平凡

平凡

げに恐ろしきは刷り込みなり

シーズン・オブ・ザ・そうめん!

というわけで、「豚ナスそうめん」を作った。

magazine.cainz.com

 

味つけはほぼめんつゆとすりおろししょうが(チューブ)だけ。手順もシンプル。にもかかわらず、外食を思わせるこってり感のなかにも奥行きがある、料理研究家リュウジ氏らしいレシピである。

 

これがなかなか上手くできた。

冒頭で「シーズン・オブ・ザ・そうめん」と書いておいてなんだが、今回はひやむぎを使った。すこし太めの麺のため、ラーメンを思わせる出来ばえとなった。

ナスの切り方は薄すぎず厚すぎず、しっかりと油を吸って、煮詰めた汁もちょうどいい塩梅。

わたしの料理はたいていツメが甘いが、珍しく全方向死角なしにできあがって大満足。

 

しかし――。

おいしかったね、おいしかったねと夫婦ともに腹をさすっていた食後、わたしの口からポロッと出たのは、「やっぱり夫の料理はおいしいなあ」というひと言であった。

ちょっと待て。

今日、「豚ナスそうめん」を作ったのはわたし自身なのだ。

しかし、食後のお茶を飲んでいる最中も、仕事に戻っても、「夫の料理はおいしいなあ」と頭をよぎる。

そのたびに「いやいや」と訂正するが、だんだんと「わたしが作った料理である」事実のほうが塗り替えられそうになっていく。

 

思えば、夫が料理を作るようになってから3年弱。

レシピに忠実に、丁寧に作られる夫の料理はもともと味よし盛り付けよしだが、最近は品数も増え、料理する頻度も上がっている。

夫が忙しいときはわたしが作ったり、テイクアウトを利用したりするのだが、そういったことが続くと、夫は「そろそろ料理したいなあ」と口にする。

どうも、「自分で料理を作る」「それがおいしい」「心が満たされる」の三連コンボを決めることは、夫にとって大切なセルフケアであり、ストレス解消になっているらしい。

 

わたしはそんな彼がつくる料理の味に、いまだに毎度毎度、感動してしまう。

そういったことを繰り返すうち、どうも、わたしのなかで「すごくおいしい料理は夫の手によるものだ」という刷り込みが完了してしまったらしい。

 

食欲は三大欲求のひとつ。「胃袋をつかまれる」なんて慣用句があるが、おいしい料理は胃袋どころか人の認識までハックするのだ。

 

 

と、こんなことがあったのが10日ほど前。

今日、わたしはふたたび「豚ナスそうめん」を作った。

仕事合間に焦って作ったため、ナスの大きさはバラバラ、汁も煮詰めすぎて「油そばのタレ」のような状態になってしまった。とはいえ、日常の食事としては夫婦ともに満足できるものだ。

 

それでも、「今日の夕食を作ったのはわたしだ」という認識はゆるがなかった。

刷り込みとはなんとも正直なもの。おいしさがホームラン級でないと、認識のすり替えは起こらないというわけだ。

しかし、なんだかくやしいのも事実。もうちょっと丁寧に料理して、ホームラン率を上げたいものだ。

……たとえその結果、脳が「夫の料理はおいしいなあ」と認識したとしても。

げに恐ろしきは、刷り込みなり。

 

画像は《茄子が2本ありますのフリー素材 https://www.pakutaso.com/201911313052-78.html

生き恥をまき散らして生きる

ツイッターを開いたら、政治学者の河野有理さんのツイートが目に飛び込んできました。

 

 

学者の方のツイートなので、「書く」とは、論文、学術書などのことをさすのかなと思います。

そして、上記ツイートに対する反応で、「自分はそう思って書かなかったけれど、生き恥をさらさなくてよかったと思っている」というような内容を見かけました。

 

その方が想定しているのは学術書などかもしれず、「生き恥」とは学術界でのことかもしれません。学術書でなくても、違うジャンルには違う感覚があるはずなので、一概に自分と重ねるのは筋違いの可能性もあるのですが――。

 

わたしは若くもないいまも、こうやって現在進行形の黒歴史をブログだの小説投稿サイトだのにまき散らしているので、びっくりしたんですね。ああ、そういうことを「しない」を選ぶことで、「生き恥をさらさなくてよかった」と納得できる人生もあるのか、と。

 

じゃあ若いときは慎み深かったのかというともちろんそんなことはなく、編プロ(出版業の下請け会社)受けるときにこのブログに書いているような文章を持って行ったり(×2回)、短編小説書いたらまわりの人にやたらと読ませたりしていたので、恥の閾値は相当に低いほうなんだと思います。

ただ、このブログや小説投稿は匿名でやっているように、自分を守りたい気持ちもある。

ブログは知り合いが見たら高確率で誰かわかるだろうけど、別にいいんです。ライターについてあれこれ語っているのは恥ずかしいけれど、業務上の秘密などを書いているわけではないし。

締め切り時期にブログアップしてる! こんにゃろー! と思われたら困りますが……。

 

書きたいものがあったら書くしかないし、書いたら誰かの目にふれさせたい! という欲求があるじゃないですか……。ブログを書いている皆さんはどうですか……。

 

下手なら下手でいいんです。いや、よくはないけど下手なんだもの、しかたない。そして、書くことで「どのように下手なのか」がわかる可能性があるのです。

ここでもって回った言い方をしているのは、「どう下手なのか」がわからないこともあるからです。つらい。

やっているうちに、「脳内にあるときは名作でも、書いたらめちゃくちゃヘナヘナなものができあがる!」とわかってくる。けれど、やっぱり出力するしか選択肢はないんです。

 

書くのは「書きたいことがそこにあるから」と、「それを自分の文章にして読みたいから」。毎度毎度、うぎゃぎゃぎゃぎゃ、なんて下手くそなんだと思うんです。いま書いている小説はとくにそうです。技量・経験不足と、頭の中での文章変換が上手くいかず、台本? いや、すぐれた台本は読んでいるだけで情景が浮かぶから、台本に失礼では……みたいな有様です。

それでも、自分が書いた文章でしか得られないものがある。

頭の中にあるものを文章にして、読みたいと思う。それって、かさぶたはがしたくなる衝動とか、臭いのに嗅いじゃうとか、嫌な感じだったのに妙になつかしい夢を何度も思い出すとか、そんな感じです。わたしにとっては。

「もっと上手くなりたいから」は、その後付けかもしれません。

書いても上手くならないかもしれないし、下手になる可能性もなくはない。でも上手くなるとしたら書く、書かないならめちゃくちゃに読む、あるいはその両方をやるしかないんですよね。

それと、書かないで「書いたら上手い気がする」って言ってるのは居心地悪いんです。瀉血して気持ちよく生きようぜ! 

