今週のお題「買いそろえたもの」
「買いそろえた」といえば、サラ・イネス作品だ。
「伝説のカルト作、復活!」
本屋でそんなポップを目にしたのは、いまから20年ほど前。
「カルト作かあ……。『ガロ』に載っていそうとか、哲学的で難解とか、そういう感じなのかな」
深く考えず、わたしはその文庫版漫画を手に取った。それが、わたしと『大阪豆ゴハン』の出会いだった。
開いてみると、「なんじゃこりゃ!」。外国人のような顔立ちの男女が、大阪弁でずーっとしゃべっている。
描かれるのは、大阪中心部の古い数寄屋造りに住む、安村家の生活。メンバーは社会人である三姉妹と大学生の末の弟、長女の夫。
しかしながら、“すてきな暮らし”“スローライフ”では断じてない。
なにしろ物語は、風呂タンクの故障により、元・土間の台所に水が溢れるところからはじまるのだ。あわてる長女をよそに、末弟はのんきに友達を家に呼ぶ。そして、末弟は自室にしている茶室にある炉で、袋ラーメンを作って友人たちにふるまうのであった……。
それが第1話だ。
『大阪豆ゴハン(1)』(イイネス・サラ,ARTEN)|講談社コミックプラス
こちらに試し読みがあり、4話まで読める。作者のサラ・イネス氏はペンネームを変えており、当時は「サラ・イイネス」名義。
今読み返すと、「古くて不便が多い家」での暮らしぶり、トラブルへの反応から、それぞれのキャラクターがよく伝わってくる第1話なのだが、当時はただただ面食らった。吹き出し内外の台詞は手書きだし……。
それが、「わからん」「思っていたのと違う」とぶつぶつ言いながら枕元に置いて読んでいるうちに、だんだん癖になってきた。
長女の加奈子には離婚歴があり、夫の湯葉さんとは再婚。専業主婦として、一家の家事を切り盛りしている。
次女の美奈子はディスプレイ関連の仕事をしている現場系キャリアウーマン。ファッションが大好き。
三女の奈々子はレーシングチームのマネージャー。
末っ子の松林は一家のなかでも飛びぬけてのんきな音大生。バイオリンを弾いている。
彼らと同居する加奈子の夫・湯葉さんは北陸の厳格な家育ち。彼らの気楽さに驚きつつも、心地よく感じている。
それと、猫のチコ(本名はビョルン・ワルデガルド )。
彼らの同僚、友人らもまじえて、「大阪人の、ふつうの暮らし」が語られていく。ドラマチックなことは起こらない。
古すぎるゆえ、エアコンが取りつけ不可の家で、家族が涼しい場所を探してウロウロ。
大型バイクは乗れるのに、自転車に乗れない奈々子が自転車を練習する。
湯葉さんの友人が、加奈子の食事に舌鼓を打ちながら、意外なことを平然と打ち明ける。
いいかげんだったり、のんきだったり。それでいてそれとなく、それぞれ仕事には誇りをもっていることが伝わってきたり。
これは人からの受け売りなのだが――。人は親しい他人について「あの人はどんな人」と説明するとき、「あのときはああした」「こんなときはこう言った」といった、リアクションを思い浮かべるものではないか。
『大阪豆ゴハン』は、各話わずか6ページのなかに、「意外な持ち物」「やめられないこと」「忙しいときはこうなるよね」などなどに対する登場人物のリアクションが流れるように詰め込まれている。
すると、先ほどの、「親しい人を思い浮かべるとき、リアクションを思い出す」のと、逆のことが起きるのではないだろうか。そのリアクションを見ているうち、キャラクターに親しみと愛着がわいていくのだ。そうして、次第に「ちょっとおもしろい友人、知り合い、親戚」を見ているような感覚で、ページを繰るようになっていく。
これはどのフィクションでも、「キャラクターを好きになる」ときには大なり小なり起こることだとは思う。
ただ、『大阪豆ゴハン』に限らず、サラ・イネス作品は「リアクションを知り」「親しみがわき」「キャラクターが好きになる」の循環が非常に上手く、強い。
ストーリー漫画だと、キャラクターに好感を持った読者は、「好きなキャラクターがどう動くか」「愛するキャラクターの今後は」が気になるようになり、物語に引きこまれていく。
