平凡

平凡

あのころ、カヒミ・カリィがわたしのアイドルだった

驚いた。

こんな世界があるのかと思った。

 

20年近く前、春休み直前のころだったと思う。

東京からの転校生が、こう言った。

カヒミ・カリィって知ってる?」

「えっ、カヒミ……何……?」

耳慣れない名前を、何度か聞き返したことを覚えている。

なんでもそのカヒミ某が、ローカルラジオでMCをするのだという。

「聞きたいけど、その日、家族で出かけるから」

彼女は残念そうに言った。

 

ちょっとした親切心と好奇心で、

わたしはそのラジオを録音することにした。

きっと理解はできないだろうけど、

その変わった名前のミュージシャンの番組を、聞いてみようと思ったのだ。

 

当日、ラジカセの前で待機して、赤い録音ボタンを押し込む。

流れ出したのは、少しかすれた、囁くような声、

わたしの知らない新旧の洋楽、彼女自身の曲。

たしか、「Candyman」をかけたのだと思う。

なんておしゃれな音楽なんだろう。

あっという間に夢中になってしまった。

 

それまで聞くものといえば、

母の影響で聞いていた松任谷由実か、

トップ10に入るような邦楽か、

ゲームの音楽ぐらいだった。

カヒミ・カリィ自身の音楽も、彼女が紹介する曲も、

何もかもが新しい世界に感じられた。

 

この世界って、なんなんだろう。

この人の話に、どうしてこんなに惹きつけられるんだろう。

なんて愛らしい話し方なんだろう。

転校生から返ってきたカセットテープを、わたしは何度も何度も聞いた。

 

それからほどなく、NHK‐FMで、

カヒミ・カリィのミュージックパイロット」がはじまる。

毎週金曜日の夜は、ラジオの前で待機。

もちろんカセットテープに録音して、

1週間はしがむように繰り返し聞いた。

 

フリッパーズギター

彼らが監修したオムニバスアルバム「FABGEAR」、

嶺川貴子とのユニット「Fancy Face Groovy Name」の「恋はイエイエ」、

セルジュ・ゲンズブールの音楽や映画、

ブルック・シールズのプリティ・ギャンブラー」

テイタム・オニールの「がんばれ!ベアーズ

「渋谷の大きなレコード店」という呼び方、*1

プチ・バトーのTシャツ、

ハーシーズのチョコレート。

ラジオで流れた早瀬優香子の曲「去年マリエンバード」が気になって、

アラン・レネの映画をレンタルして見た。

大流行する直前のカーディガンズも、カヒミ・カリィのラジオで知った。

スウェーデンに、こんなポップスがあるんだ、

どんなアンテナを張っていれば、こういう情報が入るんだろう。

彼女が紹介するポップ・カルチャー全般に熱中した。

渋谷系”なることばは、ずっと後で知った。

 

アルバムは購入して聞き込み、

インタビューが掲載される雑誌は必ず買って読んだ。

ハイチュウのCMに出たり、「ちびまる子ちゃん」の主題歌を歌ったり、

“みんなの知っている場”に出るのを見て、言いようのない興奮を覚えた。

 

広い意味での“偶像”として、カルチャーの伝道師として夢中になったのは、

カヒミ・カリィがはじめてだった。*2

「ミュージックパイロット」の最終回は、本当にさみしかった。

 

地方都市の狭い狭い世界に暮らす高校生にとって、

カヒミ・カリィは、遠い海外や、都会的なものを教えてくれる「窓」のようなものだった。

 

大学生になって、上京時にもってきた数少ない荷物の中に、

CDラジカセと、カヒミ・カリィのCDがあった。

はじめて暮らした、家具付きの極めて狭小な部屋のことを、

なんとなく、パリの屋根裏部屋みたいだと思いながら、

ぼんやりと「クロコダイルの涙」を聞いていた。

 

念願の「渋谷の大きなレコード店」に

簡単に行ける環境になったけれど、

カヒミ・カリィの手引きがなければ、

あまりにも大きな音楽の殿堂から、

好みの音楽を見つけ出すことはできなかった。

ただ、映画、絵画、いろいろなものを見てみようと思い、

「ぴあ」を片手に興味があるものには足を運んだ。

カヒミ・カリィが独自の世界をもっていたように、

わたしも何かを見つけようとしたのだと思う。

 

ペースは落ちたものの、その後も、カヒミ・カリィは楽曲を発表している。

 しかし、東京に出たわたしは、大学に部活にと何かと忙しくなり、

熱心に彼女の情報を追いかけなくなってしまった。

 

