平凡

平凡

ガチ恋ダメ、ゼッタイ!

ガチ恋」。

それはアイドルファン界隈の用語で、「アイドルを恋愛対象とする」ことを指す。

 

ところで、猫カフェの猫は、“会いに行けるアイドル”だ。

小屋(猫カフェ)に入場料を払えば、アイドル(かわいい猫)たちに会える。

猫との接触(なでる)も可能(猫がその気になれば)。

塩対応や、接触禁止の猫もいるが、それはそれでファン(客)にはたまらない。

 

ファン(客)はそれぞれ、“推し猫”がいる者もいれば、

グループ(店の猫)全部が好きな“箱推し”もいる。

 

大好きな推し猫のために、

入場料を払って店に通い、

それでは飽き足らず、せっせとおもちゃを買ったり、

オヤツやカリカリを店に寄付したり、

なんならCDなんてまだるっこしいモノは介さず、

直接お金を寄付したりする。

物販がある店では、グッズを買うこともできる。

 

となれば、当然“ガチ恋”もありえる。

我々が通う「譲渡型保護猫カフェ」における“ガチ恋”とは何か。

それは、「最終的に、推し猫と暮らすことを夢見ること」であろう。

 

アイドルと結婚するのは至難の業。

というかはっきり言って不可能に近い。

だが、保護猫なら可能だ。

譲渡型保護猫カフェは、猫たちの新しい飼い主を探すのが目的。

諸条件を満たして申し入れをすれば、

恋愛禁止だ「文春砲」だを気にすることなく、

祝福されて、猫ちゃんと暮らすことができるのだ。

 

大好きなあの子とフォーエバー、幸せに暮らしましたとさ。

実際に、そんなドリームを叶えた諸兄はたくさんいる。

 

さて、我々にも、もちろん推し猫がいる。

それは、スペースちゃん!

 

洋猫と何かのミックスらしく、灰青色の瞳が美しいスペースちゃん。

しかし、ストレートな美猫かというとそうではなく、

顔は丸く、瞳は猫なのに妙に細く、手足がとっても短い。

小柄で、生後半年の子猫サイズでありながら、しっかりと力強い体つきをしている。

その小さな体にバカでかい闘魂を宿しており、

気に入らない猫がいると、たとえ大きなオス猫でもぶん殴る!

ぶん殴り返されても、まったくひるまない。

そして、どこか見る者をハハーッとかしずかせる威厳と気品も兼ね備えている。

オヤツタイムなどあろうものなら、思わず貢いでしまう。

言ってしまえば、ちょっぴり気性荒めの猫ちゃんである。

 

当初は小さな体から子猫だと思われていたが、

後に小さな成猫であると判明。

年齢不詳、ミステリアスな貴婦人なのだ。

 

だいたい、「スペースちゃん」って名前はなんなんだ。

宇宙?

空白?

それとも、パソコンの上でスペースキーを押したとか?

 

保護猫なので、出自も不明。*1

不明ということは、自由に想像できるということ。

何しろあの威厳である。

ひょっとして、ハプスブルグ家や元華族にゆかりがある、

やんごとない猫ちゃんではないのか?

現実的に考えて路上出身であったとしたら、

きっとあの気性と迫力で、堂々とエサをもらっていたのであろう。

 

店に行くたびにスペースちゃんの写真を撮り、

家でそれを繰り返し見、

スペースちゃんの一挙手一投足にキャッキャし、

店のブログにスペースちゃんの画像が上がればLINEで報告し合い、

我々はいつの間にか、スペースちゃんとの暮らしを夢見て、

不動産屋巡りをするようになった。

 

スペースちゃんが家にいたら、楽しいだろうなあ。

あんまり「スペースちゃん!」って構い過ぎると、嫌がるよね。

夫が会社から帰ってきたらさあ、「にゃーん」とかって迎えに来るかもよ。

 

しかし、ペット可物件は少ない。

なかなか諸条件が折り合わない。

 

そうしているうちに、我が家に激震が走る。

「スペースちゃん、卒業が決まりました~!」。

卒業とは、新しい里親さんが決まったということ。

正確には、トライアル→正式譲渡と段階を踏むのだが、

譲渡型保護猫カフェでは、

カフェで猫とふれあい、その個性を見極めて家に迎えることを決めるため、

たいていが正式譲渡となる*2

 

夫婦で「スペースちゃん……」「……スペースちゃん」と、

会話にならない会話をすること数日。

我々は悟った。

これは“ガチ恋”であったと。

そして、本格的に猫を迎える準備ができるまでは、

ガチ恋”はすべきではないと。

 

