平凡

平凡

雨の季節に愛用品の来し方行く末を思う

ブーツにつづいてまたかよ、と思われるかもしれないが、わたしの傘は20年(弱)選手だ。

ブーツと違うのは購入時期で、ブーツは新卒で就職したとき、傘はフリーライターになったばかりのころに買った。

 

ブーツについては、以下の二記事を書いている。

20年目のブーツと未来へ歩く - 平凡

わたしの、新しい靴「2022年買ってよかった」 - 平凡

 

 

若かりしころ、粗忽なわたしは「どうせなくしちゃうしなあ」と、ビニール傘ばかりを使っていた。しかし、ビニール傘とていつもいつも忘れるものではない。運よく手元に残り続けた場合、繰り返し使ううちにビニールはくもり、骨が錆びつき、なんともみすぼらしいありさまになってくる。なまじまだ使えるだけに、捨てどきがわからない。そのうち台風の強風にやられ、傘地がはがれる、骨が折れる。そうしてようやくビニール傘は寿命を終える。そうなっても長さがあるだけに「不燃ごみ」と出すのもやっかいで、「ビニール傘なら気楽です」とも言い切れないなと、うすうす感じはじめていた。

 

さらに、一本の傘を捨てたあとで困るのは、買い時のわからなさだ。急な雨に降られたときなら「えいやっ」と買えるが、そうではない場合、どうするか。「いま、家に一本も傘がないしな~」と、晴れた日にわざわざビニール傘を購入するのもなんとなく気が進まなかった。

「わたしは自ら選んで、恒常的にビニール傘を使っています!」と割り切りができなかったのだろう。

 

折り畳み傘だけを使ってもよいのだけど、やはり風も強い日には心もとない。

 

そのころ、フリーランスとして独立したわたしのもとに舞い込んだ仕事のひとつが、ラグジュアリー系ショップの新店舗取材だった。ニューヨークでセレブが履いていると話題のパンプスショップ、エクストリームな値段のジュエリーが並ぶ宝石店、話題のアートスポット……きらきらした世界に、きらきらしていないわたしは月イチで迷い込むことになった。

わたしはファッション好きの元同僚に見立ててもらった洋服にジャケットを羽織り、ショルダーバッグにパンプスでなんとか“武装”して、きらきらに対抗した。

そこで困ったのが、傘だった。

たとえば「大人の落ち着きを表現したシャンパンゴールド」の内装の店には、モダンでミニマルなデザインの金色の傘立てがあるわけで。

そこにくたびれたビニール傘を立てると、浮く。

まあそんなこと、ひょっとしたら誰も気にしないのかもしれない。わたしがきらきらしていないことは、わたし自身を見ればよくわかる。

でも、そのころのわたしはすこしでも武装して、安心したかったのだ。

 

そんなとき、運よく銀座の百貨店の傘セールに行きあい、一本の傘を買い求めることができた。モスグリーンで、傘地のふちには甘すぎない花の刺繍がほどこされたシビラの傘。ビニール傘よりは高いが、ブランド傘にしてはそう高くはない値段だったと思う。わたしはその落ち着いた色合いをいたく気に入って、雨の日の取材には意気揚々と持っていったものだ。

 

それから20年近くがたった。在宅稼業で出番が少ないからか、傘はまだ現役だ。いつぞや住んでいた部屋で、玄関の近くに立てかけておいたら柄に壁紙の白がついてしまったなどの汚れはある。“武装”としてはいささかどうだろう? と思う向きはあるが、それは雨の日の装いにまだまだ自信を与えてくれる。

 

もちろん20年も使っていれば、何度か忘れたことはある。しかし、そのたび運よく傘は帰ってきた。

 

その傘を持って、この間、銀座・ミキモトホールで開催されていた「真珠のようなひと-女優・高峰秀子のことばと暮らし-」(現在は閉幕)に足を運んだ。

わたしは高峰秀子のエッセイの大ファンであり、そのゆかりの品をどうしても見たかったのだ。ガラス器や洋服、真珠のネックレス、夫・松山善三とそろいのトランク。どれも品よく、質がよく、センスよく、いまでもきれいに保存されていた。

