎週金曜日の夜は、ラジオの前で待機。

もちろんカセットテープに録音して、

1週間はしがむように繰り返し聞いた。

 

フリッパーズギター

彼らが監修したオムニバスアルバム「FABGEAR」、

嶺川貴子とのユニット「Fancy Face Groovy Name」の「恋はイエイエ」、

セルジュ・ゲンズブールの音楽や映画、

ブルック・シールズのプリティ・ギャンブラー」

テイタム・オニールの「がんばれ!ベアーズ

「渋谷の大きなレコード店」という呼び方、*1

プチ・バトーのTシャツ、

ハーシーズのチョコレート。

ラジオで流れた早瀬優香子の曲「去年マリエンバード」が気になって、

アラン・レネの映画をレンタルして見た。

大流行する直前のカーディガンズも、カヒミ・カリィのラジオで知った。

スウェーデンに、こんなポップスがあるんだ、

どんなアンテナを張っていれば、こういう情報が入るんだろう。

彼女が紹介するポップ・カルチャー全般に熱中した。

渋谷系”なることばは、ずっと後で知った。

 

アルバムは購入して聞き込み、

インタビューが掲載される雑誌は必ず買って読んだ。

ハイチュウのCMに出たり、「ちびまる子ちゃん」の主題歌を歌ったり、

“みんなの知っている場”に出るのを見て、言いようのない興奮を覚えた。

 

広い意味での“偶像”として、カルチャーの伝道師として夢中になったのは、

カヒミ・カリィがはじめてだった。*2

「ミュージックパイロット」の最終回は、本当にさみしかった。

 

地方都市の狭い狭い世界に暮らす高校生にとって、

カヒミ・カリィは、遠い海外や、都会的なものを教えてくれる「窓」のようなものだった。

 

大学生になって、上京時にもってきた数少ない荷物の中に、

CDラジカセと、カヒミ・カリィのCDがあった。

はじめて暮らした、家具付きの極めて狭小な部屋のことを、

なんとなく、パリの屋根裏部屋みたいだと思いながら、

ぼんやりと「クロコダイルの涙」を聞いていた。

 

念願の「渋谷の大きなレコード店」に

簡単に行ける環境になったけれど、

カヒミ・カリィの手引きがなければ、

あまりにも大きな音楽の殿堂から、

好みの音楽を見つけ出すことはできなかった。

ただ、映画、絵画、いろいろなものを見てみようと思い、

「ぴあ」を片手に興味があるものには足を運んだ。

カヒミ・カリィが独自の世界をもっていたように、

わたしも何かを見つけようとしたのだと思う。

 

ペースは落ちたものの、その後も、カヒミ・カリィは楽曲を発表している。

 しかし、東京に出たわたしは、大学に部活にと何かと忙しくなり、

熱心に彼女の情報を追いかけなくなってしまった。

 

先日、山内マリコ「パリ行ったことないの」の文庫版に、

カヒミ・カリィが解説を寄せていて驚いた。

作品は、パリにさまざまな思いをもつ日本人女性を描いた短編作品集だ。

テーマとなる「パリ」について、かつてパリに住み、

今はニューヨークに住むカヒミ・カリィが語っていておもしろかった。

と同時に、カヒミ・カリィの生活者としての、この20年に思いを馳せた。

わたしの上を20年が過ぎ去ったように、憧れの人には、憧れの人なりの20年があったのだ。

昔は、別次元で生きている人だと思い込んでいた。

「パリ行ったことないの」で、「パリ」は「どこか架空の都市なのだ」といわれる。

わたしにとって、カヒミ・カリィは、まさに「パリ」そのもののような存在だったのだと思う。

だから、彼女の上に時間なんて流れないような、そんな気がしていたのだった。

わたしが追いかけるのをやめてしまった20年を、彼女の作品を手に取り、知りたい。

そう思った。

 

カヒミ・カリィの「Candyman」を聞くと、

春休み近く「カヒミ・カリィって知ってる?」と聞かれたのんびりとした教室の空気、

オオイヌノフグリの空色、小さな川辺に咲く桜、

それを見に行くために乗った親の車のにおい、

アパートの暗い部屋とラジカセ、

グランドでサッカーをする少年たちの間の抜けた声、

お洒落だと思って着ていた古着のシャツなど、

ありとあらゆる「故郷の春」の風景がフラッシュバックする。

それと同時に、まばゆい、あふれんばかりの憧れがよみがえる。

 

春に聞きたい、というのとは少し違うけれど、

これも“わたしの春うた”なのかなと思う。

 

 

 

 

今週のお題「わたしの春うた」

*1:タワー・レコードのこと。NHKでは直接、店名を呼ぶことができないため、この呼び方をしていた

*2:ただし、作家は除く