平凡

平凡

支援すること。その責任

1か月以上、非公開にしておりました。

また少しずつ再開していければと思います。

 

※今日のブログは、ツイッターなどで見聞きしたことを元に書いています。

 

金はパワーだ。

良いことにも、悪いことにも使える。

そして、人に分け与えることもできる。

その方法のひとつが、募金だ。

 

募金時に考えるリスクのひとつが、詐取。

このお金は被災地や子ども、動物のためではなく、

誰かの豪遊に使われてしまうかもしれない。

そういったことは、容易に想像がつく。

 

しかし、そのような予想の範疇内ではなく、

募金が正しい目的に使われてなお、

不幸を招いていたとしたら?

パワーの行方が、間違っていたとしたら?

 

******

私は犬も猫も好きだ。

となると、当然、動物の保護活動に注意が向く。

それほど頻繁ではないけれど、動物保護活動にパワーの分与、

つまり寄付することもある。

 

先日、動物好きに大きな衝撃を与えた事件があった。

とある猫の保護団体(シェルター)が

「多頭崩壊状態にある」と周知されたのだ。

多頭崩壊とは、世話できる以上の動物を抱え込み、

じゅうぶんな世話ができなくなってしまうことを指す。

世話が行き届かないのだから、現場は不衛生でひどい状態になる。

殴ったり蹴ったりしていなくても、

動物を愛した結果であっても、

結果的にそれはネグレクトであり、虐待だ。

 

保護団体の多頭崩壊自体は、ないことではない。

が、この件は衝撃が大きかった。

ことさらに幅広い層から、厚い信頼を集めていたシェルターだったからだ。

 

私はその団体に支援したことはないが、名前だけは知っていた。

原発事故で取り残されてしまった動物たちを

懸命にレスキュ―した人たちが立ち上げたシェルター。

福島関連のチャリティーイベントでの募金先や、

猫の譲渡会では、必ず名前を見かけた。

知名度は群を抜いていた。

 

そのシェルターは、管理人が発信する文章が個性的なことでも知られていた。

平たく言えば、かなりウェットで、涙を誘うような文章だった。

私見では、動物の保護活動に関心がある人は、

ウェットな文章を好む人と、

できるだけ感情を淡々と書く、ドライな文章を好む人に大別されるように思う。

そのシェルターの活動は、ドライな情報発信を好む人たちも支持している印象があった。

意外だったが、要は行動が大事なのだ。

管理人は、実際の行動で信頼を獲得した。

文章の好みは小さなことである。

そう思っていたし、実際そうだったのだと思う。

 

シェルターにたくさんの猫がいることは、周知の事実だった。

多くの人は複数の人間が出入りし、世話をしているものだと思っていた。

しかし、蓋を開ければ、

1軒家に数すら把握できない多くの猫(100匹前後といわれる)、

世話をしていたのは管理人1人。

猫の世話は追いついておらず、不衛生極まりない室内、掃除されていないトイレ。

支援物資は開封されることなく、外に山積みにされ、多くが使い物にならなくなっていた。

 

 ボランティアの間では、かねてから

シェルターの状況が心配されていたという。

たくさんの人が助力しようかと声をかけた。

しかし、管理人は介入を拒み続けた。

そこで有志が集まり、いわば“抜き打ち”でシェルターを訪れ、事態が発覚した。

 有志は可能な限り清掃を行い、事実を公表した。

その理由のひとつは、

「支援をいったん止めること」だったという。 

 

このシェルター崩壊の恐ろしい点は、

「世話が追いつかず、その状況を恥じ、周りに助けを求められなかった」

わけでも、

「金品を詐取する目的で支援を募り、猫をネグレクトした」

わけでもなさそうなところだ。

善意のパンク、あるいは悪意の詐取、どちらでもない。

 

レスキューに向かった人たちの発信を読むと、

 

・過去にシェルター運営に助力を申し出た人は多いが、

管理体制について質問されるのを、管理人は嫌がった。

 

・管理人は、猫がシェルター外に引き出されることを嫌がる傾向があった

 

・他の人が保護した病気の猫を、管理人が

「うちなら支援による医療費があり、看護できる」と

積極的に連れていくことがあった

 

・一方で、自分が保護した猫をシェルターに預け、

その後を確認しない人もいた*1

 

・管理人はまったく猫の世話をしていなかったわけではない。

病身の猫にはかなり手厚い看護が与えられていた。

また、管理人は病気の猫の看病に長けていた

 

・管理人が原発事故による立ち入り禁止圏内の動物レスキューに献身したのは、事実

 

・支援金は(その使い道が正しいかどうかは別にして)猫のために使われていた

 

・最初から最後まで、清掃に入られたことを嫌がっていた

(それは後日更新されたシェルターのブログからも見てとれる)

 

・シェルターが汚いという自覚はない

 

と読み取れる。 

 

 また、シェルターのブログから見える事実として、以下のようなことがある。

 

