平凡

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読み切りマンガ『鍵がない』はなぜおもしろいのか

先日、Twitterのタイムラインに繰り返しRTされてきた漫画がある。

コミックDAYSに掲載された読み切り『鍵がない』(伊藤拓登さん)だ*1

 

『鍵がない』はタイトル通りの作品だ。

会社員の男性が、鍵をなくす。それに気がついたのは、玄関の前。しかも時間は残業をし、疲れ切った深夜だ。詰んでる。

描かれているのは「鍵をなくした人間が陥りそうな心理と、やるであろう行動、そのアクションに対する周囲の反応」だけ。大きな事件は何も起こらない。

それでもじゅうぶんにおもしろく、つるつるっと読まされ、読後感は実にさわやか。

無料、登録なしで読めるので、まずは読んでみてほしい。

 

鍵がない - 伊藤拓登 / 【コミックDAYS読み切り】鍵がない | コミックDAYS

 

この作品は漫画だが、文学系の小説講座や新人賞の講評では、しばしば「半径3メートル以内の話に終始している」といった批判が出ることがある。

表現はときに「半径1メートル」だったり「5メートル」だったりとばらつきはあるが、要するに「身近なところから一歩も出ていない」「当たり前の暮らしの中の発見を描こうとしているが、それ以上でもそれ以下でもない」といった意味合いなのだと思う。

万人になじみがある日常は共感を呼びやすいけれど、同時に凡庸、ありきたりになりやすい。

そこを超えるためには、もう一段、「なじみがある体験からの新しい発見や驚き」が必要なのだろう。

 

では、『鍵がない』はどうだろうか。

 

詳しくは上記リンクから作品を読んでいただくとして。

扱っているモチーフはまさに「半径3メートル以内」だ。主人公の場合は鍵だけれど、財布やスマートフォンなど、なくすと日常生活に差し支えるものをなくした経験がある人は多いだろう。いまはそういった経験がない人も、「自分もひょっとしたら」と思える事態だ。

 

主人公は鍵を財布に入れているので、すなわち財布もなくしている。しばらく部屋の前で茫然としたあと、駅へ届けられていないか確認しに行き、交番へ行き、クレジットカードを止め、ネットカフェに泊まろうとする。が、身分証は財布のなかなので入店は無理。そのあとタクシーに乗り、iDで料金を支払おうとするが、そもそものクレジットカードはさっき止めたばかりで……。事態は何も解決せず、主人公はまた入れもしない家の前に帰ってきてしまう。

 

どれも「あ~やりそう!」という失敗だ。そんな失敗や好転しない事態にやけっぱちになりつつも、主人公は周囲の人にきちんと対応する。主人公は隣人にある助けを求めるのだが、それも非常に限定的で、抑制が効いた「わきまえた」人物であることがわかる。そんな人物が、「鍵をなくした」ことによって連鎖するちいさなダメージを受けていく……というのが前半の展開。

しかし、深夜2時、とりあえず横になれる場所を探しはじめた主人公は、ちいさな親切にいくつか出会い、自分が意外と支えられていることを知る。最後は彼の日常が、ほんのちょっとだけよいものになったことを予感させて終わる。

 

『鍵がない』が、「日常的なつまらない話」ではなく、「日常的で身近で、だからこそ多くの人を惹きつける話」になっているのは、この「ちいさな」「ほんのちょっと」の徹底した積み重ねだと思う。

 

主人公が「ほんのちょっと」のストレスをためたり、あるいは周囲の人たちが「ほんのちょっと」の親切を見せるシーンはどれも短くも丁寧で、その人たちのキャラクターがにじみ出ている。それゆえ、「漫画に描かれていないシーン」を想像させてくれるものとなっている。たとえば隣人の女性は、きっと主人公が去ったあと、なんとか助けることができないか、いろいろ考えたんだろうな、とか。

そんな人々が見せる、「ほんのちょっと」の親切の数々は、どれも抑制が効いている。「都会に暮らすなかで、これ以上はできない」「これ以上は受け取るほうも負担になる」。そのラインは明確だ。

その親切を受け取るのもまた、都会に生き、SOSを発するときも最低限で無理は言わない、抑制が効いた主人公だ。

「ここまでやったら引くよね」という行動はひとつも出てこない。そして、それでも主人公は十分に救われていく。

 

『鍵がない』が新しいのは、「鍵をなくす」普遍的なシチュエーションを通し、「都会人ができる親切のライン」と「そのライン内で行われる親切の可能性」を提示している点だと思う。

『鍵がない』は、日常の半径3メートルから飛躍する作品ではない。半径3メートルをギリギリいっぱいまで歩いたあと、くるりと振り返り、そこに光をあてて、「でも都会ってこういうところありません?」と新しい角度から見せてくれる。そこにはちょっとした驚きと温かさがある。

この作品の感想に「都会の親切」ということばがよく見受けられるのは、その表れだろう。

 

以下は余談だが。

ぶっちゃけていうと、わたしも大学時代には「半径3メートル以内」の短編小説をよく書いた。ただ、それが読者をどこにも連れて行かない、要するに新たな発見がない作品に仕上がっていることもなんとなく感じていた。「ただの日常」と「ただの日常を超える作品」の違いはなんなのか、いまひとつわからないままに生きて来た。

が、遅まきながら、『鍵がない』にその違いをはっきりと教えてもらった気がする。

 

とにかもかくにも、『鍵がない』は、人の心を明るく照らす、ほんのちいさな灯火を切り取ったような作品だ。

まだお読みでない方は、ぜひ。

 

画像は《置き忘れたAirTag付きの鍵類のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20210528144airtag-3.html

*1:「モーニング」の月例賞佳作受賞作であること、作者である伊藤さんご本人のTwitterアカウントには「青年誌連載を目指して漫画を描いています」とあることから、新人の方と思われる