そして、スペースちゃん卒業当日。

嫌がりつつも抱っこされ、

キャリーバッグにすっぽり収まったスペースちゃんは、

パニックになることもなく、

それどころか、ちょっかいをかけに来た他の猫をにらみつけて撃退し、

武闘派ぶりを見せつけながら、新たな家に旅立って行った。

 

スペースちゃん卒業が決まり、店に通い詰めた暑い夏。

正式譲渡の知らせが届くころには、風がすっかり涼しくなっていた。

里親さんはSNSをやっていないので、

今後、スペースちゃんの姿を見ることはないだろう。

ただ、正式譲渡の際、里親さんがお店に送ったという近況写真には、

すっかり家でくつろいでいる様子が映っていた。

生活感の中にいる、“お家猫”スペースちゃんは、

店にいたころとはまた違う可愛さがあった。

里親さんと、仲よくやっているのだろう。

 

推しが幸せなら、いいじゃないか。

しかし、唯一無二のあの丸顔がもう見られないと思うとさみしい。

 

こんなにがっくりくるなんて。

ガチ恋”、ダメ、ゼッタイ。

少なくとも、お迎えの準備が整うまでは。

 

しかし、“ガチ恋”している間、楽しかったのも事実。

今後、どんなスタンスで店に通い続ければよいのか?

秋風にえもいわれぬさみしさを感じつつ、思案している今日この頃である。

*1:保護状況によっては、父猫、母猫までわかっていることもある。ただ、多くの人の手を経て育てられ、世話され、カフェにたどりついた猫の出自を、末端の人間が知ることは難しいケースが多い

*2:先住猫がいる場合は、その猫との相性があって、厳しくなってしまうこともある

猫はカリカリのみにて生くるものにあらず

自分勝手で、ふだんは人間のことはどうでもよい、という顔をしている猫たち。

しかし、そんな猫たちでさえ、

「猫はカリカリのみにて生くるものにあらず」と感じさせる瞬間がある。

 

昔、実家で飼っていたのは、典型的な“猫”だった。

さわられるのは大嫌い、でも、なんとなく注目を集めるのは好き。

家族全員がテレビに夢中になっていると、

ギリギリ人間の視界に入る場所で、ゴロンゴロンと腹を見せた。

これに人間が弱いことを知っているのだ。

「あらっ、かわいーねー」

「じょうずだねー」

ひとしきり賞賛の声を浴びると、

満足そうにどこかへ(しかし人間の様子が見える場所に)去っていく*1

 

エサの時間になると、にゃあにゃあと最初はかわいい声で催促。

しかし、エサの用意がちょっとでも遅れようものなら、

その声は怒気を帯び、瞳に怒りが宿る。

「なんで、なんで、ごはんくれないの! 早く早く!

馬鹿じゃないの! 人類滅びろっ!」

みたいな顔してにらみつける。

遅くなってごめんねと言いながらエサを用意すると、

プリプリ怒りながらガツガツ食べ、食後もしばらくご機嫌斜めだった。

 

我々家族には横柄だが、

知らない人が来ようものなら、押し入れに入って半日は出てこない。

雷や花火でも同じ。

内弁慶で、たいへんな怖がりだった。

 

犬好きの友達に話したところ、「失礼だけど」と前置きをしたうえで、

「何がかわいいの」と聞かれたこともある。

あのとき、わたしはなんと説明しただろう。

最初から、猫はこんなものだと思って飼ったわけではない。

その猫より以前にふれあった猫は、もう少し人懐っこい性格だった。

しかし、とてもかわいいのだ。

自分勝手さが、愛おしいのだ*2

 

そんな猫が豹変したのは、母の再婚相手が倒れたときだった。

母は病院に詰め切りになり、わたしはできるかぎり実家へ帰るようにした。

その役目は、主に猫の世話だった。

ほぼ1人と1匹の家で、猫とわたしの距離は近づいた。

わたしの在宅中、猫はわたしの目の届く範囲にいつもいた。

わたしが風呂に入って見えなくなると、ニャーンニャーンと大騒ぎした。

外出するときは、廊下の端からわたしが出ていくのを見ていた。

ことに、わたしが東京へいったん帰る日の、張り詰めた瞳。

忘れることができない。

 

日のあたるリビングで仕事をしていると、

猫はわたしの近くで体を丸めた。

電気座布団にスイッチを入れ、わたしが座ると、猫は心底不思議そうな顔をした。

そして、トイレから戻ると必ず横取りしていた。

 

