平凡

平凡

自由に書く、しばられて書く

なんだかんだ、このブログをはじめてから1年半ほどが経過した。

更新間隔が1か月に1回という時期もあったので、

「続けている!」と実感があるわけではない。

それでも、はじめたころの記事は、すでに内容を忘れていたりして、

ああ、それなりに持続したのだなという気持ちになる。

(読めば思い出すが)

 

本数をこなそうとは思っていないし、

更新頻度も決めてはいないのだが、

実際に書いてみての実感として、

更新頻度を高くする、または一定に保つのは、そうとう難しい。

 

そういうことをやりたいかは別にして、

短期間で100記事書きました! なんて人を見ると、

すごいなと思う。

ひとつひとつの記事が内容が薄かったとしても、

完結させた何かを作るのはそれなりに労力がいる。

それを、100本ノックしているわけだ。

 

ところで、事情あって、わたしは制約のある文章を書くことに慣れている。

縛りの中ではそこそこ上手くまとめる自信はあるが、

反面、縛りの外へ出ることが、すっかり苦手になっていた。

ネット上の文章、とくにブログを読んでいると、

容れ物に自分をいれたことがないからこその

飛び跳ねるような自由な表現、飛躍、いきいきとした文章に出会うことがある。

うらやましく、まぶしく思う。

 

ただし、何度か書いているが、わたしは仕事にせよ文章にせよ、

縛りがあるのは悪いことではないと思っている。

制約のある中で、クオリティを高めるのは楽しい。

また、型にはめても、どうしようもなくにじむ個性も、確実にある。

自分を黒子にすることで、何かの魅力を伝えられることもある。


 http://hei-bon.hatenablog.com/entry/2016/03/10/180000

「縛り」と「自由」について書いた記事。


しかし、いちばんの理想は、

制約があることも、自由なことも楽しめることではないのか。

制約があるときはきっちりとそれを守り、そこにやりがいを感じる。

自由に書くときは、枷を外して、

型にはめていたときとは違った発想、表現を使って書く。

両方を行き来できたらいい。

一定期間、ブログを書き続けたことで、

そう思うようになった。

 

世間の多くの人が、

「制約があるのはかわいそう、本意ではないこと」

「自由は善」と漠然と思っているのと鏡合わせで、

わたしは「制約があるのは善」「自由は悪ではないにしても、自分には必要がない」と

思い込んでいたのかもしれない。

 

最近、ブログを書くのが楽になった。

頭の中にあるテーマを、外にアウトプットすることに慣れたのだろう。

縛りの外へ出られているとは思わないが、

「自由に書く」ということ自体に、すこし慣れてきたのだろう。

 

世の中には、いろいろなブログを書いている人がいる。

ティップスを与えてくれるもの、

読んだ本について書いているもの、

日記や雑記、

学習について、

プログラミングについて、

アフィリエイト至上主義、

有名無名いろいろあるけれど、ひとまず、

どんなことでも書けるというのは、すばらしいことだ。

中身のない記事があったとして、

それが発表され得ることは豊かだと思う。

もっとも、検索結果が無駄な情報で溢れるのは問題であるが。


わたしのブログも、その豊かさの中でこそ、存在し得ている。

このブログのような内容を、世の中に発する意味があるのかと思うこともあるが、

すくなくともわたしのなかでは、「自由に書くこと」に対しての、変化があった。

書くことに限らないが、自由に振る舞うにも、それなりに慣れと技術がいるのだと思う。

そのことに気が付けただけでも、わたしにとって、このブログは意味がある。

 

また、たいへんに個人的な内容にも関わらず、

アクセスがあり、読んでくださる方がいる。

これは、すごいことで、ありがたいことだと思う。

そのすごさ、ありがたさは、数の多寡は関係がないの。

これもやってみて、感じたことだ。

 

これからも、明日には忘れてしまいそうな日常の出来事を、

あまり何も考えず、綴って行こう。

そうすることで、自分なりの自由を獲得していけたらいいと思っている。

「けものフレンズ」と時代

最初に断っておくが、この文章ではアニメ「けものフレンズ」の結末にふれている。

 

終了からもうすぐ3か月以上たとうとしているが、

2017年冬アニメでは、夫婦そろって「けものフレンズ」を毎週楽しみにしていた。

 

けものフレンズ」の舞台は、美少女化した動物たちが暮らす「ジャパリパーク」。

作中では、美少女化した動物のことを、「フレンズ」と呼ぶ。

物語は、「さばんなちほー」に住むサーバルキャットのフレンズ(サーバルちゃん)が、

謎の少女と出会うところからはじまる。

その少女は、とんがった耳もないし、羽もない。

何の「フレンズ」か皆目わからない……。

かばんを背負っているため、「かばんちゃん」と呼ばれることになった彼女は、

自分がどんなフレンズかを知るために、「としょかん」を目指すことになる。

 

