平凡

平凡

誰かと過ごすとき、特別なことなんて何もしなくていいのかもしれない

母が上京する。

今住んでいる街を案内したくはあるのだが、我が家はいろいろと片付いておらず。

観光だけお供することとなった。

(申し訳ないことである)

 

待ち合わせ場所は銀座で、10時過ぎ。

その日、母はなりゆきで新幹線のチケットを取って帰るので、解散時間は設定せず。

夫は仕事の都合で来られず、わたしだけで向かう。

 

銀座は歩いている人の年齢層が高くて歩道が広く、買い物客や観光客が多い。

殺気立っておらず歩きやすいと、いつも思う。

 三越前のライオンは、なるほど落ち合うにはわかりやすく便利な場所だ。

 

ところで、東京観光って、何をすればいいんだろう。

親の上京に限らず、たとえば東京に住み始めたばかりの人に、

「どこでデートしてるの? たとえば?」と聞かれたりすると、困ってしまう。

雷門、東京タワー、スカイツリーはたいてい行っている。

大きな商業施設(ヒルズ系など)は、物珍しさはあるけれど、実際行ってみると

やることがあるわけではない。

トレンドに触れるのは楽しいし意義深いものの、

誰かと一緒の観光だと、不完全燃焼になることが多い。

行列ができる話題の新店などは、よほど前知識で「行きたい」モチベーションが高まっていない限り、疲労するだけだ。

 

また、ふだん車社会で過ごしている人が上京した場合、

「人ごみの中・ホームまで階段や通路を歩き・座れない電車に乗る」という東京のスタンダードな移動方法がかなり負担になる。

母は体力があるほうだが、東京で移動すると、

体力・精神力を総合したものをガリガリ削られているのを感じる。

母が一時期、上京した際の観光手段として「はとバス」にハマっていたのは、

移動のラクさもあるのだろう。*1

 

とはいえ、まあ電車1本ぐらいならよしとして、

日比谷線に乗り、母が大好きなドラマ版「孤独のグルメ」に登場する

北千住のタイ料理屋「ライカノ」へ行くか。

お昼までは、少し時間があるのでお誂えの和装小物の店でものぞいて……と考えていたのだが、

母はなんとなく「楽しそうだけど」と乗り気ではない。

北千住と言われても知っている場所でもなし、

イメージがわかないのもあるのだろう。

 

どうしようと話し合っているうち、三越がオープンしたので、ブラブラ見て回ることにした。

開店したてなので、通路には店員さんが立って、深々とお辞儀をして出迎えてくれる。

ソワソワするけれど、ちょっとおもしろいねと、母に耳打ちした。

銀座三越はモードな服が多く、婦人服フロアはウロついただけで終了。

インテリア・生活雑貨フロアは、すてきな焼き物や漆器などが並んでいて眼福だった。

作家ものの焼き物のすみに蛙があしらわれていたり、

蒔絵でデフォルメされた風神・雷神が描かれていたり、

和ものらしい愛らしさを発見しては、「かわいいね」と言い合ったりする。

また、出ていること自体知らなかった、ル・クルーゼのジャポネスクシリーズを見て驚いたりした。

http://www.lecreuset.co.jp/quicknews/momiji.html

 

雑貨フロアの片隅で、珊瑚か海棲生物のような正体不明のストールを見つけた。

実は「絞り」の技法を使ったものらしく、なかなかおもしろい。

母はいたく気に入り、試着し、お買い上げ。

bunzaburo.com

 

その後、野菜たっぷりでよかろうと、三越8階にある「みのる食堂」でお昼を食べた。

テラスに向かって大きく窓が開き、日差しが入る店内は、子ども連れも多く、のんびりした雰囲気。

ランチは定食形式ドリンク付き1630円~とお高いけれど、

野菜そのものの味をいかしたお惣菜の数々を、1皿限定バイキングで盛れる。

野菜が好きな人には、気に入ってもらえる店だと思う。

みのる食堂|みのりみのるプロジェクト

 