集中してパソコンに向かっていると、そっと体を寄せてくることがあった。

そのかすかなぬくもり。

そういうときは、そっとなでても怒らなかった。

義父の容体が思わしくない日々のなかにあっても、

それは安らぎを覚える瞬間だった。

しかし、同時に、人生でもっとも胸が痛む瞬間でもあった。

猫とふれあえて、頼ってくれて、うれしい。

でも、猫が心身元気でいてくれたら、一番、何よりうれしいのだ。

おまえ、わたしになんて懐かないで、ツンケンしていてくれよ。

いつも通り、コイツは邪魔だなあって顔をしていてくれよ*3

 

さみしさが毛皮をかぶったような猫の姿を思い出すと、

いまもヒュッと息が苦しくなる。

猫には言葉が通じない。

いつもいたはずの家族がいない。

何か異変がある。

そのことだけを理解している、猫の顔。

 

そのとき、わたしははじめて本当の意味で、

「猫はカリカリのみにて生くるものにあらず」と悟った。

人間なんてどうでもいいよ、みたいな顔をしていても、

食、水、トイレの清潔さが担保されていても、

決まった人間との安定した暮らしを、猫は求めている。

それは当たり前のことだ。

それまでだって、なんとなく理解してきたつもりだった。

しかし、ここまでなのか。

こんなにも、腹の底から求めているのか。

それが崩れたとき、猫はこんな風に、ここまで弱ってしまうのか。

 

先日、夫婦でとある保護猫カフェへ足を運んだ。

カフェに他の客はおらず、猫たちは遊びに飢えていた。

おもちゃひと振りで、老いも若きも大興奮。

なかでも、4カ月ほどの子猫は、ひときわ俊敏だった。

おもちゃを追って宙を舞い、

見事キャッチすると、おもちゃをくわえてひきずり回す。

ひとしきり遊んで疲れると、子猫は夫の近くに寝そべった。

そのとき撮影した写真には、

夫に頭をなでられ、目を細め、本当に満足しきった子猫の姿がある。

遊んではしゃいで、なでられて。

どれも衣食住や、三大欲求に結びつかないことだ。

しかし、それをたっぷり得られたときの充足した表情。

「猫はカリカリのみにて生くるにあらず」だ。

 

保護猫カフェやシェルターには、いろいろな猫がいる。

もちろん、ヒトが近づくだけで威嚇してしまう、人間嫌いな猫もいる。

しかし、多くの猫は、人間が嫌いではない。

どちらかというと、ヒトが好きだ。

遊んだり、なでられたり、膝に乗ったり。

さわられるのが嫌いな猫も、人間の近くにいることが多い。

それを見ると、「イエネコは長い歴史の中で、

人のそばで生きるよう、家畜化した生き物だ」と、

何かのドキュメンタリーで見たことを思い出す。

多くの猫が、“カリカリ以外のもの”を求めている。

 

わたしがふった猫じゃらしに、楽しそうに猫がじゃれる。

なでられて、うれしそうにする。

さわられるのが嫌いな猫が、それでも人間の視界のはしにずっといる。

人間とはまったくちがう、この小さく毛むくじゃらで暖かい生き物が、

わたしの行動、存在により、喜び、あるいは安心を得ている。

「猫はカリカリのみにて生くるものにあらず」。

それを実感するのは、

人間にとって、猫との交歓を腹の底から感じられる瞬間でもあるのだと思う。

 

たぶん、猫に限らず、動物と暮らす、交流するとは、こういうことなんだろう。

衣食住と、“カリカリ以外の何か”を人間は動物に与え、

動物も、人間にとっての“カリカリ(パン)”以外のものを与えてくれる。

 

母の再婚相手が亡くなり、母が家に戻ると、猫はそのそばを離れなかった。

そして、猫はめっきり老いた。

いつまでも子猫だと思っていた猫が、

けっこうな高齢であることを、わたしは思い出した。

義父の死後半年ほどで、猫はあとを追うように逝った。

 

実家のリビングでポカポカと日に当たっているとき、

保護猫カフェで見知らぬ猫と遊ぶとき、

わたしは昔の飼い猫がくれた“カリカリ以外のもの”を思い出す。

それは、かわいくて愛おしくて、楽しくて幸せで、にがくてくるしい。

 

飼い猫が死んだのは、夏の、よく晴れた日だった。

今年もまたこの季節が巡ってくる。

いつかまた、動物と“カリカリ以外のもの”を交換して生きられたらな、と思う。

 

 

 

ほか、保護猫カフェでの出来事を書いた日記。

ただ、この保護猫カフェは、今日の日記に書いたのとは、別の場所。

hei-bon.hatenablog.com

*1:当然、猫が去るころには、テレビのいいところは終わっている。しかし、猫がとてもかわいかったので、まあいいかとなるのであった

*2:まあ一緒に暮らしているとそうなるのだ

*3:それはとりもなおさず、わたしが目の前の猫が本当に求めている“カリカリ以外のもの”を供給できていない、どうやっても供給できないことを実感する瞬間でもあった。私は母でも義父でもないから、埋め合わせはできても、かわりにはなれない。猫を本当に安心させてやることはできない。当然のことだ。それは苦しいことだった