・支援金が月100万円を超えることもあった

(多くは医療費で消えている模様)

 

・しかし、細かい収支報告はなかった。

支援者の求めに応じ、1月に2018年11月、12月分のみ、収支報告をしている

 

管理人の要請もあり、全国から絶え間なく送られる支援物資は

さばき切れておらずシェルターの混乱ぶりに拍車をかけて無駄になり、

しかし管理人は支援の要請はやめない。

多額の支援金は、病気の猫への手厚い看護に使われる一方、

多くの猫への世話は行き届いていなかった。

 

過去の実績と現状が乖離し、責任と無責任がまじりあう。

管理人の状態が何なのかよくわからないが、

総合すると、今現在は、猫の看病や保護した猫そのもの、

「支援されること」に依存しているのではないか。

 

同シェルターは現在も、支援を求める文言を消しておらず、

更新されたブログには、清掃にあたった人たちへの感謝はなく、

猫たちが置かれた不衛生な環境への言及はなく、

支援物質を無駄にしたことへの言い訳もなかった。

 

支援者の多くは、ブログやTwitterの文章のファンであったという。

「あの文章を信じていたのに」と言う人もいるが、

今でも応援のリプライを送る人もいる。

 猫たちを極めて不衛生な環境に置き続け、

それでも猫を手放すことに強い抵抗があるように見える

管理人を応援することを、私は不思議に思う。

 

ここには、“物語化”の怖さが潜んでいる。 

管理人の語る過度に感傷的な言葉は“物語”と化し、

そのなかでは、猫も支援者も物語を盛り上げるパーツのひとつになってしまう。

読む者は、その“物語”に耽溺する。 

 

******

悪意ではなく、

善意(のようなもの)に導かれた支援が、悪い結果を招く。

これは、対動物に限らず支援のもっとも怖い一面だと思う。

この一件は、支援することの責任とリスクをあぶりだしている。

 

だからといって、私は寄付や物資の支援を忌避しようとは思わない。

今まで以上に寄付先を考え、機会があれば支援をするだろう。

そのためには、

 

・収支報告を確認する

・活動報告を読む

・支援の目的を忘れず、「物語」に耽溺しないよう、気をつける

・支援した後も、活動を見守る

・おかしい、自分の主旨と合わないと思ったら支援先を変える

・自分の手と足を使ってできるボランティア活動も検討する 

 

が必要だ。

 

大事なのは、「行動」だけだ。

悲惨な現状を見て、私の心にわきあがる「かわいそう」という気持ちも、

救い手が語る「救済対象の幸せが、私の幸せ」という言葉にも意味はない。

「かわいそう」と思ったら、自分ができることをする。

行動することが理想だが、

そうできないなら、冷静な目で判断して、最適な寄付先を選ぶ。

正解はない。

自分で情報収集し、探り、間違っていたら仕切り直す。

判断材料になるのは、数字と現実、結果。

何かを支援する者は、注意深く判断しなければならない。

 

「金」はパワーだ。

そして、「金」というパワーを分け与える者にも、

分け与えられた者にも、相応の責任が生じる。

折しも3.11に、そんなことを思う。

*1:危機的状況から救助された動物がその後暮らす場所、つまり動物の保護場所は、常に不足しているのだ

わたしは、私

年明け早々、西武・そごうの広告が炎上した。

医学部の入試不正をはじめ、

ジェンダーギャップの存在をまざまざと見せつけられた2018年。

パイをぶつけられてしょんぼりし、

いやいや、しょんぼりしているだけではいけない、

次世代にこんなことを背負わせるわけにはいけない、そう思っているところに、

パイをただぶつけられている広告を見せられるのはキツかったです、はい。

 

ところで結婚して丸4年が経ったが、いまだに新姓に慣れない。

法律婚に無邪気な憧れがあったので、

「(新姓)平凡だって、キャッ」という気持ちはなくはなかった。

夫のことは今も昔も大好きだ。

しかし、いつまでも「キャッ」は「キャッ」の域を出ず、

病院や役所で名前を呼ばれるときは、よほど集中しないと聞き漏らしてしまう。

「(新姓)平凡」と書くべきところで、夫の名前を続けて書いてしまうことも多い。

この名字といえば、夫、なのだ。

 

わたしの旧姓と下の名前には、同じ「偏」が使われており*1

その組み合わせに愛着があったので、ある程度は予測できていたことだ。

しかし、いくらなんでも1、2年でそれなりに慣れるだろうと思っていた。

それ以上に予想外だったのは、「(旧姓)平凡」という名前も、自分のものとは思えなくなったことだ。

仕事では「(旧姓)平凡」で通している。

旧姓で呼ばれて返事をすることに、だんだん集中を要するようになってきている。

 