 

と、ここまで考えて、冒頭のツイートに「生き恥をさらさなくてよかった」と反応をされた方は、「書いたら上手い気がする」とすら思わなかったのかもしれないな、と考え至るのです。

自分のことがよくわかっているから、先が見えた。そしてそのレベルのものを出力し、ひと目にさらすのは我慢ならなかった。だからこそ、やらなかったことに納得している。

「なんとなく書かない」ではなく、冷静に自分を見つめて、「書かない」を選ぶ。それに納得する。

自分を知る大人の態度のひとつであり、尊敬すべき生き様です。

現代日本、とくにツイッターなんかでは、「チャレンジはいいこと!」という空気感が強いように思います。なので、今回とりあげたような本音は、多くの人が抱えながらも、なんとなく語られないのかも、とも思うのです。

 

ともあれ、自分は凡庸どころか下手くそでも書きたいことは書きたいし、形にしたい。

ちょうど小説投稿サイトへの投稿を再開したので、タイムリーな話題だったのでした。

投稿は久しぶりなのに読んでくれる方がいて(少数ですが、ありがたすぎる)、でも、前より淡々と更新ができている気がします。

ただ、この後の展開がキツくてつらいので、数少ない読者に見放されないか不安です。実際、いままでに「波乱を乗り越えたかと思ったら、また波乱で疲れてしまった。もうすこしまとまってからでないと評価できない」とご意見頂戴したことがあり。しかし、これはキャラクターを応援してくださったからこその感想。つらくはあっても、ありがたい……。

最初は、「読者ゼロでも、最後まで書ききるぞ」と思っていたのに、文字通り“有り難い”読者がいると不安になる。コントロールが難しいものです。

 

どちらにしてもEvernoteに散らばったその"おつらみ展開"をそろそろまとめなければならないし、このブログも書いていきたい。とくに最近、ライターをやっていて感じたことを書き残しておきたいと思うようになりました。

 

いろんな生き方があるけれど、自分はそうやってしか生きられないし、それを選んでいる。

Twitterを見ていて、あらためてそんなことを感じた、という話でした。

 

画像は《ノートにメモをする女性のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210434106post-34389.html

海外旅行で病院送りになった話4~まとめ~

前回までのあらすじ:ベトナム・ダナンで嘔吐と胃痛で動けなくなったが、なんやかやあって一泊入院して無事、帰国した。

 

この話は、数年前のこと。

長引くコロナで海外はもちろん国内旅行さえためらうご時世だが、「いつか」のために、補足を置いて終わりにしたい。

全4回の4回目です。

第1回
https://hei-bon.hatenablog.com/entry/2022/08/09/073000

第2回
https://hei-bon.hatenablog.com/entry/2022/08/10/073000

第3回
https://hei-bon.hatenablog.com/entry/2022/08/11/073000

 

 

1.海外旅行保険には必ず入ろう!

海外旅行のさいには、「もったいない」と思っても、必ず海外旅行保険には入ることをおすすめする。万が一のとき、強い味方となってくれる。

 

ちなみにこのとき、追加料金は一切取られなかった。連絡すらこなかった。

一度、間違った病院に行っているのでかなり心配だったが、おそらくあの治療費はホテルが払ってくれたのだと思う。女性スタッフが気まずそうに数えていたドン紙幣の束が、それだったのだろう。

旅行保険代は3000円か4000円だったと思う。これですくなくとも英語が通じ、ツーリスト慣れした親切な病院を紹介してもらえ、一泊の入院治療費がまかなえた。おかげで、無事に予定通りの便で日本まで帰ってこられた。安いものだと思う。

 

2.海外で体調を崩したらさっさと医者へ!

そして、海外で体調を崩し、ヤバいと思ったら、さっさと保険を頼って医者にかかろう。日本から持って行った薬が効かない、または効かなさそうなときは、とくに。英語がわからなくても、なんとかなる。

 

3.緊急連絡先はわかりやすく、同行者と共有する

いざというときは、どこに連絡をしていいのか、パニックになる。ネットで保険加入した場合も、かならず証書と緊急連絡先をプリントアウトしておこう。

クレジットカード付帯の保険に頼る場合は、いざというとき、どのカードの何に頼るかを考え、これも緊急連絡先をメモしておくことをおすすめする。

 

旅の同行者がいる場合、海外旅行保険の証書の保管場所を共有しておいたほうがいい。クレジットカードの付帯保険を頼るつもりの場合も、どこのカードの何を頼るのか、また、緊急相談窓口を共有しておこう。

今回、わたしはなんとか口頭で保険証証の場所などを伝えることができたが、意識を失う、事故にあう、などのケースも考えられる。

 

4.同行者にはきちんと症状を伝えよう

これはわたしの個人的な反省なのだが……。

体調を崩したときは、できるだけ早く、同行者にだいたいの症状を伝えたほうがよい。夫はわたしがバスルームにこもって吐いていたことは気づいていたが、どれぐらいの体調の悪さなのかはわからず、いきなり「保険会社に連絡して!」と言ったものだから、「しししし死んでしまうのでは!?」と思ったらしい。

わたし自身は苦しかったものの、命に別状はないとは体感的にわかっていた。でも、そんなことはちゃんと伝えないとわからない。症状とともに、命の危険を感じているか、そうではないのかぐらいは、伝えておいたほうがよかった。

 

それと、「英語ができなくともなんとかなる」とは書いたが、英語はできるととても心強い。体調不良に関する英単語を知っているだけでも、かなり役に立つ。とはいえ、あの出来事から数年がたち、わたしは帰国後に覚えた「下痢」も「嘔吐」も忘れてしまっているのであるが……。

 

実はわたし、国内でも宿泊先で似た症状で体調を崩し、夜間の緊急外来に駆け込んだことがある。国内旅行でもいざというときに備え、保険証を持っていくと安心だ。

 

5.そもそもなんで体調を崩したのか?

