平凡

平凡

旅の記憶

オーストリアの首都、ウィーンに降り立ったのは、5月も終わりのことだった。

 

旅の計画はこうだ。

オーストリアから南ドイツのミュンヘンへ。

そこから少しずつ北上、

北端の海辺の町まで到達したら南下して、

フランクフルトからパリへ抜け、帰国。

 

航空券の有効期間は1か月。

決まっていたのは帰国の日付け、パリ発の飛行機で帰ることと、

ウィーンでの最初の2日の宿だけ。

しかも、2日目の宿は手違いで取れておらず、満室で宿泊不可だった。 

 

移動は鉄道、宿はユースホステルがメイン。

ドミトリーでの相部屋生活に疲れたら、

ときどきガストホフ*1B&Bを取った。

 

ネットは既に普及していたが、iPhoneはまだ発売もされていない時代。

新しい町へ着くと、観光案内所が頼りだった。

 

大半の旅程で、光がまばゆく、どこへ行っても暑かった。

カラッとした空気の中、薔薇が咲き乱れていた。 

うつくしい季節に、うつくしい観光名所を巡る旅だった。

 

そんな旅になぜ出られたのか?

それは、当時、わたしが無職だったからだ。

新卒で入った会社を解雇されたのだった。

理由は「業績不足」。

 

会社の人たちは、「若いんだし、もっといい会社、たくさんあるよ」と笑って言った。

しかし、就職活動であれほど内定を取ることができず、

やっと入った会社で「仕事ができない」とクビになる。

若い自分には、若さが武器になるとは、とうてい思えなかった*2

 

会社員になることは、当時、自分が叶えた数少ない「普通」だと感じていた。

それが、閉ざされてしまった。

自分は、「普通」になれないのか。

どうしていいかわからなかった。

 

小さな町のお城の庭で、ベンチに座ってぼんやりしていると、

いつの間にか老婦人が隣に座り、

「ケ・セラセラ」のドイツ語版のような歌を口ずさんだ。

「あなた、こーんな顔をしてるんだもの!」

と、眉間にしわを寄せて見せた。

「人生、なんとかなるわよ」と彼女は笑って言った。

 

ユースホステルで一緒になった中国人と韓国人、日本人のわたしで、

額を寄せ合い、まさしく“恋話”としか言えないような話をした。

 

港湾都市の宿で同部屋になった女性とは、夕暮れの中を歩いた。

レンガ造りの倉庫が並ぶ界隈は静かで、彼女はゆっくり煙草をふかしていた。

ドイツの他の町から出張で来たという彼女の荷物には、

スーツがカッチリとしまわれていた。

 

旧東ドイツの小さな村で、駅のコインロッカーに荷物を預けたところ、夕方で駅舎が閉鎖。

ユースホステルの主人は、「これだから旧東ドイツは」と毒づき、自分は別の町出身なのだと言った。

 

北ドイツまで行くとさすがに肌寒く、

ヤッケを羽織り、曇天のもと、鈍色に広がる海をひとりで見た。

 

パリ郊外のユースホステルで、スペインから来た女の子達と同室になり、

クッキーにピーナッツバターを塗ったくったものをご馳走になった。

 

パリのファーストフード店で、

イケメンがわたしにウィンクをし、スマートに横入りした。

 

いろいろなことが、あったにはあった。

しかし、言うほど破天荒でも行き当たりばったりでもなく、

自分の殻を破るわけでもない。

地元の人と積極的にふれあったわけでもない。

 

旅の前に予想した通り、

1か月別の国をフラついたからといって、

画期的な将来ビジョンは、皆目思いつかなかった。

そんなわけで、帰国後は貯金を食いつぶしながら、

しばらく無職をつづけたのだった。

 

フリーターでもやって、お金が貯まったら、また旅に出るのもいいかもしれない。

 

またすぐにでも、旅に出られるさ。

鬱屈した毎日だったが、そういった可能性だけは、

無限に広がっているように思われた。

 