先日、山内マリコ「パリ行ったことないの」の文庫版に、

カヒミ・カリィが解説を寄せていて驚いた。

作品は、パリにさまざまな思いをもつ日本人女性を描いた短編作品集だ。

テーマとなる「パリ」について、かつてパリに住み、

今はニューヨークに住むカヒミ・カリィが語っていておもしろかった。

と同時に、カヒミ・カリィの生活者としての、この20年に思いを馳せた。

わたしの上を20年が過ぎ去ったように、憧れの人には、憧れの人なりの20年があったのだ。

昔は、別次元で生きている人だと思い込んでいた。

「パリ行ったことないの」で、「パリ」は「どこか架空の都市なのだ」といわれる。

わたしにとって、カヒミ・カリィは、まさに「パリ」そのもののような存在だったのだと思う。

だから、彼女の上に時間なんて流れないような、そんな気がしていたのだった。

わたしが追いかけるのをやめてしまった20年を、彼女の作品を手に取り、知りたい。

そう思った。

 

カヒミ・カリィの「Candyman」を聞くと、

春休み近く「カヒミ・カリィって知ってる?」と聞かれたのんびりとした教室の空気、

オオイヌノフグリの空色、小さな川辺に咲く桜、

それを見に行くために乗った親の車のにおい、

アパートの暗い部屋とラジカセ、

グランドでサッカーをする少年たちの間の抜けた声、

お洒落だと思って着ていた古着のシャツなど、

ありとあらゆる「故郷の春」の風景がフラッシュバックする。

それと同時に、まばゆい、あふれんばかりの憧れがよみがえる。

 

春に聞きたい、というのとは少し違うけれど、

これも“わたしの春うた”なのかなと思う。

 

 

 

 

今週のお題「わたしの春うた」

*1:タワー・レコードのこと。NHKでは直接、店名を呼ぶことができないため、この呼び方をしていた

*2:ただし、作家は除く

止まったときを、宝箱に閉じ込めるように

お気に入りの中華料理店が閉まるのだという。

噂は本当なのか?

半信半疑で平日の昼、足を運ぶ。

 

冬のこととはいえ、磨りガラスごしに日光がたっぷりと入り、店内は暖かい。

長テーブルの一角に座り、ラーメンを注文する。

 

わたしのほかには、ビールを手にザーサイをつまんでいる老女、

ダウンを着こんだまま定食を食べている職人風の男、

スーツの若いサラリーマン二人。

 

古びた店内は掃除が行き届いている。

店主は忙しそうに調理しながら、「いらっしゃい」と言う。

いつも通りの風景。

本当に、閉店してしまうのだろうか。

 

「本当に細いわね〜。同じ人間じゃないみたい」

老女がしきりに、ホールバイトの女の子に話しかけている。

そうか、と思って、店の片隅、天井近くに置かれているテレビを見る。

平昌五輪、男子フィギュアスケートショートプログラム

羽生結弦選手の演技が始まろうとしていた。

 

羽生選手が、リンクに滑り出る。

空気抵抗をまったく感じさせない動きだ。

衣装は、白にブルーのグラデーション。

清冽な印象がよく似合う。

スポーツに疎いわたしでも、彼が大きなケガをしていたこと、

公式戦に、久しぶりに挑むことを知っている。

 

テレビから、ピアノの音色が流れ始める。

ショパンの「バラード第1番」であると、実況が告げる。

客席に音をたてる者はなく、

厨房から、店主が中華鍋で何かを炒める気配だけが伝わってくる。

ダウンの男は定食に箸を伸ばしたまま、

老女はビールが入ったグラスに手を添えたまま、

わたしは麺をすくっていた箸を、気づかぬうちに、いつの間にか下ろしたまま。

皆、時が止まったかのように、テレビに釘付けになっている。

 

優雅で力強い動き、そして、トリプルアクセル

4回転、3回転の連続トーループ

ラストの情熱的なシークエンスまで、

まったく不安を感じさせない滑り。

 

羽生選手がジャンプを成功させるたび、

赤ら顔のコーチがぴょんぴょん跳び跳ねて喜ぶ。

そのときだけ、 サラリーマンが小さな笑い声をたてる。

 

ノーミス、圧巻の2分50秒の演技。

羽生選手が両手を広げたポーズでフィニッシュを決めると、

ダウンの男性は箸を下ろし、お冷やを口に運んだ。

それを合図に、店内の時間が動き出す。

老女は「すごかったわねえ」と繰り返し、わたしはラーメンを食べる。

スープを飲み干すころには点数が出て、

羽生選手は111.68点を叩き出した。

 