義母の庭

庭は生き物だ、と思う。

育てたように育ち、記憶をもつ。

そして、愛された生き物は、見る者に幸福をもたらす。

 

6月。

降りしきる雨に、紫陽花が濡れている。

水色、青、紫、赤紫、ピンク。

こんもりと手まり型になったものや、

つぶつぶとした花を装飾花が囲むもの、

つややかな緑の葉。

そのすべてを、雨が濡らしている。

「今年はとくに、きれいでしょう。

いろいろな色が咲いて……」

庭を眺めていると、義母が目を細めて言う。

 

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といからしたたり落ちた水が、

トタンを叩く音が響く。

一軒家特有の薄暗い空間には、

玄関にも、居間にも、義父の位牌前にも、紫陽花がいけられている。

 

今年もこの季節がやってきたのだと思う。

紫陽花が終わると、気温が高くなって、雑草がどんどん伸びる。

同時に、義母が作る家庭菜園の野菜たちが、がぜん元気になる。

ことに、プチトマトは雪崩れるように実をつけて、

赤い実が庭じゅうに転がることとなる。

食卓にも、もちろんそれらの野菜が上る。

どれもみずみずしくて、おいしいものだ。

「今年も、きゅうりとなす、トマトを植えたのよ」

義母が指さす先で、きゅうりのツタがプラスチックの棒に巻きついている。

 

秋から冬にかけては、

プチトマトのかわりに、金柑が地面に転がる。

なかには、鳥についばまれ、無残な形になっているものもある。

「むかし、パパ(義父)がね、『アヤコ(義母)さん、それはどうかと思う』って渋い顔で言ったの」

金柑の実を摘みながら、義母は毎年、この話をする。

「『金柑を食べて、庭に捨てるのはよしなさい』って」。

鳥がついばんだ金柑を、

義母が食べて、ペッと吐き出したものと勘違いしたというのだ。

時がたち、今、幼い甥っ子が、黄色い実を「どうぞ」と渡してくれる。

ちいさな果物を自分で収穫し、人にふるまうのが楽しくてしかたがないようだ。

同じように、夫や義姉も、この庭で遊んで育ったのだろう。

 

冬、紫陽花はみすぼらしく見える。

花の季節が終わると、義母は大胆に枝をカットしてしまうからだ。

「こうしないと次の年、花がつかないの」と義母は言う。

冬枯れの季節になると、切られた枝が痛々しく乾燥する。

「こんなことで、次の梅雨に花が咲くのだろうか?」と毎年不安になる。

 

そして巡りくる梅雨。

切られた枝がどこかわからないほどに葉を茂らせて、

今年も紫陽花が見事に咲いている。

ああ、また一年、と思う。

義母が丹精込めた庭が、またひとつ、年を重ねたのだ。

 

そして夏、義母はまた紫陽花の枝を切るのだろう。

「パパがいたころは、枝を切ってくれたんだけど……」と言いながら。

今では、伸びすぎた庭木の手入れは、たまに義実家へ帰る夫の仕事でもある。

義母はだまって草むしりをし、草木を整え、庭に四季折々の花を咲かせている。

 

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庭は義母に世話をされ、静かに息づいている。

電線にかかるほどに木々の枝を伸ばしたり、

秋には葉っぱを盛大に道路にまき散らしたり、何かと手間がかかる。

それは、まるで生き物のように。

その生き物は、家族のことを見つめ、記憶している。

義父と義母の語らい、

義姉や夫の幼い足音、

甥っ子のはしゃぐ声、

義母がわたしに語る、家庭菜園のコツ。

 

「気をつけてね」。

義母に見送られ、義実家をあとにする。

駅までの道には、いくつか、黒々と草木が茂った庭がある。

伸びきった木々の枝とそこに絡む蔦、

背の高い草が混然一体となって庭を覆いつくし、

道路にはみ出している。

「空き家なんだよ」と夫が言う。

義実家のまわりにも、空き家が着実に増えつつある。

世話をする人のいない庭では、草木が荒れ狂うように育っている。

まるで"野生化"だ。

人の手を離れた庭は、簡単にそうなってしまう。

 

義母が育てた庭を、我々、または義姉が受け継ぐのかはわからない。

ただ、"野生化"はさせたくないなと思う。

いったん義母の手を離れれば、それは簡単なことではないと、

容易に想像がつくけれど。

 

