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平凡

平凡

雨宮まみさんに、ありがとうとさよならを

雨宮まみさんの連載コラム、「40歳がくる!」が更新された。

大和書房・WEB連載〜40歳がくる!MOB 雨宮 まみ vol14

これで最終回だ。

著者の雨宮さんが、11月15日に急逝されたから。

 

雨宮さんが亡くなったというニュースが流れたのは、

11月のよく晴れた日の、正午ごろだった。

Twitterには、その3日前まで書き込みがあったし、

2週間ほど前にはウェブの連載も更新されていた。

逝去を知らせる一報には、

「11月17日には近親者のみのお別れの会が……」と記されていた。

11月17日は、そのニュースが配信された当日だ。

突然過ぎる。

何より、まだ雨宮さんは40歳なのだ。

にわかには信じられなかった。

 

雨宮さんは、すぐれた書き手だった。

 

冒頭に挙げた「40歳がくる!」では、40歳を目前にした雨宮さんが、

仕事、美容、恋愛、お金などへの焦りや戸惑い、不安に向き合う様子がつづられていた。

どれも雨宮さん自身の体験を描いたものだ。

しかし、読んでいるうち、わたし自身の年齢、

ひいては変化し続ける自分という存在をどのように受容するかについてヒントをもらえる、そんな内容だった。

読み終えると、だいじょうぶ、不安だけど、どうしていいかわからないけど、生きていこうと思えた。

 

もうひとつ、ネットで読める連載のひとつに、

雨宮まみの“穴の底でお待ちしています”」があった。

cocoloni.jp

簡単にいうと人生相談なのだが、投稿される悩みは

「人の恋愛がうまくいかないとテンションが上がる」

「借金があるのに趣味がやめられない」

「異業種転職を何回かして、また続かないのではと不安」

「恋愛感情を向けられると気持ち悪い」

「"美人"を使いこなせない」

など一筋縄ではないものばかり。

「自己責任」「甘い」「贅沢」と一蹴されそうなもの、恥ずかしいもの、

人間誰しもそうかもしれないけれど自分はちょっとおかしいんじゃないか……

そんな誰にも言えない悩みを、相談者は雨宮さんだけに打ち明ける。

雨宮さんは、けっして相談者を責めたりしない。

まず、(文章の上で)お茶を出し、ねぎらったうえで、

相談者が少しでも自分を受け入れ、生きていけるようなアドバイスをつむぎだす。

たとえば、長年、家庭ある男性と付き合い、さらに浮気されたという女性に、雨宮さんは、

相手の男性へ怒りをもってくださいとすすめ、

「醜くていいから、きれいに生きなくていいから、どうか力を失わないでください。」

と語りかける。

「14年間の不倫…都合のいい女にも程がある自分に辟易」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第34回 | ココロニプロロ|恋愛×占い

「醜くていい、きれいでなくていい」。

これは、どの回答にも込められたメッセージだったように思う。

どんなに自分とはかけ離れた相談であっても、

「穴の底」から発せられた回答を読むと、わたし自身、

生を肯定されたような、

力強く包まれるようなあたたかさを感じることができた。

何より、「どうしようもない悩みを抱えたとき、『穴の底』に雨宮さんがいてくれる」ことが、とても、とても心強かった。

投稿するかしないか、採用されるかどうかは問題ではない。

ただ、「穴の底」があることが、そこに雨宮さんがいてくれることが、

最後の砦のように感じられたものだった。

 

西新宿で過ごした"何者でもない日々"を書いたこの寄稿文も、大好きだった。

suumo.jp

雨宮さんの文章は、どんなことを綴っていても、

不思議と「自分に向けられている」と感じられた。

それは、書き手として稀有な才能だ。

天賦のものというより、

雨宮さん自身の生き様によって獲得したものではないかと思う。

自身のことを書いたSUUMOのこのエッセイですら、

雨宮さんから長い語りを聞かせてもらっているような気持ちになった。

 

どの時代もそうだと思うが、「今」を生きる者には、

「今」ならではの悩みがある。

2016年の「今」は、多様な生き方をしやすくなった。

ジェンダーに縛られることはまだまだ多いとはいえ、親世代よりマシだ。

一方で、選択肢が多く、

旧弊なものも含め多様な価値観が乱立する「今」だからこそ、

モデルケースが見つけにくい。

自身を貫こうとすれば、思わぬところで否定されることもある。

大人になることも、

親になることも、

おばさん、おじさんになることも、

昔よりも通過儀礼にあたるものが少なく、境界線が曖昧だ。

「おばさんになるのは嫌」と思ったとき、

では、どのような中年女性になるのかを思い浮かべることは難しい。

ビジョンさえあれば、昔より選択肢の幅は広くなっている。

しかし、誰もが常にビジョンを浮かべられるわけではない。

選択肢すら見えないケースだって多いだろう。

 