パネルには写真とともに高峰秀子のことばが掲示されていて、そのうちの一枚に、「いいものだけをそばに置き、長く使う。これらのものはわたしが亡きあと、新しい主人のもとにわたるだろう。どうぞよろしく」といった内容が引用されていた。いま、引用元のエッセイ本が手元になく、うろ覚えであることはお断りしておく。

 

わたしは手元の傘を見た。この傘は、わたしにとってはそれなりに高価で長年愛用しているが、「次の主人」を探せるような名品ではない。わたしが死んだらどうなるのだろう。なんらかの形で遺品整理され、きっと捨てられるだろう。客観的価値はどう見てもなく、誰が整理をするとしても「捨てる」選択は容易なはずだ。

それはそれでよい。傘など一代限りのものだ。

しかし、ほかのものは? 思い浮かんだのは、仕事用の机だ。わたしは古道具が好きで、昭和の木製片袖机を使っており、できればダイニングのテーブルも、いつか古道具やアンティーク、あるいは新品でも木製のものに変えたい憧れがある。

 

昭和の木製片袖机は、わたしのように愛好する人はいるにはいるが、それほど高価ではなく、貴重でもない。しかし、もう二度と新しくは作られないものだ。

購入した古物商では、不要になったら引き取ると言っていたが、持ち主であるわたしの死後の処遇はわからない。それほど丁寧に使っているわけでもないので、使用感は年々募るばかり。それは味わいというよりは劣化といったほうがふさわしい。

 

わたしの前に誰かが使い、わたしの手にわたされた、もう二度とこの世では作られないもの。それほど少量生産品でもないけれど、減りゆく一方のもの。それをわたしの代で終わらせるのか。ものの命を確実につなぎたいなら、生前に古物商に売り戻し、現代の大量生産品を使うのが筋なのかもしれない。

 

わたしは高峰秀子のように審美眼もなければ有名でもなく、所有する「よきもの」といっても値段が違う。次の主人にどうぞよろしく、なんてとても言えない。

今後、大きな家具を買うときに、古道具屋アンティークを選ぶなら、それ相応の覚悟がいる。ダイニングのテーブルは、現代の大量生産品をみつくろうのが適当なのでは。

 

気に入ったものを長く使うのは、しあわせなことだ。傘もブーツも昭和の片袖机も、そのことを教えてくれた。

しかし、老いゆくわたしの手におえるのは、ひょっとしたらこの傘のような、ちいさな品物だけなのかもしれない。

 

傘の柄をぎゅっと握りしめる。どうしたらよいのかわからないことだらけだ。でも、できるだけ長く、この傘を使いたいと思う。

 

ミキモトホールを出ると、雨は上がっていた。そうして、わたしは傘を忘れないように注意しながら、電車を乗り継いで家まで帰り、片袖机に向かって、この文章を書いている。

 

机が出てくる記事はこちら

また新しい夢を見る - 平凡

 

今週のお題「レイングッズ」

 

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画像は写真ACよりお借りしました。

横断歩道を渡る歩行者と街並みぼかし風景 - No: 26429112|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

継続した学びが、知への信頼を育てるっぽい

夫はよく言う。

「昔より、上手くなってる。わかるようになっている」

彼のライフワークである英語を学んでいるときも、何か小難しい文章を読んでいるときも。

果ては、「ファミコンのゲームも、今やったら、子どものころより上手くできると思うんだ」。

実際、レトロゲームカフェで「スパルタンX」をやったとき、それを実感したのだと言っていた。

 

いまあげたのは英語、読書、ゲームの具体例だけれど、彼の中では対象がなんであれ、絶対的な「今がいちばんできる」信頼があるようだ。

だから、「昔、苦手だった数学もさ、いまのほうが理解できそう」なんてことも言う。

 

それを聞くたび、わたしはぼんやりと不思議だった。

昔、苦手だったことが、いまのほうができることってある?

人間ってそんなに成長するかな?

