「生理の貧困」という言葉がある。
言葉自体は、さまざまな原因で生理用品が買えない、不足している女性がいる事象をさす。
そういった女性にリーチするよう、生理用品を無料で配布するこころみが、いま、広がっている。
わたしの年齢のせいもあるかもしれないが、生理についての詳しい話は女性同士でもあまりしない。
正確にいうと、語られにくい領域がある、と感じている。
「重い」「多い」「今日ちょっとしんどい」といった愚痴はこぼすし、「この生理用品はよかった」と情報交換をすることはある。
一方で、生理にまつわる「失敗」についてはふれにくいところがある。
生理にまつわる「失敗」は、日常的なものだ。
男女を問わず、CMで「夜までぐっすり」「横漏れの心配ナシ!」といった表現が使われているのを耳にした人は多いだろう。
逆にいえば、「夜、心配になる」「横に漏れる」事態がありえるということだ。
生理は、経血、つまり液体が排出される現象である。
特徴は、その量、タイミングを各人でほとんどコントロールができない点*1。
人間は眠るときは横になるし、歩けば足を動かす。また、長時間座ることもある。
生理期間中は、その間も経血、つまり液体が排出されつづける。
「わー! いま、出ないで!」と思っても勝手に出る*2。
液体なので、寝ていれば後ろにつたうことがある。
運動をすれば、生理用品自体が動いて経血が横に漏れることがある。
そのうえ、経血が「多い日」ぐらいはわかっても、「この2時間で何ミリリットルの排出量がある」といった細かい予想はできない。
短いスパンでの排出量はランダムなものだ。
長時間の仕事中は、予想外の経血の量に対応できないことがある。
睡眠中はそもそも寝ているので、生理用品を取り換えることはできない。
そうした要因により、使っている生理用品のキャパシティを経血が超える、または生理用品の位置がズレるなどすると、寝巻や寝具、洋服、椅子が経血で汚れることになる。
この記事で生理の「失敗」と呼ぶのは、そのような事態だ。
あまり語り合ったことがないのでわからないけれど、自分でコントロールできないにも関わらず、こういった「失敗」は、女性の心を凹ませる。
すくなくともわたしは凹む。凹むというか、自尊心を削られる。これはあまり書きたくはないが、排泄を失敗したかのような情けなさがある。
経血がついた服や寝具を洗うのは、なんともいえない嫌な気分だ。
これが外出中であって、仮に服を汚したまま歩いていたとしたら――。相当なダメージになる。
「失敗」は、ある程度、生理用品を組み合わせれば防ぐことができる。
ごつくて長い夜用ナプキン。
昼用には、夜用ほどの長さはないけれど、中央部分の吸収力が高い「多い日用」。
最近話題の、ナプキンと組み合わせるソフィボディフィット。
タンポンを使える人なら、タンポンとナプキンを組み合わせ。
本当に不安なときは、下着一体型のナプキンを使う手もある。
便利ではあるが、これらをシーンごとに組み合わせようとすると、それなりに金がかかる。
一番安いものは「ふつうの日」の名前で売られているものだ。20枚ほど入って100円を切る。
が、夜用になれば安いもので20個入りで300円超。
経血の量は人それぞれなので、夜用にもいろいろあって、長くてしっかりしたものだと14個400円程度はかかる。
(これらの値段は、自らの記憶とネットで調べた価格をもとにして書いているので、ざっくりである)
1カ月に1回の生理のため、複数種類を揃えておく。危ないと思えば、高めのものを迷わず投入する。
それである程度の安心は「買える」。
ちなみにいろいろ用意しても、失敗の確率は下げられても、0%にすることはできない(わたしは)。
一方で、父子家庭で生理用品がほしいと口にしづらい、または家にお金がないのがわかるから、お小遣いで生理用品代をまかなっている未成年の女性がいる。
食べるにも困っている大人の女性がいる。
そういった女性にとって、こういった組み合わせにお金をかけ、多様な生理用品を揃えることは、難しい可能性が高い。
経血が多い日には2時間程度で吸収力がなくなる「ふつうの日」。
その一種類で、一週間ほどの生理の全期間をしのぐかもしれない。
その「ふつうの日」すら満足に買えないかもしれない。
買えても使用枚数を相当、ぎりぎりまで絞るかもしれない。
その結果、起きるのは「失敗」かもしれない。
お金がない、言い出しづらい。そのために、生活必需品であるはずのものが買えない。
最低限買えるけれど、それは「安心」を買えるほどではない。
「生理用品が買いたい」と言い出しにくい状況にある子どもが、服や下着、寝具が汚れたとき、どこでどんな気持ちで洗うのか。
長時間働く大人の女性が、「ふつうの日」しか使えなかったら。外出中、不安で仕方ないのではないか。
「生理用品がなくて困る」とは、より具体的に言うならそういうことだと、わたしは想像している。
当事者の心理はさまざまであると思う。
「わたしたちは、生理用品が不足するくらいで、凹んだりしません。なめないで」というひともあるかもしれない。
が、すくなくとも「生理用品の無料配布」が広まる背景には、先ほど述べた「失敗」「困難」へのシンパシーがあるのではないか。
生理は人それぞれ。
つらさの強度や種類、量、日数。
同じ人物であっても、10代、20代、30代とその実態は変わっていく。
だから、女性同士であっても、共感し合えないこともある。
「生理の貧困」へのコメントで、「わたしは20個100円の生理用品で乗り切るので、1カ月100円ですよ。生理用品を買えないなんて甘えじゃないですか」といった声も見かけたことがある。
でも――。生理はほんとうに人それぞれなのだ。
そして、生理は未成年時代からはじまり、平均50歳の閉経までつづく。
女性たちが置かれている状況もさまざまだ。
「生理の貧困」とはいっても、「生理用品が不足する」とはどういうことか。
どういう事態が起こり得るか。
そこにはあまり触れられることがない。
理由はなんとなくわかるし、複数想像ができる。
わたしには、「『失敗』があることや、『恥ずかしい』と思っていること自体を、知られたくない。口にしたくない」という気持ちもある。
女性が知られたくないことに対し、よこしまな想像を膨らませる人もいる。
中年女性であるわたしに対して、そのような想像が向けられることを恐れているのではない。
わたしが語ったことをもとにして、若い女性に対し、そのような視線をもつ者が現れることを危惧している。
実話誌に、「女子アナ生理日予測!」という記事を見かけたときの衝撃を、わたしは忘れたことはない。
我々にとって生々しく不快で、性のファンタジーとは程遠いあの生理を、性的なものとして見る者が、あるいは秘匿を暴く喜びを感じる者がいるのだ。
それでもやはり、「生理の貧困」が話題になるなか、こういった内実は、男女問わず共有されてもよいのではないか。
それが、「生理の貧困」の解消につながるのではないか。
そんな希望をもって、この記事を書いた。
「生理の貧困」の解消は、自尊心を支える活動であると、わたしは思っている。
富める者も貧しい者も、老いも若きも、「たかが生理」と思える世の中を、わたしは望んでいる。