わたしは義母の庭が好きだ。

愛と慈しみを感じるから。

犬だって猫だって、そして庭だって。

愛され、よく世話をされている生き物を見るとき、

人は幸せな気持ちになるものだ。

 

次に義実家へ行くときは、もうトマトがなっているだろうか。

義母の庭とともに、わたしの結婚生活は、時を刻んでいく。

結婚に期待しすぎてはいけない

言葉とは、化石燃料のようなもの。

“資源”だと思う。

 

独立したばかりのころ。

わたしは、アルバイトをしていた。

今までになかったレベルの

経済不安定さに頭をガツンとやられたから。

というのも、もちろんある。

しかし、もうひとつ大きな理由があった。

それは、「言葉が頭から抜けてしまう」ことだった。

 

自宅でひとり仕事をするようになって、人と話す量が激減した。

当時は、仕事の量もたいして多くなかったので、なおさらである。

同時に、入ってくる「言葉」も激減した。

言葉の出入りがあるなんて、それまでは意識したことがなかった。

けれど、なくなってみるとわかる。

違う思考とボキャブラリーをもつ人間と会話をかわす。

それは、日々小さな“異文化”と出会うことであり、

言葉を交換し、お互い、自分の中になかった言葉を補給することにほかならない。

生物の死骸が長い時間をかけて蓄積され、化石燃料になるように、

取り入れた言葉は知らぬうちにプールされ、ボキャブラリーへと変わっているのだ。

 

そのうえ、わたしは仕事で言葉を扱う。

インプットはないのに、アウトプット過多。

今までたくわえた言葉が、自分の中から消えていく。

それははじめての感覚だった。

 

そこで、経済的不安と、言葉的不安を解消するため、接客業のアルバイトを始めた。

月に3~4回の派遣バイトだったが、

見知らぬ客と会話していると、みるみる「言葉」が入ってくるのを感じたものだ。

 

仕事が軌道に乗るにつれ、アルバイトをする暇もなくなり、

独立して1年で本業1本に。

打ち合わせなども増え、人と話すことは多少は増えた。

しかし、あのときの「言葉が抜けていく」恐怖感は忘れてはならないと思っている。

人に会い、本を読み、化石燃料を貯め続けなければならない。

 

夫と結婚が決まったとき、期待したのは、この「言葉の補充」だった。

何しろ、違う家庭で育った他人と、ひとつ屋根の下で暮らすのである。

日々、定期的に言葉が補充されるに違いない!

残念ながら、一緒に暮らし始めて2年もすると、その期待は裏切られた。

我々は似た者夫婦なこともあり、

次第に同質の文化、共通の言葉をもつようになっていったのである。

会話していて、思い出せないことがあっても、

「あれ」でたいていのことが通じてしまう。

あまりに同化しすぎると脳に刺激がなくなってボケそうなので、

なるべく「あれ」で済まさず、「思い出してはっきり言って」と促すようにしている。

コミュニケーションのストレスは限りなく低いが、

同時に摩擦による刺激も限りなく少ない。

言葉が抜けていくこともないけれど、補充されることもない。

 

家計を一にし、同化していくうちに、

2人の言葉の油田も、なんとなくつながってしまった。

夫婦でかわした言葉も知らず、天然資源となっているのかもしれないけれど、

それは微々たるものだなと思う。

 

夫婦はひとつ、だけど他人。

化石燃料の材料になるものは、個々でせっせと集め、

資源を守っていくしかない。

そして、同化に向かいがちな夫婦は、異化する努力も必要である*1

結婚は万能ではない。

そして、夫婦円満であればこそ、出てくる問題もある。

結婚生活で得た意外な気づきである。

 

*1:まったくタイプが違う2人の場合は、違った努力が必要になるのだろう、当然

いつもの料理が、急にみすぼらしく見えて

母の体調がすぐれないというので、週末、実家へ帰る。

食欲はあるという母のために、料理を作ることになった。

 

母はひとり暮らしになって4、5年経つが、

それまでずっと家族の食卓を支えてきた。

誰かのために料理を作りつづけてきた彼女は、

自分のためだけに作るミニマムな献立に、

いまだに戸惑っているように見える。

 

いい加減な料理を覚えると、のちのち楽かもしれないと思い、

我が家の人気料理、キャベツのごま塩鍋を作る。

 

レシピはこちらから。

hokuohkurashi.com

 

ざくざくキャベツを切れば、サクッと作れる簡単鍋だ。

夕飯には、帰省していた兄も同席した。

ふだん、2人用の料理に慣れているので、3人用となると勝手がわからない。

キャベツを1玉使いきり、水菜やらしいたけやらの野菜を入れてかさ増しをした。

 