これは同時に、わたしは「これ、昔よりできている!」と実感したことがあまりない、ということでもある。

仕事なら多少成長を感じたことはあるけれど、プライベートでは皆無。

そう思っていた。

 

「そういえば、昔、できなかったことができている」と気がついたのは、新聞の政治面を読んでいるときだった。

子どものころはなめるように新聞を読むのが日課だったけれど、「なめる」のはせいぜい一面のコラム、事件の詳報が多くを占める三面、文化面ぐらい。がんばって社説。一面も、政治や経済色が強いニュースは読みこなせなかった。

難しかったのだ。

いまでは、一面も政治経済面も国際面も、難なく読むことができる。そちらに時間を割くので、三面はかえって読まなくなった。

大人になってから、ずっと新聞を読んでいたわけではない。ブランクがあるので、いつそうなったのかわからない。なぜ政治経済面が読めるようになったのかも不明。

わたしはいまも、政治や経済には疎い。疎いながらも、子どものときよりも政治家の名前などの固有名詞が蓄積され、理解できるようになったのか。それとも、知性が発達したのか。

不明づくしながらも、新聞を丸々読めるようになっていることだけはたしかだった。

「いまのほうができるようになっていること、あるのかも」。

それは、断続的とはいえ、「子どものときからやっていたこと」があるからこそ、つまり継続があるからこその気づきだった。

 

同時に思い当たった。夫が成長を信じているのは、「継続」があるからではないか。

以前にも書いたことがあるが、夫は英語を継続して学んでいる。

夫にとっての「英語」は、「会話」を意味しない。「国語」が「日本語のスピーキング」を意味しないのと同様だ。大学受験の英語知識をベースに単語や文法を勉強し続けている。おそらく、わたしと出会う前から。高校、大学、社会人を通じてずっと。

そこにとくに目的はない。小説が好きな人が小説を読むように、テニスが好きな人がテニスをするように、ただただそのとき話題の英語学習法をためしたり、英単語アプリをためしたりしている。TOEICや英検など目標がある時期もあったが、大半はただライフワークとして学んでいる。いまはネットで気ままに時事記事を読みあさったり、TEDを見たりするのが楽しいようだ。

 

ある特定の「学び」を長年続けているからこそ、夫は自分の成長がわかるのではないか。昔、読みこなせなかった長文が読める。ニュース記事が読める。それがわかるから、「いまが一番できる」と自分の成長を強固に信じられるのではないか。

つまり、継続が知と成長への信頼を育てるのだ。

その信頼がファミコンのゲームにまで及んでいるのは、ちょっとよくわからないけれど。

 

そんなことを考えていたある日。

わたしはMisskeyに何か放流しようと、いろいろなところで書き散らかした過去記事を整理していた。読み返していると、思ったよりも旅をモチーフにしたものが多い。

古くはmixiにアップした「バカンス」というエッセイがあった。結婚前に夫と行った、沖縄・石垣島でのできごとを書いたものだ。ビーチもきれいだったけれど、いちばん印象に残っているのは、台風到来で閉じ込められ、ホテルで見て聞いた雷であり、嵐の様子だった、という内容だ。

上記の内容がほぼそのまま、シンプルに書かれていた。複雑さばかりを愛するわけではないけれど、今ならもうすこし違う書き方をするだろう。

そう思いながら、やはり同じ旅ネタである、4年前に書いたこのブログ記事を開いた。

海外旅行へ行く理由 - 平凡

この記事では、ニューカレドニア旅行と台湾旅行での体験を、「海外旅行へ行く理由」に落とし込んでいる。

「海外旅行へこんな理由で行っています」というテーマがあること(お題ではあるが)、ふたつの体験を組み合わせることで、体験をストレートに書いた「バカンス」より、印象はだいぶビビッドだ。

 

ところで、最近読んだ『一生ものの「発信力」をつける 14歳からの文章術 』では、よい文章の基本として、主張を一貫させること、論拠をできれば2つあげることが提示されていた。論拠のひとつは書籍や識者のことば、データを引用すると、説得力ある文章が書けると。

この本は基本的には自己PRから論文まで、「論理的な文章を書く」を前提にしているのだけれど、エッセイに転用できる内容だなと感じた。

エッセイに論拠は必要ではないものの、読んでいていいなと思うエッセイは、当初の話題に意外なイメージを組み合わせたり、作者が別の場所で見聞きしたものを引っ張ってきていることが多い。これは、上記書籍の「2つ目の論拠」に近いのではないだろうか。

