平凡

平凡

“家飲み”から“家お茶へ”

もうだいぶ前になるが、友人が結婚した。

挙式は、オーストラリアで。

当然、出席した。

 

中高生のころから彼女は、

「わたしは、結婚して、子どもを生んで、将来おかあさんになる」

と断言していた。

「まあ、いつかは子どももほしいし」

「やさしい旦那様と出会って」

のようなふんわりした夢ではなく、

確固たる家庭像があることを感じさせる、

力強い宣言だった。

 

大学時代も

「30歳までには、第一子がほしい。

結婚までにふたりでゆっくりしたいから……。

そのためには、27歳ぐらいまでには結婚するとして、

結婚までは交際期間が必要だから、24、25歳で出会わないと……」

と逆算していた。

今は当たり前の発想だが、

「婚活」という言葉もなかった20年ほど前には、

驚くほどしっかりとした将来設計にうつった。*1

 

そして、大学卒業前に出会った、

やはり確固とした家庭像と人生像をもった男性と結婚した。

 

そんな彼女の晴れの日はうれしくめでたく、

一緒に行った別の友達と、キャッキャッと祝福した。

祝福したい人だけが参列している式は、こぢんまりとあたたかかった。

式後はコアラを抱いたりしてオーストラリアを満喫し、

帰国して落ち着いたころ、

「結婚式のビデオができあがったので、

よかったら新居に遊びに来てください」

とお招きをいただいた。

 

ありがたく、参列した友達と新居にお邪魔した。

デパ地下でおいしいお惣菜を手土産に、お酒も少し持っていった。

いわゆる「家飲み」をしながら、結婚式の思い出話をしようという算段だ。

ビル最上階にある、ペントハウスのような新居は、日当たりがよかった。

実際に参列したときとはまた別の角度から、

ビデオで結婚式を見るのは楽しかった。

また、アルバムをめくりながら、

「このとき、カメラマンに『スマーイル!』と言われて、

●●ちゃんは相当照れていたよね~」

「かわいい、ていうか、美しい!」

などとワイワイ盛り上がった……のは我々だけで、

新婦である友人は、「恥ずかしいーーー!」と床を転げまわり始めた。

とくにビデオには照れるらしく、映像を流している間は

転がったり目を伏せたり、

しまいには「ああ、本当に嫌~」と酒をぐいぐい飲み始め、

ソファーで寝てしまった。

そのうち、旦那さんが帰宅し、

「あれ、酔っちゃったの」と

手際よく妻を介抱し、

テーブルを片付け、我々の寝床を用意してくれた。

翌朝、彼女は二日酔いでぐったりとしていた。

彼女は酒に強く、自制心も人一倍。

結婚式のビデオの破壊力と、家飲みの安心感があってこその珍事だった。

 

「家飲み」と聞いて思い出したのは、そんなエピソードだ。

あんな友人を見たのは、後にも先にもそのときだけだ。

 

そんな彼女も、今では2人の子どもの母。

少女時代に語った通りの人生を、家族とともに着実に歩んでいる。

そして、結婚式に共にはせ参じた友人も、今では2人の母となっている。

先日、皆で子連れで集まった。

当然、家飲みではなく、昼間の“家お茶”だ。

新婦(だった友人)の長子は、小学生男子。

普段はお兄さん然としているが、まだまだ甘えたい年頃らしく、

ソファに座る母に、抱きつく一シーンもあった。

しかし、風船ガムを嚙んだままと判明し、

「ちょっと、髪についちゃうから!」「ああ、本当に嫌~」と

母は抵抗。

 

その「本当に嫌~」は、

あのビデオを見ていたときと変わらぬ言い方だった。

当時を思い出すとともに、

我々に流れた時間をしみじみと思ったのだった。

 

 

今週のお題「家飲み」

*1:我々の若いころは、まだ漠然と、親世代と同じようなライフスタイルを踏襲するのではと、多くの人が考えていたように思う。一方で、実際のワーキングスタイルなどは、腰掛けが当たり前だった親世代の女性とは大きく異なっていた。仕事に就いた後、このまま社会人として一人前になると30手前じゃん? 結婚、出産は? なんとなく結婚できていた親世代とは違い、なんとなくでは結婚できなくない? と徐々に気づいていき、そのうち婚活という言葉が台頭し、高齢出産のリスクが知られるようになっていったというのが、肌感覚である