最初は、「また美少女化ものかよー」と思った。

しかも、「けものフレンズ」には、先行するソーシャルゲームが存在する。

わたしの認識だと、ソーシャルゲーム原作で、大ヒットしたアニメはそう多くない。

そして、そのソーシャルゲームはすでにサービス終了しているのだ。

いろんな意味で、あまり注目していなかった。

 わたしの油断した視聴態度は、1話ラストから揺らぐことになる。

サーバルちゃんとかばんちゃんが歩いていくと、

あきらかに、人の手による看板やパンフレットが出てくるのだ。

かばんちゃんは透明な箱に入ったパンフレットを見つけ、蓋を開け、手に取るが、

サーバルちゃんは「なにそれなにそれ、どうやったの?」と驚く。

サーバルちゃんには、パンフレットが、目にすら入っていなかったのだ。

 

ここで、3つのことが示唆される。

 

ひとつめは、「ジャパリパーク」は人に手によって作られた、

サファリパークのような場所である。しかし、遺棄されている可能性が高いこと。

 

ふたつめは、かばんちゃんはおそらく人であろうということ。

 

みっつめは、この作品は、サーバルちゃんをはじめ「フレンズ」を、

たんに「人が動物のコスプレをした」キャラクターではなく、

「動物が美少女化した、動物の特徴を色濃く残す存在」

として描こうとしているということ。

 

ひとつめの、遺棄された施設であるという部分は、

「人間は、世界はどうなっているのか?」 という疑問を呼び起こす。

一見ほのぼのと始まった作品だが、いずれは世界の残酷さが暴かれるのか?

それとも、このまま、平和路線で行くのか?

そういった、今後の展開に関する興味を喚起し、続きを見たくさせる設定である。

 

そして、ふたつめとみっつめ、人としてのかばんちゃんと、

動物としてのフレンズの明確な違いは、作品全体を貫く大きな柱となる。

人であるかばんちゃんは、運動能力も低く、弱い。

しかし、道具や火を扱うことができ、文字も読める。

一方、フレンズはそれぞれが違った身体能力をもっている。

朱鷺のフレンズは飛べるし、

アルパカのフレンズは高山をものともせずのぼることができる。

かばんちゃんの知恵と、それぞれのフレンズの特徴で、

さまざまな難局や困ったことを切り抜けていく。

 

みんなそれぞれ得意なことは異なるけれど、誰もそれを否定しない。

顕著なのはサーバルちゃんだ。

身体能力の低さに自信をなくすかばんちゃんに、

「平気、平気、フレンズによって、得意なことは違うから!」

「でも、かばんちゃんは、すっごい頑張り屋だから」と言う。

それは励ますというより、

何かをあるがままを受容し、決して否定しない場合において、

自然に出る言葉、といったほうが正しい。

道中で出会う、違った動物の思考や行動に、

サーバルちゃんは「ええー!」と驚くことはあっても、それを否定しはしない。

 

この、「違う存在が、得意なことで協力しあう」という

基本軸に厚みをもたせているのが、描写の丁寧さだ。

たとえば、かばんちゃんが文字を読んだとき、サーバルちゃんは、

「かばんちゃん、突然何を言い出すの⁉」と驚く。

サーバルちゃんは、文字というものの存在時代を知らない。

だから、かばんちゃんが何をしたのかが理解できないのだ。

これは、非常に丁寧な台詞まわしだと思った。

わたしだったら、「かばんちゃん、文字が読めるの⁉」と言わせてしまいそうだ。

こうした描写の積み重ねで、それぞれの違いを際立てているからこそ、

彼女たちの「共生」「協力」を見たときの喜びが、より強く感じられる。

 

みんなの「違い」を際立てながら、誰もそれを否定しないというのも作品の特徴だ。

顕著なのはサーバルちゃんだ。

身体能力の低さに自信をなくすかばんちゃんに、

「平気、平気、フレンズによって、得意なことは違うから!」

「でも、かばんちゃんは、すっごい頑張り屋だから」と言う。

それは励ますというより、

何かをあるがままを受容し、決して否定しない場合において、

自然に出る言葉、といったほうが正しい。

道中で出会う、違った動物の思考や行動に、

サーバルちゃんは「ええー!」と驚くことはあっても、それを否定しはしない。

 

多種多様なもの同士の、共生と受容の可能性を示しつつも、

常に滅びの気配をまといながら、物語は進んでいく。

11話、つまり、最終回の手前では、「ジャパリパーク」に危機が訪れる。

悲しい終わりになるのかと思いきや、12話では大団円。

彼女たちは協力し、誰ひとり欠けることなく、危機を切り抜ける。

かばんちゃんは新しい土地へと旅立つが、

サーバルちゃんは、それを追いかける。

世界は不穏なままだが、物語はどこまでもやさしく締めくくられた。

わたしは心底ほっとしたし、ネットにも、そういった声があふれていた。

 

その一方で、こんなにもやさしい終結を、

これほどまでに喜んでいる自分に、

少々驚きを禁じえなかった。

 