「(旧姓)平凡」は、仕事関係の人が、私を呼ぶときに使うもの。

「(新姓)平凡」は、病院や役所で呼ばれる法律名。

「旧姓のほうがやっぱりしっくりくる」と思えるならまだよかった。

以前は「わたし」とぴったり結びついていた「(旧姓)平凡」も、

もはや自分とは切り離されてしまった。

かといって新姓にはなじめない。

よるべのない、宙ぶらりんな感じがする。

 

友人が少なく、下の名前で呼ばれることが少ないからか。

あるいは、在宅仕事で、そもそも人から名前を呼ばれることが少ないからか。

両方かもしれない。

 

夫婦別姓論議で、夫婦どちらかが改姓することの問題点を

アイデンティティを奪われる」と表現することがある。

自分自身に関して言えば、アイデンティティはそのままだけれど、

それを束ねるものがなくなってしまった感じがする。

「わたしは、私」で変わらないけれど、

そのパッケージをペロリとはがされてしまった感じ。

それを広義に「アイデンティティを奪われる」状態と呼ぶのかもしれないけれど。

 

いずれにせよ、名前がはがれた、むきだしの「個」のまま生きるのは、

フワフワ地に足がつかず、しんどい。

何がしんどいか、いまに至って言葉でうまく説明することができない。

ただ。

フリーランスのわたし、だれかの娘、妻であるわたし、

今こうして文章を打っているわたし。

それらを黙って統合してくれていた名前がない。

もしくは希薄になっている。

いちいち、それぞれの「わたし」を意識してまとめあげないと

「わたし」になれない。

そういう感覚が、年々、重くのしかかってくる。

 

こんなことは、改姓するまで考えたこともなかった。

 

そういえば、西武・そごうの広告には、

「わたしは、私」という表現が使われていた。

「わたしは、私」。何者でもなく、「わたしは、私」。

それが生きづらさを突破する、護符のように掲げられていた。

 

今の世の中、男性らしく、女性らしく、でみんなが幸せになるのは難しい。

その役割の息苦しさと、役割の中に潜む差別や抑圧に、

多くの人が気づいているからだ。

「らしさ」を外れたところには、

無理せず生きられる幸せと、ロールモデルが存在しない苦しさと不安がある。

「らしさ」の抑圧をはねのけ、「らしさ」ではない幸せを求め、

獣道をかきわけ、傷だらけになりながら進んだとき、

それでも立ちはだかるのは「らしさ」の壁だ。

「わたしは、私」。

それは、課題であり、ハードルであり、原動力であり、希望でもある。

護符なんかじゃない。


広告での「わたしは、私」は、「わたしらしく」の言い換えであるだろう。

なので、わたしの新姓旧姓アイデンティティ統合問題は、

広告の趣旨とはズレている。

それでも、考えてしまう。

広告を作った人は考えたことがあるのだろうか。

ラベルなく、むきだしでバラバラの「わたしは、私」で存在することのしんどさを。

新姓旧姓問題は、わたしの個の傾向が強く出ているので、

あまり結び付けたくはないが、

結婚により姓を変えるのは、多くは女性だ。

 

「らしさ」と「個」の過渡期に生きながら、

旧姓と新姓のはざまで、わたしは、

ただむきだしの「わたしは、私」であることの重さに耐えかねている。

*1:たとえを出すと、河村清子のような組み合わせ

ガチ恋ダメ、ゼッタイ!

ガチ恋」。

それはアイドルファン界隈の用語で、「アイドルを恋愛対象とする」ことを指す。

 

ところで、猫カフェの猫は、“会いに行けるアイドル”だ。

小屋(猫カフェ)に入場料を払えば、アイドル(かわいい猫)たちに会える。

猫との接触(なでる)も可能(猫がその気になれば)。

塩対応や、接触禁止の猫もいるが、それはそれでファン(客)にはたまらない。

 

ファン(客)はそれぞれ、“推し猫”がいる者もいれば、

グループ(店の猫)全部が好きな“箱推し”もいる。

 

大好きな推し猫のために、

入場料を払って店に通い、

それでは飽き足らず、せっせとおもちゃを買ったり、

オヤツやカリカリを店に寄付したり、

なんならCDなんてまだるっこしいモノは介さず、

直接お金を寄付したりする。

物販がある店では、グッズを買うこともできる。

 

となれば、当然“ガチ恋”もありえる。

我々が通う「譲渡型保護猫カフェ」における“ガチ恋”とは何か。

それは、「最終的に、推し猫と暮らすことを夢見ること」であろう。

 

アイドルと結婚するのは至難の業。

というかはっきり言って不可能に近い。

だが、保護猫なら可能だ。

譲渡型保護猫カフェは、猫たちの新しい飼い主を探すのが目的。

諸条件を満たして申し入れをすれば、

恋愛禁止だ「文春砲」だを気にすることなく、

祝福されて、猫ちゃんと暮らすことができるのだ。

 

大好きなあの子とフォーエバー、幸せに暮らしましたとさ。

実際に、そんなドリームを叶えた諸兄はたくさんいる。

 

さて、我々にも、もちろん推し猫がいる。

それは、スペースちゃん!

