平凡

平凡

手作りを喜ぶ女

「バフ」ってことばがある。

ゲーム用語で、魔法やアイテムで、ステータスをアップさせること。

バフ盛り盛りで攻撃、なんて使い方をする。

わたしは夫の手作りレアチーズケーキを食べながら考える。

手作りはバフだ。

ただし、危険なバフ。

ハマらなければ何も起こらないどころか、

ひとを追い詰める「デバフ」(ステータスを下げること)にもなりえる。

一方で、ハマると強力な補正がかかる、ギャンブル性の高いバフ。

 

ところで。

「手作り」とは、自分がやるものだった。

たとえば、マフラー。

不器用なりに、思春期のころ編んだことはある。

いちばん簡単なガーター編み。

見た目も、いかにも”手作り”なやつ。

それなら買った方がいいよね。

たとえば、手料理。

作るのは嫌いじゃないけど……。

 買ってきたものばかりでは飽きちゃうし、

野菜だってたくさん取れるし、

まあ、作ったほうがいいよね。

その程度。

まとめると、「手作りってそんなありがたいか~?」に尽きる。

自分がやる限りは。

 

それが変わり始めたのは、1年ほど前だ。

マスクが手に入らなくなり、半年あまり、店頭から姿を消した。

春になり、我々はさまざまな代用品を試すようになった。 

 ハンカチをたたんで、髪ゴムで耳にかけるハンカチマスク。

キッチンペーパーを折り、髪ゴムをホッチキスでとめる使い捨て紙マスク。

ハンカチマスクにキッチンペーパーを挟むあわせ技。

 応援している保護猫カフェが作った白い布マスク。

 

そんな折、夫が「『HKマスク』を作ってみようかな」と言い出した。

HKマスクとは、香港の化学博士が考案したマスク。

特徴は、布が二重になっており、紙が挟めるようになっていること。

鼻に当たる部分に針金を仕込み、耳ゴムのかわりに紐で結ぶことで、

顔にフィットするように作られている。

(針金は使い捨てマスクのものを流用可)

project.nikkeibp.co.jp

わたしは料理はするが、裁縫はてんでダメなので、アドバイスはできない。

夫はYouTubeで基本の縫い方を習得し、このHKマスクをひとりでチクチクと仕上げた。

のべ3、4時間ほどでできあがったマスクは、縫い目がほとんど目立たず、

捨てるつもりだったワイシャツから取った白地に水色のストライプ生地も

シンプルでさっぱりとしていていい感じ。

「これなら着けたい」と思えるものだった。

夫は「手始めに」と小さなサイズの型紙で作ったため、HKマスク第一号は

わたしが使うことになった。

 

これが存外うれしかった。

夫の丁寧な仕事により、できがよかったというものある。

ただ、それ以上に、「そのできのよさを作り出したのが夫であること」がうれしかった。

夫の美点が反映された、夫が作ったものを身につけることに、喜びがあった。

「いやいやいやいや手づくりなんて。

既製品のほうができがいいし、買ったほうがうれしいでしょ。

なんか重いしさあ」

そんなふうに思っていた時代もありました、去年の春までは。

 

そしてこの冬。

かねてよりお菓子作りに手を出していた夫が、

わたしの誕生日にショートケーキを作ってくれた。

スポンジケーキに、たっぷり生クリームを塗って、大きな苺を乗せて。

パティスリーのきめ細やかな生地とは違う、手作り特有の少しざっくりした生地。

それでいてしっとりしており、舌ざわりがよい。

生地の練り具合が上手なのだろう。

それよりなにより、誕生日当日、夫が作ってくれたケーキを食べている。

そのことに感動している自分がいた。

誰かが、自分のために、時間と労力を注ぎ込んでくれたもの。

それが、とてつもなくうれしい。

ベタだ、ベタだ、ベタ過ぎる!

でも、うれしい。

 

恋をすると、しばしば考えた。

「あのひとは、手作りを喜ぶタイプだろうか」。

しかし、「わたしは、手作りを喜ぶタイプだろうか」と、

自分自身について問いかけたことはなかった。

そんな問いが立つことさえ、なかった。

いま、ひょんなことからわかってしまった。

「わたしは手作りを喜ぶタイプの人間」なのだ。

そして、「不安だったけれど、なかなか上手くできたと思う」と

夫自身が美味しそうに食べているのが、また、うれしい、いとしい。

「手作りされる側の喜び」は、こんなところにもあったのか。

 

わたし自身は、不器用だしめんどうくさがりやだし、

手作りすることは避けたいとさえ思っていた。

手作りなんてたいしたことがないと思っていた。

いまでも、「夫の手作りはありがたいが、

わたしの手作りが夫にとってありがたいかはまた別だろう」とは思っている。

そして、ジェンダーに紐づいた手作り礼賛が、多くの女性を追い詰めているのも事実だ。

とくに幼い子どもがいる場合、親の負担は甚大だ。

「自分が世話をしなければ、目を離せば死ぬ」存在がいるとき、

毎日のタスクに追われまくっているとき、

「手作りはすんばらしい」など悠長なことは言っていられない。

もともと手作りが大好きなひとであっても、そうなのではないかと思う。

ほか、介護しているひと、手作りが嫌いなひと、時間的、経済的な事情で余裕がないひとなども同様だ。

手作りの盲目的な礼賛は、呪いであり、デバフであり、暴力ですらある。

 

それでも。

自発的であれば、強制されていなければ、余裕がある環境であれば。

たくさんの条件が付くけれど、それを満たしてさえいれば、手作りはバフだ。

美味しさも、喜びも強力にアップしてくれる。

 

「レアチーズケーキって、クリームチーズと生クリームとグラニュー糖でできてる。作ってはじめて知ったよ」

「脂肪と糖じゃん。罪な味だよね」

そんな会話をかわしながら、わたしたちはレアチーズケーキを食べる。

これが最後のひと切れだ。

「夫の料理の欠点は、増えないことだね」

「増えたらえらいことになるよ。バイバイン*1みたいにさ」

バフ効果を感じながら、お互いにできるだけちびちびと、惜しみながら、口に運んでいる。

 

 

ほか、夫の料理について書いた記事。

hei-bon.hatenablog.com

*1:ドラえもん』に登場するひみつ道具。増やしたいものに使うと、そのものは増殖しつづける