結果を見て満足したのか、

ダウンの男性もサラリーマンも、次々と会計に立つ。

性別、年齢、職業もバラバラの一同が一体感に包まれた、

白昼夢のような時間が終わりを告げた。


次の選手の演技が始まる。

わたしも席を立つ。

店のおじさんが、調理場から顔を出して、

「ありがとうございました」とわざわざ言ってくれる。

ふと目を上げると、レジの横に、「閉店のお知らせ」が貼ってある。

 

本当に、この店はなくなってしまうのだ。

わたしたちがこの町に越してくるずっと前からあって、

この先も、きっと何度も通うのだろうと思っていた場所が。

演技にすっかり心を奪われたあとの、フワフワした気持ちに、

にわかには信じられない衝撃があわさって、

何がなんだかわからなくなってしまう。

 

羽生選手を見るたびに、冬季五輪が来るたびに、

魔法にかけられたような、この不思議な時間を思い出すだろう。

すすけた、しかし、清潔に整えられた店内、

淡いブルーの衣装、

指先まで神経の通ったうつくしい動き、

ピアノの音色、

静まりかえった客席。

 

2018年の2月、平昌五輪で、羽生結弦選手がショートプログラムを滑ったとき。

その瞬間、わたしは、わたしたちは、この中華料理店にいた。

冬の午後の、弱々しい陽光の下、わたしはそう心の中で繰り返しながら歩いて帰った。

形のない時間を、空気を、宝箱にしまいこむように。

いつでも思い出せるように。

春、自己紹介にかえて

春の休日、川べりを夫婦で歩く。

橋の上から水辺を見ていると、鯉たちが、餌を求めて寄ってくる。

わたしたちは、餌をやる気はない。

鯉たちはあきらめず、パクパクと川面に水紋を広げつづける。

「なんだか悪い気がするね」とその場を離れる。

 

次の橋からは、石の上に亀が数匹いるのが見える。

甲羅は、陽光にさんさんと輝いている。

「『甲羅干し』、本当にするんだね」

そのうち、亀は水に入り、我々の視線の先まで泳いでくる。

「わあ、ひょっとして餌がほしいのかなあ」と眺め続けていたら、

「鯉のときは、悪い気がするって言ったのに、

平凡ちゃんは、爬虫類にはきびしいよ」*1

と夫が非難がましく言った。

そうか、わたしは爬虫類にきびしいのか。 

 

桜はもう散り始めている。

若葉の季節がやってくる。

夏には緑が濃くなって、

秋にはそれが全部、さみしい音をたてて落ちるだろう。

また1年、サイクルがはじまろうとしている。

 

平日、夫を送り出す。

二度寝と納期をはかりにかけて、

あくびをしながら仕事をはじめる。

太陽は天高く昇り、そしてまた傾いていく。

仕事をしているときの、時間の流れの速さったらない。

休憩中、窓を開ける。

坂の上にあるこの部屋には、風がよく通る。

わたしも夫も、この風通しのよさを愛している。

木々が葉を鳴らしている。

コーヒーを淹れて、その音を聞いている。

すてきな生活のようだが、髪はボサボサ、寝間着のままだったりする。

納期さえ守れば、誰も何も言わない*2

フリーランスは気楽な商売だと思う。

 

夜になると、簡単な料理をつくる。

今日は、長いもと鶏肉の、味噌味の炒め物。

夫が、「長いもってさあ」と口を開く。

「すりおろすと『トロロでござい!』ってとろとろしてるのに、

焼くと、急に『わたしは芋ですから。ほっくりもできるんですよ』って

感じになるねえ。すごいよねえ」とうれしそうに食べている。

そんなふうに考えたこと、なかったな。

 

こうして、わたしたちは年を取っていく。

あと何回、一緒に食卓を囲めるのだろう。 

桜を、若葉を見られるのだろう。

 

ふたたびの休日、春の日差しを浴びながら、

「亀じゃなくても、甲羅干ししたくなるねえ」と、

わたしたちは手をつなぎ、目を細める。

散歩中の犬を見て、「うれしそうに走っていたよ」と、

足取りを真似してみたり、

猫にチチチと舌を鳴らしたり、

近所のスーパーでよく流れているBGMを口ずさんでみたり。

2人の間だけで通じる、他愛のない“遊び”に笑い合う。

 

