平凡

平凡

かつてそれは「ババシャツ」と呼ばれていた

冬も終わりである。今朝は霜柱が立っていたが、冬も終わりである。これはたしかなことだ。UNIQLOヒートテックが「期間限定値下げ品」に頻繁に入るようになったのだから。

 

20~30年前、現在、「ヒートテック」と呼ばれる類のものは、すべて「ババシャツ」と呼ばれていた。いや、ほかに呼び方があったのかもしれないが、口頭レベルではほかに呼び名がなかったように思う。

女子中高生時代は、「今日は寒いね、ババシャツ着てきちゃったよ~」などと友人と会話を交わした記憶がある。そう、それは自虐だった。多少誇張して説明するなれば、「本来は若者は着ないもの、あまり好ましくないものを、寒さに負けて着用してしまいました」といったニュアンスをふくんでいた。

男性の肌着はなんだろう。単に肌着、もしくはラクダの下着だろうか。ラクダの下着って、いま、通じるのだろうか? いや、それ以前に、ババシャツっていまでも理解されるのか? シュミーズは? 閑話休題

 

ヒートテック誕生直前の2000年初頭。2年連続、誕生日に、母から肌着を贈られた。「スポーツウェア会社が開発した、あったかい下着。あんた寒がりだから」と。たしか、マンシングかデサントのもので、1枚2000~3000円したはずだ。自分では買えないが、贈り物としては実用的でありがたい。そんなお値段だった。暖かさもさるものながら、薄く、体に沿い、動きを妨げないことが新鮮でうれしかった。

 

それを一気に「手に届くもの」にしたのが、2003年から発売を開始したUNIQLOヒートテックだったと記憶している。ヒートテックのようにテクノロジーをつぎ込んで、「暖かい」「涼しい」を叶える肌着は、機能性肌着というはずだが、だれもそんなふうに呼ばない。夏のエアリズムはともかく、冬のヒートテックは一般名称化、あるいは普通名詞化している。そして、ヒートテックという言葉が普及したいま、だれも冬の肌着を「ババシャツ」とは呼ばなくなった。おそらく、機能性肌着ではない、綿やウールの肌着であっても「ババシャツ」とは呼ばないはずだ。一般名称としてのヒートテックが「機能がある冬用肌着」全般を指すのだとすれば、正確にはヒートテックとババシャツはイコールではないのだが。

 

わたしには若い知り合いや娘がいないのでわからないが、今、「今日はヒートテックを着てきちゃった」と自虐的に語る若者はいないのではないだろうか。老いも若きも、UNIQLOで、あるいはイオンでファッションセンターしまむらで購入した“ヒートテック”を着ている。「寒い冬も、薄くて高性能な機能性肌着を使って着ぶくれず、暖かに」。そんなことはいまや、当たり前になった。

 

20年以上前、それよりもっと前だって、ブラウスなどの下に、多くの人が肌着を一枚着ていたはずだ。しかし、とくに冬になると、なんとなくその一枚が気恥ずかしかった。だって、それはババシャツだったから。

ヒートテック」という商品、その名と概念が普及したことは、その一枚に対するモニャっとしたためらいをなくしてくれた。「我慢の美学」に属する呪縛をひとつ、取り払ってくれたようにも思う。

 

スマートフォンがないころにどうやって鉄道に乗っていたかもはや思い出せないように。「ととのう」という表現が普及する以前、サウナの気持ちよさをどう言い表していたかわからないように。ヒートテックがない時代の冬の“肌着感覚”は遠いものとなった。

 

冬も終わりだ。にもかかわらず、朝晩はまだまだ寒い。わたしは毎朝“ヒートテック”的なものに袖を通しながら、それがババシャツとはもはや呼ばれないことに、ありがたさを感じている。