たとえば、20年前ぐらいだったら。

この終わり方を、「手ぬるい」と評した気がする。

(時代の目安として1タイトルを挙げるとすると、

新世紀エヴァンゲリオン」が大ヒットしたのは21年前のことだ)

 

10年前だったらどうだろう。

やはり、「いいけど、もうちょっとひねりがあっても……」

などとのたまった気がする。

(やひり目安として、乱暴に1タイトルを挙げると、

涼宮ハルヒの憂鬱」のオンエアは、11年前である)

 

もちろん、これは作品がすぐれているからでもある。

いたずらに暗い結末や、落差をつけなくても満足がいくぐらい、

キャラクターの描写やエピソードの積み重ねがあり、

作品に「強さ」があった。

 

ただ、以前の自分だったら、この作品の「強さ」に気づけただろうか。

この「強さ」を、物語に通底する「やさしさ」「受容」を、

今ほどよきものとして、喜び、尊べただろうか。

ことわたしに関していえば、「否」だと思う。

 

自分は思った以上に、疲れている。

深まる対立と格差、非寛容、

そんなものに。

受容の難しさを、日々感じているからこそ、

サーバルちゃんやかばんちゃんの行動が心に刺さるのだ。

けものフレンズ」への感動と表裏一体で、

そのことに気がついたのだった。

違うものを受容し、共に生きる難しさを日々感じているからこそ、

サーバルちゃんやかばんちゃんの行動が心に刺さるのだ。

 

作品と時代は切り離せないが、

かといって、作品を通して時代を語ることは、

あまりにも乱暴だと、わたしは思っている。

ただ、「けものフレンズ」に関していえば、

作品に夢中になっている自分のなかに、

わたしにとっての時代を発見したのだった。

タイトルでは「『けものフレンズ』と時代」と大上段に

ぶってしまったが、ここでの“時代”は、

あくまでわたしが見ている主観的なものであることを断っておく。

 

「『けものフレンズ』よかったなあ」と思うたび、

わたしはわたしの主観がとらえている、社会と自分自身のドロドロに愕然とする。

一方で、だからこそ、この作品があってくれてよかった、とも思える。

サーバルちゃんとかばんちゃんの旅には、

現代を「多様化と断絶の時代」ととらえる者が、

今後どうふるまっていくかについて、

ヒントがたくさん含まれている。

わたしにとって「けものフレンズ」はそんな作品である。

眠れる自転車乗りたちの言い訳探しは続く

わたしたち夫婦の共通の趣味のひとつ、それがサイクリングだ。

わたしはクロスバイク、夫はロードバイクを所有している。

当然、2台の自転車は室内保管。

昨年の引っ越しに際しては、

保管場所が確保できる間取り・広さも条件となった。

 

生活スペースにそれなりのリソースを割いているにも関わらず、

昨年、自転車に乗ったのは何回だろうか。

わたしはたまに、仕事での移動手段として乗っているが、

その機会も住居が都心から離れて、激減した。

平日ライドが難しい夫は、年間、片手で数えられるぐらいしか乗らない。

 

自転車は、我々夫婦の出会いの一端も担っている。

ふたりとも、自転車を買ったときはまだ独り身で、

お互いのこともほとんど知らず、別々の場所、

別々のスタイルで、自転車に乗りまくっていた。

ふたりで付き合うようになったらもっと乗るのかと思いきや、

映画だイベントだとやりたいことがたくさんあって、

めったに乗らなくなったのは意外だった。

 

わたしのクロスバイクはともかく、

夫のロードバイクは盗難が心配なため、

長時間駐輪して何かをすることは難しく、

休日にやれることが限られてくる、というのもひとつの要因だ。

 

そして、一度乗らなくなってしまうと、

乗る前に空気を入れて、自転車を外に出して、

帰ってきたらタイヤをふいて家に入れて……

ああ、出かける前には、サイクルジャージ着て、

ヘルメットとグローブつけて、サングラスもかけなくちゃ……

というのがとてつもなくめんどうくさくなってしまうのだった。

 

それに、春は花粉、初夏は梅雨、

夏は夏バテ、にわか雨の心配もあり、

冬は末端の冷えと、

自転車に快適に乗れるシーズンは案外限られている。

「乗らない」言い訳には事欠かない。

 

それでも、ふたりとも自転車を手放そうとは思わない。

自分の脚の力がペダルに伝わり、

スイスイと信じられないスピードで長距離を走る、

あの気持ちよさを知っているからだ。

 

乗れば、「なんで今まで億劫になっていたんだろう。

こんなに気持ちよいのに」と思う。

それはわかっている。

だから、「乗らない」言い訳と同じぐらい、ほんとうは、

「乗る」言い訳もさがしているのが、

我々“休眠自転車乗り”なのだと思う。

 