そんな「今」に生きるわたしには、雨宮さんがいた。

モデルケースというわけではない。

「今」ならではの悩みに直面した雨宮さんが、

懸命に生き、ぶつかり、悩み、ときには自己嫌悪に陥りつつも、

自分自身を受容していく。

その過程には、立場が違う人々に、あまねく響く普遍性があった。

第一、「今」ならではの悩みを言語化するのは難しい。

それをすくいとって、「こんな悩み、ありますよね」と見せたうえで、

がっぷり四つに組んでくれる雨宮さんは、

戦友のようであり、先陣を切り開いてくれる先輩のようでもあった。

 

わたしは雨宮さんの書く文章のファンであったし、

書き手としての姿勢を尊敬もしていた。

しかし、逝去の報を聞いて、ここまでショックを受けるとは思っていなかった。

 「『穴の底』に雨宮さんがいる心強さ」も、

「戦友のよう」な存在感も、亡くなってから、気がついた。

年を取っていくのは不安だ。

仕事もお金も、老いていくことも。

でも、どんなに不安でも大丈夫。

わたしには、雨宮さんがいる。

醜さや弱さや加齢を正面きって見つめる雨宮さんが。

穴の底で待っていてくれる、雨宮さんが。

雨宮さんはまだお若かった。

だから、ずっとそこにいて、そんな存在であってくださると思っていた。

勝手に。

 

他人を大きく包む、やさしさをもった人。

反面、傷つくことが多い人生でもあったろう。

そうやって生きながら、雨宮さんは、魂を削るようにして、文章を綴ったのだと思う。

「40歳がくる!」で、雨宮さんは「心を道具にして仕事をする」と書いた。

大和書房・WEB連載〜40歳がくる!MOB 雨宮 まみ vol12

心を揺さぶるものを追いかけて文章を書き、その文章は、多くの人の心を揺さぶった。

その負荷、孤独は、わたしの想像を絶するものだったに違いない。

 

雨宮さんは、常に戦っていた。

いつだって、強く、美しかった。

 

この数週間、雨宮さんなしで、この先を生きていくのだと、飲みこもうとして、飲みこめずにいた。

実際に交友のあった方々のツイートや、出版社の出す訃報、まるでいつもの雨宮さんなのに最終回を迎える連載。

そういったものを目にして、少しずつ、雨宮さんはいなくなってしまったんだなと現実を受け入れ始めている。

 

わたしは、雨宮まみさんのニワカ読者だと思う。

もっとよい追悼文を、多くの人が書いている。

でも、雨宮さんに心を揺さぶられ、救われた者として、

どこか残る場所に、お礼を書いておきたかった。

それが、読者にできる、たったひとつのはなむけだと思うから。

 

雨宮まみさん、ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。

フリーランスが仕事をもらうために必要な、たったひとつのこと

今日は結婚生活とはまったく関係のない、仕事について書こうと思う。

この記事の脚注で書いたことについて。

hei-bon.hatenablog.com

 

フリーランスになって、10年たった。

「フリーになりたいけれど、仕事が来るか不安」。

同業者からそう聞くと、わたしは

「うれしい! 楽しい! 大好き! でなんとかなりますよ」と、

人気歌手の曲名のようなことをアドバイスしている。

 

ところで、フリーランスになって驚いたことのひとつは、

発注主は、外注業者に意外と気をつかっているということだ。

「この仕事、嫌じゃないですか」

「この分野、興味ありますか」

 そう聞かれることが多い。

「こちらが発注する側でござい」とふんぞり返っているような人には、

少なくともわたしは会ったことがない。

 

適性のある人のほうが、やる気があってよいものが作れると考えている可能性もあるが、

わたしが見ている印象では、「どうせなら楽しく仕事してほしい」が強くある気がする。

また、仕事をふることを、「迷惑になるかもしれない」と考えている人も多いように思う。

いやいや、仕事もらえるってありがたいことに決まってるじゃん! と思うのだが、

ふる側は不思議と恐縮している。

共通の知人に仕事をふりたいという発注者から、「あの人にうけてもらえるか、迷惑ではないか」と相談をうけたりするので、

わたしが恐縮させているわけではないと思う。

 