当時は予測がつかなかったことだが、

紆余曲折あって、その5年後にはフリーランスになる。

フリーランスはフリーではあるし、

最近はネットさえあれば場所を問わずできる仕事も多い。

しかし、1か月単位で対面が必要な仕事を断る勇気は、とうていない。

その理由としては、金銭面だけではなく、

「頼まれたときに断る心苦しさ」も大きいことは、この立場になってから知った。

 

そのうえ、いまのわたしは結婚している。

理由を話し、夫を説得すれば、家を空けることはできるだろうが、

わたしたちにとっては一緒にいることが一種の娯楽なので、

それほどの動機と衝動をもつことは、もはや難しいのだった。

 

「やりたいことは、いくつになってもできる」。

これはある意味真理ではある。

しかし、昔のわたしは「一緒にいるのが娯楽」という間柄の異性と結婚するとは夢にも思っていなかったし、

仕事を断る精神的な負担も知らなかった。

そして、何より昔のわたしが知らなかったのは、

そんな伴侶や仕事を「持って」いることを、

わたしは決して不幸とは思わないことだ。

 

気づけばあのひとり旅から、15年が経とうとしている。

独身のころは、先に挙げた旅行以外でも、

どこへ行くにもたいていひとりだったけれど*3

この先は長短問わず、新たなひとり旅に出ないまま一生を終える可能性もあるなと、最近は思う。

 

可能性はせばまり、未来はある程度予測できる。

自由と引き換えに、何かを手に入れることもある。

しかし、それは結果としてトレードオフになるのであって、

苦渋の選択というわけでもないのだった。

 

それでも5月が近づくと、すこしだけソワソワしてしまう。

また、あのカラッとした空気のなか、薔薇を見たいと思う。

異邦で、ひとりを強烈に感じる、あの瞬間を反芻する。

と同時に、今はひとりではないのだと、

「ここにいる自分」を意識させられる。

それも悪くない。

そして、また旅に出ることがあったら、それもきっと悪くないはずだ。

そんなふうに、人生は進んでいく。

*1:レストランやビール醸造所に併設された小規模な宿。だいたい風呂は共同

*2:今でも、若さだけでそこまで欠けたものを補えるわけがなかろうと思う。若さは万能ではない

*3:夫もそういうタイプである

突然の多チャンネル化

結婚してから、なんとなく仕事の調子が悪かった。

仕事の受注は順調なのだが、わたし自身、まったくついていけない。

常に振り回されている感覚があった。

夫は家事と仕事だったら断然、仕事を優先してねという。

夫自身も、休日は、家事を積極的にやる。

 

仕事を誰に邪魔されているわけでもない。

なぜなのか、わからない。

 

仕事と最低限の家事以外、寝ていたいと思うこともしばしばだった。

気力と体力のなさに辟易としていた。

 

当然、部屋は散らかる。

気持ちも滅入る。

悪循環である。

 

情けなくて、人には相談しづらかった。

しかも、言葉にできる範囲の「表向き」は、仕事も私生活も順調だ。

 

ギリギリ仕事に支障は出ていないしと思い、

だましだましやってきた。

 

そんな折、育児中の友人が、

「仕事と家事では、使う頭の領域がまったく違う感じ。

切り換えるのが大変なの」

と話していた。

 

そうか、仕事と家事、もしくは私生活では、切り換えが必要なのかと、

そこではじめて気がついた*1

思えば、結婚前、わたしは四六時中仕事のことを考えて暮らしていた。

とはいえ、仕事人間だったわけではない。

ひとり暮らしの自宅仕事だと、限りなく公私の区別があいまいなのだ。

家事は、仕事の隙間に、好きなタイミングでやればよいものだった。

うっすらぼんやり常に仕事のことを考えて、

好きなときに寝て、好きなときに起きて、思いついたときだけ家事をする。

頭のチャンネルを切り換える必要はなかった。

 

