平凡

平凡

概念としてのかわいさ

夫婦揃って猫好きだ。

なので、外出中はあらゆる場所に目を光らせている。

どこに猫がいるか、わからないからだ。

 

猫を見つける秘訣は、「いる」と信じることだと思う。

「どう考えても車止めだろう」

「こんな道の真ん中に、猫がいるはずがない」

いくらなんでも、猫不足が見せる蜃気楼だ……。

そう思ったシルエットが実は猫だった、

そういうことはままあるのだ。

 

最近、近所でよく見かける猫がいる。

住宅街のド真ん中、しかも夜分遅く、

とあるお宅の駐車スペースや植え込み前に出没する。

街灯の光がちょうど届かない場所だ。

しかも、柄が暗めのキジトラで、黒っぽい。

我々の執念と猫のわずかな動きで、

かろうじて「いる」ことはわかるが、

それ以上のことは何ひとつわからない。

猫の瞳を光らせるほどの光量もない。

それでも、我々は「かわいい!」と感じる。

そんな暗がりにいることがかわいい。

わずかに見えるシルエットがとても小さなことがかわいい。

とにかく、そこに、その猫がいることがかわいい。

 

あるいは。

近所には、よく猫がたむろしている駐車場がある。

その隣には、郊外の街らしく、畑が広がっている。

季節の変わり目に、畑の土がならされていた。

「何かを植えるのかな」と夫婦で黒々とした土を見ていると、

なんとそこのは、小さな肉球の跡が!

足跡は我々が立っている道路側から点々と続き、

畑の真ん中あたりの果樹に達して、その先は見えない。

「この足の小ささ、犬や他の動物ではないね」

「イタチでもないと思う」

「きっと猫だね」

「畑の上に降りてさ、あの木のところまで歩いたんだね」

我々はさっそく、駐車場で見かける猫のいずれかが、畑を歩く姿を想像している。

駐車場に集まる猫は、いずれも白い毛並みに茶トラ模様だ。

イメージのなかでは、広い畑のなかにぽっかりと浮かぶような

白くてやわらかい生き物が、ゆっくりと歩いていく。

「かわいい」

「かわいいね」

肉球の形がわかる足跡がかわいい。

そこから想像できる猫の姿がかわいい。

しかも、こっそり木まで行ったつもりなのに、

こんなふうに痕跡を残してしまうなんて。

 

我々の胸に、猫を見かけたとき特有の幸せな感じが、

じんわりと広がっていく。

もはや、猫の姿は必要ではない。

その存在が、猫という概念がかわいい。

 

しまいには、猫がこの世にいるだけで、

満足感を得られるような気さえしてくる。

猫好きの世界は、今日も平和である。

家事分担の我が家の秘訣、あるいは「あなたの家事は当たり前ではない」と思う話

「家事分担、どうしてますか」。

結婚後、よく聞かれる質問のひとつだ。

世間では、夫婦ともにフルタイムであっても、

妻が主軸で家事を回す、というイメージがまだまだ強い。

わたしのまわりでも、そういったカップルが多い。

性別役割分担に加え、長時間労働がその傾向を強めているのだろう。

そんななか、夫に家事をやってもらう秘訣として、

雑誌記事などで、「ほめること」が挙がっているのを見かける。

それに対し、「子どもじゃあるまいし」「当たり前のことなのに、なぜ」という声も聞かれるが、

これ、けっこう必要で、重要なことなんじゃないかと思う。

今日は、そんな話。

 

我が家の話をすると、ふたりの家事分担はゆるゆるだ。

ひとつ決まっているのは、

食事全般の舵取りはわたし、洗い物は夫、

ということ。

 

掃除機は、平日、わたしが仕事の合間に適当にかけることが多い。

洗濯やその他の掃除もそうだ。

気分転換を兼ねて、ちょこっとやったりする。

余裕があるときは、入浴後に軽い風呂掃除も毎日やる。

ただ、余裕がなくなると、一切合切、平日は動けない。

 

土日は、夫が、体力の残存具合と、家事のたまり具合により、

風呂掃除や洗濯一式を行う。

気になるところがあると、そこだけハンディ掃除機で吸ったり、

洗面所を「激落ちくん」でこすっていたり。

トイレ掃除は、わたしが多い。

 

うちはこれで、けっこう円満にやっていると思う。

 

結婚前は、わたしも

「男女できっちり家事分担!