万物は流転し、すべてのものに終わりがある。

それでも、こんな時間が、ずっと続けばいいと思う。

コーヒーは冷め、今はあっという間に過去となり、

わたしたちは老い、死んでいく。

流れゆくときのなかで、記憶はとめどなく消えていく。

それは変えられないけれど、

せめて、この平凡なしあわせを、書き残しておきたい。

覚えておきたい。

このブログは、わたしのちいさな抵抗でもあるのだと思う。

 

 

今週のお題「自己紹介」

*1:ここ、両生類と間違えておりました。お恥ずかしい

*2:納期が守れている限り、クオリティにもそれなりに問題がないものだ

「親なるもの 断崖」と大相撲

「親なるもの 断崖」という漫画がある。

昭和初期、北海道・室蘭遊郭に売られた少女の人生を描く作品だ。

幼いころは親に従い、結婚しては夫に従い、老いては子に従い、

女性に安住の地はないという成句「女三界に家なし」があるが、

親に売られた女性たちの身の上のよるべのなさは、言うまでもない。

遊女たちのすさまじい境遇を描く。

 

この作品はフィクションではあるが、

人権が収奪された女性の境遇とともに、

はしばしに描かれている男性の命の軽さも印象に残っている。

炭鉱で危険な労働に従事し、使い捨てにされる男たちが、

女を買いに、遊郭へやってくる。

多くの女性が、激しく差別されていたころ。

それは、男女ともに命が軽い時代なのだと思った。

 

大相撲の巡業で、土俵上で挨拶をしていた市長が倒れた。

救急救命に入った女性に対し、

「女性の方は土俵を降りてください」とアナウンスが流れたという。

なんでも、客から「女性が土俵に上がるのはいいのか」と指摘があり、

若い行司があわててアナウンスをしたのだそうだ。

その客や行司が、当時、土俵上で何が起こっているかを把握していたかどうかはわからない。

誰かが倒れている、誰かがそれを助けている、それがわからなかったのかもしれない。

それでも、異常事態が起きていることはわかったろう。

そのとき、気になるのは女性が土俵に上がっていることなのか、

それをアナウンスしてしまうのか。

そこに、衝撃を覚える。*1

 

その少し前、世間を揺るがせた角界の暴力事件のとき。

印象的だったのは、関係者がことごとく、

「暴力は決して許されることではありません」と前置きをしたうえで、

でも、相撲界には暴力が蔓延しています、撲滅は難しい……と歯切れが悪かったことだ。

対外的にコメントを発する彼らは、今の時代、暴力事件が非常にマズいことを知っている。

同時に、相撲界が「外」とは違う理屈で動いていることも知っているのだろう。

関係者の表情から、わたしはそんなことを思った。

 

そのあとに判明した事件からも、暴力事件の暗数はかなりあると思われる。

被害者は相撲界を去り、加害者は相撲を続けている。

そんなケースが多い。

 

また、「救命事件」の関連で、

取り組み中、うつぶせに倒れてしまった力士を、

皆が静観しているという動画が流れてきた。

相撲のルールが何かあるのかもしれないし、

あの試合には、何か事情があったのかもしれない。

が、他の格闘技では、まず見ない光景なので驚いた。

選手がうつぶせに倒れたら、まずスタンバイしていた医者が駆け付けてくる。

 

暴力事件のこととあわせて、相撲の世界は、

強者男性しか生かす気がない世界なのだと思った。

ここでいう強者とは、もちろん、相撲が強いということではない。

厳しい稽古に耐えることに加えて、理不尽な暴力に耐えられること。

理不尽な暴力により、運悪く致命的なケガを負った者は、弱者なので排除される。

そうなった場合、加害者よりも被害者の弱さに責任があるとされる。

そのうえ、土俵で取り組み中に倒れても、誰も助けてくれないのだとしたら、

彼らの命は軽く扱われすぎではないのか。

 

女性が差別され、男性の命も大切に扱われない。

そこで、わたしは「親なるもの 断崖」を思い出したのだった。

あの時代を、わたしは伝統として肯定することはできない。

 

「相撲」という、特殊な仕事に従事しているからといって、

そこで特殊な社会が構成されているからといって、

人権が軽視される世界があっていいのか。

いいはずがないと、わたしは思う。

 

相撲をめぐるあれこれに、わたしは、「そうなってほしくない世界」を見ている。

運よく生き残ることができた強者男性だけが認められ、

そこからこぼれた男性や、女性、マイノリティが排除される世界。

 

