木造の、古い古いアパート。
間取りは、かろうじてテーブルを置ける広さのダイニング・キッチンに6畳2間がついた2DK。
当然、家族連れが多く住んでいた。
そんな物件に、まかり間違ってひとりで入居したのは、
2011年の2月のこと。
わたしは独身で、夫とは、まだ会ったことはなかった。
階下の家庭には、男ばかりの3人兄弟がいた。
小学生2人に中学生1人。
学校から帰っては夕方にドタバタと走り回り、
夜、共用廊下に出ると、「ロナウジーニョジーニョ~」など、
覚えたばかりの単語を使った、自作ソングが風呂場から響いてきた。
まあ、うるさい盛りである。
しかし、あまり度をすぎると「コラッ」と母親が雷を落とす。
夕方は、ひとしきドタバタの後は外へ遊びに出るらしく、
いつの間にか音は聞こえなくなる。
そして、日中の遊び疲れもあるのか、夜は早い時間に静かになる。
母親は感じのよい細身の女性だったが、肝っ玉母ちゃんなのだと推測された。
わんぱく盛りの少年たちをきちんと叱り、
彼らもそれを(基本的には)きいていることは、階下から伝わってきた。
わたしは家で仕事をしているし、どちらかというと神経質なほうである。
しかし、子どもたちのたてる音は、
気になるといえば気になるが、生活や仕事には差し支えるほどではなかった。
大変にうるさい少年たちであったが、生活習慣がきちんとしていれば、
子どもたちがうるさい時間は、限られていると、はじめて知った。
起きてしばらくドタバタしてもすぐに学校に行くし、
放課後騒ぐといっても1時間ぐらいのもの。
風呂場のご機嫌ソングだって、部屋の中には聞こえてこない。
ただ、子ども、それも少年の足音や声が聞こえることに慣れていなかったので、
なんとなく戸惑いはあった。
わたしはあまり、子どもが得意ではない。
嫌いとか苦手、というわけではないのだが、
ちょっと怖いと感じることがある。
自分も通ってきた道のはずなのに、
何を考えているかわからない、と感じてしまうのだ。
そのため、苦痛ではないけれど、未知の存在が騒いでいる。
そんな違和感はあった。
そして3月11日の金曜日、地震が起きた。
被害にはあわなかったが、東京も揺れに揺れた。
わたしは当時、家で進まぬ原稿を書いていた。
被害はないとはいえ動揺してしまい、
それ以降、インターネットばかりを見て過ごした。
そこで、何か恐ろしいことが中継されていると知り、
TVはとてもじゃないけれどつけられなかった。
いろいろな情報が流れて行った。
それをただ目にしながら、いつの間にか眠ったのは、明け方だった。
わたしの浅い眠りをさましたのは、階下の子どもたちの足音だった。
その日は土曜日。
土、日の子どもたちは、8時ぐらいから10時過ぎまで家でドタバタし、
さらにエネルギーを発散させるべく外へ飛び出すのがお決まりだった。
少年たちは、昨日の地震もなんのその、何やら楽し気に笑い、騒ぎ、やがて外出していった。
彼らの心中はわからないが、少なくとも階上にいるわたしからは、
先週と変わらない様子に感じられた。
わたしは心底ほっとした。
生命力溢れるその声や足音、いつもと変わらない彼らの習慣。
ここでは日常が続いていて、
子どもたちは元気いっぱいなのだ。
それ以降、子どものたてる音に、違和感を覚えることはなかった。
ザワザワした日常にあって、むしろ、子どもたちの声や足音は、救いだった。
学校から帰れば、騒いで歌って、やり過ぎれば怒られる。
「子どものすごさ」をほんの少しだけ、理解した出来事だった。
その後、わたしはその物件から引っ越した。
彼らも、もうあそこには住んでいないだろう。
挨拶してもし返さない*1、
昭和の悪ガキといった風情の、ちっとも可愛くなかった三兄弟。
今もどこかで元気にしているといいなと思う。
*1:今にして思えば、彼らは不審者から身を守るため、そういう教育を受けていたのではないか。2間のアパートにひとりで住んで、昼間ウロウロして何の仕事をしているかわからないおばさんなんて、まあ、不審であったろう