「週刊少年ジャンプ」に連載されていた
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」通称❝こち亀❞が、
連載40年をもって幕を下ろすという。
インターネットを見ていると、
「ちゃんと追いかけていたわけではないけれど、ショックが大きい」との声をよく見かけた。
夫もそんなひとりだ。
ニュースが発表された日、夫は「『こち亀』が終わるんだ……」と実に寂し気な表情で繰り返した。
意外な反応だったので、「そんなにショック?」と聞くと、
「だって『こち亀』だよ」と言い、思い出話をしてくれた。
「小さいとき、従兄弟のケンちゃん家に行くと、漫画がズラーッと並んでてさ。
ケンちゃんは年上だったし、『知らない世界がある!』ってすごくワクワクした。
『こち亀』も最新巻まで揃ってて、読むのが楽しみだったなあ」。
わたしにも、「こち亀」を巡る思い出が、淡いながらもある。
母はわりと漫画が好きで、
どこから知ったのか、ある時期から「こち亀」を買い始めた。
たぶん、歯医者の待合室か何かで読んだんだろう。
最初からではなく、当時出ていた最新巻を買うスタイルで、
たしか、60巻前後だったと思う。
兄もわたしもまだ小学生だった。
主人公の両津勘吉、通称❝両さん❞はけっこうな悪だくみもするけれど、
最後には必ずヒドイ目に遭う。
それもコテンパンに。
しかも、両さんは❝ゴキブリ並❞といわれる生命力の持ち主で、
何があってもピンピンしているし、反省なんてしないのだ。
それが痛快だったのだと思う。
並はずれたバイタリティ、度胸、
そしてお金儲けにはフル回転して意外なアイデアを生み出す頭脳をもつ両さん。
超お金持ちの同僚・中川や麗子の存在もあって、
わたしたちがやりたくてもできなかったり、
とても思いつかないような儲け話を実行してしまう。
ときどき挟まれる、両さんたちの少年時代編もおもしろかった。
自分とは違う時代を生きる、少年たちのたくましさ、冒険。
今の時代なら「ALWAYS 三丁目の夕日」的と表現されるであろう、知らない下町の風景。
必ず最後はホロリとさせられる。
両さんの実家は佃煮屋で、
佃煮は、実家では食卓にのぼることがないものだった。
それに、わたしが住む地方都市には下町というものが存在しなかった。
同じ日本にある、ちょっとだけ未知の食べ物、未知の世界。
好奇心や憧れを刺激された。
「こち亀」という作品は、わたしにとって、
実家の居間で母や兄と回し読みしていた空気感や、
狭い世界しか知らない子ども時代の憧れと、
分かちがたく結びついている。
漫画に限らず、長く続くタイトルというのは、きっとそういうものだろう。
それぞれの人がもつ、それぞれの「こち亀」にまつわる思い出。
そして、あって当たり前だったものが終わってしまう寂寥感。
わかっていたつもりなのに、
あらためて「永遠なんてものはないのだ」と実感させられる、あの感じ。
みな、それに打ちのめされているのではないか。
フィクションがくれた楽しい記憶は、いつまでも、
心の中に、ポッとあたたかい光をともしてくれる。
それが、夫のなかにも、わたしにもある。
40年描き続けた作者の秋本治先生、お疲れさまでした。
そして楽しい作品を、ありがとうございました。