 

洋猫と何かのミックスらしく、灰青色の瞳が美しいスペースちゃん。

しかし、ストレートな美猫かというとそうではなく、

顔は丸く、瞳は猫なのに妙に細く、手足がとっても短い。

小柄で、生後半年の子猫サイズでありながら、しっかりと力強い体つきをしている。

その小さな体にバカでかい闘魂を宿しており、

気に入らない猫がいると、たとえ大きなオス猫でもぶん殴る!

ぶん殴り返されても、まったくひるまない。

そして、どこか見る者をハハーッとかしずかせる威厳と気品も兼ね備えている。

オヤツタイムなどあろうものなら、思わず貢いでしまう。

言ってしまえば、ちょっぴり気性荒めの猫ちゃんである。

 

当初は小さな体から子猫だと思われていたが、

後に小さな成猫であると判明。

年齢不詳、ミステリアスな貴婦人なのだ。

 

だいたい、「スペースちゃん」って名前はなんなんだ。

宇宙?

空白?

それとも、パソコンの上でスペースキーを押したとか?

 

保護猫なので、出自も不明。*1

不明ということは、自由に想像できるということ。

何しろあの威厳である。

ひょっとして、ハプスブルグ家や元華族にゆかりがある、

やんごとない猫ちゃんではないのか?

現実的に考えて路上出身であったとしたら、

きっとあの気性と迫力で、堂々とエサをもらっていたのであろう。

 

店に行くたびにスペースちゃんの写真を撮り、

家でそれを繰り返し見、

スペースちゃんの一挙手一投足にキャッキャし、

店のブログにスペースちゃんの画像が上がればLINEで報告し合い、

我々はいつの間にか、スペースちゃんとの暮らしを夢見て、

不動産屋巡りをするようになった。

 

スペースちゃんが家にいたら、楽しいだろうなあ。

あんまり「スペースちゃん!」って構い過ぎると、嫌がるよね。

夫が会社から帰ってきたらさあ、「にゃーん」とかって迎えに来るかもよ。

 

しかし、ペット可物件は少ない。

なかなか諸条件が折り合わない。

 

そうしているうちに、我が家に激震が走る。

「スペースちゃん、卒業が決まりました~!」。

卒業とは、新しい里親さんが決まったということ。

正確には、トライアル→正式譲渡と段階を踏むのだが、

譲渡型保護猫カフェでは、

カフェで猫とふれあい、その個性を見極めて家に迎えることを決めるため、

たいていが正式譲渡となる*2

 

夫婦で「スペースちゃん……」「……スペースちゃん」と、

会話にならない会話をすること数日。

我々は悟った。

これは“ガチ恋”であったと。

そして、本格的に猫を迎える準備ができるまでは、

ガチ恋”はすべきではないと。

 

そして、スペースちゃん卒業当日。

嫌がりつつも抱っこされ、

キャリーバッグにすっぽり収まったスペースちゃんは、

パニックになることもなく、

それどころか、ちょっかいをかけに来た他の猫をにらみつけて撃退し、

武闘派ぶりを見せつけながら、新たな家に旅立って行った。

 

スペースちゃん卒業が決まり、店に通い詰めた暑い夏。

正式譲渡の知らせが届くころには、風がすっかり涼しくなっていた。

里親さんはSNSをやっていないので、

今後、スペースちゃんの姿を見ることはないだろう。

ただ、正式譲渡の際、里親さんがお店に送ったという近況写真には、

すっかり家でくつろいでいる様子が映っていた。

生活感の中にいる、“お家猫”スペースちゃんは、

店にいたころとはまた違う可愛さがあった。

里親さんと、仲よくやっているのだろう。

 

推しが幸せなら、いいじゃないか。

しかし、唯一無二のあの丸顔がもう見られないと思うとさみしい。

 

こんなにがっくりくるなんて。

ガチ恋”、ダメ、ゼッタイ。

少なくとも、お迎えの準備が整うまでは。

 

しかし、“ガチ恋”している間、楽しかったのも事実。

今後、どんなスタンスで店に通い続ければよいのか?

秋風にえもいわれぬさみしさを感じつつ、思案している今日この頃である。

*1:保護状況によっては、父猫、母猫までわかっていることもある。ただ、多くの人の手を経て育てられ、世話され、カフェにたどりついた猫の出自を、末端の人間が知ることは難しいケースが多い

*2:先住猫がいる場合は、その猫との相性があって、厳しくなってしまうこともある

猫はカリカリのみにて生くるものにあらず

自分勝手で、ふだんは人間のことはどうでもよい、という顔をしている猫たち。

しかし、そんな猫たちでさえ、

「猫はカリカリのみにて生くるものにあらず」と感じさせる瞬間がある。

 

昔、実家で飼っていたのは、典型的な“猫”だった。

さわられるのは大嫌い、でも、なんとなく注目を集めるのは好き。

家族全員がテレビに夢中になっていると、

ギリギリ人間の視界に入る場所で、ゴロンゴロンと腹を見せた。

これに人間が弱いことを知っているのだ。

「あらっ、かわいーねー」

「じょうずだねー」

ひとしきり賞賛の声を浴びると、

満足そうにどこかへ(しかし人間の様子が見える場所に)去っていく*1

 

エサの時間になると、にゃあにゃあと最初はかわいい声で催促。

しかし、エサの用意がちょっとでも遅れようものなら、

その声は怒気を帯び、瞳に怒りが宿る。

「なんで、なんで、ごはんくれないの! 早く早く!

