平凡

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夢という「呪い」の究極の解呪法。『脱サラ41歳のマンガ家再挑戦 王様ランキングがバズるまで』

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「夢を叶える」と人は言う。

そこに想定されているのは、「夢が叶う」「叶わない」のゼロかイチか。

ただ、大人になるとわかる。

この「夢が叶う」「叶わない」の間には、相当なグラデーションがある。

 

以前、こんなエントリーを書いた。

漫画家を目指していた友人が、その夢をすっぱりとあきらめた、というものだ。

hei-bon.hatenablog.com

彼は、漫画の賞を受賞した。

担当もついていただろう。

アシスタントに入った。

プロとして、自分の名前で実話・都市伝説系の単発漫画を描いた。

漫画を描いて、お金をもらったという意味では、漫画家に「なった」のだと思う。

ただ、続けていく道が見つからなかった。

模索して模索して、彼はすっぱりと辞めて、別の道を歩んだ。

それをひらたい言葉にすれば、「夢をあきらめた」「夢が叶わなかった」になるのだろう。

ただ、そのひらたい言葉から、このプロセスを想像するのは難しい。

友人は、「夢が叶う」「叶わない」の間のグラデーションのなかで思い切りあがいた。

 

じゃあ、夢を抱いても、それを追わなければいいのか。

そうできればぜんぶ丸く収まるが、夢というのは、たいてい強烈な経験や憧れ、あるいはその人の逃れがたいパーソナルと結びついているので、そうそうあきらめられるものではない。

「夢」とは、抱いた時点で腹をくくるしかないもの。

区切りをつけるも抱えるも、相当な覚悟がいるもの。

そして、区切りを付けられないまま、「いつか……」と心に引っかかりつづければ、それは「呪い」となる。

 

わたしはずっと気になっている。

多くの人は、この「呪い」に近しい「夢」とどう付き合っているのだろう。

 

『王様ランキング』の作者・十日草輔氏の『脱サラ41歳のマンガ家再挑戦 王様ランキングがバズるまで』は、その究極の答えだと思う。

 

作品紹介ページ。1話から8話まで試し読みができます。

matogrosso.jp

 

ご存知の方も多いと思うが、『王様ランキング』は、もとは十日氏がWebに投稿していた漫画。

それがSNSで話題を呼び、書籍化され、人気作に。アニメ化もされている。

 

osama-ranking.com

 

『脱サラ41歳のマンガ家再挑戦 王様ランキングがバズるまで』はその名の通り、自作漫画がバズるまでを描いたエッセイ漫画だ。

成功譚なのだが、むしろ目を引くのは、その過程にある失敗と挫折だ。

 

幼いころから絵を描くことが好きだった十日少年が、漫画家を本気で目指すも挫折。

「あの時間は無駄だった」と落ち込んでしまう。

挫折の傷は深く、「人と関わることが少ないから」と深夜のファミレスでアルバイトをするうち、デジタル時代が到来。

十日氏は、紆余曲折を経てWebデザイナーになる。

最初はアルバイトとして勤め始めるが電話に出られず、社員のひと言に傷ついて会社を辞め、正社員になればそのプレッシャーにさらされて会社を辞め……と、些細なことで辞めて、転職を繰り返す。

それでも求職需要はあるため、十日氏はめげずに職に就き、いつしか前にできなかったことが難なくこなせるようになっていく。

 

十日氏は、会社員生活のなかで、「漫画家を本気で目指した経験が役に立っている」と気づく。

人の心をつかむ物語や展開を考えつづけた経験を応用し、「ターゲットを想定し、その人に対し、商品の魅力的な物語を売る」という姿勢で企画提案をし、それが評価されるようになる。

「なんでも一生懸命挑戦するって無駄じゃない」。

この台詞だけ聞くとよくある美しい物語だが、それはあくまで結果だ。

十日氏は漫画家挫折の傷のため、長い間漫画を手に取ることもできなかった。

挫折による自信喪失感で、就職の際も、かなり苦心したようすが描かれている。

 

漫画家をいったんあきらめた後も、働き始めてからの転職してはリセットの繰り返しも、「失敗を糧にがんばった」ときれいにまとめられるものではない。

挫折したまま、自分の限界に苦しみ、のたうち、それでも泥まみれで進む。

おそらく、渦中にあるときは前に進んでいるか、後退しているかすらわからないのではないかと思う。

それでもあがくうちに、前進していたことにふと気づく。

「無駄じゃない」は、その結果、出てきた言葉なのだ。

 

会社員として評価され、働き続けていた十日氏は、それでも「いつかは自分の絵で身を立てたい」という夢が捨てきれないことに気づく。

その夢を本気で追っていないことが、自分の人生を曇らせる「呪い」になっている。

そう考えた十日氏は、41歳のときに会社を辞め、「一年だけ」と期限を決め、夢を追うことにする。

 

この先も、単純なサクセスストーリーではない。

とはいえ、もちろんラストはタイトル通り。

今も作品は人気で、冒頭で紹介したようにアニメも放送中だ。

エッセイのラストで、作者はこういう。

「失敗したっていいじゃない」

「そこから修正するのは大変かもしれないけれど」

「その経験はきっと良かったと思える気がします」

この言葉だけを聞けば無責任に感じる。

が、あまたの挫折と失敗、その傷の深さがつぶさに描かれているからこそ、このことばは説得力がある。

もしも自作がバズらなかったとしても。

きっと十日氏は同じように考えたのだろう。

そして、泥まみれで進んでいったのだろう。

 

「失敗しても、いいじゃない」

これは、「夢」という呪いを抱えてしまったときの究極の解だと思う。

ただ、そう考えるまでには、「叶う」「叶わない」のグラデーションのなか、あまたの苦渋、不安に襲われる。

そしてもしダメだったときに、レールをそれた人生を受け止め、生きていく大変さ。

それでも泥にまみれて進んだ先に見えるもの。

十日氏は一度、漫画家の夢に挫折しており、また、会社員生活も順風満帆とは言いがたい。

そのため、『脱サラ41歳のマンガ家再挑戦 王様ランキングがバズるまで』は、タイトル通り成功譚でありながら、「夢の後始末」までの一例も見られる、稀有なエッセイ漫画になっていると思う。

 

「夢」という呪いと解呪の方法。

挫折に満ちた人生を泳ぐために必要なもの。

十日氏の生き方は誰にでも真似できるものではないけれど、ひとつの答えとして、多くの人に読まれてほしい作品だ。

 

 

追記:

十日氏の軌跡については、「マンバ通信」のインタビュー記事にも詳しい。
https://manba.co.jp/manba_magazines/6242

 

 

写真は《空が金色に染まる朝焼けのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20200446098post-26728.html