「海外旅行へ行く理由」では、それほど上手くできているわけではないし、意外性も少ないけれど、少なくともふたつの体験を組み合わせ、ひとつのテーマ(主張)を設けている。

 

つまり、昔より、成長しているのではないか? そう思ったとき、驚いた。

正直、こうしてプライベートで書いている文章で、「成長」なんて概念自体、考えたことがなかったからだ。

これも、書きつづけていたからわかったことだ。

同時に、「わたしはまだ、成長していけるのではないか」「よりよいものを書けるようになるのではないか」と希望がわいた。

 

「年を取るって失うものも多いけどさ、まだまだ成長していけるんだよ、俺たち」

夫は笑顔で言う。

そのすがすがしさの意味が、わかった気がする。

 

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画像は写真ACよりお借りしました。

都会でまっすぐ育つ植物 - No: 26389250|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

Misskeyにハマってましたという近況報告

ブログ更新が1カ月以上あいてしまいました。ガッデム。

その間、統一地方選があり、ゴールデンウィークがあり、五月の爽やかな風が吹き渡り、G7サミットが開幕して閉幕しました。

夏日になる日がちらほら。空気には湿度を感じるように。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

そのあいだ何をしていたかというと、新しくはじめたSNSであるところのMisskeyに常駐していました。

「Misskeyをやっている」とひと言で言ってもサーバーによりまったく性格が異なるので、どこでどんな居心地のよさを感じているかはさまざま。

Misskeyといえば、「レターパックで現金送れ」などのミームで知られるioサーバーが最大手。このミームからもわかるように、ioの雰囲気は、一定年齢以上の人には、いにしえのネット文化の残り香が感じられるものなのだと思います。わたしはアカウント持っていないので、外から見ての印象ですが……。

 

わたしが出入りしているのは、一次創作をしている人が集うデザインサーバー。一次創作ならなんでもよいので、イラスト、作曲、ハンドメイド、小説などいろんなことをやっている人がいます。イラストひとつとっても、漫画、アニメ塗り、背景、エモーショナルな絵画、水彩風と多彩。

自作を自薦する文化があり、「RN(TwitterでいうRT)は何度やってもいい」「むしろ好みの作品が目に入るから、何度もRNしてくれるのは助かる」といった風潮が強いです。

TwitterだとRTはしつこいと嫌がられるのでは? という考えが主流ですし、基本は他薦が強い文化がありますよね。というか口コミって基本、他薦が強いものだと思うんですよ。メーカーがすすめるのは当たり前。利用者がすすめるのは本物。

ただ、デザインサーバーはサロン的な雰囲気があるからか、「制作者の愛が見たい!」「あなたのパッションをぶつけてくれ!」といった空気感があります。

これは他SNSではあまり見ない文化だなと思います。

また、創作系でも、のべるすきー(小説好きが集うサーバー)だとここまで自薦文化は強くない気がします。ioはデザインサーバーと近い自薦文化があるのかな? サーバーによって本当に性格はいろいろ。

 

デザインサーバーでは、みんな「うちの子はこんな性格で……」といった、「うちの創作の話」をバンバンしています。キャラクターの設定シートを公開している人も多いです。設定と断片的な物語がある、「本編がないタイプの創作」と呼ばれるものを公開している人もたくさんいます。

で、「うちよそ」といって、自分が創作したキャラクターと他の人が創作したキャラクターでクロスオーバーした作品の制作も活発です。

こういった文化になじみがなかったので、わたしは最初はびっくりしました。

 

デザインサーバーには多種多様な制作者がいるので、ミームが生まれると、それに曲をつける人あり、編曲する人あり、歌詞つける人あり、歌う人あり、gifアニメを作っちゃう人あり、テキスト書く人あり、それを読み上げる人あり……と、創作者たちの即興遊びに発展するのは見ていて非常に楽しいです。

Misskeyにはそのサーバーにいる全員のノート(ツイート)が自動的に流れてくるTLがあるので、フォローの有無関係なく、そういった遊びを目撃することが可能です。

 

また、「TLで見かけた曲に、小説を書いてみた」「小説に曲をつけてみた」「すてきなイラストにインスパイアされてショートストーリーを書いた」「ショートストーリーをイラストにしてみた」といったジャンル横断の創作も生まれています。

 