馬鹿じゃないの! 人類滅びろっ!」

みたいな顔してにらみつける。

遅くなってごめんねと言いながらエサを用意すると、

プリプリ怒りながらガツガツ食べ、食後もしばらくご機嫌斜めだった。

 

我々家族には横柄だが、

知らない人が来ようものなら、押し入れに入って半日は出てこない。

雷や花火でも同じ。

内弁慶で、たいへんな怖がりだった。

 

犬好きの友達に話したところ、「失礼だけど」と前置きをしたうえで、

「何がかわいいの」と聞かれたこともある。

あのとき、わたしはなんと説明しただろう。

最初から、猫はこんなものだと思って飼ったわけではない。

その猫より以前にふれあった猫は、もう少し人懐っこい性格だった。

しかし、とてもかわいいのだ。

自分勝手さが、愛おしいのだ*2

 

そんな猫が豹変したのは、母の再婚相手が倒れたときだった。

母は病院に詰め切りになり、わたしはできるかぎり実家へ帰るようにした。

その役目は、主に猫の世話だった。

ほぼ1人と1匹の家で、猫とわたしの距離は近づいた。

わたしの在宅中、猫はわたしの目の届く範囲にいつもいた。

わたしが風呂に入って見えなくなると、ニャーンニャーンと大騒ぎした。

外出するときは、廊下の端からわたしが出ていくのを見ていた。

ことに、わたしが東京へいったん帰る日の、張り詰めた瞳。

忘れることができない。

 

日のあたるリビングで仕事をしていると、

猫はわたしの近くで体を丸めた。

電気座布団にスイッチを入れ、わたしが座ると、猫は心底不思議そうな顔をした。

そして、トイレから戻ると必ず横取りしていた。

 

集中してパソコンに向かっていると、そっと体を寄せてくることがあった。

そのかすかなぬくもり。

そういうときは、そっとなでても怒らなかった。

義父の容体が思わしくない日々のなかにあっても、

それは安らぎを覚える瞬間だった。

しかし、同時に、人生でもっとも胸が痛む瞬間でもあった。

猫とふれあえて、頼ってくれて、うれしい。

でも、猫が心身元気でいてくれたら、一番、何よりうれしいのだ。

おまえ、わたしになんて懐かないで、ツンケンしていてくれよ。

いつも通り、コイツは邪魔だなあって顔をしていてくれよ*3

 

さみしさが毛皮をかぶったような猫の姿を思い出すと、

いまもヒュッと息が苦しくなる。

猫には言葉が通じない。

いつもいたはずの家族がいない。

何か異変がある。

そのことだけを理解している、猫の顔。

 

そのとき、わたしははじめて本当の意味で、

「猫はカリカリのみにて生くるものにあらず」と悟った。

人間なんてどうでもいいよ、みたいな顔をしていても、

食、水、トイレの清潔さが担保されていても、

決まった人間との安定した暮らしを、猫は求めている。

それは当たり前のことだ。

それまでだって、なんとなく理解してきたつもりだった。

しかし、ここまでなのか。

こんなにも、腹の底から求めているのか。

それが崩れたとき、猫はこんな風に、ここまで弱ってしまうのか。

 

先日、夫婦でとある保護猫カフェへ足を運んだ。

カフェに他の客はおらず、猫たちは遊びに飢えていた。

おもちゃひと振りで、老いも若きも大興奮。

なかでも、4カ月ほどの子猫は、ひときわ俊敏だった。

おもちゃを追って宙を舞い、

見事キャッチすると、おもちゃをくわえてひきずり回す。

ひとしきり遊んで疲れると、子猫は夫の近くに寝そべった。

そのとき撮影した写真には、

夫に頭をなでられ、目を細め、本当に満足しきった子猫の姿がある。

遊んではしゃいで、なでられて。

どれも衣食住や、三大欲求に結びつかないことだ。

しかし、それをたっぷり得られたときの充足した表情。

「猫はカリカリのみにて生くるにあらず」だ。

 

