いきなりだが、わたしはいちおう、妊娠を希望している。
そのため、基礎体温を記録している。
基礎体温とは(知っている人も多いと思うが)、
起き抜けに体温計をくわえて測るあれだ。
専用の体温計を使うことで、日々の細かな体温の変化を記録することができる。
基礎体温は、起き抜け、目覚めて体を動かす前に測ることが必要だ。
体を起こすと、体温が上昇してしまい、繊細な変化がわからなくなってしまう。
目が覚めて、何かを口にくわえて測る。
これだけのことなのに、続けることが存外、難しい。
アラームをかけるとまず忘れないのだが、
土日に解除を忘れることが多い。
そうすると夫が目を覚ましてしまってしのびないので、
アラームを切ってしまった。*1
たびたび測り忘れるため、
スマートフォンに入れた妊活アプリの「基礎体温」の欄はぬけぬけだ。
強引にグラフにはしてくれるが、
果たしてこんなデータで何か意味があるのかと思ってしまう。
計測を忘れると凹む。
基礎体温の欄に入力された体温が、飛び飛びだと凹む。
ただ、最近気がついたことがある。
凹むと、忘れる確率が上がる。
失敗を気に病むことなく、「明日きっちり測れるようにしよう」と思うほうが、
成功率が高くなる。
凹むと、ついつい失敗から目を背けたくなる。
そうすると、なんとなく、基礎体温計を見ることも、
妊活アプリを開くこともおっくうになってくる。
あまりにも忘れるので、最近、こう思って開き直るようになった。
たとえばわたしが1年間基礎体温をきっちり測りつづけることができたとして、
その1日目は今日かもしれない。
明日かもしれない。
とにかく、今日は測る、それを繰り返すしかない。
明日は忘れても、明後日にまた測るしかない。
昨日忘れて、今日は測って、明日はまた忘れるかもしれないけれど、
とにかく、今日、測るしかない。
そして、今日は測れた、その成功には意味がある。
そう考えてからのほうが、
カレンダーの基礎体温欄が埋まっていることが増えた。
そして、5日でも続いていると、「よくやったな」とニヤニヤしてしまう。
数日続くだけでも、何かを日々記録して、「見える化」することの楽しさもある。
そうすると、また、明日も測ろう、測りたいという気持ちになる。
そこで思い出したのが、昔読んだ、
「スタンフォードの自分を変える教室」という書籍の内容だった。
大変に自己啓発的な、
人によってはうさんくさいと思われるようなタイトルだが、
内容はどこまでも現実的だ。
この本の大きなテーマは、「意思を強くもつにはどうしたらよいか」。
たとえば、「何かを我慢する」にはどうしたらよいか。
「何かを我慢する/成し遂げるとき、意思の力だけでは決して成功しない」
「何かを我慢する/成し遂げることをしたければ、環境を整えること」と本書は説く。
ダイエットしたいが、毎日クッキーを食べてしまう……という人は、
クッキーを身近に置かないこと。
クッキーを手近に置いて、「我慢するぞ~」と言っていると成功率は低い。
そういう話が、実験のデータとともに語られている。
なかでも印象的だったのは、
「失敗したとき、自分を責めたり罰することには意味がない。
それどころか、さらに失敗する可能性が上がる」
ということ。
ダイエットに失敗して、甘いケーキを食べてしまったとき。
「なんで食べたの、わたしのバカ!」
などと考えていると、やけっぱちになって、
かえってドカ食いに走るケースが多い。
これも、実験で立証されている。
自分を責めず、
ケーキを遠ざける環境を作るか、
「明日からまた絶とう」と気持ちを切り替えた方が、
かえって上手くいくというのだ。
いつもすべてが上手くいくわけではない人生のなか、
自分をコントロールする術をエビデンス付きで学べる、興味深い内容だった。
「スタンフォードの自分を変える教室」の内容はすっかり忘れていたのだが、
これはまさにあの本に書いてあったことではないか。
基礎体温表を見ながら、そう気がついたのであった。
本当に小さな小さなことだが、
いろいろなことに気を回すのが苦手なわたしにとっては、
「基礎体温をつける」というよぶんな習慣を身につけることは、負担だった。
「こんな小さな習慣も継続できない自分」に落ち込み、
「きっとほかの女の人に話したら笑われるだろう」と自信を失っていた。*2
自信は行動の源泉になるものだ。
自信を失うと、上手くできないことが増え、
また自信を失うという悪循環に陥っていく。
人よりできない自分であっても、
くらべたり、責めることには意味がない。
何事も、自分のペースで、今日一日をやっていくしかない。
何より、責めることやめたほうが、
生活の質も上がり、前向きに物事に取り組んでいられる。
これは、大きなことも小さなことも、同じだろう。
めんどうくさく、少々苦痛であった基礎体温は、
そんなことを教えてくれたのだった。
しまいこんだままの「スタンフォードの自分を変える教室」を、
もう一度読み返してみたいなと思っている今日この頃である。