わたしが書いているものは、このブログからもわかるとおり、それほどポップなものではありません。

最初は「自分の創作は『うちよそ』とかやるタイプでもないし、場違いかなあ」と思っていました。でも、慣れてくると、意外に文芸的な作品を書いたり読んだりしている人も多いとわかってきました。なによりこの「いろんな人がいるけど、みんなモノを作っていて、尊重している」環境がすごく居心地がよくなって。

 

何しろいろんな人がいるから、ポップなイラストも好むけれどがっつりした文芸小説を読みたい人とか、アーティスティックな絵を描いて文学を愛している人とか、音楽作っていてなおかつ文章を読むのが好きな人とかもいるわけです。

わたし自身も、「見る人」「読む人」「聞く人」に自然となっていきます。

 

で、何よりいいのが「多様なスタンプ文化」。「いいね」だけじゃなくて、Misskeyには「素敵」「美しい」「良い…」「格好いい」など、簡単にニュアンスを添えて感想を伝えられるスタンプがたくさんあります。コミュニケーションにおいても、「ヨシヨシ」できるスタンプは弱音を吐いている人へのなぐさめのときに便利ですし、ペンライト振ってるスタンプも「がんばれ」と手軽に伝えることができます。スタンプはユーザーが申請しているので、日々増え続けています。

 

「スタンプを送る」ワンクッションで心理的なハードルが下がるのか、テキストでの感想ももらいやすいです。

また、もらった感想に対しても「ありがとうございます」などスタンプひとつで返せるので心理的負担が少ない。

 

Misskeyは一ノートに3000文字まで貼れるので、エッセイを直貼りして放流すると、「エモい」「良い」「好き」とか、ニュアンスの伝わる感想スタンプがもらえるんですよ。

PV数としてはそう多くないと思うんです。でも、「確実に読まれている手応えがあり」「どう受け取ってもらえたかが最低限わかる」反応がダイレクトに返ってくる。

「数字」じゃなくて、「質感のある反応」が返ってくる。これってめちゃくちゃうれしいんですよね。

 

Twitterでプチバズりしたことは、何回かあります。多くはつっこみたい、語りたい欲を刺激するツイートでした。それはそれでSNSのお楽しみですし、情報系のツイートが広がると、世間のお役に立てた感はあります。ただ、「たくさんの人から反応があってうれしい」とは思わないんですよね。つっこみ半分で知らない人からリプライもらっても、何かが満たされることはありません。

 

デザインサーバーでは、創作が好きで、他人の創作にふれるのが好きな人に手軽に届けられて、その人たちから反応がダイレクトにもらえる。これがすごくうれしい。

ぬるま湯といえばぬるま湯なのかもしれないけれど、う~ん、でも、なんでもかんでも反応しているわけではないなって感じはあって。

前に書いた、「創作サイトではいいと思ったら感想が来るが、いいと思わなかったら無反応。ブラッシュアップは自力本願」に近いものはあると感じています。

Web小説投稿サイトは一種のSNSではあるけれど…… - 平凡

 

いままで文章をアップしたどの場所よりも「『反応』がもらえた」手ごたえを感じますし、励まされます。

各小説サイトにアップした小説のURLを投稿すると、直貼りほどではないけれど、やっぱり読んでもらえます。

「読んでもらえる」といっても、わたしの場合、100とか200の反応が付くわけではないですよ。創作系のテキスト直貼りノートでは、最高でスタンプ(1ノートに1人1回押せる)は30ぐらい。でも、それにプラスしてテキストで感想もらえる確率は高いし、作者として認識されているのかなって感覚もあって、充実感があるんです。そのあたり、ひとによって基準が違うのでしょうけれど。

 

Twitterの代替としてどうか……というのはわかりません。

わたしのTwitterのメイン運用は創作アカウントとしてではなく、雑談と情報収集がメインでした。

わたしがデザインサーバーにアカウントを作った1カ月前よりも、サーバー内で雑談はずっと多く見かけるようになりました。ただ、情報収集という意味では弱い。でも、そもそもサロン的な雰囲気が魅力なのだから、それが「弱さ」なのか? とも思います。

情報収集は外で、交流はMisskeyで、という使い分けもありかなと考え始めています。

 