しかし、この心理は、仕事をふる側になるとわかる。

わたしも他の職種のフリーランスに仕事をふることがあるが、「こういうの、興味あるかな」「嫌じゃないかな」と考える。

 

そのように気をつかいながら仕事の打診をしたとき、「あっ、その分野、興味あったのでうれしいです」と言われると、心底ほっとする。

仕事の合間に、「これこれこういう感じで楽しいですね~」と言われると、ますますほっとするし、

ああ、次もお仕事をお願いしてもいいんだなと思う。

 

そんなわけで、発注側は常にマッチングを気にしている。

なので、「これが好き!」と口にしておくことは、仕事を回してもらううえで、非常に有効だ。

別に無理してアピールする必要はない。

自然に、自分が好きなことを、雑談のなかで話すだけだ。

案外、発注者はいろいろな分野で人を探しているものだ。

その分野の仕事が発生したとき、声をかけてもらえる確率は高くなる。

わたしは過去、言ったその場で「実は、そういうことに興味がある人を探していたんです!」となって仕事につながったこともあった。

 

それらを総合して、「うれしい! 楽しい! 大好き!」と表現している。

ある種のものづくりや出版、イベント系の仕事は、フリーランスに限らず、同じ道筋で話や世界が広がっていくことが多いように見受けられる。

 

この世界では、驚くほど「人からの紹介」が強い。

売り込みよりも、

「いつも仕事している某さんの知り合いだから(ただし会ったことも、成果物を見たこともない)」

「(会ったこともないけど)某さんから、何々がお好きだと聞いて」で仕事がきたりする。

つまり、「うれしい! 楽しい! 大好き!」とやって、ウキウキ仕事をしていれば、自然と輪が広がっていくのだ。

それと、期日は守る、守れないときは早めに連絡すること。

当たり前かもしれないが、これは大事だし、逆にこれができれば基本大丈夫ともいえる。

 

フリーランスってどうやって仕事を取っているの、生活しているのとよく聞かれるけれど、

人の輪のはしっこをひとつつかめさえすれば、案外、こういった普通のことをやっているだけで仕事は途切れない。

まわりを見ていても、そう思う。

むしろ、まじめな人は、独立後1~2年すれば、仕事が途切れる心配よりも、仕事が集中したときにどう処すかが悩みどころになっていることがほとんどだ。

もちろん、基本的技術は必要だし、技術は高いにこしたことはない。

ただ、職人的な仕事であれば、ある程度の技術があれば、「楽しく、きっちり仕事をこなす」ことで次の仕事へとつながっていくと思う。

 

「うれしい! 楽しい! 大好き!」が「たったひとつ」と言えるのか、

「期日守るでふたつ目では」など疑問もあるのだが、

これが、10年間、フリーランスで食い扶持を稼いできての感想である。*1

*1:ひとりでやれる作業量は限られるので、「食い扶持」以上に大きく稼ぐことが難しいのも、また事実である。

また、高齢になったときの身の処し方などには不安はあるが、フリーランスになる人が多い業種では、

どのみち会社に勤めていても、老後の安定や先の見通しにはつながらない。

なので、この話は、「当面、元気なうちに食っていく」こと限定ではある

服を贈る、ということ。あるいはユニクロでコートを買った話。

突然だが、我が家の夫は秋生まれ。

そしてわたしは冬生まれだ。

夫婦の結婚記念日は、覚えやすいよう、夫の誕生日にしてある。

秋冬といえば、何はなくともクリスマスだ正月だとイベントが多いシーズン。

そこに個人的な記念日まで加わっており、祝いごとが目白押しなのだ。

 

我々夫婦の記念日に対するスタンスは、

「誕生日とクリスマスは、プレゼントを贈り合いましょう」というもの。

で、その後には、(ただし、無理はない範囲で、なるべく)とカッコ書きが入る。

スケジュール的に、金銭的に、無理はせず。

ただし、忘れることはないように。

 

お互い、誕生日、クリスマスに何がほしいと言い合いはするのだが、

たとえば服など、一緒に買いに行くものだと時間がなかったりで、

ズルズル先のばしになってしまうことが多い。

加えて、夫はあまりほしいものがないので、候補選定に時間がかかる。

そういうわけで、昨年分の夫へのプレゼントを買いそこねたまま、

今年も夫の誕生日兼結婚記念日を迎えようとしていた。

 