ここで、いったいなにが原因なのかを考えてみる。

3日目は、夫もわたしも、ほぼ同じものを口にしている。早朝のチョコクロワッサンはわたしだけが食べているが、食中毒の可能性は低そう。

いちばん怪しいのはバインミー屋ではあるが、夫もわたしもメニューは同じ。ローカルな雰囲気の店で衛生的とはいえないが、ダナンへ来たらたいていの人は足を運ぶほどの超有名&人気店。観光客もいっぱい。そんなに食中毒が多発するとも思えない。

 

と、原因ははっきりしないが、夫と導きだした共通見解は「疲れ」だ。

仕事が終わらず旅行に持ち込んでしまい、早朝や夜に進めており、睡眠不足だった。そのうえ、現地は日本以上の猛暑。夫をはじめ、多くの観光客が難なく免疫で撃退できた菌か何かに、わたしはやられてしまったのではないか。

当たり前のことだが、休養や体調管理は大切、大切、超大切。夫は責めるそぶりも見せなかったけれど、とても申し訳ないことをしたと思う。

 

6.おしまいに

ホテルのスタッフは、付き添いの女性スタッフも含め、非常に強力にサポートしてくれた。最後に自分からお礼が言えなかったのが残念だ(夫はチェックアウトのときにお礼を伝えたとのこと)。

最初の病院には、迷惑をかけて申し訳なかったと思う。いまにして思えば、困りながらも治療してくれて、感謝しかない。“正しい”病院のスタッフにもとてもお世話になった。多くの人に助けてもらったできごとだった。

 

それでは皆様、まずは新型コロナ蔓延の昨今、どうかご無事で。

いつか旅に出られるようになったとき、この体験記がお役に立てば幸いです。

最近では、コロナで現地に足止めを食らうという新種の問題もあるようですが……。

気が早いけれど、よい旅を!

 

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

画像はベトナムの古都・ホイアンのカフェ。花はサルスベリ? キョウチクトウ? いつかベトナムを再訪し、今度こそ最後まで健康に旅を楽しみたいです。

海外旅行で病院送りになった話3~病院を間違えていた……だと!?~

前回までのあらすじ:

 ベトナム・ダナンで嘔吐と胃痛で動けなくなったわたしは、保険会社に問い合わせ、病院へ。点滴と注射をしてもらいひと心地ついたとき、夫から「ここは間違った病院だ」と衝撃の事実が告げられる。

全4回の3回目です。

第1回
https://hei-bon.hatenablog.com/entry/2022/08/09/073000

第2回
https://hei-bon.hatenablog.com/entry/2022/08/10/073000

「詳しくはあとで説明する。とにかく正しい病院へ行こう」

 

夫にうながされ、わけがわからないまま、タクシーに乗り込む。病室からタクシーまでは、病院スタッフが車椅子に乗せてくれた。

 

病院入口には、往路で付き添ってくれた、ホテルのスタッフ女性が来ていた。ドン紙幣(ベトナムの貨幣)何枚か手に、気まずそうな顔をしている。タクシーには女性スタッフも同乗したが、今度ばかりは神妙な顔をして、あまり運転手とも話をしなかった。

 

あとで聞いた話によると、保険会社から告げられた病院名は、「ファミリー・ホスピタル・ダナン」。夫はそれを書き留め、メモをホテルスタッフに見せて伝えていた。しかし、同エリアには「ダナン・ファミリー・ホスピタル」と、極めて似た名前の病院があり、ホテルスタッフの女性はそちらだと思い込んでしまったらしい。

 

夫はわたしがウトウトしているとき、設備に書いてあった病院名を見て、間違えに気づいたのだという。わたしなら絶対に気づかない。賢者なのか⁉ と思った。

 

胃痛は残っていたが、気分はだいぶマシになっていた。今度は30分ほど走り、タクシーは繁華街へ。「正しい」病院は、その一角にあった。

 

しかし、わたしの足には靴下のみ。ホテルから車いすに乗ったとき、あわてて靴を履かなかったことに、そのとき思い至った。いま、タクシーに車いすはない。どうしよう……と戸惑っていたら、夫が意を決し、お姫様抱っこをして入り口へ運んでくれた。それを見たタクシーの運転手が、「男を見せるねェッ!」みたいなことを言って、サムズアップしていた。夫本人は、

 

――別にいいところを見せようと思ったわけじゃないから! もう結婚してるから! 非常事態なだけだから! 

 

と思ったとのこと。わたしは夫の腰が心配だった。緊急事態で車いすに乗るときは、忘れず靴を履きましょう。

 

「正しい」病院は、二階建ての一軒家風。こざっぱりとしてあたたかみのある雰囲気の診療所といった趣だった。

一階の診察室兼処置室のようなところに寝かされ、眼鏡をかけた女性スタッフに、症状をいろいろ聞かれる。女性の手には、前の病院からの申し送り書。質問はすべて英語だが、ツーリスト慣れしており、かなりわかりやすい。

ちなみに、海外旅行保険会社の窓口では、「日本語が通じる病院」といわれたが、まったく通じなかった(笑)

唯一、「下痢はない」と言ったら通じた。なぜだ。

 

一つ目の病院でも、ここでも、「何回吐いたか」を聞かれた。たくさん、たくさんとしか答えられない。とりあえず点滴をすることとなった。チューブだけ差せば点滴が継続できるよう、手の甲に受け口のようなものが刺されていたが、それでは上手く輸液できなかったようで、もう一度、点滴針は刺し直した。

 

ここでも寒さを訴えたところ、

「あなたは今、熱がある。布団を追加した場合、熱が下がったとき、きっと暑くなってはいでしまう。そうすると、かえってからだによくない。だから、追加はできない」

と、丁寧に説明してくれた。そこで、自分は熱があるのだとはじめて知った。

 

一時間ほど点滴を打ってもらったところで、女性スタッフに、「気分はどうか」と聞かれた。時刻は23時。だいぶ気分がよくなったと答える。

続けて、「ホテルに戻りたいか、ここにとどまりたいか」と尋ねられた。できれば帰りたいが、明日、午前10時半のフライトで日本に帰国する予定だと話す。

 

「それならここにいたほうがよい。ここなら急変しても対応できる。朝まで様子を見て、帰国できそうならフライトへ。無理そうなら、もう1日ここで過ごしましょう」

 

とすすめられた。夫も一緒に泊まれるという。「とにかく心配はないから」と、スタッフが繰り返し言ってくれた。

 

ホテルのチェックアウトは? 荷物はどうなる? と心配していたところ、それについても病院側が提案してくれた。早朝、夫が一度ホテルに戻って済ませることとなった。

 

「正しい」病院はとにかく、対応が優しい。そして、旅行者のニーズや気持ちをよくわかっている。保険からしっかりとお金が出る病院は、こうも心強いのか……と、点滴をひきずりながら、一夜を過ごす二階の病室へと上がりながら思った。