男も女も家事やるのは当たり前!」と息巻いていた。

それは正しくはあると思うのだが、結婚後、気がついた。

わたしはいうほど家事ができもしないし、やりもしない。

正直、「なんだかんだ女の家事負担が大きいよね」とは言えない。

古いジェンダーロールから外れるぐらい、

人としてちょっと問題があるぐらい、家事に対して気力がない。

 

そんなわたしがもうひとつ、結婚後に気がついたのは、

掃除にしろ、ちょっとした整理にせよ、

家事を相手がやってくれるのは、

ものすごくありがたいということだ。

 

家事というのは、ひとり身であっても発生する。

そして、「よし、家事をやるぞ」ととっかかる気力は、

ひとり暮らしでもふたり暮らしでも変わらない。

一方で、家事の量は2人いれば2倍になる。

洗濯物は2倍速でたまり、干すときの時間も1.5倍ぐらいはかかってしまう。

髪の毛だって2人ぶんが落ちる。

ふたり暮らしの家事は、

「ひとりでもやらねばらぬ種類の作業が、

2倍量になってそこにある」状態だと思う。

その状況のなか、自分以外の誰かが、「よし!」と立ち上がり、

自分の分も含めて何かをこなしてくれる。

なんだかこれってありがたい! と思うのだ。

 

夫とわたしでは家事のやり方が違う点も多いが、気にすることはない。

どんな畳み方をしていようと、洗濯物が畳まれたことに違いはないし、

どんなやり方をしようと、掃除は掃除だ。

それに、わたしはもともと家事にポリシーがないので、

夫のやり方のほうに一理あることが多い。

 

感謝の念は、分担と決めたことでも変わらない。

仕事が忙しくなり、連日午前様の夫が、

半分うつらうつらしながら洗い物をしてくれているのを見ると、

「わたしなら絶対なまけてしまう……」と思うので、

きっちりこなしてくれる夫の意志力に感服するし、感謝もする。

 

ありがたい、と思うので、それを夫にも伝えるようにしている。

「こんなに疲れているのに、洗い物をやってくれてありがとう」

「すごい、洗濯物をいつの間にたたんでくれたの!」などなど。

また、

「洗い物してくれたから、朝ごはん作るのもスムーズだよね。助かるよね」と、

具体的に助かったことを挙げることもある。

夫もちょっと誇らしそうにするし、ときには

「洗濯物、(畳んだこと)気がついた?」とアピールしてくることもある。

もちろん、わたしは、ありがとう、助かる、すごい、と思ったことを伝える。

これは夫も同じで、

「料理おいしいなあ」

「洗濯、干すところまでやってくれたから、畳むだけだった」

「お風呂がきれいだと気持ちいいね!」など、感謝の気持ちを伝えてくれる。

逆にわたしから「洗面所、きれいじゃない?」とアピールすることもある。

 

何より、「ありがとう」と伝えていると、

お互い何かを当たり前と思わなくなる、

そんな好循環が生まれるように感じる。

 

そこで、冒頭の「夫に家事をやってもらうには、ほめる」メソッドに戻る。

わたしはおそらく世間で言われる「家事をやらない夫」程度に

家事をやらない人間なので、

感謝や「ほめ」がなければ、とてもやっていられないと思う。

夫がやった家事も、わたしがやった家事も、当たり前なんてひとつもない。

働くふたりが共同生活のなかで、何かを出し合って、がんばったその成果なのだと思う。

 

しかし、正直、家の状態がどうかといえば、ぐちゃぐちゃである。

何しろ、わたしは整理整頓が一切できない。

前述した平日「ちょこっとやる家事」の「ちょこっと」は、

たぶんあなたが想像する10分の1にも満たないであろう。

夫のほうが「共同生活を営んでいる」意識が高く飲みこみが早いので、

お互いが忙しい今、家事量は彼のほうが多い気がする。

小さなことで感謝できるのは、能力の低さゆえ、かもしれない。

なので、人様に胸を張っていえることではないのだが……。

 