そんなある休日、我々は出先でユニクロにふらりと立ち寄った。

あまりに外が寒かったからだ。

以前は、服を選ぶことを嫌がり、ユニクロでさえあまり行きたがらなかった夫だが、

以下のような経緯もあり、最近は多少、ファッションに興味があるようだ。

 

hei-bon.hatenablog.com

 

hei-bon.hatenablog.com

 とくに、ルメールとのコラボライン「Uniqlo U」には惹かれるようで、

ダウンジャケットを試着。

www.uniqlo.com

裾が短く、ラインもタイトで今風だ。

とくに、オリーブが顔映りもよい。

夫は既にダウンジャケットをもっているが、かなり古いもので、

シルエットがダボっとしている。

そのうえ、サイズも合っていない。

やはり肩幅が合い、シルエットが身にそっていたほうが、お洒落に見える。

 

もう1着、なんとなく「似合うかもよ~」と適当にすすめたこれ。

www.uniqlo.com

Uniqlo U」ではないが、やはりタイトなジャストサイズ。

裾が短めなので、脚長効果もある気もする。

シルエットがカッチリしているので、中年男性が着ても、

「ほどよく若々しさをプラス」ぐらいで浮きはしない。

夫も「シュッとしてる……」とご満悦。

 

問題は、どちらを買うか。

両方とも、1万円を切っている。

ウールブレンドパーカはやや軽めのコート、

ダウンジャケットはフル防寒なので、用途はやや異なる。

そのうえ、ウールブレンドパーカと同じようなコートは、現在、もっていない。

しかし、夫のなかに、「用途が微妙にかぶるものを2着買う」という選択肢はない。

 

わたしとしては、2着ともかなり夫に似合っており、

スタイルをよく見せてくれるので、ぜひ両方手に入れてほしい。

そこで、「誕生日プレゼント権」の行使を提案した。

2年分あり、価格もだいたい予算内。

いいではないか、いいではないかと話がまとまり、お買い上げ。

 

現在、夫は昼間の外出にはウールブレンドパーカを、

夜の寒いときは新しいダウンジャケットを着ている。

袖を通すと必ず、ふだんは見向きもしない全身鏡を振り返って、

「やっぱりいいよね。コート、カッコいいよね」とうれしそうだ。

 

妻としても、満足である。

妻の欲目承知だが、夫は細いながらも骨格がしっかりとしており、

なかなかカッコいいし、バランスのよいスタイルをしている思う。

それを引き立てる服を着てほしいと、常々思っているのだ。

 

服というのは面積が大きいので、身に着けたときのインパクトが大きい。

着ている限りは、常に目に入ってくる。

夫がよりカッコいい(すべて当社比・主観)姿でいるのはウキウキするし、

夫本人もなんだかうれしそう。

服を贈るのは、なかなかよいものだと思った。

 

そんなわけで、寒風吹きすさぶ日のお出かけが、

少し楽しみな今日この頃なのである。

 

10年前の自分からのメッセージ。そして5年後の自分への伝言

10年前、仕事関係のアンケートで、「10年後の自分へ」メッセージを書いた。

同僚がやっていた仕事で、それがどう使われたのか、覚えていない。

変なアンケートだが、ともかく「10年後の自分に叶えていてほしいこと」を何項目か書いて、

ずっと覚えておけるようにと、Yahoo! ブリーフケース(というクラウドサービス)にアップしておいた。

 

5年ほど前にたまたまそのデータを目にして、意外に実現できていないと思った。

箇条書きにいくつか挙げた前半は、既定路線の仕事について書いた。

それについては順調だ。

でも、後半は叶っていない。

ただ、「10年後の自分へ」を書いたときは、フリーランスになる前で、それはずいぶん昔のことのように感じられた。

既定路線の仕事について、夢が叶っていることは喜ばしかったし、「なんだ、もう10年たったかと思ったら、まだ5年か。あと5年もある」と思ったのだった。

少しずつ、夢に近づいていければいいじゃない。

 

この仕事についてから、やりたいことは自然に叶ってきた。

今の仕事についたこと自体、そうだった。

もともと好きなジャンルではあったけれど、就職活動をしたときは、どうすればこの職に就けるかわからなかったし、

こういった仕事で食っていけるとは、とても思っていなかった。

人生回り道をして、「やってみたい」と転職活動をしたら、すんなり就けた。

仕事が軌道に乗ってからは、やりたいことを口にすれば、

その分野の仕事が飛び込んでくるようになった。

周りを見ていても、だいたいそうだ。

これは運とかそういうものではなく、

この業界がそのように回っているからだ。*1

だから、「10年後の自分に叶えていてほしいこと」のうち、

叶えられた半分が、叶えていないもう半分に自然につながっていくだろう。

そんな風に思っていた。

 