わたしは相撲に詳しくないし、ファンというわけではない。

相撲に関わることに言及するのは、おこがましいと思う。

でも、そんな世界にはノーと言いたい。

 

2018年の今、人権意識はわたしの子ども時代より確実に強くなっているし、

個も尊重されている。

「生きやすさ」は年々、少しずつであっても広がっており、

これからもそうなり続けると、わたしは信じている。

変わり続ける世界のなかで、どうか相撲界も変わっていってほしい。

*1:救命以前に、土俵に女性が上がれない、女性市長には土俵下であいさつをさせるといったしきたりにも疑問がある

「月曜日の友達」があまりにもすごくて、読むたびに感情が無茶苦茶になってしまうけれど、がんばって感想を書く

人が、子どもから大人になる瞬間。

その脱皮の痛みとうつくしさ。

それを全2巻で描き切った作品が、「月曜日の友達」だと思う。

 

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1巻書影。

 

「月曜日の友達」は、阿部共実による漫画作品。

連載誌は、「週刊ビッグコミックスピリッツ」。

 中学に上がったばかりの水谷茜は、取り巻く世界に窮屈さを感じていた。

恋愛に興味がない、とにかく体を動かしたい、

卑劣なヤツを見たら黙っていられない。

体が勝手に動いてしまう。

こんな私はおかしいのか?

モヤモヤを抱えるなか、クラスメートの月野透と知り合った水谷。

水谷と月野はあるきっかけから、

「月曜日、夜の学校で2人きりで会う」という約束をかわす。

月野は、自分は超能力を使えるので、その訓練を手伝ってほしいというのだが……。

作品では、2人の1年を、全2巻を通して描く。

 

以下から、1話が試し読みできる。

yawaspi.com

 

月曜日の夜、忍び込む学校。

子どもたちだけで交わした秘密。

ボーイ・ミーツ・ガール。

水谷と月野は、「月曜日の約束」から、さまざまなキラキラした瞬間に出会っていく。

誰もいない校庭でバッティングして思い切り体を動かしたこと、

夜のプールでの、水しぶきと月光、

水谷と月野、さらに月野の妹、弟とともにすごした夏休みの一日、

自転車の二人乗り、

海辺での花火、そのきらめきが映った月野の瞳。

そして、行き違い……。

 

ストーリーは水谷の視点で進んでいく。

物語開始時、自身を「周囲より子ども」だという彼女は、

自分がどのような人間なのか、何をやりたいのか、まだわかっていない。

というより、「わかっていない」ことにすら、気づいていない。

ただ、周囲が変化しはじめたこと、自分もきっと変わってゆくことだけは知っている。

だから、モヤモヤしている。

たとえば、「将来の夢」を聞かれた水谷は、「空を飛ぶこと」と答える。

そんな自分自身を友達と比べ、彼女は焦りを感じる。

 

水谷は月野との交流のなか、少しずつ「自分自身は何者か」を知っていく。

同時に、「月野」という人間を知り、はじめての感情と出会っていく。

肯定される喜び、

人に何かを与えたいと願う気持ち、

人を傷つける痛み。

水谷が出会う世界の美しさとともに、

わたしたち読者はそれらの感情をも追体験する。

 

その追体験を、血肉が通ったものにしてくれるのが、絵の力だ。

ところどころヒビが入った学校のコンクリート

草が生い茂る空き地のすさんだ感じ、

団地の生活感など、物の質感や細部を丁寧に描くことで、

町の、学校の空気が伝わってくる。

集会や教室のシーンでは、

子ども達ひとりひとりの様子を省略せず描くコマを差し挟み、

同年代の子どもたちが集められた学校空間の息苦しさを表現している。

水谷の部屋の散らかりなど、

人となりや家庭環境をさりげなく感じさせるのも上手い。

 

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1巻購入特典のペーパー。「瞳に何かが映る」ことの表現も秀逸。

 

加えて、この作品では、ほとんど擬音が描かれていない。

海辺の町の汽笛も蝉の声も、読者はこのこの世界の音を、

水谷のモノローグだけで「聞く」ことになる。

読者にもっとも近い水谷を通すことで、

かえってその世界の音が、頭の中で豊かに響く。

 

その血肉ある世界で、水谷の目を通して、

わたしたちは、少しずつ月野のことも知っていく。

彼がどこに住んでいて、どんな家庭環境なのか。

何に傷つき、何を望んでいるのか。

 