そして、思いいたる。最初の病院は、いきなりツーリストの病人を送り込まれたわけだから、さぞかし戸惑ったことだろう。

 

二階の病室はこれまたこざっぱりした部屋で、ベッドがふたつ並んでいた。このころにはさらに気分は落ち着き、眠ることができた。ときどき看護師が巡回し、「大丈夫か」と聞いてくれる。

夫は、「妻が治らず、一緒に帰国できない場合」を考えて悶々と眠れず、スマートフォンで情報収集をしていたらしい。巡回の看護師にそれを見つかり、「明日に備えて寝なきゃだめよ!」と注意されたとか。

なお、ベトナムWi-Fi環境がかなり整っている。病院内の壁にはIDとパスワードが書かれた紙がはってあった。

 

夜中に目を覚ますと、やや暑く感じた。この病院に来たときは、あんなに部屋が寒いと思っていたのに。自分は案外、高い熱を出していたのだろう。

 

早朝、看護師が起こしに来てくれて、夫はいったんホテルへ。

7時ごろ、「食べられそうか。ビーフ粥かトースト、どちらかを食べるか」と聞かれ、ビーフ粥をお願いする。「あなたのためのスペシャルよ」とウィンクする看護師。

 

この看護師は、夜中見回りに来てくれた人で、「Don't worry」と何かにつけて励ましてくれた。夫もわたしも、この人の存在に、大変に救われたのだった。

 

出てきたビーフ粥はとても美味しかったが、何しろラーメン丼ぐらいの器いっぱいの量があった。片手に点滴が刺さったままでもあり、針が外れてしまうのも心配だ。適当に食べて横になったところ、看護師がやってきて、「そんなことでは帰国できないよ!」とはっぱをかける。「帰国できない……」と青ざめるわたしに、「いや、食べないと力がつかないから言っただけで……」と、フォローしてくれた。

 

8時近くなり、夫がスーツケースふたつを手に帰ってきたが、肝心の医者が着かない。フライトは10時30分。ダナンは空港と市街が近いとはいえ、心配だ。不安を訴える。

「医者は今、スクーターで向かっている。でも、フライトには間に合わせるから心配ない」

と力強い答え。

 

待つ間、「クイックシャワーを浴びたら?」と言われ、二階の病室付属のユニットバスで、シャワーで簡単に体を流す。点滴の針が刺さったままの手には、ビニールをかぶせてもらった。至れり尽くせり。

12時間ほど前は、翌朝に粥を食べ、シャワーまで浴びられるとは思わなかった。

 

医師が到着し、瞳孔をのぞき込んだり、寝転がったわたしの腹をおさえたり、簡単に問診をしたり。「フライトOK!」とお墨付きをもらい、ひと安心。

 

5種類ぐらいの薬をわたされ、それぞれどんな薬なのか、いつ飲むのか説明を受ける。卵と乳製品は食べないこと。コーヒー、紅茶はOK、でも牛乳やチーズなんかはダメだと念押しされた。

 

いよいよ退院、帰国だ。受付で、「もし、飛行機に搭乗するとき何か言われたらこれを見せろ」と、「フライトOKお墨付き証明書」のようなものを渡された。「何も言われなかったら、出さなくてOK」と、スタッフが茶目っ気たっぷりに笑う。何か伝染病を疑われるのでは、というのも心配のひとつだったので、これはありがたかった。

 

タクシーを呼んでもらい、空港に向かう。からだに力は入らないが、問題なく日本へ帰れそうだ。

空港でトイレの「おむつがえ台あり」のピクトグラムの赤ちゃんを真似たところ(足をガニ股気味に開いている赤ちゃんのシルエットがかわいかった)、夫が「元気になった」と心底うれしそうに笑ったのをよく覚えている。

 

飛行機のなかでは弱い下痢状症状があり、胃も本調子ではなく、機内食は思うように食べられなかったが、おおむね問題なく帰国。日本の空港ではうどんを完食し、回復を実感した。

 

もらった薬は、使い切り目薬のような容器に入った「ちゅーっ」っと吸い出すもの、粉薬2種類、でっかい錠剤がひとつ、中ぐらいの錠剤がひとつ*1

粉薬は両方ともにパウチに切り込みがついておらず、はさみを使わないと封を開けられない。さらに水に溶かして飲むという、日本の粉薬では見かけない仕様だった。

うちひとつはひどく粉っぽく、コップに入れた際に土煙のように舞い上がり、水を注いだ際にも舞い上がったので、服用量が半分になっているんじゃないかと思った。

服用タイミングは食中食後ではなく、1日5回とか、6時間ごととか、朝夕とか、それぞれ食事関係なく指定されていた。

 

帰国し、それを服用しつつ過ごす。二日もすると、体調はほぼ元通りに。帰国後はじめて炒め物をつくって食べたとき、やっと旅行が終わった気がした。

 

(つづく)

 

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

画像はホテルから見た朝の海。夫はひとりで荷物をホテルへ取りに行くとき、きっとこんな光景を見たことでしょう。チェックアウト時、ホテルの方によくお礼を伝えてきた、と言っていました。

*1:そういえば、あのデカい錠剤、水で飲んでいたな⁉ 昔のほうが嚥下力が高かったのではないか……

海外旅行で病院送りになった話2~病院へ行こう!~

前回までのあらすじ:

ベトナム・ダナンで体調を崩してバスルームで嘔吐をつづけたわたしは、夫に海外旅行保険窓口に連絡するようお願いした。

全4回の2回目です。

1回目はこちら。

海外旅行で病院送りになった話1~はじまり~ - 平凡

さて、そのときの夫はというと……。

夫も当然、バスルームにこもってわたしがゲエゲエやっていることは知っていた。

しかし、下痢もしているかもしれないという気づかいから、部屋で気をもみながら待っていてくれた。

 

夫の頭の中にあった選択肢は、

 

「現地の救急車を呼ぶ」

「旅行会社に連絡する」

「ホテルに助けを求める」

 

の三つ。

 

海外旅行保険の窓口を頼る」は考えになかったと後で聞いた。

 

ともあれ、「保険会社に連絡してくれ」とわたしから頼まれた夫は、戸惑いつつも承諾し、ホテルの部屋から保険会社に電話をかけてくれた(SIMカードは買っていなかった)。

 