梅雨の晴れ間なんて、その言い訳に最適ではないか。

だから、「晴れたらやりたいこと」は、サイクリングだ。

雨が止んだし、まだ夏ほど暑くないし、

このあたりには緑が気持ちいい場所がたくさんあるし。

休日晴れたら今度こそ、そんな“乗るための言い訳”を並べ、自転車で出発したい。

そう思っている。

 

今週のお題「晴れたらやりたいこと」

黄金の休日、黄金の長野・野沢温泉 その2

野沢温泉2日目。

朝は早めに起きて、宿から近い上寺湯へ。

熊の手洗湯と、泉質は似ている。

源泉が同じなのかもしれない。

熱めのお湯で目が覚めた。

……とはいえ、朝食後、ひと眠りしてからチェックアウト。

 

2日目は、

駅でもらったいくつかのパンフレットから検討した結果、

飯山駅で遊ぶことにした。

飯山駅では、駅構内にある「信越自然郷アクティビティセンター」で自転車を借りる。

信越自然郷アクティビティセンター|飯山駅観光交流センター

店がその辺に自転車を置きまくっているため、

レンタサイクルがあることは、駅を降りればすぐわかる。

ロードバイククロスバイクもあったけれど、

体力に自信がないので、電動アシストタイプをチョイス。

半日(4時間)1000円/1台、だったと思う。

我々の共通の趣味には、スポーツ自転車があったはずなのに、

どうしてこうなった。

 

アクティビティセンターでは荷物を預かってもらえた。

そのうえ、スタッフの方におすすめランチスポットを丁寧に教えてもらったり、

ゴールデンウィーク特典で「道の駅」のソフトクリーム無料券をもらえたり、

レンタサイクル以外にもすっかりお世話になった。

 

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自転車はよく整備されていて、ピカピカ!

 

目指すは「道の駅 花の駅 千曲川」だ。

走り出すと、アシストがぐーいぐいと後ろを押してくれて、楽ちんだ。


駅前通りを抜けると、通称「仏壇通り」へ。

知らずに通りかかっても、「ここは何?」と気づくくらい、

通りには仏壇店、仏壇店、仏壇店。

なんでもお寺が多い土地柄から、仏壇店が集中。

今もかなりの全国シェアを誇るという。

観光パンフレットには、

「仏壇店の技術が気になったら店に入ってみましょう」と

書いてあるけれど、これ、店にとっては迷惑なのでは……。

 

へええ、などと言っているうち、

お昼を食べる予定のあたご亭に到着。

www.iiyama-ouendan.net

 

お目当ては、飯山が誇るブランド豚「みゆきポーク」を使った豚丼だ。

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見よ! この迫力! たしか800円くらい。

 

「みゆきポーク」は、さっぱりと上品な味わい。

くさみや脂っこさがなく、噛むほどに豚の旨味か広がる。

見た目ほど重くなく、ふたりとも美味しく完食。

お店のスタッフさんが、

「どこからいらしたんですか?」

「楽しんでくださいね」などと話しかけてくれて、

なんだかうれしかった。

 

途中、千曲川沿いに出ると、沿道には、山をバックに桜と菜の花が咲き誇る。

 

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風が吹くと桜吹雪までが舞い始め、「アニメの1シーンみたい!」
「オープニングとかでありそう!」とはしゃぎながら走り抜けた。

 

楽しく走って、「道の駅 花の駅 千曲川」に到着。

道の駅は、地元の人で大混雑!

まずは、アクティビティセンターで無料券をもらったソフトクリームを。

こちらも長蛇の列だが、手際がよく、サクサクと進んでストレスなし。

私は「スノーキャット」、夫は「シナノスイート」を注文。

どちらも、香料だけではない、素材の味がきっちりする。

美味しいうえに、ここでしか食べられない(おそらく)味。ワンダフル!

 

野菜売り場では、安い! 東京では見ないものが売っている! とあって、
夫婦でテンション上がる。あれもこれもほしくなってしまう。

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にぎわう売り場。在庫チェックに来た農家さんもいて、とにかく活気があった。

 

「雪下ニンジン」のコーナー前では、地元の人達が

「雪下ニンジン、ニンジン嫌いのウチの子が食べたのよ~」

「フルーツみたいよねえ~」と会話をかわし、

そのうえ、試食が置いてあった。

ニンジン嫌いの夫も、

このダイレクトマーケティングぶりに心を動かした。

ためしにひとつ口に入れて、

「おいしいいいい」と目を輝かせている。

夫いわく、「ニンジンの土臭さがぜんぜんない」とのこと。

購入決定。

 

また、「とうたちな」というはじめて見る野菜もあった。

野沢菜、大根(葉の部分)などの野菜が育ち過ぎた状態を言うらしい。

ネットで調べても情報が少ないが、

ゆがけば青菜と同じように食べられることがわかった。

ためしに野沢菜のとうたちなを買ってみた。

家に帰っておひたしとシンプルな炒め物にすると、これが美味しいのなんの。

さわやかななかに、本当にわずかな苦みがあり、まさに春の味わいだった。

 