大人になることが、自分がどんな人間であるかを知ることであるとすれば、

月野は水谷より、ずっとずっと大人なことがわかる。

自分を知って、見えない未来が広がることもあれば。

自分を知っているからこそ、未来を既定してしまうこともある。

水谷と月野は、似た者同士なようでいて、実は対極にいる。

2人自身も、それを1年をかけて知っていく。

 

互いが、ぜんぜん違う境遇にいる人間であること。

それでも、2人が心を通わせたことは確かなこと。

それをわかったうえで、

水谷と月野が

ままならないことだらけの人生のなか、

希望を胸に生きていく意味、

命が燃えることの喜び、

誰かを思い、思われることの力を語り合うラストシーンの、

なんとうつくしく、心を打たれ、胸をしめつけられることか。

 

子どもから大人への変化を描きながらも、この作品では、

「大人になること」を喪失とはとらえていない。

キラキラしたこの1年は終わってしまうけれど、

それは「子ども時代の喪失」ではなく、

「子ども時代の思い出の獲得」であるという。

そして、何かを選び続け、人と出会い、ときに傷つけ合い、大切に思い合い……、

そんな風に続いていく人生を「可能性あるもの」として肯定する。

 

幼い彼らが放った命の火花はあまりにもまばゆく、はかない。

それらは、変わらぬ日々を繰り返す我々の世界にも、

確実に彩りと光を与えてくれる。

 

この上なく胸を揺さぶられ、生を肯定してくれる水谷と月野の物語が、

どうか、多くの人々に、長く、広く、読まれてほしいと、切に願う。

 

*1

 

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2巻書影。糸井重里氏のコメント、「大泣きになって、心が晴れた」は、読むと実感する。

 

また、本作には、amazarashiによる主題歌も作られている。

著者サイドからamazarashiへ、既存楽曲の使用を申し入れたところ、

著者の作品「ちーちゃんはちょっと足りない」のファンだった

amazarashiの秋田ひろむが、新曲を書きおろしたのだそう。

作品にぴったりで、幸せなコラボレーション。

楽曲のラストには、著者自身が漫画を描きおろしている。

 

www.youtube.com

 

*1:個人的な思い入れを描くと、私が阿部共実を知ったのは、ネットで見た「大好きが虫はタダシ君の」という漫画からだった。その作者が「空が灰色だから」という連載を「週刊チャンピオン」でやっていると知り、読んでハマった。「ちーちゃんはちょっと足りない」では、そのラストの苦さをかみしめたし、「死にたくなるしょうもない日々が死にたくなるくらいしょうもなくて死ぬほど死にたくない日々」の「7759」がネットで発表されたときは、あまりにも切なく美しい内容に驚愕した。そして、この「月曜日の友達」では、新たな世界を見せつけられた。「空が灰色だから」収録の「空が灰色だから手をつなごう」は貧しいシングルマザーの話だったし、「ちーちゃんはちょっと足りない」では格差、「7759」は世間では認めらないある趣味をもつ青年の話で、阿部共実は貧しい者、弱い者、世間に馴染めない者を詩情と哀切をもって描いてきた作家だと思う。今回の「月曜日の友達」では、それらのテーマを詰め込みつつ、哀切にとどまらず、人生を力強く肯定した。ポジティブな要素を入れることが、ネガティブより上かというとそうではないのだが、同じテーマを扱いつつも、アングルを変えるというのは相当な力がないとできないと思う。1作ごとに違う世界を見せ続ける阿部共実という作家から、目が離せない。次回作も楽しみである。

そして、最後に……。月野が願った「美しいこと」は叶うだろうか。叶う可能性が低いことを、彼ら自身も知っている。だからこそ、彼らの人生に幸いあれと願わずにはいられない

旅の記憶

オーストリアの首都、ウィーンに降り立ったのは、5月も終わりのことだった。

 

旅の計画はこうだ。

オーストリアから南ドイツのミュンヘンへ。

そこから少しずつ北上、

北端の海辺の町まで到達したら南下して、

フランクフルトからパリへ抜け、帰国。

 

航空券の有効期間は1か月。

決まっていたのは帰国の日付け、パリ発の飛行機で帰ることと、

ウィーンでの最初の2日の宿だけ。

しかも、2日目の宿は手違いで取れておらず、満室で宿泊不可だった。 

 

移動は鉄道、宿はユースホステルがメイン。

ドミトリーでの相部屋生活に疲れたら、

ときどきガストホフ*1B&Bを取った。

 

ネットは既に普及していたが、iPhoneはまだ発売もされていない時代。

新しい町へ着くと、観光案内所が頼りだった。

 

大半の旅程で、光がまばゆく、どこへ行っても暑かった。

カラッとした空気の中、薔薇が咲き乱れていた。 

うつくしい季節に、うつくしい観光名所を巡る旅だった。

 

そんな旅になぜ出られたのか?

