平凡

平凡

春、自己紹介にかえて

春の休日、川べりを夫婦で歩く。

橋の上から水辺を見ていると、鯉たちが、餌を求めて寄ってくる。

わたしたちは、餌をやる気はない。

鯉たちはあきらめず、パクパクと川面に水紋を広げつづける。

「なんだか悪い気がするね」とその場を離れる。

 

次の橋からは、石の上に亀が数匹いるのが見える。

甲羅は、陽光にさんさんと輝いている。

「『甲羅干し』、本当にするんだね」

そのうち、亀は水に入り、我々の視線の先まで泳いでくる。

「わあ、ひょっとして餌がほしいのかなあ」と眺め続けていたら、

「鯉のときは、悪い気がするって言ったのに、

平凡ちゃんは、爬虫類にはきびしいよ」*1

と夫が非難がましく言った。

そうか、わたしは爬虫類にきびしいのか。 

 

桜はもう散り始めている。

若葉の季節がやってくる。

夏には緑が濃くなって、

秋にはそれが全部、さみしい音をたてて落ちるだろう。

また1年、サイクルがはじまろうとしている。

 

平日、夫を送り出す。

二度寝と納期をはかりにかけて、

あくびをしながら仕事をはじめる。

太陽は天高く昇り、そしてまた傾いていく。

仕事をしているときの、時間の流れの速さったらない。

休憩中、窓を開ける。

坂の上にあるこの部屋には、風がよく通る。

わたしも夫も、この風通しのよさを愛している。

木々が葉を鳴らしている。

コーヒーを淹れて、その音を聞いている。

すてきな生活のようだが、髪はボサボサ、寝間着のままだったりする。

納期さえ守れば、誰も何も言わない*2

フリーランスは気楽な商売だと思う。

 

夜になると、簡単な料理をつくる。

今日は、長いもと鶏肉の、味噌味の炒め物。

夫が、「長いもってさあ」と口を開く。

「すりおろすと『トロロでござい!』ってとろとろしてるのに、

焼くと、急に『わたしは芋ですから。ほっくりもできるんですよ』って

感じになるねえ。すごいよねえ」とうれしそうに食べている。

そんなふうに考えたこと、なかったな。

 

こうして、わたしたちは年を取っていく。

あと何回、一緒に食卓を囲めるのだろう。 

桜を、若葉を見られるのだろう。

 

ふたたびの休日、春の日差しを浴びながら、

「亀じゃなくても、甲羅干ししたくなるねえ」と、

わたしたちは手をつなぎ、目を細める。

散歩中の犬を見て、「うれしそうに走っていたよ」と、

足取りを真似してみたり、

猫にチチチと舌を鳴らしたり、

近所のスーパーでよく流れているBGMを口ずさんでみたり。

2人の間だけで通じる、他愛のない“遊び”に笑い合う。

 

万物は流転し、すべてのものに終わりがある。

それでも、こんな時間が、ずっと続けばいいと思う。

コーヒーは冷め、今はあっという間に過去となり、

わたしたちは老い、死んでいく。

流れゆくときのなかで、記憶はとめどなく消えていく。

それは変えられないけれど、

せめて、この平凡なしあわせを、書き残しておきたい。

覚えておきたい。

このブログは、わたしのちいさな抵抗でもあるのだと思う。

 

 

今週のお題「自己紹介」

*1:ここ、両生類と間違えておりました。お恥ずかしい

*2:納期が守れている限り、クオリティにもそれなりに問題がないものだ