結婚してからは、日々、「私」チャンネルへの切り換えが必要になった。

たとえば、朝・夜の食事用意は、わたしの担当だ。

仕事が終わらないときは、外で食べたり、買ってきてもらうこともあるが、

それだって「自分がどのような状態で、どうしたいか」を連絡することが必要だ。

ひとり暮らしのときのように、お腹がすいたとき、サッとコンビニへ走り、

適当に食べて、またバババッと仕事をするわけにはいかない。

だれかと共同生活を営む以上、当然のことだ。

そして、料理をするにせよ、買ってきてと頼むにせよ、

事の大小にかかわらず、わたしは「公」から「私」へとチャンネルを変えている。

これは、ひとり暮らしのときにはなかったことだ。

 

それは健康的な、望ましい変化だった。

ただ、良いものであれ、悪いものであれ、変化はストレスをもたらす。

この数年間、頭がいつもごちゃごちゃしていたのは、

「公(仕事)」だけのモノチャンネルから、

「公(仕事)」

「私生活1(一定のペースがある家事)」

「私生活2(夫との時間)」の多チャンネル化に

対応しきれていなかったのではないか。

そんなふうに思った。

 

この春は、少し調子がよい。

仕事に対して、ひさびさに前向きな気持ちで向かうことができている。

「何かやりたい」と自然に思うので、

たまりにたまった仕事の成果物を整理したり、

とにかく目につくものを捨てたり。

物量がすごいので、変化は実感できないが、

それでも何かしら行動していると気分が違う。

忙しい日は、チラシ1枚でもいいから不要物を捨てるようにしている。

 

鈍いわたしも、

ようやく多チャンネル対応ができるようになってきたのかもしれない。

部屋がほんのすこしでもスッキリすると、また気分が楽になる。

仕事に振り回されるのではなく、

ハンドリングができていると感じると、

ちいさな自信がわいてくる。

これを逃さず、好循環へと変えていきたい。

 

何か、新しいことがはじめられそう。

数年ぶりに、そう感じられる春である。

*1:育児で極限状態にありつつがんばっている友人の話と、自身を重ねることは、何かたいへん申し訳ないが……。

3月の夕焼け

「もう、こんな夕焼けも見られへんのやなあ 」。

その日、兄はそう言った。

 

わたしたちの眼前には田んぼが広がり、その先には青い山影。

そこへ、大きな夕日が沈もうとしていた。

わたしたちはその日、ママチャリに乗って、あてもなく国道沿いを走り、

大きなゲームセンターで適当に遊んで帰ろうとしていた。

 

兄は18、わたしは15の春休みのことだった。

兄は4月から、大学生になる。

東にコンビナート、西に山並みを臨み、

自然もたいして豊かでなければ、よくも悪くも濃いご近所付きあいもない*1

中途半端なこの地方都市を離れて、一人暮らしをするのだ。

 

「何言うてんの」

わたしは言った。

「帰ってこようと思ったら、こんなん、いつでも見られるやんか」

大学生になっても、もっと大人になって働くようになっても、

この季節、この夕焼けが見たいと強く願えば、きっと帰って来られるはずだ。

わたしはそう信じていた。

兄は弱気だ。わたしはすこし腹立たしくさえ思った。

 

わたしは知らなかった。

ひとつ何かが変われば、それまで当たり前だったことが、

そうではなくなってしまうのだ。

兄が家を出る。

その後の日常は、前と同じではない。

わたしは想像が及ばなかった。

 

わたしたちは、その日、だらだらと遊んでいて、たまたまその大きな夕日を見た。

そのようなことは、わたしたちが一緒に暮らしているからこそ、できることだった。

 

大学へ上がった兄は、ふつうの大学生よりもずっと頻度高く帰省した。

家庭がゴタゴタしていた時期で、心配だったのだろう。

ただ、兄妹で自転車をあてどもなくこいで、国道沿いを走るようなことはなくなった。

そのような遊びは、ゴタゴタした家庭から逃げるためでもあった。

兄が免許を取ると、自転車で移動すること自体がなくなり、

いつの間にか実家から、兄の自転車が消えた。

  