やがて、部屋を飛び出していく夫。海外旅行保険の緊急連絡先の「ベトナム滞在中の方はコチラ」と書いてある窓口につながらず、フロントを頼ったらしい。結局、フロントでもその番号にはつながらず、渡航先がタイの場合だったか、とにかくベトナム国外の問い合わせ先に、フロントから国際電話してもらい、やっと係につながった。

 

我々が滞在していたホテルは、日本語対応なし、英語はOK。当時、夫は英会話に堪能というわけでもなかった*1。夫は、さぞかし苦労しただろう。

 

そこからの流れはこうだ。

 

つながった海外旅行保険窓口(日本語対応)に、妻が体調を崩していること、だいたいの症状を伝える。

 

 

受け入れ可能な病院を調べると言われる。滞在先のホテルの電話番号と部屋番号を教えて、部屋に戻って折り返し待ち。

 

 

部屋に折り返しが来る。夫は病院名、電話番号をメモる。

 

 

フロントにその病院へ行きたいと頼み、タクシーを手配する。

 

 時刻は20時。「病院、見つかったから! タクシーで行こう」と夫が声をかけてくれた。しかし、わたしは嘔吐の波が引いたときに、やっと這って動けるぐらい。とにかく胃が痛い。

そうだ、ホテルなんだから車いすくらいあるだろう! とひらめき、気軽な気持ちで夫に手配を頼んだのだが、「ホイールチェア」がなかなか通じず苦労したらしい。

 

ホテルのスタッフが、車いすを直接バスルームまで運び入れてくれ、わたしは夫に助けられながら、“車上の人”となった。

 

「パスポートとか、保険の証書とか、スマホは持ったから! 何か持っていくものはない?」

 

と聞いてくれた夫に、荷物に突っ込んであった、とあるビニール袋をお願いする。それは下着類をまとめたもの。そのときは下痢症状はほぼなかったが、万が一、症状が変わり、下着を汚したときに替えられたらと思ってのことだった。

 

そのときの私のかっこうは、タンクトップにナイロンのガウチョパンツ、その上にホテルのガウンを羽織るというもの。昼寝のままだが、着替えられるぐらいなら、車いすなんかに乗ってはいない。そして、このときはテンパっていて気づかなかったが、靴を履き忘れた。

そのかっこうのまま、紙のような顔色でゼェハア言いながら車いすに乗り、エレベーターで他の客に囲まれて階下に降りた。もちろん、手には空のビニール袋を握りしめる。

 

フロントまで降りると、欧米人の男性が夫に何かを話しかけ、タクシーまでエスコートしてくれた。保険会社への連絡時や車いす手配時、フロントで右往左往する夫を何かとサポートしてくれたスタッフだそう。おそらくホテルのかなり上の人ではないかと夫は言っていた。

 

その男性のはからいで、タクシーにはホテルスタッフの若い女性がひとり、同乗。行き先もその女性が伝えてくれた。ありがたいこのはからいが、のちにトラブルを招くことを、我々は知る由もない。

 

ホテルスタッフの女性は明るいお調子者といった雰囲気で、タクシーの運転手にしきりに話しかけていた。おそらく、「いやー、もうすぐ退勤なのに巻き込まれちゃってさあー」みたいな話をしていたのでは、と思う。

 

病院までは20分ほど。幸い、車内では一度も吐くことなく、病院の救急窓口のようなところについた。出てきた病院スタッフが、どこか迷惑そうな顔をしていたことを覚えている。ホテルスタッフの女性はそこで帰って行った。

 

スロープがついた入り口からすぐ、明るい60平米ほどの病室があった。蛍光灯の下、白いシーツが敷かれたそっけない、しかし清潔なベッドが並んでいる。日本の大病院の大部屋と変わらない。そのうちのひとつに、寝かされた。

 

英語で症状を聞かれたが、嘔吐や下痢にあたる単語がわからない。身振り手振りで説明し、それにストマックエイクを付け足す。スタッフは、「あー、ツーリストがよくなるあれかー」みたいな顔をした。ここへきて安心したのか、また嘔吐が始まる。病院側はとくに何も持ってきてくれなかったので、手持ちのビニール袋にゲエゲエやっていた。嘔吐が終わると、胃痛でダンゴムシのごとく丸くなる。これではスタッフも処置できず、困らせてしまった。

 

波がおさまると、スタッフが「吐き気止めだよ」(予想)と腕を消毒し、一発注射を打ってくれた。その後、点滴を打とうとするのだが、手の甲に針がなかなか刺さらない。「こぶしを握って」「開いて」と言われているようなのだが、今一つわたしが理解しないため、スタッフはまたまた困り顔。なんとか針をさしてもらい、点滴が始まる。英語での説明をよく理解できなかったが、おそらく、抗生物質ではないか。

 

病院の時計が目に入る。21時だった。本当だったら、今日はホテルのエステで、夫婦そろってトリートメントを受けるはずだった。夫にとっては、はじめてのエステ。それから、海鮮が美味しいレストランで食事をして……。付き添う夫に「ごめんね」と言ったら、情けなくて涙が出た。こういうとき、泣いても何もならないものなのに。

 

それにしても、病室が寒い。タオルケットより薄いブランケットを一枚与えられたが、まったく足りない。自分から、また、夫にも頼んでもらって「寒い、ブランケットがほしい」と訴えるも、スタッフは面倒そうにブランケットをかけ直すのみ。

 

寒さをのぞけば、注射と点滴効果で気分が落ち着いてきて、ウトウトする。

目を覚ますと、夫が難しい顔をして、スタッフに何かをかけあっているのが見えた。やがてスタッフの携帯電話をかりて、どこかへ電話をかけはじめる。保険の話でもしているのかと、またウトウトしようとしたそのとき。ベッドサイドに戻った夫は告げた。

 

「ここ、間違った病院だから! これから、正しいほうへ移るから」

 

ええええーーーー!?