それでも、「ありがとう」「うれしい」「助かる」は、伝え合っているうちに

夫婦の間を巡っていくし、必要なことばなんじゃないかと思うのだ。

男女関係なく、ある家事を担う人がいたとして、

あなたのこなす家事は当たり前じゃない、と思う。

ただ、そのことを相手に気づいてもらいたいとき、

まず相手がやったことに「ありがとう」と声をかけ、

「家事をやることは当たり前ではない」と気づいてもらうこともまた、

有効なのではないか。

そんなことを思うのだ。

流行っているのか、フラフープ

夫の同僚が、フラフープをやっているという。

男性だが大変細身で、ふだんからプロポーションには気をつけているものの、

「ここぞ!」というときは集中して回すのだそうだ。

「くびれができますよ!」。

なんと魅力的なことばであろうか。

 

テレビをつけたら、水野裕子さんというタレントが、

「ふだんはフラフープしかやっていないですよ」と、

きれいに割れた腹筋を披露していた。

もっとも水野さんはかなりのスポーツ好きと見受けられたので、

「ジムには行ってますよ、当然」なんてことはありそうだなと思いながら見ていた。

 

兄夫婦の家にお邪魔したら、

「いつの時代の流行りだって感じだけど」と、フラフープが置いてあった。

最近、エクササイズのために買ったのだという。

わたしもやってみたが、なかなか上手くいかなかった。

ただ、きちんと回せたときは、かなり疲れたし、

のちのち、腹筋と腿に筋肉痛がきたので、効いているのだろう。

静かに10分ぐらい回し続けた兄は、汗だくになっていた。

 

そして、たったいま、たまたま開いた見知らぬ人のブログで、

「フラフープがいいんですって」

「買ってみました」

と書いてあった。

 

はじめは、興味のある話題は耳に飛び込みやすいという

カクテルパーティー効果」の一種かと思っていたが、

これだけ続くとそうでもないのかもしれない。

本当に流行っているのか、フラフープ。

室内で静かにできて*1くびれに有効とあれば、

たしかに流行らない理由はない。

腹まわりが気になる中年夫婦の我々も、フラフープ購入を検討中だ。

こうやって、流行は広まっていくのだろうか。

それとも、既に大きな潮流があり、我々はそのビッグウェーブに乗っているのだろうか。

 

皆さんのまわりでは、どうですか、フラフープ。

ビッグウェーブがきているのか、いないのか。

よかったら、教えてください。

*1:ただし、うまくできないうちは床に落としてしまうので、音が出る

誰かと過ごすとき、特別なことなんて何もしなくていいのかもしれない

母が上京する。

今住んでいる街を案内したくはあるのだが、我が家はいろいろと片付いておらず。

観光だけお供することとなった。

(申し訳ないことである)

 

待ち合わせ場所は銀座で、10時過ぎ。

その日、母はなりゆきで新幹線のチケットを取って帰るので、解散時間は設定せず。

夫は仕事の都合で来られず、わたしだけで向かう。

 

銀座は歩いている人の年齢層が高くて歩道が広く、買い物客や観光客が多い。

殺気立っておらず歩きやすいと、いつも思う。

 三越前のライオンは、なるほど落ち合うにはわかりやすく便利な場所だ。

 

ところで、東京観光って、何をすればいいんだろう。

親の上京に限らず、たとえば東京に住み始めたばかりの人に、

「どこでデートしてるの? たとえば?」と聞かれたりすると、困ってしまう。

雷門、東京タワー、スカイツリーはたいてい行っている。

大きな商業施設(ヒルズ系など)は、物珍しさはあるけれど、実際行ってみると

やることがあるわけではない。

トレンドに触れるのは楽しいし意義深いものの、

誰かと一緒の観光だと、不完全燃焼になることが多い。

行列ができる話題の新店などは、よほど前知識で「行きたい」モチベーションが高まっていない限り、疲労するだけだ。

 

また、ふだん車社会で過ごしている人が上京した場合、

「人ごみの中・ホームまで階段や通路を歩き・座れない電車に乗る」という東京のスタンダードな移動方法がかなり負担になる。

母は体力があるほうだが、東京で移動すると、

体力・精神力を総合したものをガリガリ削られているのを感じる。

母が一時期、上京した際の観光手段として「はとバス」にハマっていたのは、

移動のラクさもあるのだろう。*1

 

とはいえ、まあ電車1本ぐらいならよしとして、

日比谷線に乗り、母が大好きなドラマ版「孤独のグルメ」に登場する

北千住のタイ料理屋「ライカノ」へ行くか。

お昼までは、少し時間があるのでお誂えの和装小物の店でものぞいて……と考えていたのだが、

母はなんとなく「楽しそうだけど」と乗り気ではない。

北千住と言われても知っている場所でもなし、

イメージがわかないのもあるのだろう。

 

