このブログ記事を読んで。
自分自身、夫と❝回らないお寿司❞に行ったことを思い出したので、
そのことを書こうと思う。
元ブログに比べると、ずいぶんと、こう、小さな話ではあるし、
物知らずが露呈していて恥ずかしくもある。
それでも、未知の世界に足を踏み入れた、その喜びと興奮がよみがえったので。
ある年のこと。
私の誕生日に、寿司屋へ行こう、となった。
カウンターで食べるお寿司を、食べてみたかったのだ。
店の希望は、小さな個人店で、一見の我々も入りやすく、値段もそう高くないところ。
このざっくりとした希望により、店選びは難航したが、
交通のアクセスもよい場所に、江戸前で、美味しいと評判の店が見つかった。
繁華街で人気のお店だったらしいが、移転オープンしたため、
新しい客をつかもうと試行錯誤しているとのこと。
そのため、価格もかなり良心的なものだった。
セットがあることも、カウンター寿司初心者を安心させた。
当日、端正なカウンターの清潔感と、間接照明にビビりつつ、席につく。
我々は、5000円ほどのセットを注文した。
店は、年のころ60過ぎの大将と、若い男性のふたりで切り盛りしている。
握るのは大将ひとり。
ガラス扉がついた木箱からネタを取り出し、すぅっと切って、
繊細な手つきで、握る。
それを一貫ずつ繰り返していく。
大将の動きをワクワクして目で追って、 ときどき目があって恥ずかしかった。
その日は土曜日。
テーブル席も含めて満席だった。
大将は握り続けているが、なかなか私たちの番は来なかった。
隣に座っていた身なりのよい男性ふたりは、移転前からの常連らしく、
「繁盛していて何より! 今度は平日に来るよ」と早々に帰って行った。
そうこうするうち、
いよいよ私たちの前にも、寿司下駄の上に美しく並べられたお寿司が到着。
しかし、しょうゆ皿がこない。
(あれ……江戸前で仕事してあるから、しょうゆつけて食べないのかな……)
(でも他の人のところにはしょうゆ皿あるし)
と、モソモソしていたら、少し離れた席の人が、
「あちらに、おしょうゆ皿を……」と助け舟を出してくれて、ありがたかった。
漬けまぐろから食べる。
美味しい。
シャリは硬めで粒だっていて、
ネタごとに握る強度が変えてある。
漬けまぐろでは比較的しっかりと、
少しねっとりしたイカでは、ホロリとゆるめに。
わさびの量も、おそらくネタによって異なる。
ネタには、新鮮なよい素材を使っていると思うが、
「新鮮なだけの美味しさ」とも、また違う。
漬けまぐろも、ふんわりしつつ小ぶりな穴子も、
手をかけられたことで、味が際立っている。
シャリ、ネタ、わさび。
それぞれの食感、風味。
お寿司って、こんなに立体的な食べ物だったんだと思った。
セットを食べ終わった後、私はブリを追加で注文。
端の部分しか残っておらず、
「他のネタに……」と言いかけたところ、
「工夫しちゃうよ!」と大将が茶目っけたっぷりに
ささっと切れ込みを入れ、握ってくれた。
脂が乗って、とても美味しかった。
大満足で店を出ると、なんとなく、
アタマの、いつも使っていない部位が疲れている気がした。
味、かみごたえ、舌ざわりなど、食感すべてを刺激されたのだと思う。
今まで食べた寿司とはまったく違っていたし、
❝食体験❞としてもはじめてのことだった。
私たち夫婦は、食べるのが好きだ。
ただし、食べ慣れた範疇での美味しさを好む。
あまり高級なところには行かない・行けない。
しかし、この寿司屋での食事は、
自分たちがふだん敬遠している世界には、
まったく未知の、❝食体験❞としか言いようのないものが
存在すると教えてくれた。
もちろん、我々が理解できない食は、いくらでもあろう。
それでも、わずかな勇気を出せば、
手が届く、理解できる範囲内で、
世界をほんの少し広げてくれる体験があるのだ。
そのことに感動した。
食べることって、奥深い。
そんなことを、人様のブログを読んで思い出したのだった。