が、一本の大きなストーリーが動くわけではないサラ・イネス作品ではどうなるか。読者はやがて、「作品自体に居心地のよさを感じる」ようになっていき、作品世界から離れられなくなっていくのだ。
『大阪豆ゴハン』ほか、サラ・イネス作品は会話が中心だ。そこに描かれているのは、食べて寝て、仕事をして、そのなかで人と人とが交流し合う、人の営みそのものといっていい。
人の営みそのものなので、ときとしてシビアな面ものぞく。たとえば、『大阪豆ゴハン』ワイドKC版6巻では阪神淡路大震災が起きる。大阪は被害が少なかったが、美奈子の同僚が住む宝塚は揺れも大きかった。美奈子たちは、同僚の家の片づけを手伝いに、宝塚へ赴くのだが――。同僚夫婦にはケガもなく、作中に悲惨なことが描かれるわけではない。が、ふと差しはさまれる「非常事態で一瞬の運命を分けるもの」「土地による落差」がひんやりとした感触を残す。
と、そんなこんなでサラ・イネスワールドにどっぷりつかったのだから、当然、『大阪豆ゴハン』の文庫版の続きを夢中になって買い揃えた……と言いたいところなのだが、そうはならなかった。
3巻までは手に入った。しかし、待てど暮らせど、4巻が出ない。文庫版3巻の最後に収録されているのは、松林の何気ない日常を描いたエピソード。ラストのコマでは、お気楽に去っていく松林の背中が描かれている。
「これで、この物語は終りなのだろうか……?」
時は2003年。わたしのインターネットリテラシーはまだまだ低く、「とりあえず検索する」発想がなかった。
やがて多少は知恵をつけたわたしは、講談社のサイトで文庫版の発売予定をチェックすることを覚えた。過去にさかのぼっても、4巻が発売された形跡はない。買い逃したわけではないのだ。
さらに時が経ち、「なんでもかんでもインターネットで検索する」ことを覚えたわたしは、『大阪豆ゴハン』にはつづきがあること、文庫版は売れ行き不振とみなされてつづきが出ていないらしいこと、文庫版4巻以降の出版を根強く求めるファンの存在を知った。
今でこそ、漫画の連載作の単行本が出ない、なんてことは珍しくないが、当時は「文庫版が途中で打ち切られることってある!?」と非常にびっくりした。まだまだ出版界ものんびりしていた*1。
ひきつづき、「なんでもかんでもネットで買う」ことを覚えたわたしは、「そうだ! 『大阪豆ゴハン』の元の単行本を買えばいいんだ!」と思い立った。ヤフオクでワイドKC版全12巻を落札したわたしは、感動した。
加奈子の、美奈子の、奈々子の、松林の、オーシミッサン(湯葉さんの友人)の日常には、つづきがあったんだ!
版型が大きいので、こちらのほうがずっと読みやすいメリットもあった。
そして、2007年。なんと、4年の歳月を経て、『大阪豆ゴハン』の文庫版4、5、6巻が発売された*2。その鮮烈な感動は、いまでも覚えている。5、6巻の描き下ろし漫画には、登場人物たちの明確な“その後”が描かれていたからだ。
ああ、安村家(主人公たちの名字)の面々に、また会えた!
彼らは生きているのだ。きっと、大阪のどこかで。
フィクションの登場人物に「また会えた」と思ったのは、それがはじめてのことだった*3。
というわけで、わたしはいまも、サラ・イネス作品を追いかけつづけている。赤坂にあるデザイン事務所を舞台にした『誰も寝てはならぬ』、メジャーデビューしたてのバンドの面々を描く『セケンノハテマデ』、白系ロシア人の妻がのこした三人の子と暮らす男性が主人公の『ストロベリー』。
最新作の『誰も知らんがな』では、長年連載の場であった「モーニング」から「イブニング」へ移籍。今回は雑誌を購読して追いかけている。これまた「親がのこした旅館を、三姉弟が再生する」姿をゆる~く描いており、楽しみな作品だ。
いつだってサラ・イネス作品にはどこか品がよい大阪弁を話すキャラクターが登場して、日常をああだこうだと生きていて、どれも地続きなのだけど、主人公や舞台によって明確に違う味わいがあって最高なのだ。
これからも、ずっと、ずっと買いそろえたい。無理ないペースで、末永く作品を発表してほしい。サラ・イネスは、切にそう願っている漫画家である。
今週のお題「買いそろえたもの」