「ほうら夕食だよ」と、鍋のふたを開けてみたものの、

実家のダイニングに置いてみると、それはひどくみすぼらしく見えた。

緑系野菜ばかりで彩りはなく、表面積の9割を占めるキャベツの切り方は乱雑だ。

母は「おいしい、おいしい」と食べてくれたが、

わたし自身は、いつもどおり「おいしい」と感じることができなかった。

 

家族とはいえ、兄も母も、生計は別だ。

それぞれに、暮らしがある。

兄は何事にもきちんとしている兄嫁の料理を毎日食べている。

母はこの食卓を、4、5年前まではさまざまな料理で彩ってきた。

いまは、「ずいぶんいい加減になったわ」と言っているが、

職場へ持っていくお弁当が、

「アスパラの肉巻きににんじんのグラッセ、ほうれんそうのお浸し。

毎日毎日一緒なのよ、恥ずかしい」と言っているので恐れ入る。

まったくもって、きちんとしているではないか。

 

かく言うわたしは、実家を離れて20年。

ひとり暮らしのいい加減料理から、

共働きの簡単料理へとグレードアップかダウンかわからない変遷を経て、

いまに至っている。

 

実家で作った「キャベツのごま塩鍋」を、

夫は「野菜もたっぷりとれるし、いいねえ、おいしい、おいしい」と

食べてくれる。

けれど、外に出すと、なんだか恥ずかしい。

 

「平服で」といわれたパーティー会場に、

ひとり、着古したジーンズとTシャツで行ってしまった気まずさ。

いや、お母さんの料理が大好きな子どもが、

「うちって毎日ごちそうが出るんだよ!」と自慢して友達を家に招き、

次に友達の家に遊びに行ったら、本物のごちそうが出てきた。

あっ、もやしと挽き肉のカレー炒め、わたしは大好きだけど、

よそではごちそうとは違うんだと悟る。

ごちそうって、鶏肉のソテーとか、こういう料理のことをいうんだ。

そんな恥ずかしさに近いかもしれない。

 

 

つまり、なまなましい暮らしの部分で、

夫は「内」の人間で、母と兄は「外」の人間なのだ。

そのことを身をもって感じたできごとだった。

 

自宅に戻り、忙しい平日、かろうじて肉を買い、キャベツをザクザク切って、

「キャベツのごま塩」を作る。

実家でこの料理を作ったとき、こんなことを感じたんだ、と夫に話す。

なんだかしょんぼりしちゃってねえ、と言うと、

「内」の人間であるところの夫は、

「ええっ、そうかなあ。だって、これ、おいしいよ」と

ニコニコしながら箸を進め、

「あっ、肉、これで終わりだったね……。食べちゃった」と申し訳なさそうにした。

 

それにしても、我が暮らしは「外」がなさ過ぎるのかもしれない。

人を招くこともないし、ごくまれに持ち寄りするときは、どこかでお惣菜を買っていく。

たまには「外」の風に当たらなければ。

実家での食卓を思い出すと、そんな必要性を感じるのだった。

片づけられない人間が見つけた限界片づけ術

この記事は、本当に、本当に、片づけられない人に向けて書いている。

もはや気力がない、どうしていいかわからない人に向けて書いている。

 

本当に片づけられない――というか、片づける気力がわかない人間にとって、

「どう取りかかるか」が最大の問題だ。

世の中には多くの片づけ本があふれているが、

この難問を解決してくれるものは少ない。

 

とはいえヒントがないわけではなく、

「台所からやりましょう」と書いてある本は多いのだが、

わたしの場合、台所ならできても、他の部屋は止まってしまう。

持続も波及もしない。

 

どうしたら気力がわくのだろう。

根性なし、と責めて気力がわくものではない。

精神論でシバいて改善できるポイントは、通り越している。

ちょっと自分でも病的だと思う。

でも、どうしていいかわからない。

 

夫は、「GOサインが出たら、バシバシやるよ」とは言ってくれるし、

実際動いてもくれるのだが、9割ぐらいはわたしのモノだ。

それを指示する気力もないし、

これは本当にタチが悪いと思うのだが、

いざ収納を考えるとなると、なぜだか自分の思うとおりにやりたいと思ってしまう。 

八方ふさがりだった。

 

そんなわたしが、いま、部屋の片づけに少しずつではあるが、取り組んでいる。

きっかけは、昨年の年末ぐらいからある方法を試したこと。

それは、「1日1つ、モノを捨てること」。

 

きっかけは、この本を読んだことだった。 

1日1つ、手放すだけ。好きなモノとスッキリ暮らす

1日1つ、手放すだけ。好きなモノとスッキリ暮らす

 