野菜とお土産を買いこみ、今度は「菜の花まつり」会場へ。

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「菜の花まつり」会場は、とにかく一面の菜の花が咲いているのだ……。

 

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除草のための山羊もいて、のどかな雰囲気。

 

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子どもの日が近かったため、鯉のぼりが。

 

ここまでで、自転車のレンタル残り時間は1時間半ほど。

余裕で飯山駅に着くはずが、道を間違えてしまい、途中、あせって帳尻を合わせた。

電動自転車で本当によかった。

総走行距離は15キロぐらいだと思う。

 

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「道の駅 花の駅」へ、基本的には千曲川沿いを移動する。

 

自転車を返してから、飯山駅の「パノラマテラス」でしばらく仕事をして、

駅構内の立ち食い蕎麦屋で蕎麦を食べて新幹線に。

 

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野沢菜わさび昆布」を注文。

やはり蕎麦どころゆえか、立ち食い蕎麦も美味しい気がする。

また、便宜上「立ち食い」と書いたが、座って食べられる。

 

野沢温泉のように外湯がたくさんあると、

「何もしない贅沢」というほどはぼんやりとはせず、

ほどよくアクティブに温泉を楽しみ、

のんびりすることができる。よい場所だなと思う。

 

野沢温泉には、1月に豪快な火祭りがある。

野沢温泉の道祖神祭り : 北信州野沢温泉 観光協会オフィシャルウェブサイト

それに合わせてリピートするのもオツだな~などと思いつつ、

温泉あり、サイクリングあり、花あり、はじめての野菜との出会いありの

旅が幕を閉じたのだった。

黄金の休日、黄金の長野・野沢温泉 その1

梅雨でくさくさするので、
今さらだがゴールデンウィークの話を。

ゴールデンウィーク、我が家は長野・野沢温泉へ。
黄金週間は価格も黄金が常ではあるけれど、
なんと価格がふだんと変わらない宿を夫が見つけてくれた。
1泊2食付き8000円台。*1
これは行くしかない。

7時台の新幹線に乗り込み、長野・北陸新幹線で東京駅から2時間弱。
飯山駅で降りたら、野沢温泉への直通バス(600円)で約30分。
11時前には我々は、野沢温泉郷に到着していたのであった。


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まだ桜が咲いていた。用水が至るところで勢いよく流れ、その音が風情を増していた。


野沢温泉は、徒歩で回れる範囲に、13の外湯がある。
外湯の紹介 : 北信州野沢温泉 観光協会オフィシャルウェブサイト


外湯の多くは源泉が違い、泉質や水色が異なることも多い。
外湯はシンプルな小屋型で、脱衣場と浴槽に隔たりがないことがほとんど。
浴室に水道と桶はあるが、基本的には体を洗うような雰囲気ではない。
外湯の管理は、村の住民の方がされている。
我々観光客は、それを使わせていただくというわけだ。
外湯には寄進箱が置かれているが、
宿のスタッフさんいわく、宿泊客は気にしなくてよいとのこと。

浴衣で街をぶらぶら歩き、
温泉にドボンと入り、
ジュースを飲んでひと休み。
温泉饅頭、ソフトクリームなんかを食べて、
また次の外湯でドボン。
温泉のTDLとでもいうべき場所なのだ。

まず、宿に荷物を置かせてもらい、街をふらつくことにした。
チェックイン前なので、残念ながら浴衣というわけにはいかない。
宿のもよりの「熊の手洗湯」にドボン。
ここは透明の湯だ。
あつ湯とぬる湯に分かれているが、ぬる湯でもけっこう熱い。
「熊の手洗い湯」外観は撮影し忘れていたので、
かわりに近所の宿にあった、熊さんを。
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お尻。


熱めのお湯でさっぱりポン。

腹が減ったので蕎麦屋へ入る。
ふらりと入ったのは、「ぼくち蕎麦かごや」。
[食べログ]アクセスが制限されています


ぼくち蕎麦とは、山菜の一種「オヤマボク」の葉をつなぎに使った蕎麦のこと。
特徴は、コシが強さだそうだ。
長野の一部地域の名産なのだろうか。
以前、湯田中温泉でも食べたことがある。

食事メニューはざるそばのみ。
潔い。
価格は800円程度だったか。
店の子どもであろう、小学校低学年ぐらいの男の子と
幼稚園児くらいのその妹が注文を取りに来てかわいかった。

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ツルツルしてコシがあって、噛むほどそばの実の風味が広がっておいしい!