もっと何年も経って、わたしは気づく。

兄のことばは、弱気ではない。

これから変わりゆく暮らしを思っての、感傷だった。

おそらく、十人中十人が即時にわかることが、わたしにはわかっていなかった。

すべてのことは1回きりで、「同じようなもの」は、「同じもの」ではない。

あの日の夕日は、あの日だけのものだ。

 

15のわたしは、

「もう一度見たいものがあれば、いつでも見られるはずだ。

それをなんと弱気な」と思っていた。

年齢を重ねたいま、わたしは過去の自分をなんと幼く、愚かだったのかと思う。

 

その3年後には、進学のため、わたしも家を出た。

家庭のゴタゴタで疲れきった身には、実家を離れられることが、とにかくうれしかった。

そんな人間が、故郷にUターンなどするはずがない。

わたしは実家へ本格的に戻ることはなかったし、帰省の頻度は、年々減っていった。

 

「春休み」があった大学時代はともかく、

社会に出てからは、3月に帰省することは、ほぼない。

たまに帰ると、離婚し、離れて暮らす父と母を訪ねて、それなりに忙しい。

自転車でふらりとどこかへこぎだすことは、ない。

結婚し、夫と帰省するようになってからは、なおさらだ*2

 

それでも3月になると、あの夕焼けと、兄のことばを思い出す。

まだ冬枯れ残る田んぼの向こうにあった、

大気を震わさんばかりに大きかった落日。

 

今年もこうして、東京を離れることなく、3月が終わろうとしている。

心の中だけに、故郷の夕焼けが燃えている。

*1:それでも、都市圏よりはずっと「世間様の目」がある世界ではあった

*2:関東平野育ちの夫は、「わあ、田んぼがすごい、山へ夕日が沈む」など驚くので、一緒に帰省すると新鮮である

わたしたちの、静かな時間

「あー、だいぶ伸びちゃってるねー」。

そう言いながら、いっちゃんはわたしの髪に、鋏を入れる。

床に、パサッ、パサッと毛が落ちる。

 ずいぶん年季の入ったコンクリートの床は、ところどころ黒い塗装がはげている。

 
代官山のはずれにある小さな美容室には、

わたしといっちゃんしかいない。

こうやって、いっちゃんに髪を切ってもらうようになってから、13年が過ぎた。

 

いっちゃんと知り合ったのは、友人からの紹介だ。

「友達に、すごく腕のいい美容師さんがいるんだ」と教えてもらった。

共通の友人もまじえ、プライベートでも遊んだこともある。

だから、いっちゃんとは客でもあり友達でもあるような、

その両方でもないような、不思議な距離感がある。

 

「ねえねえ、不妊の検査、行った?」

いっちゃんが聞く。

「近所の産婦人科に行ってみたんだけど、頼りなくてさあ。

別のところに行こうと思いながら、二の足踏んでる」

「平凡ちゃん、いくつだっけ? まだチャンスあるでしょ、早く行きなよ」

そういういっちゃんは、血圧が高いと診断され、不妊治療をこの先どうするか、悩んでいるらしい。

「血圧の薬ってさ、ずっと飲まなきゃいけないんだよねえ」

わたしの毛先を指で挟みながら、いっちゃんがぼやく。

いっちゃんは私より4歳ほど年上だが、とてもスリムで若く見える。

それでも血圧が高いのだという。

わたしたちのからだはもう、若くないのだ。

 

この美容室へ通いはじめた13年前、まだ、わたしたちは若かった。

しゃべることと言えば、

いつか結婚したいけど、今の彼氏はねえとか、

子どもほしいんだよねーとか。

こんな家庭にしたいんだよね、なんてことも話したことがあったっけか。

 

この先、仕事、どうしよっかなあ。

店、変わろうかと思うんだよね。そういう話も来てるし。

わたしは今の仕事で、フリーランスになろうかなあ。

 

そのころは、私生活も仕事も、未来はもっと曖昧模糊としていた。

 

今のパートナーと結婚したいけど、なかなかそこまでこぎつけなくてねえ。

同棲を始めたけど、こんなところでぶつかっちゃうんだよね。

いっちゃん、忙しいのにめっちゃ家事やってるじゃん。えらいよ。

 

結婚式はどうするの?