この本の基本はシンプルだ。

タイトル通り、1日1つ、たとえレシート1枚でもよいからモノを手放すこと。

そして、できれば手放したモノをスマートフォンなどで撮影すること。

「これだけのモノを捨てた」と記録、記憶し、充実感をもたらすためだ。

 

ひとつ断っておくと、 

書籍には、不用品をどう見つけるか、

捨てるか迷ったときの判断方法などのTipsも書いてあり、

わたしのような片づけヒエラルキーが下の下の人間でなくても、

ちゃんと参考になる内容となっている。

 

ともあれ、わたしは、「へえ」と思った。

これならできそう。

何しろ、レシート1枚でもよいのだ。

とてもじゃないけど、わたしの部屋は、「1日1捨て」でスッキリする状態じゃない。

けれど、やらないよりはマシだろう。

 

まず手が伸びたのは、明らかな不用品。

「いつか捨てたい、手放したい」と思いつつも、手をつけていなかったモノ。

ずーっと処分しなければと思っていたけれど、そのままになっていた欠けた皿。

ちょっと大きめの不燃ごみ袋をみつくろうのが、ついついめんどうくさかったのだ。

着ないけど、誰かに譲ろうか、売ろうかと思っていた服。

よくよく見たら、放置した数年の間に、虫くい穴が空いていた。

 

どれもこれも、1つだと難敵ではない。

時間も気力もそうそうかからなかった。

ただ、心のどこかで「一気にやらなければ」と思っていた。

と、「1日1捨て」をはじめて気がついた。

そのため、かえってめんどうに感じ、行動に移せなかった。

 

 

行動のハードルを下げるため、わたしは手放したモノの写真は撮らなかった。

 なんとなく、「今日は何を捨てよう」と1日1回考える。

しんどいときは、財布を開けて不要なレシートだけを捨てた。

それでも、「この仕事資料はいい加減古いな~」とチェックしているうち、

紙の束をまるごと捨てられる日もあるし、

同じ引き出しにずっと使っていない箸と箸置きがあったので、

まとめて捨てた、という日もある。

今日は調子がいいから、あれもこれも捨てちゃおうと、

2つ目、3つ目の不用品に手をつけることもある。

なにしろ、「めんどうくさい」で放置された、明らかな不用品はたくさんあった。

 

春先になると衣装ケースがひとつ空く、なんてことも出てきた。

そうすると、床に積み上げたままの本を、

ここに仮保管すればいいんじゃない? と思いつく。

何しろ今までは、部屋がカオスすぎて本棚を買い増しもできなかったのだ。

なので、こういった「救済措置」が取れることは、大きな光明だった。

 

「1日1捨て」には、思わぬ波及効果があった。

それは、「1日1つ、捨てるモノを考える」ことを通じ、

1日1回は、部屋の状態に目が向くようになったこと。

モノを捨てると同時に、

「今日、外出に使ったカバンをしまおう」

「文房具は仕事用引き出しへ戻そう」など、

1日1回は、部屋の状態をプチリセットするようになった。

 

わたしの部屋は散らかっているだけではなく、

「モノの住所がほとんど決まってない」

「押し入れは空なのに、床に衣装ケースが転がっている」と

とことん無秩序だったのだが、

プチリセットするとなると、それでは困る。

ゆっくりとではあるが、

「これは、置き場はどこがいいだろう」とひとつずつ考えられるようになった。

 

そうすると、むくむくとやる気がわいてきた。

手始めに、押し入れのサイズを測り直し、

ぴったりの収納ケースをえいやっと揃えた。

それは、この家に引っ越して以来、2年近く放置していた作業だった。

家中のあちこちに散らばった収納ケースに詰め込まれていた洋服が、

1か所にまとまった。

1日1回のプチリセットも楽になったし、

管理できる服の量も見えてきた。

 

もうひとつ大きかったのは、メンタル面への好影響だ。

「少しずつでも、わたしは部屋の状態をよくしようと動いている」事実は、

気持ちを実に楽にしてくれた。

何もできなかったときは、そのこと自体で気持ちがふさぎがちだった。

 

まだまだ、まともな部屋にはほど遠い。

悪い意味で、「私のお部屋、実はすごいんです」状態だ。

1日1捨ては続けているが、膠着状態に陥っている感は否めない。

少し忙しくなると、1日1回のプチリセットができないこともある。

それでも、「軽いタスクを、弱い出力で続ける効果」は実感済だ。

 いつか、本当のお部屋自慢ができるようになりたい。

そのために、微弱でも、ずっと動き続けていく。

 