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客席の隅っこに、お惣菜と漬物が置いてあり、自由に食べることができる。
写真の鍋には、こんにゃくと大根の煮物が入っていた。これまた美味しかった。
お座敷でくつろげるのも、湯上りでぐったりしているときにはうれしい。


ふたたび街歩きに戻る。
温泉街には、「麻釜(おがま)」という場所がある。
たいへん高温な源泉がわきだしており、
地元の人は、ここでの野沢菜をゆでたり、温泉卵を作ったりする。

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野沢菜をゆでたりするのは、だいたい朝らしい。
次の日の朝、通りかかったらゆでている方がいた。


さあ、どんどん外湯へ入っていきましょう。

とはいえ、ここは前を通っただけ。
「麻釜の湯」は、とても熱い湯だとのこと。
野沢温泉の湯はどこもかなり熱め。
そこで「熱め」と言われるとは、どんな熱さなのか。
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温泉街の中心にある大湯。
風情ある外観。
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内側も天井高くてすてきだった。
ここはとくに湯温が高かった。
ぬる湯とあつ湯にわかれており、
ぬる湯で慣らしたので大丈夫だろうとあつ湯に足を入れたら、
ヒリヒリしたのですぐに水で冷やした。
あれはヤバい。


外湯めぐりには「集印帳」があり、
全部「印」を集めると、何かがもられるらしい。
そのため、各外湯にはこういった「印」が設置されている。
紙を上に置き、すりこぎのようなものでゴリゴリやることで絵を写す。
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外湯の外には、たいてい、
温泉卵を作ることができるボックスが設置されている。
「20分」など、ゆで時間の目安が書いてある。
我々はやらなかったが、大人数で行ったら、
お土産物屋で卵を買ってやるのも一興だと思う。


空模様が怪しくなると同時に、気温が下がる。
そのうちポツポツ来たので、カフェ「サンアントン」に入る。
[食べログ]アクセスが制限されています

ここは、「ハウスサンアントン」という
おしゃれな宿が経営しているジェラート&ジャムのお店。
最初はコーヒーだけと思っていた。
が、ジェラートの試食をすすめられて食べたら、
……んんんんまーい! となったので、ジェラートも頼む。
正直、「温泉街によくある、オシャレなジャム屋でしょう? お土産用のやつ」とナメていた。
先入観でモノを見てはいけない。
ここはぜひ行ってほしい。


「菜の花」と「ストロベリー」のハーフ&ハーフ。
季節のフレーバー「菜の花」がさわやかでとくに気に入った。
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あまりにも気に入ったので、次の日、温泉街をあとにする直前も行った。
こちらは「菜の花」と「ゴールデンピーチ」。
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写真は撮影していないが、この後、松葉の湯にも入った。
ここは湯の色が水色がかっていて、湯温も穏やか。
そのため湯船もひとつ。
ここもいい場所だった。


そろそろチェックイン時間なので、宿へ向かう。
坂を上ったり下ったり、レトロな外観の外湯があったり、
路地がくねくねしていたり。
温泉街の探索が楽しいのも、野沢温泉の魅力だと思った。
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ただ、熱い湯が苦手な人には、あまりおすすめできないかもしれない。
かくいうわたしもそれほど熱い湯が得意、というわけでもないけれど。


お宿にチェックイン。
安さを取っているので、お部屋はコンパクト。
トイレと洗面所は共同。
清潔なので問題ない。
内湯は源泉かけ流しで気持ちよい。
浴場の外に、ソファに腰掛け、
ハンドルを回すタイプの古いマッサージ機があり、自由に使えた。
家電量販店で試す、最新機より気持ちよくてびっくり。
肩甲骨のあたりを、ジャストにゴリゴリしてくれる。
我々が求めているのは、案外シンプルなのでは? と思わせられる。

シンプルなほうがよい……といえば、宿の夕食。
悪くはないけれど、刺身もあれば肉もある、典型的な旅館料理。
宿の外にも食事処はけっこうあるので、
次にこの予算で野沢温泉に宿泊するなら素泊まりしたい。
自然豊かな地方のご家庭にお邪魔すると、
「いつも家で食べているものなんですけど」と
おっしゃって出してくださるものが、
めっぽう美味しいことがある。
もちろん、謙遜もあるだろうけれど。
地のものを使った家庭料理が、
外部の人間にとってはいちばんのご馳走ではと思いつつ、
温泉効果でこの日はぐっすりと眠りに落ちたのだった。

2日目に続く。

*1:夫が聞き及んできた話によると、スキーシーズンがメインの宿は、そこが稼ぎどきなので、ゴールデンウィークに値段が変わらないこともたびたびあると。しかし、以前、雪が残る奥日光に旅行したときはガッツリゴールデンウィーク価格だった。真偽は不明

小さな継承

わたしは歌うのが好きだ。

と書くと、「歌が上手い」と連想する向きもあろうが、

事実はむしろ反対である。

下手の横好き。

つまり、わたしはいわゆる音痴なのだ。

謙遜で言うようなかわいいものではない。

本気の本気、今様に言うなら“ガチ”である。

 

さらに、わたしには、親しい間柄の相手には、

作詞作曲・オリジナルソングを歌うという悪癖もある。

作詞作曲といっても複雑なものではない。

そのときどきに見たものや感じたことを、

呪われそうな節回しで歌うというだけである。

 