SNSでの情報収集って、苛烈な感想とセットになっていることが多いです。最近は、SNSで感情を刺激されるのがしんどくて。社会的なニュースは新聞かニュース番組で。エンタメ系や情報系のニュースを軽くTwitterでおぎなう、ぐらいのバランスにしています。

差別関連では、バックラッシュのようなことが起きていますし、社会問題は数多い。そんななか、「SNSで感情を波立てたくない」といえるのは、マジョリティの特権なのだとも自覚しています。そこは「SNS以外の場所で社会問題に興味を持つこと、調べることをやめない」を自分なりの落としどころにしています。社会や政治に、興味があることには変わりはありません。

 

もともと創作中心のTwitterアカウントを運用していた人は、また違った感想があるのだと思います。

コミュニティは刻々と変わっていくもの。いつまでこの雰囲気が続くかもわかりません。

 

この1カ月半、ブログはお留守にしがちでした。が、やはりここは大事な場所であるなと再認識しました。この場があるから書けたことがたくさんあるし、これからもそうでしょう。蓄積するからこそわかるものもある。「マイプレイス」と強く思える自ブログをベースにしたゆるい交流もまた、得難いものです。

1カ月半も新しいエントリーを書いていないと、からだがなまってへんな気分になります。

 

1週間に1回ぐらいは、2000字から3000字書きたいものであるな、と言っているうちに、本エントリーは3900字。

5月中にあと1本ぐらいは近況報告以外のエントリーをアップしたいですね。

メモが汚いライターが、誰かの幸せを祈る話

メモが汚い。超汚い。そして、その超絶乱れた文字を見るたびに、ある人の幸せを祈る。今日はそんな話です。

 

 

わたしは商業的な記事を書くライターをやっている。異論反論あると思うが、ライターの必需品といえばメモ帳とペンだ。

「いまどきそんなアナログな」と思うかもしれないが、席が用意されているカンファレンスのレポートや、座ってできるインタビューならともかく、店の中で話を聞いたり、何かのスポットを案内してもらいながら特徴をメモするときは、やっぱり紙のメモとペンなのだ。

 

「メモ」と書いたが、たいていはA5判のノートを使っている。

A5判にする前は、B7というのだろうか。手のひらサイズのキャンパスノートを使っていた。

ある日、そのころのメモが大量に出てきたので、「いやあメモが汚くてさあ」と開いてみたら、いまでも読めてびっくりした。ひるがえっていまはどうだと、最新のメモ帳を開いて見る。ぜんぜんわからん。下手したら、メモしたその日でも読めないものもある。必需品なのに?

見たもの、聞いたことをハナから忘れていくのでメモを取るのだが、メモを取りながら何かを聞く、話すことはとても難しいダブルバインド。そのうえ、年々、文字が書けなくなっている。「漢字が思い出せない」といったレベルではなく、文字という記号を手で書くことが難しくなっている。おそらく、「考える」「文または一節を書きつける」ことがあまりにもキーボードでの運動に結びついてしまったのだろう。その反動で、「文を書きつける」と「文字を手で書き連ねる」の紐づけがほどけかかっている、と。

 

「まあ、平凡さんはそれでどのようにお仕事を?」と思われるかもしれないが、メモした当日から2日後ぐらいまでは記憶がそれなりにあるので、補完しながら手書きメモをテキスト化することで、「原稿の素」にしている。最近では、スマホで写真をパシャパシャ撮るのも当たり前になった。スポットや施設、お店系の取材では、それらにずいぶん助けられている。

 

しかし、このメモのひどさで、インタビュー相手の人柄の良さが感じられたこともあった。

わたしのメモのひどさは、インタビューのときにMAXになる。インタビューは対面での受け答えに集中するので、メモを取っているどころではない。それに、油断もある。インタビュー中はICレコーダーを回しており、最終的には音声を文字に起こすので、そもそもメモはほとんど使わない。ならメモを取らなければいい。実際にそうしているライターも多い。だいたい冒頭で、「席に座ってできるインタビューなら(手書きのメモなしでも)ともかく」って書いとるやん。しかし、わたしはなんとなく……緊張を散らしたい気持ち半分、音声データに万が一のことがあったら、どんなにひどくてもメモがあったほうが良いのではという不安半分でメモを取ってしまう。

