結婚してから、なんとなく仕事の調子が悪かった。
仕事の受注は順調なのだが、わたし自身、まったくついていけない。
常に振り回されている感覚があった。
夫は家事と仕事だったら断然、仕事を優先してねという。
夫自身も、休日は、家事を積極的にやる。
仕事を誰に邪魔されているわけでもない。
なぜなのか、わからない。
仕事と最低限の家事以外、寝ていたいと思うこともしばしばだった。
気力と体力のなさに辟易としていた。
当然、部屋は散らかる。
気持ちも滅入る。
悪循環である。
情けなくて、人には相談しづらかった。
しかも、言葉にできる範囲の「表向き」は、仕事も私生活も順調だ。
ギリギリ仕事に支障は出ていないしと思い、
だましだましやってきた。
そんな折、育児中の友人が、
「仕事と家事では、使う頭の領域がまったく違う感じ。
切り換えるのが大変なの」
と話していた。
そうか、仕事と家事、もしくは私生活では、切り換えが必要なのかと、
そこではじめて気がついた*1
思えば、結婚前、わたしは四六時中仕事のことを考えて暮らしていた。
とはいえ、仕事人間だったわけではない。
ひとり暮らしの自宅仕事だと、限りなく公私の区別があいまいなのだ。
家事は、仕事の隙間に、好きなタイミングでやればよいものだった。
うっすらぼんやり常に仕事のことを考えて、
好きなときに寝て、好きなときに起きて、思いついたときだけ家事をする。
頭のチャンネルを切り換える必要はなかった。
結婚してからは、日々、「私」チャンネルへの切り換えが必要になった。
たとえば、朝・夜の食事用意は、わたしの担当だ。
仕事が終わらないときは、外で食べたり、買ってきてもらうこともあるが、
それだって「自分がどのような状態で、どうしたいか」を連絡することが必要だ。
ひとり暮らしのときのように、お腹がすいたとき、サッとコンビニへ走り、
適当に食べて、またバババッと仕事をするわけにはいかない。
だれかと共同生活を営む以上、当然のことだ。
そして、料理をするにせよ、買ってきてと頼むにせよ、
事の大小にかかわらず、わたしは「公」から「私」へとチャンネルを変えている。
これは、ひとり暮らしのときにはなかったことだ。
それは健康的な、望ましい変化だった。
ただ、良いものであれ、悪いものであれ、変化はストレスをもたらす。
この数年間、頭がいつもごちゃごちゃしていたのは、
「公(仕事)」だけのモノチャンネルから、
「公(仕事)」
「私生活1(一定のペースがある家事)」
「私生活2(夫との時間)」の多チャンネル化に
対応しきれていなかったのではないか。
そんなふうに思った。
この春は、少し調子がよい。
仕事に対して、ひさびさに前向きな気持ちで向かうことができている。
「何かやりたい」と自然に思うので、
たまりにたまった仕事の成果物を整理したり、
とにかく目につくものを捨てたり。
物量がすごいので、変化は実感できないが、
それでも何かしら行動していると気分が違う。
忙しい日は、チラシ1枚でもいいから不要物を捨てるようにしている。
鈍いわたしも、
ようやく多チャンネル対応ができるようになってきたのかもしれない。
部屋がほんのすこしでもスッキリすると、また気分が楽になる。
仕事に振り回されるのではなく、
ハンドリングができていると感じると、
ちいさな自信がわいてくる。
これを逃さず、好循環へと変えていきたい。
何か、新しいことがはじめられそう。
数年ぶりに、そう感じられる春である。
*1:育児で極限状態にありつつがんばっている友人の話と、自身を重ねることは、何かたいへん申し訳ないが……。