そういえば、このエントリーに書いた「家飲み」の次の日、

二日酔いに倒れた友人には、

「いま、本当に気分が悪いから、頼むからいまだけは歌わないで!」

と釘を刺されたのであった。

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「二日酔いのときに聞かされたら、もっと気分が悪くなる歌」

といえば、ご想像いただけるのではないだろうか。

 

そんな即興ソングのひとつに、「くじこの歌」がある。

これは幼いころに歌っていたものだ。

何かの抽選で、大きなくじらのぬいぐるみが当たり、

わたしは「くじこ」と名前をつけた。

「くじこの歌」は、その愛らしさを歌ったもので、

「あ~↑あ↓ か~わいい、くじっ↑こ↓ くじ↑っこ↓」

と繰り返すだけのシンプルなものであった。

 

そんなこと、ずいぶん長い間忘れていたのだが、

夫とまだ恋人だったころ、

「昔、こんな歌を歌っていたんだよー」と「くじこの歌」を披露した。

夫はおおいに笑い、

「あ~↑あ↓ か~かわいい、くじっ↑こ↓ くじ↑っこ↓」と、

元曲のおかしな節回しを見事に再現して歌った。

夫はわたしよりも音楽を聞き分ける耳にすぐれ、歌もうまいのだ。

しばらくはふたりで「くじっ↑こ↓ くじ↑っこ↓」と歌っていたのだ、

やがてはブームが過ぎ去った。


そして、数年後。

 

最近、夫が皿洗いをしながら、

「くじっ↑こ↓ くじ↑っこ↓」と歌っているではないか。

「よく覚えているね」と言うと、

夫は皿洗いの手を休めず、

「『くじこの歌』だよね」とだけ答えてふふふと笑った。

 

夫が自発的に歌い出した「くじこの歌」を聞いて、

わたしはなんとも不思議な気持ちになった。

子どものころ、家族の前だけで歌った、下手くそで、おかしな歌。

家族の記憶に埋もれて、やがて消えるはずだった戯れだ。

それを、時を経て、赤の他人である夫が歌っている。

これは、とてもとても小さな、

文化、あるいは記憶の継承ではないだろうか。

 

年齢を重ねて思うのは、

身の回りの記憶や家族の歴史は、意識をして記録しないと、

消えていってしまうということだ。*1

家族の小さな思い出や、皆で営んだ暮らしの細部。

そういったものは、消えても、生きることに差しつかえはない。

ただ、過去の細かなエピソードは、自分を形作る一片でもある。

そして、年々、歳月が過ぎ去るスピードは速くなり、忘却は加速度的に進んでいく。

若かったころは「こんなことはきっと忘れないだろう」と思っていたことも、

あっという間に忘れてしまう。

昔のちょっとしたメモや写真、誰かの思い出話に刺激され、

忘れたことさえも忘れていることに気づくと、

足元がグラグラするような感覚に見舞われる。

わたしは記憶力がよいほうではなく、

子ども時代のことなど、もはや幻のように感じられる。

 

もうひとつ、親の死を多少なりとも意識する年齢になって思うのは、

父母の記憶は、今、聞き出しておかないと、永久に消えてしまうということだ。

たとえば、祖父母は父母から見てどんな親だったのか。

未来にどんな期待を抱いていたのか。

あるいは抱かなかったのか。

子育て時の心境についても、大人になった今なら聞き出せるかもしれない。

これもまた、人知れず朽ちても、まったく問題がない。

しかし、わたしのなかには、父母の一個人としての歴史を

もっと知っておきたい欲求がある。

 

「くじこの歌」は、些末なことだが、

やはりそういった「記憶しておきたい記憶」につながっている。

わたしと夫は年齢もそう変わらないので、

長く語り伝えるわけではないだろう。

子どもに恵まれるかどうかもわからない。*2

ただ、些末だからこそ、

世界からすれば、溢れるゴミのひとつに過ぎない記憶だからこそ、

自分や実家の家族以外のメンバーがシェアしていることに驚きを禁じ得ないのだ。

 

我々がシェアするのは、もちろん、「くじこの歌」だけではない。

夫が幼いころ、ラーメンの湯をかぶってしまって大やけどをしかけたこと。

その昔、義実家が、一家総出でミルクセーキにハマったこと。

義母が生まれ育った故郷での暮らしの話。

夫とわたしが出会う前に亡くなってしまった義父のこと。

同じく、わたしが会ったことのない、夫が昔飼っていた猫のこと。

 

わたしも、夫の記憶の継承者であるのだ。

それも不思議なことだと思う。

わたしたちは雑談のなかで、記憶を交換し続け、シェアし続けている。

結婚すること、家族が増えること、新たな世帯をもつこと。

その機能のひとつに、記憶のシェアと継承がある。

(少なくとも、わたしにとっては、そう感じられる)

わたしの悪癖から生じた「くじこの歌」は、

その機能に気づかせてくれたのだった。

 *3

 