どうしようと話し合っているうち、三越がオープンしたので、ブラブラ見て回ることにした。

開店したてなので、通路には店員さんが立って、深々とお辞儀をして出迎えてくれる。

ソワソワするけれど、ちょっとおもしろいねと、母に耳打ちした。

銀座三越はモードな服が多く、婦人服フロアはウロついただけで終了。

インテリア・生活雑貨フロアは、すてきな焼き物や漆器などが並んでいて眼福だった。

作家ものの焼き物のすみに蛙があしらわれていたり、

蒔絵でデフォルメされた風神・雷神が描かれていたり、

和ものらしい愛らしさを発見しては、「かわいいね」と言い合ったりする。

また、出ていること自体知らなかった、ル・クルーゼのジャポネスクシリーズを見て驚いたりした。

http://www.lecreuset.co.jp/quicknews/momiji.html

 

雑貨フロアの片隅で、珊瑚か海棲生物のような正体不明のストールを見つけた。

実は「絞り」の技法を使ったものらしく、なかなかおもしろい。

母はいたく気に入り、試着し、お買い上げ。

bunzaburo.com

 

その後、野菜たっぷりでよかろうと、三越8階にある「みのる食堂」でお昼を食べた。

テラスに向かって大きく窓が開き、日差しが入る店内は、子ども連れも多く、のんびりした雰囲気。

ランチは定食形式ドリンク付き1630円~とお高いけれど、

野菜そのものの味をいかしたお惣菜の数々を、1皿限定バイキングで盛れる。

野菜が好きな人には、気に入ってもらえる店だと思う。

みのる食堂|みのりみのるプロジェクト

 

お昼ご飯中、思い出した。

銀座といえば、行ってみたいけれど、ひとりでは敷居が高い場所があるんだった。

それは、シャネル銀座店4階にある、シャネル・ネクサス・ホール。

www.chanel-ginza.com

その名の通りホールであり、コンサートや、シャネルが後援しているアーティストの展示を開催している場所。

展示の場合、観覧は無料だ。

以前にはフランスのバンド・シネ作家、エンキ・ビラル氏の展示もやっていた。

問題はハイブランドの路面店内にあることで、

1,ピカピカのエントランスに立ち

2,黒服に扉を開けてもらって入る

という、高いハードルが立ちはだかる。

母に話すと「展示はよくわからないけど、平凡が行きたいなら」とOKが出た。

足を運ぶと、母と一緒でも1、2のハードルは思った以上に高く、周囲をぐるりと1周した後、

「ネクサス・ホールに行きたいんですぅ」と曖昧な笑みを浮かべて黒服に告げ、

なんとかエレベーターへ。

いったん中へ入ってしまうと、ラフな服装の観光客が買い物にいそしんでいたりして、意外と気後れしない。

展示会場内でも、催し目当てに来ているとおぼしきチノパン姿の高齢男性や子ども連れも見かけ、ああこれはわたしが来ても❝アリ❞なんだなと思わせられた。

現在の展示は、世界中で伝統工芸などに携わる人たちを撮影した

イタリア人カメラマン夫婦の作品展「TRNSMISSIONS」。

鍛鉄場で大人の動きを見ているアフリカの子ども、

嗅覚だけで薬草を見分けられるよう、必死で覚えているミャンマーの子ども、

孫に稽古をつける日本の能楽師

フランスの造花師母娘などなど、

「伝承」を感じる瞬間が切り取られていた。

日本の能や香道など、和の伝統芸能も多く、母も楽しそうだった。

 

その後、シャネルの向かいにある松屋をぶらつく。

松屋三越にくらべ、ずいぶん現実的な服が売っていた。

そのかわり、インテリア・生活雑貨は和食器よりもモダンなものや北欧ものが多め。

ちょっと疲れたので6階の喫茶店、「カフェキャンティ」でお茶。

www.chianti-1960.com

 

キャンティの系列店だが、「伝説のキャンティ!」というより、百貨店内の喫茶店らしい雰囲気。

「キャンティって、安井かずみも通ってたアレだよねー」などとしゃべりながら、午後のひと時を過ごす。

 

松屋を出たら、もう夕方だ。

新幹線に乗る母を見送るため、丸の内線で東京駅へ向かった。

 

楽しい1日は、あっという間に過ぎた。

 