のんびり構えているうちに、あっという間に次の5年が過ぎた。

私は楽しく、やや流されながら、日々忙しく仕事をこなしてきた。

相変わらず、叶えられているのは前半部分だけだ。

その間に、Yahoo! ブリーフケースはサービスを終了してしまった。

データはサルベージしたので、このPCのどこかに、

10年前に書いたメッセージは保存されている。

でも、見なくたって内容は覚えている。

箇条書きの後半部分は、ずっと昔から願い続けたことだからだ。

 

もし、過去や未来の自分にメッセージを送るとしたら。

10年前の自分には、「箇条書きの後半部分は、今までと同じやり方じゃ案外、叶えられないよ」と伝えたい。

5年後の自分には、「夢を叶えて、調子はどうですか」と尋ねたい。

既定路線の仕事は、わたしに安定を与えてくれた。

でも、後半部分もほしい。どうしても、ほしい。

 

若いときには予想もつかなかったぐらい、人生は短い。

少なくとも、中年になると、驚くほどに人生は短いと感じる。

年齢を重ねるほどに、月日は飛ぶように過ぎる。

偶然とはいえ、願いに❝タイムスタンプ❞を記しておいたことは、意味があったと思う。

せっかくブログという場があるのだから、10年目の今、再び❝タイムスタンプ❞を押しておく。

5年後のわたしへ。

「15年前に書いた夢の後半部分を叶えて、調子はどうですか?」。

 

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

*1:これについてはいつかエントリーを書きたいのだが、ざっくり説明すると、仕事をふる人は、「できればそのジャンルで仕事をしたいと思っている人に、楽しんでやってくれる人にふりたい」と思っている。発注主は案外、「この仕事ふって嫌じゃないかしら」と気にする人が多く、そして、案外、マッチングに悩んでいるケースが多い。なので、やりたいことや好きなことは、楽しく発信しておくに限る。→記事を書きました。「フリーランスが仕事をもらうために必要な、たったひとつのこと」http://hei-bon.hatenablog.com/entry/2016/11/12/001000

わたしにとって、❝イカす❞こと

「イカす」ということばがある。

かつての若者ことばで、今は死語に近い。

もちろん、意味は「カッコいい」「魅力的」。

一定以上の年齢の方なら、

いかすバンド天国」なんて番組名がすぐに浮かぶかもしれない。

 

ところで、最近、SNSで、

「人生で一番大切なのは、金でも、セックスでも、恋でもない。デートすることだ」

ということばがシェアされていた。

ミュージシャンの岡村靖幸氏の言らしい。

 

ちょうど別の人と、人生に大切なことは何かについて話していたとき、

「たまのおいしい食事と旅行。それと女性とのデート。

敬愛する岡村靖幸いわく、

『金でもセックスでも恋でもなく、デートが大切』ってね。

すごくわかる。デート、これですよ」

と言っていた。

 

シンクロニシティというよりは、直近のライブで語った内容らしい。

 

わたしは共感はしないけれど、なんとなく、なんとなく、わかる気はする。

昭和風にいえば、デートはイカすってことじゃなかろうか。

イカすもの、それはきらめきを与えてくれるもの。

これをしているとき、「人生を謳歌している」と感じられるもの。

人生を根底で駆動させるもの。

日常を支えてくれるよろこび。

「イカす」って、「生かす」に通じるのかもしれない、と思ったりする。

 

わたしにとって「イカす」ものってなんだろうと考えたとき、

パッと浮かんだのは、夫との生活だ。

何も起こらなさそうな平穏無事な街で、

お互いの違った視点で

動植物の小さな変化を見つける。

日々の食卓を囲む。

ふたりでくっつき、丸くなって眠る。

一見、刺激ともっとも縁遠く、

しかし、わたしにとっては、もっとも最先端なもの。

不動のように見えて、

ふたりの関係を繊細にメンテナンスし続けなければ得られないもの。

 

たぶん、こうして平凡な生活を書き綴っているのも、

わたしにとっては新鮮なものだからだろう。

 