保護猫カフェやシェルターには、いろいろな猫がいる。

もちろん、ヒトが近づくだけで威嚇してしまう、人間嫌いな猫もいる。

しかし、多くの猫は、人間が嫌いではない。

どちらかというと、ヒトが好きだ。

遊んだり、なでられたり、膝に乗ったり。

さわられるのが嫌いな猫も、人間の近くにいることが多い。

それを見ると、「イエネコは長い歴史の中で、

人のそばで生きるよう、家畜化した生き物だ」と、

何かのドキュメンタリーで見たことを思い出す。

多くの猫が、“カリカリ以外のもの”を求めている。

 

わたしがふった猫じゃらしに、楽しそうに猫がじゃれる。

なでられて、うれしそうにする。

さわられるのが嫌いな猫が、それでも人間の視界のはしにずっといる。

人間とはまったくちがう、この小さく毛むくじゃらで暖かい生き物が、

わたしの行動、存在により、喜び、あるいは安心を得ている。

「猫はカリカリのみにて生くるものにあらず」。

それを実感するのは、

人間にとって、猫との交歓を腹の底から感じられる瞬間でもあるのだと思う。

 

たぶん、猫に限らず、動物と暮らす、交流するとは、こういうことなんだろう。

衣食住と、“カリカリ以外の何か”を人間は動物に与え、

動物も、人間にとっての“カリカリ(パン)”以外のものを与えてくれる。

 

母の再婚相手が亡くなり、母が家に戻ると、猫はそのそばを離れなかった。

そして、猫はめっきり老いた。

いつまでも子猫だと思っていた猫が、

けっこうな高齢であることを、わたしは思い出した。

義父の死後半年ほどで、猫はあとを追うように逝った。

 

実家のリビングでポカポカと日に当たっているとき、

保護猫カフェで見知らぬ猫と遊ぶとき、

わたしは昔の飼い猫がくれた“カリカリ以外のもの”を思い出す。

それは、かわいくて愛おしくて、楽しくて幸せで、にがくてくるしい。

 

飼い猫が死んだのは、夏の、よく晴れた日だった。

今年もまたこの季節が巡ってくる。

いつかまた、動物と“カリカリ以外のもの”を交換して生きられたらな、と思う。

 

 

 

ほか、保護猫カフェでの出来事を書いた日記。

ただ、この保護猫カフェは、今日の日記に書いたのとは、別の場所。

hei-bon.hatenablog.com

*1:当然、猫が去るころには、テレビのいいところは終わっている。しかし、猫がとてもかわいかったので、まあいいかとなるのであった

*2:まあ一緒に暮らしているとそうなるのだ

*3:それはとりもなおさず、わたしが目の前の猫が本当に求めている“カリカリ以外のもの”を供給できていない、どうやっても供給できないことを実感する瞬間でもあった。私は母でも義父でもないから、埋め合わせはできても、かわりにはなれない。猫を本当に安心させてやることはできない。当然のことだ。それは苦しいことだった

義母の庭

庭は生き物だ、と思う。

育てたように育ち、記憶をもつ。

そして、愛された生き物は、見る者に幸福をもたらす。

 

6月。

降りしきる雨に、紫陽花が濡れている。

水色、青、紫、赤紫、ピンク。

こんもりと手まり型になったものや、

つぶつぶとした花を装飾花が囲むもの、

つややかな緑の葉。

そのすべてを、雨が濡らしている。

「今年はとくに、きれいでしょう。

いろいろな色が咲いて……」

庭を眺めていると、義母が目を細めて言う。

 

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といからしたたり落ちた水が、

トタンを叩く音が響く。

一軒家特有の薄暗い空間には、

玄関にも、居間にも、義父の位牌前にも、紫陽花がいけられている。

 

今年もこの季節がやってきたのだと思う。

紫陽花が終わると、気温が高くなって、雑草がどんどん伸びる。

同時に、義母が作る家庭菜園の野菜たちが、がぜん元気になる。

ことに、プチトマトは雪崩れるように実をつけて、

赤い実が庭じゅうに転がることとなる。

食卓にも、もちろんそれらの野菜が上る。

どれもみずみずしくて、おいしいものだ。

「今年も、きゅうりとなす、トマトを植えたのよ」

義母が指さす先で、きゅうりのツタがプラスチックの棒に巻きついている。

 

秋から冬にかけては、

プチトマトのかわりに、金柑が地面に転がる。

なかには、鳥についばまれ、無残な形になっているものもある。

「むかし、パパ(義父)がね、『アヤコ(義母)さん、それはどうかと思う』って渋い顔で言ったの」

金柑の実を摘みながら、義母は毎年、この話をする。

「『金柑を食べて、庭に捨てるのはよしなさい』って」。

鳥がついばんだ金柑を、

義母が食べて、ペッと吐き出したものと勘違いしたというのだ。

時がたち、今、幼い甥っ子が、黄色い実を「どうぞ」と渡してくれる。

ちいさな果物を自分で収穫し、人にふるまうのが楽しくてしかたがないようだ。

同じように、夫や義姉も、この庭で遊んで育ったのだろう。

 