雑踏のなかに母の後ろ姿を見送りながら、

ああ、特別なことなんて何もしなくていいのかもしれないと、ふと思った。

いつも、母が上京するたび、「何をしよう」「東京ならではのことをしなければ」と肩に力が入ってしまう。

変わった場所を選び過ぎて微妙だったり、

選んだお店について解説しすぎて、ちょっとドヤ顔すぎるのではと自己嫌悪に陥ったり、

移動しすぎて疲れさせてしまったり。

つまるところは、空回りだ。

母はそのつど「楽しかったよ」と言ってくれるが、これでいいのだと思えたことがなかった。

 しかし、今回は、わたし自身も楽しかった。

母もそうなのでは、とはじめて感じられた。

 

大人になった今、親子で過ごせる時間自体が貴重なのだ。

目に入るものに「あのデザインはいいね、ないね」などとツッコんだり、

ブラブラ歩いて思いもよらぬすてきなものを買ったり

(それは別に東京以外で買えるものであってよい)、

その時々で入りやすい店に入って、他愛ないおしゃべりをする。

それでいいのではないか。

また、「案内しなければ!」とがんばるより、

わたし自身もはじめての場所で、お互い同じ目線でいたほうが楽しめるのでは、

というのもシャネル・ネクサス・ホールでの発見だった。

うまく案内しようなんて思わず、ただ母と歩くことを楽しめばよい。

不肖の娘として、上京して十何年目の悟りだった。

 

さわやかな秋風が吹く帰り道は、なんとなくさみしい。

新幹線に乗っている母を思いつつ、次こそは我が家に招待して、

今住んでいる平穏無事な街の「究極のなんでもなさ」を紹介したいな、

そのためにはまず片づけを……と決意新たに、電車の中で眠りに落ちていったのだった。

 

*1:はとバスは所要時間も行き先もさまざまで都合や興味に合わせやすい。要所要所で解説もあるので、ベタなところへはじめて行く場合はとくに、自力観光より楽しく感じることが多い

「こち亀」が終わる

週刊少年ジャンプ」に連載されていた

こちら葛飾区亀有公園前派出所」通称❝こち亀❞が、

連載40年をもって幕を下ろすという。

インターネットを見ていると、

「ちゃんと追いかけていたわけではないけれど、ショックが大きい」との声をよく見かけた。

 

夫もそんなひとりだ。

ニュースが発表された日、夫は「『こち亀』が終わるんだ……」と実に寂し気な表情で繰り返した。

意外な反応だったので、「そんなにショック?」と聞くと、

「だって『こち亀』だよ」と言い、思い出話をしてくれた。

「小さいとき、従兄弟のケンちゃん家に行くと、漫画がズラーッと並んでてさ。

ケンちゃんは年上だったし、『知らない世界がある!』ってすごくワクワクした。

こち亀』も最新巻まで揃ってて、読むのが楽しみだったなあ」。

 

わたしにも、「こち亀」を巡る思い出が、淡いながらもある。

母はわりと漫画が好きで、

どこから知ったのか、ある時期から「こち亀」を買い始めた。

たぶん、歯医者の待合室か何かで読んだんだろう。

最初からではなく、当時出ていた最新巻を買うスタイルで、

たしか、60巻前後だったと思う。

兄もわたしもまだ小学生だった。

 

主人公の両津勘吉、通称❝両さん❞はけっこうな悪だくみもするけれど、

最後には必ずヒドイ目に遭う。

それもコテンパンに。

しかも、両さんは❝ゴキブリ並❞といわれる生命力の持ち主で、

何があってもピンピンしているし、反省なんてしないのだ。

それが痛快だったのだと思う。

並はずれたバイタリティ、度胸、

そしてお金儲けにはフル回転して意外なアイデアを生み出す頭脳をもつ両さん

超お金持ちの同僚・中川や麗子の存在もあって、

わたしたちがやりたくてもできなかったり、

とても思いつかないような儲け話を実行してしまう。

ときどき挟まれる、両さんたちの少年時代編もおもしろかった。

自分とは違う時代を生きる、少年たちのたくましさ、冒険。

今の時代なら「ALWAYS 三丁目の夕日」的と表現されるであろう、知らない下町の風景。

必ず最後はホロリとさせられる。

 

両さんの実家は佃煮屋で、

佃煮は、実家では食卓にのぼることがないものだった。

それに、わたしが住む地方都市には下町というものが存在しなかった。

同じ日本にある、ちょっとだけ未知の食べ物、未知の世界。

好奇心や憧れを刺激された。

 