それは、当時、わたしが無職だったからだ。

新卒で入った会社を解雇されたのだった。

理由は「業績不足」。

 

会社の人たちは、「若いんだし、もっといい会社、たくさんあるよ」と笑って言った。

しかし、就職活動であれほど内定を取ることができず、

やっと入った会社で「仕事ができない」とクビになる。

若い自分には、若さが武器になるとは、とうてい思えなかった*2

 

会社員になることは、当時、自分が叶えた数少ない「普通」だと感じていた。

それが、閉ざされてしまった。

自分は、「普通」になれないのか。

どうしていいかわからなかった。

 

小さな町のお城の庭で、ベンチに座ってぼんやりしていると、

いつの間にか老婦人が隣に座り、

「ケ・セラセラ」のドイツ語版のような歌を口ずさんだ。

「あなた、こーんな顔をしてるんだもの!」

と、眉間にしわを寄せて見せた。

「人生、なんとかなるわよ」と彼女は笑って言った。

 

ユースホステルで一緒になった中国人と韓国人、日本人のわたしで、

額を寄せ合い、まさしく“恋話”としか言えないような話をした。

 

港湾都市の宿で同部屋になった女性とは、夕暮れの中を歩いた。

レンガ造りの倉庫が並ぶ界隈は静かで、彼女はゆっくり煙草をふかしていた。

ドイツの他の町から出張で来たという彼女の荷物には、

スーツがカッチリとしまわれていた。

 

旧東ドイツの小さな村で、駅のコインロッカーに荷物を預けたところ、夕方で駅舎が閉鎖。

ユースホステルの主人は、「これだから旧東ドイツは」と毒づき、自分は別の町出身なのだと言った。

 

北ドイツまで行くとさすがに肌寒く、

ヤッケを羽織り、曇天のもと、鈍色に広がる海をひとりで見た。

 

パリ郊外のユースホステルで、スペインから来た女の子達と同室になり、

クッキーにピーナッツバターを塗ったくったものをご馳走になった。

 

パリのファーストフード店で、

イケメンがわたしにウィンクをし、スマートに横入りした。

 

いろいろなことが、あったにはあった。

しかし、言うほど破天荒でも行き当たりばったりでもなく、

自分の殻を破るわけでもない。

地元の人と積極的にふれあったわけでもない。

 

旅の前に予想した通り、

1か月別の国をフラついたからといって、

画期的な将来ビジョンは、皆目思いつかなかった。

そんなわけで、帰国後は貯金を食いつぶしながら、

しばらく無職をつづけたのだった。

 

フリーターでもやって、お金が貯まったら、また旅に出るのもいいかもしれない。

 

またすぐにでも、旅に出られるさ。

鬱屈した毎日だったが、そういった可能性だけは、

無限に広がっているように思われた。

 

当時は予測がつかなかったことだが、

紆余曲折あって、その5年後にはフリーランスになる。

フリーランスはフリーではあるし、

最近はネットさえあれば場所を問わずできる仕事も多い。

しかし、1か月単位で対面が必要な仕事を断る勇気は、とうていない。

その理由としては、金銭面だけではなく、

「頼まれたときに断る心苦しさ」も大きいことは、この立場になってから知った。

 

そのうえ、いまのわたしは結婚している。

理由を話し、夫を説得すれば、家を空けることはできるだろうが、

わたしたちにとっては一緒にいることが一種の娯楽なので、

それほどの動機と衝動をもつことは、もはや難しいのだった。

 

「やりたいことは、いくつになってもできる」。

これはある意味真理ではある。

しかし、昔のわたしは「一緒にいるのが娯楽」という間柄の異性と結婚するとは夢にも思っていなかったし、

仕事を断る精神的な負担も知らなかった。

そして、何より昔のわたしが知らなかったのは、

そんな伴侶や仕事を「持って」いることを、

わたしは決して不幸とは思わないことだ。

 

気づけばあのひとり旅から、15年が経とうとしている。

独身のころは、先に挙げた旅行以外でも、

どこへ行くにもたいていひとりだったけれど*3

この先は長短問わず、新たなひとり旅に出ないまま一生を終える可能性もあるなと、最近は思う。

 

可能性はせばまり、未来はある程度予測できる。

自由と引き換えに、何かを手に入れることもある。

しかし、それは結果としてトレードオフになるのであって、

苦渋の選択というわけでもないのだった。

 