冬、紫陽花はみすぼらしく見える。

花の季節が終わると、義母は大胆に枝をカットしてしまうからだ。

「こうしないと次の年、花がつかないの」と義母は言う。

冬枯れの季節になると、切られた枝が痛々しく乾燥する。

「こんなことで、次の梅雨に花が咲くのだろうか?」と毎年不安になる。

 

そして巡りくる梅雨。

切られた枝がどこかわからないほどに葉を茂らせて、

今年も紫陽花が見事に咲いている。

ああ、また一年、と思う。

義母が丹精込めた庭が、またひとつ、年を重ねたのだ。

 

そして夏、義母はまた紫陽花の枝を切るのだろう。

「パパがいたころは、枝を切ってくれたんだけど……」と言いながら。

今では、伸びすぎた庭木の手入れは、たまに義実家へ帰る夫の仕事でもある。

義母はだまって草むしりをし、草木を整え、庭に四季折々の花を咲かせている。

 

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庭は義母に世話をされ、静かに息づいている。

電線にかかるほどに木々の枝を伸ばしたり、

秋には葉っぱを盛大に道路にまき散らしたり、何かと手間がかかる。

それは、まるで生き物のように。

その生き物は、家族のことを見つめ、記憶している。

義父と義母の語らい、

義姉や夫の幼い足音、

甥っ子のはしゃぐ声、

義母がわたしに語る、家庭菜園のコツ。

 

「気をつけてね」。

義母に見送られ、義実家をあとにする。

駅までの道には、いくつか、黒々と草木が茂った庭がある。

伸びきった木々の枝とそこに絡む蔦、

背の高い草が混然一体となって庭を覆いつくし、

道路にはみ出している。

「空き家なんだよ」と夫が言う。

義実家のまわりにも、空き家が着実に増えつつある。

世話をする人のいない庭では、草木が荒れ狂うように育っている。

まるで"野生化"だ。

人の手を離れた庭は、簡単にそうなってしまう。

 

義母が育てた庭を、我々、または義姉が受け継ぐのかはわからない。

ただ、"野生化"はさせたくないなと思う。

いったん義母の手を離れれば、それは簡単なことではないと、

容易に想像がつくけれど。

 

わたしは義母の庭が好きだ。

愛と慈しみを感じるから。

犬だって猫だって、そして庭だって。

愛され、よく世話をされている生き物を見るとき、

人は幸せな気持ちになるものだ。

 

次に義実家へ行くときは、もうトマトがなっているだろうか。

義母の庭とともに、わたしの結婚生活は、時を刻んでいく。

結婚に期待しすぎてはいけない

言葉とは、化石燃料のようなもの。

“資源”だと思う。

 

独立したばかりのころ。

わたしは、アルバイトをしていた。

今までになかったレベルの

経済不安定さに頭をガツンとやられたから。

というのも、もちろんある。

しかし、もうひとつ大きな理由があった。

それは、「言葉が頭から抜けてしまう」ことだった。

 

自宅でひとり仕事をするようになって、人と話す量が激減した。

当時は、仕事の量もたいして多くなかったので、なおさらである。

同時に、入ってくる「言葉」も激減した。

言葉の出入りがあるなんて、それまでは意識したことがなかった。

けれど、なくなってみるとわかる。

違う思考とボキャブラリーをもつ人間と会話をかわす。

それは、日々小さな“異文化”と出会うことであり、

言葉を交換し、お互い、自分の中になかった言葉を補給することにほかならない。

生物の死骸が長い時間をかけて蓄積され、化石燃料になるように、

取り入れた言葉は知らぬうちにプールされ、ボキャブラリーへと変わっているのだ。

 

そのうえ、わたしは仕事で言葉を扱う。

インプットはないのに、アウトプット過多。

今までたくわえた言葉が、自分の中から消えていく。

それははじめての感覚だった。

 

そこで、経済的不安と、言葉的不安を解消するため、接客業のアルバイトを始めた。

月に3~4回の派遣バイトだったが、

見知らぬ客と会話していると、みるみる「言葉」が入ってくるのを感じたものだ。

 

仕事が軌道に乗るにつれ、アルバイトをする暇もなくなり、

独立して1年で本業1本に。

打ち合わせなども増え、人と話すことは多少は増えた。

しかし、あのときの「言葉が抜けていく」恐怖感は忘れてはならないと思っている。

人に会い、本を読み、化石燃料を貯め続けなければならない。

 

夫と結婚が決まったとき、期待したのは、この「言葉の補充」だった。

何しろ、違う家庭で育った他人と、ひとつ屋根の下で暮らすのである。

日々、定期的に言葉が補充されるに違いない!