 

 

 

*1:家族のこと意外でも、なんてことない住宅街などの街並みの変化は意外と写真に残っていなかったりする。また、インターネット初期に見られたホームページやその文化は、サービス終了でガンガン消えていっている。当たり前のものは、意外と記録が残りにくい

*2:子どもが「くじこの歌」の継承するというのは、それはそれで嫌な気はする……

*3:こういった“継承”は家族間だけで行われるものではない。

しかし、家族は規模が小さく、ありふれているだけに、

“継承”が頻繁に行われる共同体でもあるのだと思う

“家飲み”から“家お茶へ”

もうだいぶ前になるが、友人が結婚した。

挙式は、オーストラリアで。

当然、出席した。

 

中高生のころから彼女は、

「わたしは、結婚して、子どもを生んで、将来おかあさんになる」

と断言していた。

「まあ、いつかは子どももほしいし」

「やさしい旦那様と出会って」

のようなふんわりした夢ではなく、

確固たる家庭像があることを感じさせる、

力強い宣言だった。

 

大学時代も

「30歳までには、第一子がほしい。

結婚までにふたりでゆっくりしたいから……。

そのためには、27歳ぐらいまでには結婚するとして、

結婚までは交際期間が必要だから、24、25歳で出会わないと……」

と逆算していた。

今は当たり前の発想だが、

「婚活」という言葉もなかった20年ほど前には、

驚くほどしっかりとした将来設計にうつった。*1

 

そして、大学卒業前に出会った、

やはり確固とした家庭像と人生像をもった男性と結婚した。

 

そんな彼女の晴れの日はうれしくめでたく、

一緒に行った別の友達と、キャッキャッと祝福した。

祝福したい人だけが参列している式は、こぢんまりとあたたかかった。

式後はコアラを抱いたりしてオーストラリアを満喫し、

帰国して落ち着いたころ、

「結婚式のビデオができあがったので、

よかったら新居に遊びに来てください」

とお招きをいただいた。

 

ありがたく、参列した友達と新居にお邪魔した。

デパ地下でおいしいお惣菜を手土産に、お酒も少し持っていった。

いわゆる「家飲み」をしながら、結婚式の思い出話をしようという算段だ。

ビル最上階にある、ペントハウスのような新居は、日当たりがよかった。

実際に参列したときとはまた別の角度から、

ビデオで結婚式を見るのは楽しかった。

また、アルバムをめくりながら、

「このとき、カメラマンに『スマーイル!』と言われて、

●●ちゃんは相当照れていたよね~」

「かわいい、ていうか、美しい!」

などとワイワイ盛り上がった……のは我々だけで、

新婦である友人は、「恥ずかしいーーー!」と床を転げまわり始めた。

とくにビデオには照れるらしく、映像を流している間は

転がったり目を伏せたり、

しまいには「ああ、本当に嫌~」と酒をぐいぐい飲み始め、

ソファーで寝てしまった。

そのうち、旦那さんが帰宅し、

「あれ、酔っちゃったの」と

手際よく妻を介抱し、

テーブルを片付け、我々の寝床を用意してくれた。

翌朝、彼女は二日酔いでぐったりとしていた。

彼女は酒に強く、自制心も人一倍。

結婚式のビデオの破壊力と、家飲みの安心感があってこその珍事だった。

 

「家飲み」と聞いて思い出したのは、そんなエピソードだ。

あんな友人を見たのは、後にも先にもそのときだけだ。

 

そんな彼女も、今では2人の子どもの母。

少女時代に語った通りの人生を、家族とともに着実に歩んでいる。

そして、結婚式に共にはせ参じた友人も、今では2人の母となっている。

先日、皆で子連れで集まった。

当然、家飲みではなく、昼間の“家お茶”だ。

新婦(だった友人)の長子は、小学生男子。

普段はお兄さん然としているが、まだまだ甘えたい年頃らしく、

ソファに座る母に、抱きつく一シーンもあった。

しかし、風船ガムを嚙んだままと判明し、

「ちょっと、髪についちゃうから!」「ああ、本当に嫌~」と

母は抵抗。

 

その「本当に嫌~」は、

あのビデオを見ていたときと変わらぬ言い方だった。

当時を思い出すとともに、

我々に流れた時間をしみじみと思ったのだった。

 

 

今週のお題「家飲み」

*1:我々の若いころは、まだ漠然と、親世代と同じようなライフスタイルを踏襲するのではと、多くの人が考えていたように思う。一方で、実際のワーキングスタイルなどは、腰掛けが当たり前だった親世代の女性とは大きく異なっていた。仕事に就いた後、このまま社会人として一人前になると30手前じゃん? 結婚、出産は? なんとなく結婚できていた親世代とは違い、なんとなくでは結婚できなくない? と徐々に気づいていき、そのうち婚活という言葉が台頭し、高齢出産のリスクが知られるようになっていったというのが、肌感覚である