こち亀」という作品は、わたしにとって、

実家の居間で母や兄と回し読みしていた空気感や、

狭い世界しか知らない子ども時代の憧れと、

分かちがたく結びついている。

 

漫画に限らず、長く続くタイトルというのは、きっとそういうものだろう。

それぞれの人がもつ、それぞれの「こち亀」にまつわる思い出。

そして、あって当たり前だったものが終わってしまう寂寥感。

わかっていたつもりなのに、

あらためて「永遠なんてものはないのだ」と実感させられる、あの感じ。

みな、それに打ちのめされているのではないか。

 

フィクションがくれた楽しい記憶は、いつまでも、

心の中に、ポッとあたたかい光をともしてくれる。

それが、夫のなかにも、わたしにもある。

40年描き続けた作者の秋本治先生、お疲れさまでした。

そして楽しい作品を、ありがとうございました。

ソーダ水のようなしあわせ

今年の夏は、なんだか溶けそうだった。

例年に比べてそんなに暑かったわけではないけれど、

じりじりとした陽光にやかれていると、

自分の境界線がぼんやりとしてくるので、

「わたしはこれこれこういう職業に就いていて、

結婚していて、

いま、こういう仕事をしていて、

これをやらないと納期に間に合わないから机に向かっていて」

と、ときどき言い聞かせていた。

 

思えば、わたしの人生のなかで、

これほどまでに現実が力をもったことはなかった。

頑張る方法がわかっていて、

やればやっただけの報酬(それほど多くはないが)をもらえる、

つまり、自分に合った仕事。

愛する、そして私のことを愛しているらしい夫。

その生活を支えるのは、ひたすらこまごました雑事だ。

掃除の分担、日々の食事、週末の予定。

そしてふたりの将来。

持ち家か賃貸か?

生活費はどう分担するか?

生命保険だってかけちゃおう。

できれば子どもがほしいな。

現実、現実、現実の積み重ねだ。

 

気持ちはあっても生活は伴わない恋愛関係、

空回りばかりしてうまくいかない仕事、

わたしを追い出したがる会社。

そういったものに囲まれていたとき、

わたしはしあわせではなかった。

ぐらぐらとした精神のすき間を縫って、

たくさんのイメージが流れこんできた。

森のなかでの静かな生活や動物のささやき、

ライト・ノベルのような異能力者の戦い、

コテコテのメロドラマ、

鮮烈な悲しみ。

キャラクター、情景、物語、何かの動き。

別に、心のすきまを空想で埋めていたつもりはない。

それらはただ、あって当たり前のものだった。

 

仕事が落ち着き、結婚により私生活が落ち着いた。

わたしにも、望む未来が見えた。

そこへ歩んでいくために、考えるべき現実的なことは山ほどある。

というより、夫との生活を成り立たせ、

未来へ連れて行ってくれるのは、現実的な物事だけだ。

 

わたしは望んでいた、地に足のついた暮らしを手に入れた。

情緒は飛躍的に安定した。

目の前に広がるのは、現実の海だ。

拡大すれば物を緻密に構成する粒子が見えるし、

引きで見れば輪郭がはっきりと見える、そういう現実。

それなのに、毎日がしあわせでフワフワしている。

真夏の日差しがくっきりと、浮き上がった足元を照らし出し、

これはいけない、と思う。

だから、わたしは現実をとなえる。

わたしはこの仕事をしている、結婚している、いま、ここに住んでいる。

 

現実が力をもつ一方、

わたしのなかの空想的イメージはなりを潜めた。

異能力者の散らす火花の音も、

架空の森に響く鳥の声も、

雪が降りしきるなかで悲嘆にくれる恋人たちの痛みも、いまは聞こえない。

しあわせが、こんなに静かなものだったなんて。

 

この傾向は、現在の住まいに引っ越してきてから強まった。

ふたりで手をつないでの買い物、緑道の散歩、鳩の鳴き声、感じのよいお気に入りの店。

夫婦ふたりの暮らしは甘やかで、ソーダ水のなかにいるように感じる。

ソーダ水のなか、ふわふわとただよいながら、わたしは、暮らしを眺めている。

キラキラした泡が、とてもきれい。

でも、ときどき息ができないように感じる。

だって、ソーダ水のなかにいるのだから。

 