身内だけでやるよ。ヘアメイクは美容師仲間に頼むんだ。

へえ、わたしは神社でちっちゃくやったんだ。

 

なかなか妊娠ってしないねえ。

とにかく一回、産婦人科に行かないとダメみたいだね。

 

描いた将来像は「今」となり、「現実」となった。

わたしたちは、あのころより、具体的なことを話している、と思う。

 

13年の間、いっちゃんには何回か店を変える話が出た。

でも結局、本格的にどこかへ行くことはなかった。

わたしは独立し、収入に大きな不安があった1、2年は近所の安い美容室へ駆け込み、

その後はまた、いっちゃんに切ってもらうようになった。

いっちゃんへの予約方法は、携帯電話のメールから、LINEへと変わった。

 

いっちゃんは慎重に、慎重に、鋏を入れる。

髪のうねり、頭の形を把握し、伸び放題の髪を、思い描いたヘアスタイルへと変えていく。
彫刻みたいだ、といつも思う。

そうしていつも、オーダーにプラスアルファして、何かしらの驚きのある髪型に仕上げてくれる。

いっちゃんに髪を切ってもらうと、すごく気分がいい。

13年間、これは変わらない。

 

「はい、できあがり~」

いっちゃんが四角い鏡を両手に抱え、後ろや横がどうなっているか、見せてくれる。

手鏡じゃないところが、なんとなくいっちゃんらしい。

「ありがとう、すごくいい感じ!」

いっちゃんは、うれしそうにする。

 

他愛ないことをとりとめなくしゃべる、

3か月に1回ほどの、いっちゃんとわたしの静かな時間。

これは、いつまで続くのだろう。

次の13年、またわたしはいっちゃんに髪を切ってもらえるだろうか。

切ってもらえるとして、場所はこの代官山の美容室なのだろうか。

いっちゃんもわたしも、元気でいられるだろうか。

 

「ダンナとさ、一緒に店をやりたいねって言ってるんだ」

すぐじゃないよ、いつかだよと付け加えて、いっちゃんは笑う。

いっちゃんの旦那様については、自営業ということ以外、何をやっているのかはよく知らない。

それでも、いっちゃんがプライベートに近い場所で、髪を切っているのを思い浮かべる。

いっちゃんは、ニコニコしている。

うん、すごくいい感じ。

「いいねえ。そしたら、またそこで、髪を切ってほしいな」

 

いっちゃんが店の外まで見送ってくれる。

短くした髪に、夜風は冷たく感じられる。

風に乗って、かすかに花の香りがする。

「もうすぐ、春だねえ」といっちゃんが言う。

「そうね、じき、暖かくなるね」とわたしは答える。

店の前で2人、夜気を胸いっぱいに吸い込みながら、次の季節の到来を感じている。

桜が好きかと聞かれたら、はっきりと答えられない

桜が好きか、と聞かれたら、はっきりと答えられない自分がいる。

 

電車に乗っていて、歩いていて、視界に飛び込んでくる、淡い、淡い、ピンク色。

白にほんのり紅を垂らしたような色合いが、ある日突然、公園を、校庭を、土手を埋めつくす。

若葉が芽吹き切る前、あまりにも唐突に現れるその色彩は、心をひどくざわざわさせる。

そのさざ波は、単純に「好き」と肯定的に表現できるものではない。

年々、その思いは強くなる。

 

たとえば、2011年。

節電のため多くの街灯が消された公園内で、

夜闇に浮かび上がるように桜が咲いているのを見たときの気持ちは、

忘れられるものではない。

あやしいほどに美しい桜。

暗がりのなかで、それに魅入る人々のざわめき。

まだまだぐらぐらした日常。

変わらない季節の巡り。

*1

 