 

時はコロナ前。まだインタビュー相手とインタビュアーの距離が、応接用の小さなコーヒーテーブルを挟んで差し向かい、ということも多かった時代。

あるインタビュー相手がわたしのメモを見ながら言った。

「それは速記ってやつですね!」

ウッ……かたまるわたしにインタビュイーは畳みかける。

「すごいなあ、さすが記者さんだなあ」

曇りなきまなこを見れば、悪意がないのは明白だった。「うへっ、へへっ……速記じゃ……なくて……文字が……」ごにょごにょ言いながら、わたしは思った。こんなどちゃくそ汚い文字を見て、「速記なんだ、すごい!」と思える光の感性を持ちたい……。

 

それ以来、そのインタビュー相手のことは「善性の持ち主」として、以前よりいっそう応援するようになった。活躍を見かけるとき、また、結婚し、お子さんも生まれ……とプライベートな知らせを見かけるときはもちろん、自分の汚い手書き文字を見るときにも、「速記ってやつですね!」と言ったときの輝くような表情を思い出し、「どうか幸せであれ」と祈ってしまうのであった。

 

今週のお題「メモ」

 

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画像はぱくたそよりお借りしました。

《ノートに書き込みするのフリー素材 https://www.pakutaso.com/20140342087post-4006.html

Misskeyっちゅうもんを始めて見たので雑感&Twitterとの比較

みんな元気にSNSやってる~~~⁉

こんにちは、平凡です。

 

わたしはいままで、主にTwitterに棲息していました。「眠い~」とか「真面目な話……」とか、ニュースとか各種アニメや漫画、映画の公式のお知らせとか、なんでもかんでもひとつのタイムラインに流れてきてすごく便利でした。

Twitterがなかったら出会えなかった人・モノ・コトはたくさんあります。同業者とつながって仕事に発展したこともありますし、同じ趣味の人とゆる~くつながれました。何より夫とはTwitterで出会ってますからね!

最近、「Twitterガンジス川みたいな環境が心地よいんだ」ってつぶやきを見かけて完全同意なのですが、この環境は永遠じゃないなあ~~~と感じるのもまた事実。

 

で、違うSNSも試してみようと思い、話題のMisskeyをはじめてみました。今日は利用してのその雑感をまとめようと思います。

 

 

Misskeyってなんやねん

Misskeyは分散型プラットフォームと呼ばれるもの。っていうかMisskeyは正確にはサービスじゃなくて、仕組みの名称なんだそうです。「管理者をやるぞ!」と決意した人が、Misskeyという仕組みを利用して各人でサーバーを用意。ユーザーはそのどれかを選んで参加するというわけです。

個人がサーバーを運営しているので、テーマがあったりなかったりします。「うちは小説書いている人を集めますよ~」とか「寿司好きサーバーですよ~」とか。

要するに……。

Twitterみたいに中央にどーんと運営がいて、それをユーザー全員が使っているわけじゃない。

個人運営の「島(サーバー)」が分散して存在する感じなので、「島」によって風土に違いがある。

 

で、わたしはMisskey.designというサーバー(インスタンスと呼ばれます)を選びました。

ここは「一次創作」をしている人に向けたサーバー。漫画、イラスト、音楽、小説、TRPGなどなど、ありとあらゆる創作をしている人が集まっています。

 

システムにまつわる使用感

 

・ツイート、RT、お気に入り登録、フォローなど、基本的にTwitterでできることはなんでもできます

・ただ、唯一「アカウントまるごと非公開(鍵アカ)」はできないっぽいです。

・ノート(ツイート)ごとに公開範囲を設定できます。「全ユーザーに公開」「ホームタイムラインのみ(後述)」「フォロワーのみ」「指定ユーザーのみ」が選べます。

→4/7  19:30追記 フォローを申請制にし、投稿をフォロワーのみに設定。誰のフォローも許可しなければ鍵アカウント状態で使うことはできそうです。5/22投稿範囲の話を少し修正しました。

投稿文字数はMAX3000字。自作小説の冒頭とか引用している人も多いです。

違うサーバーの人もフォロー可能。Misskeyの別サーバーの人はもちろん、Mastodonとも互換性があるので、Mastodonユーザーをフォローすることができます。わたしはフォローはサーバー内のみだと思っていたので、これは意外でした。

