平凡

平凡

クリスマスの食卓

f:id:hei_bon:20211225054054j:plain

クリスマスに、ちょっと特別なものを外で食べる。

そんなありふれた習慣が、我々夫婦にもあった。

 

12月2週目近くになると、店を選ぶ。

洋風で、コースになっていて、気さくだけど、「ワンピースぐらいは着ていくかね」と思えるようなところ。

「クリスマスの西洋料理店は混むし、専用コースはコスパ低め。お店としても『他の日に』食べに来てよと思っている」

「通は和食を食べるもの」

「寿司食え、寿司」

みたいな話も聞くけれど、そこはそれ。

やっぱりムードを楽しみたいのだ。

 

「近場で済ませたいか」「行きたいお店はあるか」など話しながら、ふたりで額を突き合わせる。

予約はたいていわたしが入れる。

動くのが遅いので、席を取れるのはオープン直後の17時とか、あるいは20時とか、ピークを外した時間帯だ。

 

当日は、「美味しいかなー」「どうかなー」と話しながら、店へ向かう。

わたしはパンプスを履いてたりして、夫は「襟付きならいいかなー」と、カジュアルながらもちょっとかっこうを気にしたりして。

 

ふたりともお酒に弱いので、最初にオーダーするのは水かソフトドリンク、またはノンアルコールのワイン。

ピカピカに磨かれたグラスを手に、照明がやわらかい店内で、料理を待つ。

自然と、会話もふだんとは変わってくる。

働いている業界の今後について、ふたりの今後について、それぞれのキャリアについて。

あ、直前に「ユーリ!!! on ICE」をイッキ見した年は、そのロマンチックさをさんざん語り合ったこともあった。

どれも、ふだんから話しているトピックではある。

けれど、非日常な場所で、差し向かいで食事をしていると、ふだんと角度や深さが変わってくるものだ。

すくなくとも、そんな気分にはなる。

「特別な日に、特別な食事をする」ことの効用は、こんなところにあるのかもしれない。

 

そんな習慣も、2年前のクリスマスから途絶えている。

2年前の年末はコロナ禍直前だったが、家庭の事情で、外で食べる心理的余裕がなかった。

昨年はいわずもがなコロナ禍だ。

2年連続で、ケンタッキーフライドチキンを予約した。

クリスマスにテイクアウトのファーストフードをわざわざ予約するのは、生まれてはじめてだった。

子どものころは母が手作り派で、独身時代はひとりで半額売れ残りの焼き鳥などしがんでいたのだった。

12月初旬、最寄の店舗で先払いをして予約。当日は予約票を持って店に行って、受け取る。

フライドチキンにかぶりつき、ネットで評判がよかった「バーベキューチキン」の味を確かめ、シャンメリーを開ける。

次の日、余ったチキンを入れて炊き込みご飯を作り、さらにそのご飯を雑炊にする。それがとても美味しい。

日本のクリスマスとして悪くない、まったく悪くないのだが――。

 

そろそろまた、あの、静かなレストランで向かい合い、ゆっくりと食べる食事が恋しい。

人にサーブされて、食事と会話に集中できるあの時間と空間は、ちょっとお高めの外食の醍醐味だ。

とは思いつつ、今年もなんだかんだとコロナが恐ろしく、すかいらーく系のチキンを持ち帰りで予約した。

「イベントのために、食事をどうするか考え、予約して楽しみに待つ」だけでも楽しいけれど、

来年あたりはやはりレストランを選びたい。

クリスマスに、最後にレストランで食事してから3年。

我が家の状況もそれなりに変わってきている。

3年ぶりのクリスマスの食卓(外食)で、我々は何を話すのだろう。

 

そんなことを考えつつ、本日のチキンの受け取り時間を確認している。

付け合わせに豪華ポテサラでも作って、シャンメリーでも買って。

やっぱりこれも、悪くはないけれど。

 

写真は《Merry Christmas と書かれたツリーのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20181243337merry-christmas-2.html