そういえば、数年前の春、こんなこともあった。

仕事がまったく終わらず、でもちょっとだけ桜を見に行きたくて、日曜日、夫と散歩に出た。

花の名所もないような街中を、普段行かない方向へ、ひたすら桜を探して歩いた。

そこここに、こぼれるようにソメイヨシノが咲いていた。

そのときのことを思い出すと、桜のうつくしさと、

出口の見えない仕事へのモヤモヤとした重圧がないまぜになる。

古い団地群、コンクリートで護岸された水量に乏しい川、その灰色の景色のなかに差し挟まれる桜。

自信がもてない仕事、締め切りへのプレッシャー。

桜の季節であること以外は、なんでもない休日だった。

それなのに、強く、記憶に残っている。

 

どれもこれも、いい思い出なのか、悪い思い出なのか、わからない。

でも、年を重ねるって、こういうことなのかもしれないとも思う。

いろんなものが混ざり合った思い出が、濾過することもできず、

自分の中に残り続ける。

 

わたしは、あと何回、桜を目にするだろう。

そのうち何回かは、何かと混然一体となって心に沈殿するだろうか。

 

ともあれ、今年も桜が咲いた。

見たい、見に行かねばならないと思っている。

こう思わせるところも、桜のなんだか怖いところだな、などと思いつつ。

 

今週のお題「お花見」

 

*1:多くの方々が被災したなかで、被害がほぼなかった東京の者が、このようなことを書くのは非常に厚顔無恥だと思う

家事にエンタメ性を求めた者の末路

「今日こそこれをやろう!」

ババーン! と擬音が出そうな勢いで夫が差し出したのは、洗濯槽の洗浄剤。

「汚れがごっそり取れる!」「ワカメのようなものが浮いてくる!」とネットで評判の酵素系。

秘蔵の「シャボン玉石けん 洗たく槽クリーナー」である。

www.shabon.com

 

洗濯槽の掃除をするのは、恥ずかしながら久しぶりだ。

昨年、引っ越し直後に、やはり酵素系のクリーナーを使ったのだが、

まったく汚れが浮いてこなかった。

原因はおそらく、その直前まで住んでいた家での洗濯機の配置だ。

前の住まいでは、洗濯機をベランダに置いていた。

しかも昼間は日差しが当たりっぱなしの南西向き、屋根なし雨ざらし

あの環境では、カビも繁殖できなかったのだろうかと妙に納得したのだった*1

しかし、今の住まいは室内である。

なんとなく、感じるのだ。

そう、洗濯槽にカビがはびこる気配を。

 

ところで夫は、結果がハッキリ見える家事が好きだ。

休日、気がつくと茶渋がついたコップを

「激落ちくん」でこすってくれていたりする。

「こういう、ビフォア・アフターがはっきりわかるの家事って、

エンタメ性あるよね!」。

そんな夫である。

1年ぶり・室内置きの洗濯機・ネットで話題の酵素系クリーナーとあって、

期待は高まるばかりだ。

 

夫がここまで洗濯槽クリーナーに期待を寄せるのには、もうひとつ理由があった。

遡ること2週間前、夫は同じように目を輝かせながら、風呂釜の洗浄剤を使用した。

以前、実家で使ったとき、嫌というほど汚れが出てきたらしく、

「きっとすごいことになるよ!」とワクワクしていた。

しかし、結果は惨敗。

薬剤を使っての1回目の追い炊きでも、

2回目のすすぎ用追い炊きでも、

まったく汚れは出てこなかった。

「追い炊きしているとき、お湯を吸い込んでるよね?

その湯垢はどこにいってるの?