それでも5月が近づくと、すこしだけソワソワしてしまう。

また、あのカラッとした空気のなか、薔薇を見たいと思う。

異邦で、ひとりを強烈に感じる、あの瞬間を反芻する。

と同時に、今はひとりではないのだと、

「ここにいる自分」を意識させられる。

それも悪くない。

そして、また旅に出ることがあったら、それもきっと悪くないはずだ。

そんなふうに、人生は進んでいく。

*1:レストランやビール醸造所に併設された小規模な宿。だいたい風呂は共同

*2:今でも、若さだけでそこまで欠けたものを補えるわけがなかろうと思う。若さは万能ではない

*3:夫もそういうタイプである

突然の多チャンネル化

結婚してから、なんとなく仕事の調子が悪かった。

仕事の受注は順調なのだが、わたし自身、まったくついていけない。

常に振り回されている感覚があった。

夫は家事と仕事だったら断然、仕事を優先してねという。

夫自身も、休日は、家事を積極的にやる。

 

仕事を誰に邪魔されているわけでもない。

なぜなのか、わからない。

 

仕事と最低限の家事以外、寝ていたいと思うこともしばしばだった。

気力と体力のなさに辟易としていた。

 

当然、部屋は散らかる。

気持ちも滅入る。

悪循環である。

 

情けなくて、人には相談しづらかった。

しかも、言葉にできる範囲の「表向き」は、仕事も私生活も順調だ。

 

ギリギリ仕事に支障は出ていないしと思い、

だましだましやってきた。

 

そんな折、育児中の友人が、

「仕事と家事では、使う頭の領域がまったく違う感じ。

切り換えるのが大変なの」

と話していた。

 

そうか、仕事と家事、もしくは私生活では、切り換えが必要なのかと、

そこではじめて気がついた*1

思えば、結婚前、わたしは四六時中仕事のことを考えて暮らしていた。

とはいえ、仕事人間だったわけではない。

ひとり暮らしの自宅仕事だと、限りなく公私の区別があいまいなのだ。

家事は、仕事の隙間に、好きなタイミングでやればよいものだった。

うっすらぼんやり常に仕事のことを考えて、

好きなときに寝て、好きなときに起きて、思いついたときだけ家事をする。

頭のチャンネルを切り換える必要はなかった。

 

結婚してからは、日々、「私」チャンネルへの切り換えが必要になった。

たとえば、朝・夜の食事用意は、わたしの担当だ。

仕事が終わらないときは、外で食べたり、買ってきてもらうこともあるが、

それだって「自分がどのような状態で、どうしたいか」を連絡することが必要だ。

ひとり暮らしのときのように、お腹がすいたとき、サッとコンビニへ走り、

適当に食べて、またバババッと仕事をするわけにはいかない。

だれかと共同生活を営む以上、当然のことだ。

そして、料理をするにせよ、買ってきてと頼むにせよ、

事の大小にかかわらず、わたしは「公」から「私」へとチャンネルを変えている。

これは、ひとり暮らしのときにはなかったことだ。

 

それは健康的な、望ましい変化だった。

ただ、良いものであれ、悪いものであれ、変化はストレスをもたらす。

この数年間、頭がいつもごちゃごちゃしていたのは、

「公(仕事)」だけのモノチャンネルから、

「公(仕事)」

「私生活1(一定のペースがある家事)」

「私生活2(夫との時間)」の多チャンネル化に

対応しきれていなかったのではないか。

そんなふうに思った。

 

この春は、少し調子がよい。

仕事に対して、ひさびさに前向きな気持ちで向かうことができている。

「何かやりたい」と自然に思うので、

たまりにたまった仕事の成果物を整理したり、

とにかく目につくものを捨てたり。

物量がすごいので、変化は実感できないが、

それでも何かしら行動していると気分が違う。

忙しい日は、チラシ1枚でもいいから不要物を捨てるようにしている。

 

鈍いわたしも、

ようやく多チャンネル対応ができるようになってきたのかもしれない。

部屋がほんのすこしでもスッキリすると、また気分が楽になる。

仕事に振り回されるのではなく、

ハンドリングができていると感じると、

ちいさな自信がわいてくる。

これを逃さず、好循環へと変えていきたい。

 

何か、新しいことがはじめられそう。

数年ぶりに、そう感じられる春である。

*1:育児で極限状態にありつつがんばっている友人の話と、自身を重ねることは、何かたいへん申し訳ないが……。