岡村氏のファンには、「そういうことじゃない」と怒られそうだが、

氏の名言を耳にして考えたことは、そんなことなのだった。

 

どこかで見た、ありふれた、なつかしくすらある、未知の世界。

平穏なきらめき。

そんなものを、忘れないように綴っていけたらと思う。

こういう質問に答えていくと、ホームページ時代やミクシィのバトンを思い出しますね

今はなき「ザ・インタビューズ」に登録したとき、

あらかじめ用意された質問に答えているうち、

どんどん恥ずかしくなって、30分未満で退会してしまった。

人の回答を読むのは楽しいが、自分で書くのはダメだった。

しかし、やはり、こういったお題を見かけるとついつい書いてしまうのだ。

 

 

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

1. はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

はてなブログは、シンプルすっきり。

文章がうまい書き手が多いイメージがあった。

もちろん、同じプラットフォームで書けば自分も同じようになれるわけではない。

しかし、憧れとはそういうものだ。


2.ブログ名の由来を教えて!

 平凡な暮らし。


3.自分のブログで一番オススメの記事

オススメはわからない。

星をたくさんいただいたものが、そうなのかもしれない。

ただ、このブログには

「きっと1年後には忘れてしまう平凡なしあわせを書きつけたい」という

ごく個人的な備忘録の側面があり、

その性格がよく出ているのは、こういう記事だとは思う。

実際、書いてまだ半年未満であるにも関わらず、

「こんな夜もあったんだな」と忘れかけていた。

http://hei-bon.hatenablog.com/entry/2016/06/17/083000


4.はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと

ざっくりした感想だが、他のプラットフォームより、読んでいただけることが多いように感じる。

はてなスターは気になった文章をマーキングできる機能もあり、読者としても便利。

また、意外に多種多様なジャンルのブログを書かれている方がいる。

その幅広さは、ここでブログを始める前に把握していたものの比ではなかった。


5.はてなブログに一言

昔、 「人力検索はてな」の名前で知ったころは、

まさか自分がこのプラットフォームを使うと思わなかった。

それを思い出すと、ブログは敷居が低いなと思う。

 

他の方も書いておられたが、

アクセスの多寡に関わらず、幅広いジャンルのブログと出会いたいので、

「注目のブログ」コーナーは復活してくれたらうれしいと思う。

ひとつになりたい、のかもしれない

ときどき、夢を見る。

 

ある夢では、凍りついた野山で、吹きすさぶ雪が顔を打っていた。

まつ毛に雪が積もって視界はせまく、

肌の感覚はすでに失われていた。

目を開けていられなくて、ああ、わたしはこのまま死ぬんだと思う。

そのとき心に去来するのは、恐怖ではなく、あたたかな安堵感だ。

まわりには同じように、多くの人が凍りつく大地に伏せっていた。

たぶん、世界中で同じようなことが起こっている。

氷河期がやってきたのだ。

わたしは、死ぬ。

人類の一員として。

それはひどく、安心感を与えてくれた。

毛布にくるまれているような、

ランタンの灯りをみつめているような、

そんなあたたかな安心感。

 

ある夢では、ゾンビによる終末が訪れていた。

わたしもいち早くゾンビとなり、まだ生きている人々を追いかけていた。

人間は、体温があって暖かい。

その喉元を狙って、かぶりつく。

喉元を狙うのは、そこが衣服に覆われていなくて、

自分の口もとに一番近い場所だからだった。

霞がかかったような意識のなか、

わたしの胸を焦がすのは、

ひとりでも同じ存在を増やしたい、という想いだった。

衝動というより、想いだった。

そして、やはり、安堵していた。

みんながやがて、一緒になるのだ。

 

世間のみんなはどうだか知らないけれど、

こういう夢を見ると、わたしはひとつになりたいのかな、と思う。

若いころ、「新世紀エヴァンゲリオン」を見て、

人類補完計画」の必要性がまったくわからなかったけれど、

今さらながら、ああ、こういうことなのかなと思う。

人類の一部だと強く感じられること(それが死の結果だとしても)。

みんなと均質の存在になること(たとえ動く死体だとしても)。

その、得も言われぬ安心感。

 

今までわからなかったことが、実感になったりする。

見えなかった願いを意識させられたりする。

それも、ぜんぜん予測しなかった方向から、不意に。

夢って不思議だと思う。

 

ところで、わたしは、ひとつになりたいんだろうか。

そんなことを考えながら、

わたしは今日も床でまぶたを閉じる。