平凡

平凡

神社で結婚式をする、ということ1 挙式の規模を決めた話

やっとこ、真冬の寒さがやってきた。

私たちが結婚式を挙げたのは、こんな季節だった。

 

私たちは、親兄弟だけに参列してもらい、小さな神社で挙式をした。

下調べ時、規模の小さな神前挙式について、

意外と情報がなかったので、何回かに分けて、書いてみたいと思う。

 

備忘録を兼ねているので、本当に実用的なことは、もう少し先になる。

今日は、結婚式の規模を決めるまでの話。

 

まず、挙げる/挙げないの選択肢があった。

ふたりとも、何か節目となるセレモニーをやりたいとは

ぼんやり思っていたことから、「挙げる」を選ぶ。

 

とりあえず、「ゼクシィ」を買ってみる。*1

 

「ゼクシィ」の情報は、

招待客人数がそれなりで、

きちんとしたあるいは華やかな

式・披露宴を挙げる人向けの物が多い。

それと、若干、対象年齢層が若いように思われた。

どのページをめくっても、ふたりともピンとこない。

私たちがやりたいのは、ここにある式ではないのだな、

ということだけはつかめた。

 

一方、「結婚を職場で報告するタイミング」

「式準備でケンカしないためには」

など、読物は実用的で興味深かった。

反面、準備の大変さを思い知らされる。

招待客を決める。

招待状を書く、送る。

席次を決める、BGMを決める。

私たちの式を作る……

無理無理。 

第一、「私たちらしい式・披露宴」の

ビジョンがまるでない。

私たちは没・個性派カップルなのだ。

 

とはいえ、私はベタなものが好きなので、

「皆に祝福されるひな壇の私」や「ウェディングドレス」に憧れがなくはない。

ただ、「ゼクシィ」をつらつら読むうち、わかったのだ。

私は、「『皆に祝福されるひな壇の私』を楽しめる私」に憧れてはいるが、

実際の自分は、どこまでも「楽しめない私」だということが。

ひな壇に座ったら、できればみんなには、

私をなるべく見ることなく、私と無関係に

楽しんでほしいと思うに違いない。

一生に一度のことだし、後悔しないかと自問自答したが、

「憧れの本質」がわかると、ぼんやりした夢は、案外、簡単に消えてしまった。

(夫は、「ひな壇なんて嫌だ」と即答)

 

夫は会社員なので、上司に結婚を考えていることを報告しがてら、

「挙式なしでOKか」をそれとなく聞いてもらったところ、

問題なし、とのこと。

 

それなら、結婚式・披露宴は親しい人だけを呼ぼう。

なるべく、小さくやろう――。

 

こうして、まず、挙式の規模感が決まったのだった。

*1:「ゼクシィ」は噂以上に重かった。近所のコンビニエンス・ストアで手に入ったことが、何よりありがたかった。仮に結婚式・披露宴をきちんと行うつもりなら、体力と精神力が必要なのだということを、ハード面からも教えてくれたように思う