平凡

平凡

近くて遠い場所

夫が持つリードを強く引き、犬が駆けていく。

広い公園を囲む林は腐葉土の湿ったにおいに満ちており、雑草が生い茂る。

犬を追う形となった我々のスニーカーを履いた足は一歩ごとに沈み込み、草がジャージのすねに当たる。

きっと犬も同じだろう。肉球にやわらかい土を感じ、草に顔をくすぐられているはずだ。

そのすべてが犬を興奮させるらしく、目を輝かせながらずんずんと林を進んでいく。

やがて視界が開けて、遊歩道に行き当たる。そのさらに向こうにはフェンスに囲まれたスペースがあり、犬たちのさまざまな声が聞こえる。

「ドッグランだ……」

「来ちゃった」

地面をふんふんと夢中でかぐ犬の鼻先に危険なものがないか注意しつつ、我々は感無量の心地でその光景を眺めたのだった。

 

同じ公園の、同じドッグランを、ぼんやり眺めていたことがある。

三年前のゴールデンウィークのことだった。

犬と暮らすことを考えはじめたころで、犬は憧れであり、未知のものだった。「犬と暮らしたいね」と話しながらも、そのイメージは具体的なものにはならず、責任をもって動物を飼える年齢のリミットは着々と迫っていた。夕暮れに沈むドッグランを見ながら、そんな焦りが胸をじりじりとこがしていた。

そのときのことは、以前、ブログ記事に書いた。

hei-bon.hatenablog.com

 

それから紆余曲折あって、三年後のゴールデンウィークに犬が我が家にやってきた。三年前に抱いていた、「我々が犬を飼えるのだろうか」という疑問が解消されたわけではない。真剣に考えれば考えるほど、不安になる。しかし、我々はどうしても動物と暮らしたくて、チャンスを得たとき、それをエイヤッと踏み越えた。

 

先ほどリンクを貼った記事には、こんなことを書いた。

ドッグランを見ながらそう言い合う我々は、その上澄みの下にある飼い主さんと犬の日々の暮らし、しつけ、努力を知らない。

要はドッグランで自由に遊ぶ犬の背後には、しつけや飼い主との信頼関係などの積み重ねがあり、それは見えない、という話だ。不安を踏み越えて、我々もその「上澄みの下」を模索する者となった。

 

「上澄みの下」は、思ったよりも正解がない。たとえば――。林に来たからといって、犬がリードを引くままにするのはよくないのではないか。いやいや、ここまで興奮する場所にもなかなか連れてこられないし……でももう少しメリハリをつけるべき? といった具合に、日々、迷いはとどまることを知らない。

 

それでも、犬を迎える前の我々が知らなかったこともある。そのひとつが、犬も人も「慣れ」という名の成長をする、ということだ。

 

家に来たばかりころ、犬はとくに交通量の多い道が苦手だった。そのため、人間の足でも「ちょっと遠い散歩」になり、道中大きな交差点を渡らなければならないこの公園に来るのは、冬以降になるのではと思われた。

しかし、散歩を繰り返すうち、犬も人もだんだん慣れてくる。といっても、犬が車や自転車が行きかう道が平気になったわけではない。苦手は苦手であまり変わらない。

 

どこへ行くにも通らねばならないバス通りだって、今もそれなりに緊張感はある。が、立ち止まらずに歩けるようになった。それ以外にも交通量が多い道はあるが、何度か通るうちにリードを引き引きであっても犬は歩けるようになり、人間も犬の動揺に動じなくなって、犬が落ち着くのが早くなった。

それは「克服」というより互いの「慣れ」で、そうしたものも十分に成長であることを、犬との暮らしを通じて知った。

 

苦手な道もなんとか通れるようになると、行動範囲が広がってくる。その先に、犬が好きな静かな道や緑が多い公園がある。

 

いろいろなルートに挑戦するうち、「はじめて」に戸惑い、ドキドキしがちな犬だが、新しい挑戦も苦痛なだけではないことも伝わってくる。車がたくさん通る道は怖い。はじめての道ならもっと怖い。パニックになる。でも、新しいにおいがする。それが犬の刺激になっている。それがことばでなく、走り方から、往路はともかく復路でにおいを楽しむ様子から伝わってくる。

 

だから、人間もなるべくしっかりと頼もしくいたいと思う。犬の様子に動じず、犬が安心して横について歩けるように。犬が新しい世界に少しでもたくさん触れられるように。

何よりも、犬の苦手がどのように表出するかは人間次第なのだ。ビビりの犬はビビりだ。しかし、何にどこまでビビるかは、人間がどこまで頼もしくいられるか、信頼関係を築けるかによる。これも、犬と暮らす中で我々が知ったことだった。

 

そのようにすこしずついっしょに歩ける範囲と距離が広く長くなり、ある日思った。

「あれ? これ、あの大きな公園に行けるんじゃない?」

そうして、六月末から続いていた猛暑の谷間にやってきた僥倖としかいえない涼しい朝に、わたしたちはついに公園に到達した。

 

三年前と同じドッグラン前のベンチに腰かける。三年前と違うのは、足元に犬がいること。そして、時間帯が夕方ではなく、早朝であること。

お座りの姿勢で休む犬をなでたり水をすすめたりしながら、走り回る犬たちを見る。うちの子も、いつかあんなふうに走れるのだろうか。ドッグランは柵がしっかりしていて、「ノーリードOK」とされているものの、まだリードを外すのは怖い。それでも、草むらを駆ける姿や、近所の公園で会う犬を遊びに誘う姿を見ていると、きっといい刺激になるだろうとも思う。何より犬はいま、推定3歳だ。若い時代を思いきり楽しませてやりたい。

 

無理かも。いいや、きっといつかは……。

 

近くて遠かったこの公園にたどり着くまでに、わたしたちは学んだ。「犬はこれをできない」と思うことはよくない。犬はきっと、犬という種ができることならたいていできる。ただ、それには人間が相応に成長し、学ぶことが必要なのだ。

 

足元で犬がそわそわしはじめる。草と土の気配があるところへ行きたがっている。

「行こうか」

犬をひとなでして、わたしたちは歩きはじめる。木々の向こうでは、太陽が天高く昇ろうとしている。

 

というわけで、今週のお題「遠出」に寄せて、近くて遠かった近所の公園への“遠出”を書きました。