ソーダ水のなかの息苦しさ、あるいは、

くっきりした3DCGの現実のなかで、

わたしだけが抽象画で配置されているような、居心地の悪さ。

 

わたしは、このしあわせと、現実と、うまくやっていきたいと思っている。

抽象画タッチのまま、3DCGにマッチする描き方を。

ソーダ水のなかではなく、外へ行って、

気泡を眺めたり、飲んだりする、そんな楽しみ方を。

 

空想的イメージの源泉がなくなったわけではないことも、ときどき感じる。

今までのようにざわざわしなくてもよい。

明るさを落として影をつくれば、きっとまたなつかしいざわめきが聞こえるはずだ。

その方法がわかりさえすれば。

 

わたしは、やっと、ソーダ水の水面から、顔を出すことを覚えた。

息継ぎのたび見上げる空は、少しずつ高くなっている。

濡れた髪を、涼しい風がなでていく。

こうして、秋がやってくる。

羽毛布団を捨てる

羽毛布団を、捨てようと思う。

 

この布団を使うようになったのは、はるか昔、もう30年も前のことだ。

そのころ、わたしの実家は新築フィーバーにわいていた。

憧れのフローリング、

小さな玄関の吹き抜け、

そして子どもたちにとっては、念願のひとり部屋。

何もかもが新しい暮らし。

両親、とくに母は、この機会に奮発して、いろいろと質のよいものを買いそろえた。

台所には当時めずらしかった食器洗浄機が備えつけられ、

リビングにはどっしりとした木のテーブルが鎮座した。

母が、家具屋で一目ぼれしたものだという。

 

羽毛布団も、そのうちのひとつだった。

「平凡ちゃん、これ、すごくいいものなのよ」

母はキラキラした目でそう言った。

子どもだったわたしには詳しくは理解できなかったが、

とにかく品質が高いものであることを、母は語った。

実際、カバーを外せば本体に有名寝具店のりっぱなタグがついていたし、

布団は驚くほど軽かった。

しかし、そのことに気がついたのは、ずいぶん後のことだ。

 

新築の熱狂が冷めやらぬうち、家庭の雲行きはどんどんあやしくなり、

やがて崩壊してしまった。

まだ傷もついていないフローリングには埃が積もり、

ロマンチックな吹き抜けの照明を灯す人はおらず、

おしゃれな壁かけ時計が鳴らすチャイムがむなしく響きわたった。

 

わたしは夜半まで膝をかかえて床を見つめ、

夜明け近くになると泣きつかれ、羽毛布団にくるまって眠る生活を送った。

ほどなく、わたしはその家で暮らすことはなくなり、

羽毛布団は置いていった。

 

羽毛布団がふたたびわたしの人生に現れるのは、その少し後。

進学を機に、上京するときだ。

父が実家の物品を詰めてくれた新生活セットに、羽毛布団が入っていた。

寮のような場所で暮らすことになっていたので、荷物は少なかった。

段ボール箱、わずか2個。

うちひと箱は、羽毛布団と、それにくるまれたCDラジカセが入っていた。*1

上京してからも、実家でのあれこれの影響が残り、しばらく心身の状態は安定しなかった。

しょっちゅう貧血状態になり、羽毛布団にくるまって横になった。

 

「実家から持ってきた布団」以上の価値に気がついたのは、夏だった。

そこは冷房温度を細かく調整できなかったため、室温はまあまあ暑いか寒いかの二択だった。

しかし、布団はどちらの場合も、ちょうどよく調整してくれる。

酷暑の時季以外、春秋冬のいわゆる3シーズンは快適に使えるのだ。

調べてみると、羽毛布団には、そういった機能があるという。

わたしはそこではじめて、母が「これ、すごくいいものなのよ」と言っていたことを思い出した。

なるほど、これはよいものに違いない。

そう思うと、なんとなく布団のことを誇らしく感じた。

暑さ、寒さから守ってくれる布団に愛着もわいた。

 

それから何度も引っ越しをし、わたしは羽毛布団を使いつづけた。

どこにいても、羽毛布団は初夏までは快適で、秋冬はふんわりと暖かな空気を閉じ込めてくれた。

いつまでも羽毛布団は新しい、よいものでありつづけてくれる、そんな気がしていた。

 

完璧だったわたしの布団に、変化が訪れたのはいつだったろう。

「今年は寒いね」と、毛布を敷き布団に足し、羽毛布団の上に足し。

電気あんかや湯たんぽも必要になった。

 