 

(つづく)

 

今週のお題「人生最大のピンチ」

画像は旅行中撮影した、古都・ホイアンの風景。ここへ行ったときはまだまだ元気でした。

*1:今も「英会話」が堪能かどうかはわからないのだが、単語量など飛躍的に増えて自信がついている

海外旅行で病院送りになった話1~はじまり~

数年前、このブログで「海外旅行で一泊入院した話」を途中まで書いたことがありました。書きかけで止まっていたのですが、このたび大幅改稿し、最後まで書いたものをアップいたします。

体調不良の話がつづくのもなんですが、海外旅行が気軽なものになったときのご参考になれば。

全4回の1回目です。

***



 

時刻は午後7時。目に入るのは、清潔に磨きあがられたバスルームの床、そして便器。

 

――ああ、ランクの低いホテルにしなくてよかった*1

 

便座にもたれ、額に流れる脂汗をぬぐいながらそう思ったのもつかの間、激しい胃の痛みに襲われ、わたしは嘔吐した。

何度目だろう。もう胃液しか出ないが、嘔吐は止まらない。吐くたびに胃の痛みは増していく。

 

――これはダメだ。

 

数時間内によくなることは見込めない。そう判断したわたしは、文字通りバスルームの床をはって進み、部屋にいた夫に向かい、「旅行保険会社の窓口に連絡してほしい」と息も絶え絶えにお願いした。

 

これから書くのは、数年前のわたしの実体験だ。

 

このとき、わたしたち夫婦は夏季休暇を取り、3泊4日予定でベトナムのダナンへ来ていた。

体調不良になるまで、何があったのか?

時系列を追っていこう。


1日目
夜にダナン着。

夕食:ホテルの隣にあるローカルな海鮮レストラン。
貝のレモングラス煮、えびのBBQ焼きなど。

 

2日目
朝食:ホテルのバイキング。フォー、フルーツなど。

ミーソン遺跡へのツアーへ参加。さえぎるものがない遺跡はめちゃ暑い。

昼食:ツアーに含まれる昼食。生春巻きや牛肉とナスのオイスター煮など。生ものはフルーツぐらい。ちなみに味は微妙だった。

古都・ホイアン散策。

日差し強すぎてやってらんない。
計2回カフェで休憩。ベトナムコーヒー、スムージー

夕食:有名店で、揚げワンタン、ホワイトローズなど。


3日目

午前4時
早朝、仕事しながら、前夜ホテルのカフェで買ったチョコクロワッサンを食べる。

 

午前8時
朝食:ホテルのバイキング。フォー、フルーツ、パンケーキなど。

 

午前10時半
ダナン市街へ。この日も日差しが強すぎてやってらんない。我々以外、誰も歩いていない。タクシーの運転手もみんな日影で寝ている。

カフェでお茶。フルーツティーを飲む。

 

12時
昼食:有名バインセオ屋で食事。とても美味しかった。

ドリンクはコーラ。バインセオは「ベトナムお好み焼き」と呼ばれることが多い料理。米粉生地をクレープのように巻き、そこに生野菜や香草、豚肉の炒めものなどを巻いて食べる。ここでは、生野菜も挟んで食べた。

コーラは氷入りコップと供に提供され、わたしは食中毒をおそれ、缶から直接飲んだ。夫は氷入りコップについで飲んだ。

バインセオには豚のつくね串が5本ほどセットで付いてくるのがこの店の仕様。好きなだけ食べ、食べた本数の料金が請求されシステムだ。たいへん美味しく、この店に来たら食べない理由はない。ただ、客が手を付けなかったつくね串は使いまわししていないのかなあ、と一抹の不安はあった。いや、手を付けていなかったらいいのか。

 

14時
ホテルに戻る。プールへ入るが、なんとなく体がだるい。

 

16時
ビーチへ。体調はいよいよ微妙。貧血気味なのかなと思う。夫だけ海へばちゃばちゃと入っていくのを浜から見送る。ベトナムの砂浜は、波打ち際で筋トレする男性、ローカルのおっちゃんふたり、中国人の家族連れなど、さまざまなひとが入り乱れており、夫が男ひとりで海へ入ろうが、わたしがひとりでぼーっとしていようが、変な目で見られることはなく、気楽。

 

ホテルに戻る。1時間ほど眠り、起きるとからだがぞわぞわし、床に座り込む。

やがて胸がむかつき、バスルームに駆けこんで嘔吐。一度吐いたら止まらなくなった。途中、はいずって部屋へ戻り、夫に夕方予約していたホテルエステの解約をお願いする。

 

19時
1時間ほど嘔吐しつづけ、吐くものを吐いたが、治る気配がない。夫に旅行保険会社の緊急窓口に電話するようお願いする。これが冒頭のシーン。

 

連絡する先を旅行代理店にしなかったのは、19時だとオフィスは閉まっているから。

開いていたとしても、医者にかかれば診療費が発生する以上、最終的には保険会社に連絡することになると考えたのだった。

また、フリーツアーでの参加だと、トラブルのさい、旅行代理店はあまり頼りにならない印象がある。

自室で回復を待たなかったのは、寝れば治るとはとうてい思えなかったから。海外旅行先でお腹を下したことがある人複数から、「勇気を出してツアーコンダクター(またはホテルなど)にお願いし、医者にかかって薬をもらったら一発で治った」と聞いたことがあった。

医者にかかれば、一錠で一発すっきり、明日の帰国便も安心安心! このときは胃液を垂れ流しながらそんなふうに考えていた。

ダナンの夜は、まだまだはじまったばかり。

 

(つづく)

***

今週のお題「人生最大のピンチ」

 

画像は《ダナンのリゾートビーチ(ベトナム)のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20200827216post-28728.html

ダナン、いいところでした。

*1:とはいえ、うちはそんなに宿に御金をかけるほうではないので、ラグジュアリーホテルでもなし。最低ランクのホテルでない、築が新しいホテルである、ぐらいの意味合いです

新型コロナ療養記、我が家の場合

コロナ療養期間が終わりました。

結論から申し上げると、うちは軽症の軽症だったと思います。

夫婦ともに熱は高くて38度台。発症から5日ほどで平熱に戻りました。

噂の「唾が飲み込めない」ほどの喉の痛みもありませんでした。

また、発症がズレていたため、夫婦でお互い看病し合うことができました。

ただ、症状がゆるやかに移り変わるため、療養初期はどうなるか見通せず、不安でした。

これは風邪やインフルエンザとは違うところだと思います。

体力消耗もあり、10日の療養期間は有症状者にとってはゆとりがあってよいものだと感じました。

夫婦ともに発熱外来で検査を受けられたことも幸いでした。

わたしがかかった病院は、説明も丁寧で電話のフォローアップもあり、心強かったです。

薬局が家に薬を届けたうえ、電話で丁寧に説明をしてくれたのも助かりました。

多くの陽性患者がいるなか、頭が下がりました。

通販がありがたく、運送業者の方にも感謝の念が尽きません。

 

今回はお役立ち情報というより、「わたしたちのケース」を書いておきます。

何かの参考になれば。

 

療養期間中に書いたエントリーはこちら。

第7波が来たぞぉぉぉぉぉ!!!!! - 平凡

 