こんなに絶対おかしいよ」

と、どこぞの魔法少女のような台詞*2を吐きながら、

まっさらな湯船を見つめていた。

「実家は2つ穴タイプで、

ポンプみたいに空気を送り込んで洗うから、汚れが取れたのかも。

うちは1つ穴だから」

と悔しそうにしているが、さすがに風呂の構造ばかりはどうにもできない。

次は違う薬剤を使ってみようとなぐさめた。

 

その落胆からの、洗濯槽クリーナー。

夫の心中には、「今度こそ!」という思いがメラメラと燃えている。

 

まずは、洗たく槽に水を張る。

ぬるま湯を使うとよいと書いてあったので、

ケトルで2リットル湯をわかして投入するのも、

あまり湯温は変わらなかった。

洗濯機が回り始めたらいったん止めて、いよいよ薬剤を入れる。

「ほんとに汚れ、取れるのかな」

「洗剤、溶けてる溶けてる」

など、興奮のあまりふたりでのぞき込みながらやっていたため、むせた。

薬剤を吸い込んだらしく、あわてて喉をゆすぐ。

危ない。

少しだけ洗濯機を回し、一時停止して、待ち時間。

ふたりとも、喉をイガイガさせながら、近所のカフェで時間をつぶした。

 

帰宅し、洗濯槽をのぞき込むと、何やら浮いている!

「これがワカメのような汚れ!」

ハイタッチせんばかりに喜んだのは、つかの間。

いざ、洗濯機を回し始めると、出てくる出てくる。

「汚れをすくってください」と書いてあったので、

風呂桶の湯垢取りを掃除用に下ろし、使うことにする。

ただ水に突っ込むだけで、次々汚れがすくえてしまう。

糸くず取りが、あっという間にいっぱいになったので、外して洗う。

「キャッホー、すくい放題だよ!」とわたしがはしゃしぐ横で、

夫は後ずさっている。

「あれ、やんないの?」と聞くと、

夫は「いや……なんか……すごすぎて引いた……」。

まあ、わかるけどさあ。

「ここで……今まで……洗濯を……」

「それはそれ、これはこれ!

過去は変えられないんだから、今を楽しもうよ!」

と声をかけたものの、夫は最後まで浮かない顔だった。

わたしが疲れて「はいっ」と湯垢取りを渡したときだけ、

「これも家事の分担だから、時々交代してやります」

と言いたげな義務的な顔つきで、洗濯槽をかき回していた。

 

その後、2度のすすぎ洗いを経て、汚れが出てこなくなるころには、

夫は

「あの洗剤、いくらぐらいするの」

「これからは1カ月に1回はやろう」

と建設的な意見を述べるぐらいには回復していた。

 

あれを見てしまったからには、もう少し頻度高く、洗濯槽クリーナーを使おうと思う。

2度目はきっと、あれほどは汚れは取れない。

夫婦ともども、ちょっとのがっかり感と、安心感を覚えるに違いない。

しかし、この「安心感」が大事なのだ。

ああよかった、そんなに汚れていなかったのだ、という安心感が。

この安心感は、ただ出てくる汚れが少ないだけでは生まれない。

風呂釜の洗浄のように、久々にやったのに汚れが出ないと、不信感が募るだけだ。

やはり、「わたしたちがキレイにしているから、こんなに汚れが出ないのね」という

確信があってこそ。

 

ビフォア・アフターがはっきする家事は、エンタメ性がある。

しかし、エンタメ性に富みすぎると、楽しいどころかドン引きしてしまう。

何しろ、エンタメ性は「ごっそり取れた汚れ」に宿っているからだ。

やはり、刺激より安心、安定を追求するべきなのだ。

何事も、こまめ、こまめに……。

そんな当たり前のことを確認した洗濯槽クリーニングだった。

*1:洗濯槽の汚れの原因は、カビだけではない気もするので、使った薬剤がよくなかった可能性もある

*2:魔法少女まどか☆マギカ」における主人公まどかの台詞であり、6話目のサブタイトル

変哲のない月曜日

変哲のない月曜日。

夫婦ともども、早めに仕事が切りあがった。

最寄り駅で待ち合わせ、いつもの中華料理屋に向かう。

梅雨の湿気に、気が早い真夏の熱気が混ざり合った空気は、ムッとしている。

この前、同じような偶然があって、仕事終わりに待ち合せたときは、

爽やかな気候だったはずだ。

毎日、一緒に暮らしてはいるけれど、

この季節に、平日に、夫婦ふたりで一緒に夕食を食べるのは、

今年はじめてかもしれない。

そう思うと、なんとなくうれしくなるのだった。

新しい季節を告げているのが、たとえ不快度100%の空気だったとしても。

 

