「リリカルフルーツ、リリカルフルーツ」
ときおり頭のなかに、ふっとこのフレーズが下りてくる。
甘酸っぱいような、曖昧模糊としたイメージで。
給食のことは、ほとんど覚えてない。
パサパサのご飯にわかめが入ったわかめご飯、コッペパン、ごはんのときもパンのときも付属する紙パックの牛乳。
食器はクリーム色のプラスチック製、ご飯茶椀だけは薄くグレーがかった緑色だった。
とくに美味しかった記憶もないし、給食は楽しみな時間ではなかった。
当時のわたしは食に興味がなかったのだ。いまからは考えられないが。
甘くてカリカリした揚げパンは好きだけれど、「今日はそれが食べられるから幸せ!」とまでは思わなかった*1。
給食とわたしはかなり低体温な関係だった。
ただ、そんなわたしにも忘れられないメニュー、もとい、メニュー名がある。
「リリカルフルーツ」だ。
それはみかんやバナナ、パイナップルを、ヨーグルト風味の衣で和えたデザートだった。
衣はフルーチェに似ているけれど、もうちょっと見た目がもったりしていて、固形の糊のよう。
とくに好きというわけでもないけれど、あるとちょっとうれしい。それぐらいの存在。
「リリカル」の意味は知らなかった。
ただ、「リリカルフルーツ」の名に、どことなくロマンを感じていた。
同時に、その名とフルーツの和えものという給食らしい謎メニューの組み合わせには、幼心にズレを感じていた。
そのため、献立表に「リリカルフルーツ」とあると心を躍らせ、実際に給食当番が盛り付けるのを見ると、「そうだった、これがリリカルフルーツだった」と思い出してちいさく落胆した。
中学校からは弁当持参となったため、「リリカルフルーツ」との縁は切れた。
しかし、頭の片隅にその響きだけが残った。
「リリカルフルーツ、リリカルフルーツ」
昼下がりの授業中など、意味もなく頭に浮かんでくることがあった。
そのころ、「リリカル」が「叙情的」を意味することを知った。
叙情的な果物。
「ヨーグルト風味果物の白和え」とでもいいたくなるあのメニューが?
叙情的だろうか。
甘酸っぱさがそうなのか。
「初恋はレモンの味」と発想する向きがある。
ヨーグルト風味の衣に和えられた酸味ある果物は、日常に叙情を添えると考えられても不思議ではないのかもしれない。
単語の意味を知っても、やはりその存在は曖昧模糊としたままだった。
このエントリーを書くにあたって、「リリカルフルーツ」と検索してみた。「ソフト麺」や「ミルメーク」に比べると知名度が低いのか、なかなか説明が引っかかってこい。
唯一、ある小学校の給食メニューに説明があった。
これによると「リリカルフルーツ」とは、《果物に含まれるペクチンと牛乳に含まれるカルシウムが固まる性質を利用したデザート》らしい。
リンク先の説明文にあるように、原理はたしかにハウス食品の「フルーチェ」と同じなのであった。
30余年、「リリカルフルーツ」と念仏のように唱えてきたが、それがなんなのかをはじめて知った。
なんなのか知ったけれど、どうしてあのメニューにそんな名前をつけたのか。
それがわからないから、やっぱり曖昧模糊としたままだ。
ところで。
思い起こせば、小学校はあまり幸せな時代ではなかった。
低学年のころは給食を食べるのが遅く、掃除の時間までかかったし、中学年以上になるとルーレットのように標的が変わるいじめがあり、校内では密告が横行し、まるで圧政下で暮らしているような息苦しさがあった。
苦いだけの思い出も30余年の間に遠くなり、「リリカルフルーツ」というデザートの名前だけが残っている。
白い衣に和えられた、黄色や白のフルーツたち。
好きでもない人たちと机を突き合わせ、時間内にお仕着せに盛られた量の食事を食べ、羽織るものの枚数も決められて体温調整の自由もなく、囚人のようだと思っていた子ども時代。
思い出すと牢とか獄とか収容所とか、どうしてもそんな単語がおりてくる。だからこそ――。
リリカルフルーツ、リリカルフルーツ。
実体を知ってなお曖昧模糊としたこの響きでくるんでしまうのが、ちょうどよいのかもしれない。
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*1:今ならものすごくワクワクと楽しみにすると思う