***

基本ステータス

夫婦ともに40代、ワクチン接種3回。

夫、モデルナ×3。わたし、ファイザー×2、モデルナ。

最後のワクチン接種は3月。

 

夫発症3日前

夫の職場で3人ぐらいが新型コロナウイルスに感染。体制がガタガタである、みたいな話を聞く。

 

夫発症2日前

夫、この日は休日。疲労感が強く昼寝を試みるがうまくいかず。「クーラーがすごく寒く感じる、冷風で喉がつらい」と言う。「発症2日前」としているが、医者のツイートによると「クーラーに喉をやられる」というのは典型的な「はじまり」らしい。

 

夫発症1日前

夫、「眠れなくてだるい」。他は異常なく、職場へ。さらに感染者が出たとLINE。その感染者の中には、夫とやりとりが頻繁にある人たちもいた。

この時点で第7波からは逃げ切れない予感がした。ちょうど時間があったのでドラッグストアとスーパー2軒に足を運んで備蓄品を買いまくる。

 

夫発症0日目

朝、夫が発熱。何回測っても37度。

職場に電話したのち、行政のページで調べて発熱外来に電話しまくる。この時点で9時30分。どこもいっぱい。

発熱外来のその日の予約が、受付5~10分で埋まってしまうことをこのとき知る。リストの最後にあった1軒で運よく夕方の枠が取れた。

夫、抗原検査で陽性。わたしは濃厚接触者に。夫はカロナールなどを病院で直接処方されて持ち帰ってきた。

自宅隔離体制を敷く。夫は基本、寝室だけで過ごすことに。

食欲はあるとのことで、夕食は豆苗と豚肉のポン酢炒めを作る。

夜、わたしは仕事部屋で寝袋を敷いて眠る。

 

夫発症1日目

夫はとなりの部屋でうんうん言ってる。ときどき咳をしている。ちらっと廊下の端と端で顔を合わせると、顔色が紙のよう。

毎月処方されている薬が尽きかけていると聞き、わたし、夫が予約している病院に電話をかけるなどする。

この日の夫、おそらく熱は37度後半のはず。

 

夫発症2日目

早朝、「熱が上がってきたので、薬を飲みたい。カロリーメイトでいいので朝食がほしい」とLINE。つらくても絶対に部屋から出ず、隔離を徹底する夫はえらい。

わたしも不安なのかあまり眠れず、体が痛いが気にしないようにする。わたし、膀胱炎の兆候が出始める。濃厚接触者ってどうやって病院にかかるんだ?

夫、あいかわらず胃腸にはまったく問題がない。希望を聞き、夏野菜カレーを作る。食後、たいへんに感動したLINEが届く。あとで話を聞くと、座敷牢状態で、食事の美味しさが異常なまでに感じられたそう。

 

夫発症3日目

夫、熱は38度になったり、37度になったり。しんどそう。たまに保健所から電話がきている。酸素飽和度が低いせいで心配されている。

わたし、膀胱炎の症状が悪化。尿に血がまじる。腎盂炎になったらどうしようと不安になる。婦人科に電話で相談すると、夏季休暇目前。「診察は無理なので、水をたっぷり飲んで」と申し訳なさそうに言われる。

水を飲み飲み、ネット診療ができる医者などを探す。結局、次の日に発熱外来に電話してみようと思い立つ。濃厚接触者なら発熱してなくてもこっちだろう。すごい頻尿。

夕飯は夏野菜カレーの残り。やっぱり夫は異常なまでに感動していた。

 

わたし発症0日目(夫発症4日目)

あまり眠れない。早朝に熱を測ったら、37度超えていた。来るべきときが来た。

8時30分を待って電話をかけまくる。話し中の嵐。運よくかつてのかかりつけ医(徒歩圏内)に予約が取れる。電話しているうちに36.4度に。この程度の熱なので、電話も難なくかけられるけれど、もっと高熱だったらと考えると……。

炎天下一駅歩き、かかりつけ医へ。抗原検査マイナス。PCR検査をする。

この医者は底抜けに明るい。

「夫が陽性で隔離中」と聞くと、抗原検査のキットを見ながら、「おおおおおっ、プラスが出ない! これは隔離が上手くいってるのかもしれませんよ!」。

ワクチンがファイザーファイザーモデルナと答えると、看護師と声を揃えて「「おおおお!」」」*1

帰りがけに、「もしPCR陽性だったら、もう自宅隔離いらないから! 夫婦で仲良く食事とかしちゃってください♪」。

検査が陰性でも陽性でもポジティブ! この明るさに救われる。

ここの発熱外来のシステムは、次のようなものだった。

時間近くなったら病院へ行き、電話をする。なんとなく路上で待機。看護師さんが出てきてくれて、保険証を回収。呼ばれるまでまた外で待つ。診察はふつうに診察室で。

膀胱炎の薬を出してもらって帰る。薬局の外で待っていると、薬剤師さんが外でお会計してくれた。そういうシステムになっているのだそう。

めずらしく膀胱炎は自力で収束しかけていたが、抗生剤を飲む。安心。この日は何を食べたか忘れた。

夫はだいぶ症状が落ち着いてきていたし、隔離しなくてよくなったので、自力で冷凍のパスタとか食べていたかもしれない。

この日、6つ折りマットレスが到着。寝袋1晩の睡眠は、マットレスでの睡眠の20分に相当! ほんとうにラク~~~!

 

わたし発症1日目(夫発症5日目)

かかりつけ医から朝イチで陽性の連絡をもらう。その時点で熱は37.4度程度。解熱剤などを薬局が持ってきてくれるし、コロナに関する薬は公費で無料とのこと。

朝ごはんを食べる気が起きず、ポタポタ焼き食べて抗生剤を飲んだ。

お互い陽性、隔離はもう必要ないということで、夫とひっしと抱擁(笑)

浮かれていたらどんどん気分が悪くなり、12時と14時に嘔吐。

夫の熱は37度台になっていたので、夫が看病フェーズに。

お昼はウイダーインをひと押しぐらいお椀に入れて持ってきてもらう。

寒気と頭痛。熱は36度台から37.6度をいったりきたり。

熱風が寒く感じて、「あ、わたしおかしいんだな」と思う。

嘔吐はコロナというより抗生剤がダメだったっぽい。

薬局が解熱剤などのドアポスト投函後、薬の説明のために電話をくれた。そのさい、抗生剤についても相談して飲むのを中止する。この、「電話で相談できる機会がある」ことのありがたさ。

