平凡

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地味な困りごとに満ち満ちたこの世界の「ちょっといいこと」

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 

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最近の、「ちょっといいこと」といえば、切れた電球を交換できたことだ。

「いやいや、いくらなんでも『ちょっと』過ぎない!?」と思われるかもしれない。

が、この誰にでもできるはずの、単純で簡単な作業が案外、難航したのです。

 

玄関の照明がつかなくなった。

当然、電球を変えるため、照明カバーを外そうとする。

が、夫がやってもわたしがやってもうんともすんとも言わない。

半球形のカバーは小ぶりの丼ほどの大きさで、ガラス製だ。

加えて、玄関の天井はモルタルか何かを貼り込んであり、ぺこぺこしている。

つまり、乱暴に事を運べば、ガラスが割れる、またはモルタルが破損する、運が悪いと両方が起きる、ひいては敷金が吹っ飛ぶ可能性がある。

 

困った。

家の不具合は、なんでも管理会社にお任せできるのが賃貸のメリット。

とはいえ、電球の交換は賃借人の責任の範疇だ(当然のことながら)。

 

あれでもない、これでもないと照明カバーをいじりつづけているうち、我々はあることに気がついた。

「あそこ、ペンキついてない?」

天井を塗るときにはみ出たらしいペンキが、照明器具の一部に付着していたのだ。

もしも、入居前の補修工事のさい、ペンキが付着して乾き、そのためにカバーが回らないのであれば――。

それは、管理会社の範疇だ。

 

わたしは意気揚々と管理会社に電話した。

すると、担当者は開口一番こう言った。

「照明器具に、ペンキとかついてませんか?」

なんでも、同物件の別部屋で、そういった事例があったというのだ。

 

我々が補修工事に疑いの目を向けたのは、「根拠なく」ではない。

古い物件なので、入居当初からたびたび補修をお願いすることがあり、そのたび大工さんが来てくれる。

その作業が若干、乱暴なのだ。

「わっかんねえなあ」と言いながら、不具合箇所をとりあえずトンカチでガンガン叩き、素人を不安にさせる。

いや、わたしたちが内装工事について無知なので驚くだけで、その対応がふつうなのかもしれない。

ともあれ、結果的に不具合を直してくれる、気のいい初老の男性である。

なぜかマスクをしていないが。

 

「大工さんを呼ぶ前に、まずはわたしがようすを見ましょう」

というわけで、管理会社の担当者が家に来てくれた。

彼が踏み台に乗ってすぐ、暗雲が立ち込めた。

「うーん、これはペンキじゃないかもしれません」

ペンキはたしかに付着しているが、カバーの着脱に問題がありそうな箇所ではないというのだ。

ペンキじゃないとすれば。

単にかたく締めすぎて外れないだけ、という可能性が高まる。

それはなんというか……地味に、一番、困る。

正解がないから。

 

この世は、「地味だし命にかかわらないけど、どうすればいいかわからない、正解のない困りごと」に満ちている。

これは大人になって知ったことのひとつだ。

たとえば、輸入もののピクルスの瓶。

もし、瓶をあっためても道具を使ってもふたを開くことができず、かつ、ゴミ捨てルールが厳しい地域に住んでいたら――。

不燃ごみにも出せず、開かずのピクルスの瓶を抱えて流浪の旅人になるしかない。

あとはええと、「足の甲にまあまあひどい火傷を負い、痛みで靴が履けなくなる」とか。

そういったリストに「照明カバーがすごくかたくて回らないので、電球が交換できない」が加わってしまうのか。

 

わたしがそんなことを考えている間にも、管理会社の担当者はがんばってくれている。

「天井はこんな感じでペコペコしているし、照明カバーはガラスだし。賃貸だと気を遣いますよねえ」

こちらの心情に理解を示してくれるのがありがたい。

 

しようがない。

玄関にはセンサーライト付きの照明でも置くか。

あきらめかけたとき、ゴリッと頭上から音がした。

「ま、回りました!」

ゴリッゴリゴリゴリゴリゴリ……。

ファンタジー作品で封印された石の扉が開くときのような、

仕掛けを上手く作動させ、石の歯車が回りはじめたときのような、

とにかくおおよそ一般家庭に似つかわしくない音をたてて、ついにガラスのカバーが外れた。

「やりました!」

「ありがとうございます!」

「すごい! すごい! ほ、ほんとに外れたーー!」

狭い賃貸の玄関は、一時、祝賀ムードに包まれた。

 

管理会社の担当者による推測は、以下のようなものだ。

前の住人がしっかりとカバーを締めた結果、カバーがガラスであること、それを付ける側が金属であることが災いして、がっちりと噛み合ってしまったのではないか。

「あまり強く締めなくても落ちないから、軽めに回すようにしましょう」

 

そんなわけで、我が家の玄関に光が戻ってきた。

快適である。

うちの玄関に窓はないから、夫婦ともに外出して帰ったときなど、困っていたのだ。

地味に。

 

この「回らずの玄関照明事件」の解決背景には、いくつかの「ちょっといいこと」が重なっていたと思う。

まず、管理会社の担当者が親身になって動いてくれたこと。

本質的には電球の交換なので、「勝手にやってください」と言われてもおかしくはない。

次に、担当者の背が高かったこと。

夫の背丈は日本人の平均だが、天井と照明の設置部分を直接見るには、すこし足りなかった。

一方、担当者はカバーの根元をのぞきこめるだけの上背があった。

そのため、「ペンキが該当箇所には付着していない。これはかたいだけなのでは」と状況を把握しやすかった。

また、高いところにあるものをどうにかしようとするとき、背丈が高いほどに力が入れやすいはずだ。

担当者の背丈がわたしと同じ(日本人の平均身長を下回る)だったら、解決は難しかったと思う。

 

「ねえ、あの照明回んなかったら、どうしてたかな」

「大工さんに相談……?」

「大工さんでなんとかなったと思う?」

「ベニヤ板はがして『ありゃっ』とか言いながら補修して、違う照明に付け替えそう」

「個人的にセンサーライトを導入して、手打ちになったかもね」

「なんにせよ、外れてよかったよ」

「Eさん(管理会社の担当者)、わざわざ来てくれたしね」

「Eさんが背が高かったおかげだね」

「てか、いつも思うけど、Eさん超いい人だよね」

「ああいう人が担当で運がよかった」

「それはともかく、大工さん、他の部屋の照明、ペンキで固めちゃったんだね……」

「でもそのおかげで、Eさんが親身になってくれたところ、あるよね」

「補修中のミスなら、大家さんとか管理会社の問題だもんね」

その夜は、夫婦で茶をすすりながら、幸運を喜び合った。

 

そんなわけで。

「玄関の照明がつく」。

それを冒頭では、「ちょっといいこと」として挙げたけれど。

実のところ、我が家にとっては、「ちょっといいこと」が重なった、「だいぶいいこと」なのだった。

 

 

※使用画像は

フリー素材.comより

https://free-materials.com/