よく「やる気が起きないときは、タスクを細分化しなさい」と聞く。

今回は、まさにその実践だと思う。

タスクを最小限に分割したところ、

負担が少なくなり、物事が進むようになったのだろう。

しかし、わたしたち片づけられない人間は、

どうやって「片づけ」を細分化したらいいのか、想像もつかない。

それを知らず実現してくれるのが、「1日1捨て」なのだと思う。

どうしても片づけられない。

どうしていいかわからない。

もう手がつけられない。

そんな悩みを抱えている人には、ぜひ試してもらいたい方法だ。

 

 

今週のお題「お部屋自慢」

母の人生

わたしは、ふつうになりたかった。

いまは、フリーランスで仕事をしていて、結婚していて。

自分なりの“ふつう”を手に入れたと、そんな気がしている。

 

わたしの母は、「父と結婚したのは失敗だった」とよく言っていた。

実際、そう思う。

父は悪人ではない。

まじめに働き、ギャンブルも浮気もすることがなかった。

ただ、独善的で、いまでいうモラハラ気味なところはあった。

なにより、母と父は相性が悪かった。

売り言葉に買い言葉、

お互いに発した言葉にカチンと来るのが、

子どもから見ていてもよくわかった。

 

そんなふたりが結婚したのは、見合いでもなく恋愛結婚。

「昔は24、25歳まで結婚しないと、

売れ残りのクリスマスケーキって言われたもんだよ」と、

これも母の言葉。

母の結婚は、たしか23歳かそこら。

父からの猛アタックを受けてのことだという。

とにかく“売れ残りのクリスマスケーキ”になる前に結婚したわけだ。

 

母の母、つまり、わたしから見た祖母は、変わった女性だった。

子どもを甘やかすことを是とし、

歯磨きを嫌がれば「むりやり磨かせるのはかわいそう」と放置した。

それで虫歯になってしまったと、母はよく嘆いていた。

娘時代に、母は、祖母はまちがっていると考えるようになった。

虫歯ができて、子どもが苦しむほうが、

何より永久歯が欠けるほうが、

「かわいそう」ではないのか。

 

祖母は子育てに関して頼りにならない。

義理の実家との折り合いも悪い。

父は子育てにノータッチ。

完全なる密室育児、ワンオペ育児。

母は大量の育児書を読み、ふたりの子どもを育てた。

 

夫婦仲が悪化の一方をたどり、母は働くようになった。

数年働くと、職場の人間関係に疲れて職場を変わることが何度かあった。

母は、職場でみんなに好かれている。

クセがあって嫌われている人にも、

母自身がよく思っていない人にも、「みんなに」。

話を聞くと、母は完璧な八方美人としてふるまっているようだ。

そして、数年に一度、そんな自分に疲れて辞めてしまう。

わたしはそんな風にはふるまえない。

器用な人なのだと思う。

 

その後、父と母は離婚した。

 

娘であるわたしは、大人になって思う。

母はわたしよりもずっと苛烈に、

「ふつうになりたい」と思っていたのではないか。

短大を出て、一般職につき、

24歳を迎える前に結婚し、

2人の子どもを産み、

家を買い、

祖母のような母にはなるまいと

子どものしつけに注意し、

家のなかはきちんとし、

料理は手づくりした。

 

当時の“ふつう”は、いまよりもっとずっと強固だった。

そして、母はその強固な“ふつう”に、全力で順応した。

職場で究極の八方美人として振る舞うのと同じように、

時代の、世間の要請にも応えたのではないか。

母にはそのポテンシャルがあったし、意志の強さも備えていた。

 

母は本来、もっとエキセントリックな人なのではないか。

若いころは、ベリーショートにし、

服の色柄はシンプルに、しかし形は奇抜なものを好んだという母。

風と共に去りぬ」のタラに憧れたという母。

わたしが幼いころ、ホラーやスプラッタ映画に熱中していた母。

犬でも猫でも大きな種が好きな母。

海が異常に好きな母。

人の愛情を疑いがちな母。

 

母はほんとうは、どんな人間なのだろう。

わたしと同じ年代に生きていたら、何をしただろう。

やはり、この時代なりの“ふつう”を目指し、順応したのだろうか。

 

ひとりの大人として向き合うほどに、

母のことはわからなくなっていく。

ましてや、 わたしも老い、母も老いて変わっていく。

ただ、母が手に入れた“ふつう”は、母の猛烈な努力によるものではないか。

わたしはその恩恵を受けてきたのではないか。

その確信だけが強まっていく。

 

母は、自分の“ふつう”を、子どもたちには強制しなかった。

新時代を、子どもに生きてほしかったのか。

愛のたまものなのか。

よくわからない。

しかし、それは本当に、文字どおり、有り難いことだった。

 

育てて愛してくれたことと、

そのことに、感謝している。

ありがとう。

 

今週のお題「おかあさん」