お昼ご飯中、思い出した。

銀座といえば、行ってみたいけれど、ひとりでは敷居が高い場所があるんだった。

それは、シャネル銀座店4階にある、シャネル・ネクサス・ホール。

www.chanel-ginza.com

その名の通りホールであり、コンサートや、シャネルが後援しているアーティストの展示を開催している場所。

展示の場合、観覧は無料だ。

以前にはフランスのバンド・シネ作家、エンキ・ビラル氏の展示もやっていた。

問題はハイブランドの路面店内にあることで、

1,ピカピカのエントランスに立ち

2,黒服に扉を開けてもらって入る

という、高いハードルが立ちはだかる。

母に話すと「展示はよくわからないけど、平凡が行きたいなら」とOKが出た。

足を運ぶと、母と一緒でも1、2のハードルは思った以上に高く、周囲をぐるりと1周した後、

「ネクサス・ホールに行きたいんですぅ」と曖昧な笑みを浮かべて黒服に告げ、

なんとかエレベーターへ。

いったん中へ入ってしまうと、ラフな服装の観光客が買い物にいそしんでいたりして、意外と気後れしない。

展示会場内でも、催し目当てに来ているとおぼしきチノパン姿の高齢男性や子ども連れも見かけ、ああこれはわたしが来ても❝アリ❞なんだなと思わせられた。

現在の展示は、世界中で伝統工芸などに携わる人たちを撮影した

イタリア人カメラマン夫婦の作品展「TRNSMISSIONS」。

鍛鉄場で大人の動きを見ているアフリカの子ども、

嗅覚だけで薬草を見分けられるよう、必死で覚えているミャンマーの子ども、

孫に稽古をつける日本の能楽師

フランスの造花師母娘などなど、

「伝承」を感じる瞬間が切り取られていた。

日本の能や香道など、和の伝統芸能も多く、母も楽しそうだった。

 

その後、シャネルの向かいにある松屋をぶらつく。

松屋三越にくらべ、ずいぶん現実的な服が売っていた。

そのかわり、インテリア・生活雑貨は和食器よりもモダンなものや北欧ものが多め。

ちょっと疲れたので6階の喫茶店、「カフェキャンティ」でお茶。

www.chianti-1960.com

 

キャンティの系列店だが、「伝説のキャンティ!」というより、百貨店内の喫茶店らしい雰囲気。

「キャンティって、安井かずみも通ってたアレだよねー」などとしゃべりながら、午後のひと時を過ごす。

 

松屋を出たら、もう夕方だ。

新幹線に乗る母を見送るため、丸の内線で東京駅へ向かった。

 

楽しい1日は、あっという間に過ぎた。

 

雑踏のなかに母の後ろ姿を見送りながら、

ああ、特別なことなんて何もしなくていいのかもしれないと、ふと思った。

いつも、母が上京するたび、「何をしよう」「東京ならではのことをしなければ」と肩に力が入ってしまう。

変わった場所を選び過ぎて微妙だったり、

選んだお店について解説しすぎて、ちょっとドヤ顔すぎるのではと自己嫌悪に陥ったり、

移動しすぎて疲れさせてしまったり。

つまるところは、空回りだ。

母はそのつど「楽しかったよ」と言ってくれるが、これでいいのだと思えたことがなかった。

 しかし、今回は、わたし自身も楽しかった。

母もそうなのでは、とはじめて感じられた。

 

大人になった今、親子で過ごせる時間自体が貴重なのだ。

目に入るものに「あのデザインはいいね、ないね」などとツッコんだり、

ブラブラ歩いて思いもよらぬすてきなものを買ったり

(それは別に東京以外で買えるものであってよい)、

その時々で入りやすい店に入って、他愛ないおしゃべりをする。

それでいいのではないか。

また、「案内しなければ!」とがんばるより、

わたし自身もはじめての場所で、お互い同じ目線でいたほうが楽しめるのでは、

というのもシャネル・ネクサス・ホールでの発見だった。

うまく案内しようなんて思わず、ただ母と歩くことを楽しめばよい。

不肖の娘として、上京して十何年目の悟りだった。

 

さわやかな秋風が吹く帰り道は、なんとなくさみしい。

新幹線に乗っている母を思いつつ、次こそは我が家に招待して、

今住んでいる平穏無事な街の「究極のなんでもなさ」を紹介したいな、

そのためにはまず片づけを……と決意新たに、電車の中で眠りに落ちていったのだった。

 

*1:はとバスは所要時間も行き先もさまざまで都合や興味に合わせやすい。要所要所で解説もあるので、ベタなところへはじめて行く場合はとくに、自力観光より楽しく感じることが多い