初老の店主がひとりで営む、小さな中華料理屋ののれんをくぐる。

幸い、席には空きがあった。

ただし、満席に近いため、店主が厨房でてんてこまいしているのが、

気配で伝わってくる。

今日は、手伝いがひとりいる。

店主の息子だろうか、「男の子」と言いたくなるような、

幼さを残した彼がオーダーを取る。

夫は生姜焼き定食を、わたしは麻婆茄子丼を頼む。

 

客は、男性のひとり客が何組か、わたし達以外に夫婦ものがもう一組、若い男女ふたり連れ。

たいてい、店備え付けの漫画雑誌を読んだり、天井近くのテレビを見たりしている。

なかには、ページをクリップで挟んで開き、文庫本を読みふけっているサラリーマンもいる。

なるほど、こうすれば、ページがはらりとめくれてしまうこともなく、読書と食事に没頭できるというわけだ。

行儀はヨロシクないけれど、ひとり時間を満喫している様は、見ていて不快感はない。

店内は古びているけれど清潔に保たれ、客層は落ち着いており、思い思いの時間を楽しんでいる。

くすんではいても、よどんではいない空気感が、居心地がよい。

 

わたしたちもそれぞれ、漫画雑誌を持ってきて読みふける。

厨房はテンパりを極め、出前の依頼らしき電話を取っては断り、

若い男女が会計をしたいと告げると、

「ああ、えっと、ちょっと、ちょっと、5分ぐらい待ってくれる?」

と答えている。

満席に近いとはいえ、わたしたちより後に客は入っていないし、

大半の客には、料理は配膳済だ。

何をそんなに慌てているのかわからないが、

出前でも入っているのかもしれない。

会計を待ってくれと言われた女性は、

快活に「急いでないんで、いいですよ」と答え、連れの男性との会話に興じている。

我々の料理が運ばれてくるまでの道のりは遠そうだ。

覚悟を決めて、別の漫画雑誌を取りに行く。

 

やがて、店内に客は我々だけとなったころ、2人分の料理が運ばれてくる。

油がよく馴染んだ茄子、しっかりと味付けされたひき肉。

きちんと、中華鍋で強火で炒めたのだな、という味がする。

これまた町場の中華料理店らしい薄い琥珀色のスープには、

ワンタンが浮かんでいる。

前回来たときは、入っていなかったはずだ。

待たせたことを気にして、店主がサービスしてくれたのかもしれない。

途中、夫の生姜焼きと交換する。

豚肉は、炭火で焼いたようなスモーキーな香ばしさがある。

ちょっと意外性あるおいしさだ。

普通の、それでいて、家庭で作る味とはちょっと違う、丁寧で特別な味を堪能する。

 

会計を済ませ、店を出て、

さっき食べたばかりの料理をほめたたながら、家路をたどる。

まだ週半ばなのに、こうして夜道をふたりで歩いている。

それだけのことなのに、なんとなく特別な感じがする。

普通だけど特別、ちょっとさっきの中華料理と似ているな、

などと考えていると、

夫が「平日なのに、なんだか得した気分」

とうれしそうに言う。

 

疲れているから、早く家に帰りたいような、

ずっとこうして歩いていたいような。

そんな気持ちで歩きながら、変哲のない月曜日が終わっていく。

 

 

 

ちょうど1年前に、似たようなことを書いていた。

イベントの少ない梅雨の時期は、同じようなことを考える傾向があるのかもしれない。

hei-bon.hatenablog.com