このブログは結婚生活について書く場として始めたのだが、
今回はまったく関係ないことを書く。
たとえば絵描き、漫画家、ライターなどについて、
「あれは依頼者・編集に言われて書いたから不本意なのだろう」
「興味ないことを描(書)かされてかわいそう」
という意見を見ることがある。
この間も、あるブロガーさんが、
「ライターは、興味のないことも書かなくちゃいけなくて大変だろう」
と書いていらした。
また、「私らしく」という言葉もよく聞く。
「私らしく働きたいから、フリーランスに」。
ブログ界隈では、よく聞くフレーズだ。
就職活動についての記事や広告にも、「私らしく」が踊っている。
自分らしいことは善。
自分らしくないことは悪。
そんな価値観が定着しているように思う。
しかし、本当にそうなのだろうか? と私は常々疑問なのだ。
私は表現する系の、しかし、商業的な側面の強い仕事に就いている。
フリーランスだ。
依頼に応じて、はじめて聞いたこと、興味があることないこと、なんでも扱う。
そして、私の仕事は、「それを誰が作ったか」を多くの人が気にかけない、個性が出ない類のものだ。
「私らしく」はない。
他業界の人に職業名を言うと、たいてい、クリエイティブ寄りの仕事をしていると思われる。
たとえば、仕事が「デザイナー」だとすると、
みんながパッと思い浮かべるのは、パッケージなど唯一無二のデザイン、
しかし、実際には、スーパーのチラシのデザインをしている、ぐらいの落差があり、
説明すると、ポカンとされる。
(これもたとえだが)それを誰かがデザインしているなんて、きっと多くの人は想像しないからだ。
かくいう私も、今の仕事に就くまではそうだった。
現在、私がやっているような仕事を誰がやっているのか、気にしたことがなかった。
職業名を聞いたら、個性が出るものを作り、表現する仕事を思いうかべていた。
そうではない商業的な仕事は、不本意で、つまらないものだろうと思い込んでいた。
しかし、やってみるとこれほど楽しいことはない。
仕事で関わると、たいていの対象は、好きになったり、興味が出たりするものだ。
たとえばチラシなら、フォーカスされる商品には、それなりに理由がある。
何がポイントかを考え、調べ、その商品へのスポットライトの当て方を考える。
調べるなかで、未知の世界を知ったりもする。
さしずめ、私は裏方の照明係だ。
「物」や「者」をより美しく、魅力的に輝かせるために、光の角度や強弱を考える。
そこでは、主役は「私」ではなく、スポットライトを当てられる対象だ。
それでも、「平凡さんのお仕事で、反響があったんですよ」なんて言われたら、天にも昇る心地になる。
個性が出ようが出まいが、それは「私」の仕事なのだから。
依頼に応じて、何でも美しく見せる。
見せられることを、証明してみせる。
それが私の喜びだ。
もっとクリエイティブな仕事をしている人でも、
意外性のある依頼から新たな創作を生み出すことを、
喜びにしているケースは多いのではないか。
たとえば、漫画家の羽海野チカ氏による、棋士が主人公の「3月のライオン」。
この作品誕生のきっかけとなったのは、
「将棋の漫画かボクシングの漫画を描いてください」という
編集者からのオーダーだったと聞く。
それより以前、羽海野チカ氏のヒット作が恋愛メインの
「ハチミツとクローバー」だったことを考えると、異色のオーダーだと思う。
漫画家の場合、オーダーを請けるかどうかにまず自由があるわけだが、
「自発性のある自分らしさ」がすべてではないことの好例として、私はとらえている。
「自分らしくないこと」は、地味だし、言葉にしづらい。
そして、センセーショナルでないことばは、多くの人には届かない。
それでも、ほんのもう少しだけでも、
ちっとも自分らしくない仕事のなかにも喜びがあることが、
世間で知られてもよいのではないか、と思うのだった。