新しいダブルの毛布2枚にくるまれ、湯たんぽを入れても寒かった冬。

あれは3年ほど前だろうか。

やっと気がついたのだ。

「この羽毛布団、ぜんぜん暖かくない!」。

 

あらためて羽毛布団を見ると、かつての厚みはまったくなかった。

そういえば、ここ数年、羽毛が部屋に舞っていることが増えた。

振り返れば、昔はそんなことはなかった。

 

羽毛布団を買い替えようか、打ち直そうか。

検索したり、模索したりするうち、夫との結婚話が持ち上がり、

わたしは布団問題を先送りにした。

結婚したら引っ越すかもしれないし、そのときに考えよう、と。

 

ただ、わたしが問題を先送りにしようと、時間は止められなかった。

布団から舞う羽毛は日に日に多くなり、シーツを着脱する際は、

直後に掃除機必須となった。

見るも無残なぺちゃんこの布団に、

立派な有名寝具店のタグが輝いているのを見ると、

なんともいえず物さみしくなった。

 

そして、結婚してはじめての新居に引っ越し、夏を迎えた今。

夏がけ布団を使っているうちに、羽毛布団を捨てようと、やっと決意した。

粗大ごみに出さなくちゃと思っていたけれど、

ためしにごみ袋に詰めてみたら、すっぽりと収まってしまった。

それも、70リットルではなく、45リットルに。

清掃局に尋ねると、それなら燃えるごみに出せるという。

 

その日、帰宅した夫に、布団がごみ袋に収まって驚いたと話した。

粗大ごみの処理代かからないんだよ、すごいよね、いいよね。

夜、夏がけの薄い布団に入ったもわたしは、なかなか寝つけずにいた。

羽毛布団を使った30年のこと、東京で暮らしたさまざまな部屋のこと。

時はさかのぼって、お布団をはじめて入手した日のこと。

母の得意そうな笑顔。輝いた瞳。

新築にワクワクしていた、わたし自身の心。

あれは間違えなく、我が実家にとって、ハレの日だった。

結局、「ダメになった」という表現では足りないぐらい、

めちゃくちゃになってしまったけれど、

それでも実家には、あんな日があったのだ。

みんなが未来に胸をおどらせていた日が、確実に、あったのだ。

「平凡ちゃん、これ、すごくいいものなのよ」

母の声、キラキラした感じ。新しい家、明るい未来。

思い出したら、泣いてしまった。

情緒が安定している近年のわたしには、めずらしいことだった。

 

すんすんと鼻をすすっていると、

隣で寝ていたはずの夫が、わたしの頭をなで、背中をなでた。

起こしてしまったのかと思ったけれど、どうもそうではないらしい。*2

羽毛布団にくるまってひとりで泣いていたわたしの隣にも、

いまやなぐさめてくれる人がいる。

その人は、

血のつながりもなく、

たまたま出会い、

自分たちの意志と

法的効力をもつ紙切れでつながった赤の他人で、

でも、横でわたしが泣いていたら、

無意識にせよ背中をやさしくなでてくれる。

そのことが、とても不思議に感じられた。

 

よし、やっぱり羽毛布団を捨てよう、とわたしは決意した。

そして冬までに、夫ととびきりよい羽毛布団を買おう。

ふたりにとって、それはニトリのものかもしれないし、無印良品のものかもしれない。

いずれにせよ、また新しく、ふたりで❝布団の歴史❞をはじめるのだ。

 

こうして決意した❝今❞はあっという間に過去になり、

どんなに輝いた時間もいつかは色あせてしまう。

ときには輝いていたことがかすむくらい、

何かがめちゃくちゃく壊れてしまうこともある。

そのことに打ちのめされることも多いけれど、

生きている限りは未来があるし、過去の輝きは消えはしないのだ。

新しい布団への夢と、夫が見せたやさしさ。

ふたつの輝きを心にしまって、わたしはようやく眠りに落ちた。

*1:引っ越しのたび、「最初は2箱だったのがどうしてこんなに……」とため息をつく。洋服など、入学式用スーツを入れてわずか3着だったのに!

*2:実のところ、夫が起きていたのかはわからない。朝、それとなく話をふってみたら、「そういえば、背中をなでた気がする。なんでだろう~」と言っていたのでちょっとあやしい