残念ながら、一緒に暮らし始めて2年もすると、その期待は裏切られた。

我々は似た者夫婦なこともあり、

次第に同質の文化、共通の言葉をもつようになっていったのである。

会話していて、思い出せないことがあっても、

「あれ」でたいていのことが通じてしまう。

あまりに同化しすぎると脳に刺激がなくなってボケそうなので、

なるべく「あれ」で済まさず、「思い出してはっきり言って」と促すようにしている。

コミュニケーションのストレスは限りなく低いが、

同時に摩擦による刺激も限りなく少ない。

言葉が抜けていくこともないけれど、補充されることもない。

 

家計を一にし、同化していくうちに、

2人の言葉の油田も、なんとなくつながってしまった。

夫婦でかわした言葉も知らず、天然資源となっているのかもしれないけれど、

それは微々たるものだなと思う。

 

夫婦はひとつ、だけど他人。

化石燃料の材料になるものは、個々でせっせと集め、

資源を守っていくしかない。

そして、同化に向かいがちな夫婦は、異化する努力も必要である*1

結婚は万能ではない。

そして、夫婦円満であればこそ、出てくる問題もある。

結婚生活で得た意外な気づきである。

 

*1:まったくタイプが違う2人の場合は、違った努力が必要になるのだろう、当然

いつもの料理が、急にみすぼらしく見えて

母の体調がすぐれないというので、週末、実家へ帰る。

食欲はあるという母のために、料理を作ることになった。

 

母はひとり暮らしになって4、5年経つが、

それまでずっと家族の食卓を支えてきた。

誰かのために料理を作りつづけてきた彼女は、

自分のためだけに作るミニマムな献立に、

いまだに戸惑っているように見える。

 

いい加減な料理を覚えると、のちのち楽かもしれないと思い、

我が家の人気料理、キャベツのごま塩鍋を作る。

 

レシピはこちらから。

hokuohkurashi.com

 

ざくざくキャベツを切れば、サクッと作れる簡単鍋だ。

夕飯には、帰省していた兄も同席した。

ふだん、2人用の料理に慣れているので、3人用となると勝手がわからない。

キャベツを1玉使いきり、水菜やらしいたけやらの野菜を入れてかさ増しをした。

 

「ほうら夕食だよ」と、鍋のふたを開けてみたものの、

実家のダイニングに置いてみると、それはひどくみすぼらしく見えた。

緑系野菜ばかりで彩りはなく、表面積の9割を占めるキャベツの切り方は乱雑だ。

母は「おいしい、おいしい」と食べてくれたが、

わたし自身は、いつもどおり「おいしい」と感じることができなかった。

 

家族とはいえ、兄も母も、生計は別だ。

それぞれに、暮らしがある。

兄は何事にもきちんとしている兄嫁の料理を毎日食べている。

母はこの食卓を、4、5年前まではさまざまな料理で彩ってきた。

いまは、「ずいぶんいい加減になったわ」と言っているが、

職場へ持っていくお弁当が、

「アスパラの肉巻きににんじんのグラッセ、ほうれんそうのお浸し。

毎日毎日一緒なのよ、恥ずかしい」と言っているので恐れ入る。

まったくもって、きちんとしているではないか。

 

かく言うわたしは、実家を離れて20年。

ひとり暮らしのいい加減料理から、

共働きの簡単料理へとグレードアップかダウンかわからない変遷を経て、

いまに至っている。

 

実家で作った「キャベツのごま塩鍋」を、

夫は「野菜もたっぷりとれるし、いいねえ、おいしい、おいしい」と

食べてくれる。

けれど、外に出すと、なんだか恥ずかしい。

 

「平服で」といわれたパーティー会場に、

ひとり、着古したジーンズとTシャツで行ってしまった気まずさ。

いや、お母さんの料理が大好きな子どもが、

「うちって毎日ごちそうが出るんだよ!」と自慢して友達を家に招き、

次に友達の家に遊びに行ったら、本物のごちそうが出てきた。

あっ、もやしと挽き肉のカレー炒め、わたしは大好きだけど、

よそではごちそうとは違うんだと悟る。

ごちそうって、鶏肉のソテーとか、こういう料理のことをいうんだ。

そんな恥ずかしさに近いかもしれない。

 

 

つまり、なまなましい暮らしの部分で、

夫は「内」の人間で、母と兄は「外」の人間なのだ。

そのことを身をもって感じたできごとだった。

 

自宅に戻り、忙しい平日、かろうじて肉を買い、キャベツをザクザク切って、

「キャベツのごま塩」を作る。

実家でこの料理を作ったとき、こんなことを感じたんだ、と夫に話す。

なんだかしょんぼりしちゃってねえ、と言うと、

「内」の人間であるところの夫は、

「ええっ、そうかなあ。だって、これ、おいしいよ」と

ニコニコしながら箸を進め、

「あっ、肉、これで終わりだったね……。食べちゃった」と申し訳なさそうにした。

 

それにしても、我が暮らしは「外」がなさ過ぎるのかもしれない。

人を招くこともないし、ごくまれに持ち寄りするときは、どこかでお惣菜を買っていく。

たまには「外」の風に当たらなければ。

実家での食卓を思い出すと、そんな必要性を感じるのだった。