薬を出してもらえて本当にありがたいのだけど、そのデカさにおののく。案の定、水で飲むのに失敗。ウィダーイン的なゼリー飲料を服薬ゼリーがわりにして飲み下す。Amazonでピルカッターと服薬ゼリーをポチ。ありがたい時代。 

夜はレトルトおかゆを1/3。

喉の痛みと咳がある。

夫、この日はまだちょっとしんどいらしく、ライフワークの英語はお楽しみ動画を見る程度。「インドではジャスミンを、若い女性が手摘みしている……」と、学習英語動画で知った、よくわからない知識を披露してくれた。

夫とわたしであまりも体感温度が違い過ぎるので、寝室は分ける。夫が六つ折りマットレス(わたしの仕事部屋)、わたしはベッド。ベッドの寝心地に感動する。

 

わたし発症2日目(夫発症6日目)

夫は平熱に。わたしはこの日は熱が38度台。さすがにしんどい。立って動いたほうが気がまぎれるときと、ベッドの上から動けないときが交互に来る。調子がいいときにシャワーを浴びる。ベランダの風景をよく見ていた。

まったく暑く感じず、クーラーいらず。

裸眼で見る夏の日差しと木々の緑は異様にきらめいている。それに鳥のさえずり、蝉の声。ものすごく苦痛がやわらぐ。

夫が昼も夜もうどんを作ってくれた。

夜、楽になったので夫婦で「タローマン」の一挙放送を見たら38度に熱が上がった。

 

わたし発症3日目(夫発症7日目)

熱が37度台に。この日はずっと37.5度ぐらい。

午前中は気分がまずまずだったので、ためしにブログを書く。

ときどきすごく咳き込んでえずく。たまに喉の裂けるような痛みがあり、「唾を飲んでも痛くなる」状態になったら嫌だなと恐れる。鼻水が少し出る。

やっぱりクーラーいらず。

わたしは初日の嘔吐がさわったのか、夫と違って胃の調子はあまりよくない。レトルトのおかゆなどを食べていた。

夜、レタスとにら、豚肉の鍋を夫が作ってくれた。

味覚、嗅覚がややあやしいけれど、「あまり感じない」程度で、「変な味に感じる」ことはない。喉鼻にくる風邪ってこんな感じかも。

ブログは書けたものの、この日ぐらいまで、電子機器を見るのがつらかった。ツイートもテレビも何もかもが刺激。

体調よいときは紙書籍で買ったルシア・ベルリンを読んでいた。生命力に満ち満ちていて、コロナ罹患時に読むのに適していた。「あたしはコロナのくそったれにかかった」とか吐いて捨ててくれそう。

 

わたし発症4日目(夫発症8日目)

熱が36度台に! 36度台になると楽。と思って仕事をしたら息苦しくてびっくりした。仕事以外だとそうならない。多少緊張して息が浅くなるのかもしれない。

咳の頻度は減ってきたけれど、ときおり「ぐえ」となんか出そうになるぐらい咳き込む。

クーラーあってもいいかもね、ぐらいに戻ってきた。

 

わたし発症5日目(夫発症9日目)

熱は36度台。仕事をしても息切れしづらくなった。あまり頭は回らない。編集さんから電話があり、「コロナになったんですよ」と話すと、「マジですかー!」とひとしきり笑って、「いや、笑いごとじゃありませんね(キリッ)」と言っていて、なんだか救われた。

食欲も戻ってきた。相変わらず味覚嗅覚は半減しているけど、あまり不安は感じていない。ときどき感じる喉の裂けるような痛みも悪化することはなさそう。

とにかく夫婦ともに悪化せず、入院が必要になって医療の危機に直面することもなく乗り切れたっぽいことへの感謝がいっぱい。

 

わたし発症6日目(夫発症10日目)

仕事が爆発してえらいことになった。咳は出るけど、ふつうに仕事ができる。クーラーもつけている。暑さ寒さをきちんと感じる!

 

わたし発症7日目(夫発症11日目)

夫、仕事へ。案外平気だったようでよかった。

あいかわらずわたしの仕事は爆発!

咳は出る。

かかりつけ医から電話。経過観察期間がそろそろ終わるので、体調うかがい。咳が出ることを話し、すこしだけお薬を追加してもらう。またもや薬局の人がドアポストまで届けてくれる……。内科の連絡は感じがよく励まされたけれど、いったい何人の陽性患者を抱えているんだろう。

 

わたし発症8日目

仕事をなんとか終わらせるが、取引先にたいへんな迷惑をかけた。

週末を経たら、自宅療養期間が終わる。味覚嗅覚も戻ってきたかな?

咳のせいで、ちょっと腹筋痛いけれど、日常に戻っていけそうな安心感はある。

 

わたし発症9日目

熱が37度に。ちょっとしんどい。

 

わたし発症10日目

ゆっくりしていたら体温は36度台に。味覚嗅覚は正常かな?

明日からゆるやか通常モードに移行して、がんばろう。

 

*****

発症4日~5日目ぐらいまでは症状がゆるやかに変わっていくので、「症状ガチャ」みたいな感覚がありました。

熱が39度行くか行かないか、喉はどれぐらい痛くなるのか、痰はどんな感じになっていくのか。

そのときどきでサイコロが振られて、症状を決められている感じです。

 

夫は風邪を引くと咳喘息になりがちで、コロナでもそれを恐れていました。今のところ、夫は咳喘息にはならずに済んだようで、咳はすこし残っていますが常識の範囲内です。

 

おもしろかったのが、皮膚疾患との関係。わたしは謎の皮膚かゆい病に悩まされているのですが、熱が37度半ば~38度のうちは、症状が出なかった。おそらくアレルギー系、免疫の暴走なので、他のウィルスと戦っているときはそちらに回す余裕がないのかな? と思いました。体温が37度前半ぐらいになるときっちり復活しました。そのまま消えていいんだよ!

 

わたしたちは40代で健康で、ワクチンを3回接種していて、そしておそらく運がとてもよかったのでしょう。

そんな例にどこまで需要があるのかわかりませんが、「何が起きたか」を参考までに書いておきます。

まだコロナにかかっていない皆さんは、どうか逃げ切って夏を楽しんでください!

かかった方は、どうかお大事に。

医療従事者の皆さん、エッセンシャルワーカーの皆さん、本当にありがとうございます。

この波が一日も早く収束しますように。

*1:抗体の上昇率が一番高い組み合わせだから……?