・画像はもちろんアップロード可能。ただ、各人に使用容量割り当てがあるので、将来的には消去が必要な人も出てくるかも(サーバーごとにルールが違う可能性もあり)。

・「いいね」にあたる機能で、多種多様な絵文字を送り合えるのが特徴。この絵文字、サーバー(インスタンス)ごとに異なるらしいので、サーバー外のユーザーにリプライするときなどは注意が必要です。

・タイムラインは3種類。

ややこしいな~と思う人は、「Twitterと同じ感覚のタイムラインのほか、激流が3つある」とざっくり考えてくださいな。

ホーム:フォローしている人だけ(ホームタイムライン)のノート(ツイート)が並びます。昔のTwitterのホーム画面と同じです。時系列がいじられておらず、おすすめユーザーのツイートが混ざったりしないアレですね。

ローカル:同じサーバーのユーザーの「ホーム」指定されていないノート(ツイート)が並びます。荒っぽく説明すると、「同じサーバーの人のノート(ツイート)」が爆速で流れるタイムラインです。

ソーシャル:自分がフォローしているユーザーと、同じサーバーのユーザーの「ホーム」指定されていないノート(ツイート)が並びます。最初、「『ローカル』と何が違うの?」と思っていたのですが、自分がフォローしているのは同じサーバーの人とは限らないんですよね。自分がフォローしている数にもよりますが、ここも激流です。

グローバル:同じサーバーのユーザーの「ホーム」指定されていない投稿と、全てのリモートユーザーの「ホーム」指定されていないノート(ツイート)が流れます。いろんな島に散らばったユーザーのつぶやきが、超爆速で滝のように流れるタイムラインをイメージしてください。

 

 

一ユーザーとしての使用感

 

・絵文字がいろいろあるので、流れるノート(ツイート)にシューティングゲーム感覚で反応をつけている人が多いし、自分も反応したくなります。

・ちょっとしたノート(ツイート)であっても、というか、ちょっとしたものほど爆速で絵文字の反応がつくので、「さみしさを紛らわす」効果は絶大です。Misskeyには上記のように、かなり広い人の目に触れるタイムラインがあるからなおのこと。「階段で転んじゃったぴえん」と書けば、知らない誰かが「お大事に」絵文字を飛ばしてくれる、といった具合です。

・イラストには、もんんんのすごい勢いで「素敵」とか「好き!」とか「いいね」とかの絵文字の反応がつきます。「見てすぐ感想を抱ける」イラストは強い! イラスト描く人は、モチベーションが維持しやすいと思います。

・「ホーム」以外では爆速でタイムラインが流れるので、Twitter以上に「流れて残らない」場でもあります。

Twitterでも「創作アカウント」「推し応援用アカウント」とか特化型の利用法がありますよね。Misskey.designの特化ぶりはその比ではなく。「眠い~」とか本当に日常的なもの以外は、創作のことしかみんな書きません。好きな商業作品について語るとか、SF書いている人が宇宙関連のニュースのURLを貼っている、みたいなことも今のところ見たことがありません。Twitterよりもずっと気軽に交流したり、新たな作家さんとの出会ったりはできますが、情報収集は期待できない場です(重ねて言いますが、今のところは。そして.designは)。他のサーバーはもうすこし雑談メインなところもありそう。

・わたしが参加しているサーバーは、この記事を書いている時点で参加者1万2000人。今のところ、管理人の目が行き届いていてとても治安がよいです。参加者急増の折には「緊急メンテします」とかアナウンスが入ることがあり、「個人が運営している」ことが肌感覚で感じられる。みんな感謝して使っている感じですね。

・個人が運営している場なので、永遠ではないだろうな……という不安はあります。サーバー代も管理者の自腹です。サーバーごとに運営者が支援を募っているので、ユーザーもサポートはできます。

・投稿ルールは管理者次第。Misskey.designでは、「局部無修正以外は何を投稿してもOK」。ただし、「職場で安心して見られないようなものはすべてセンシティブ設定して、閲覧するにはワンクリックが必要な状態にする」は鉄の掟。文字でも、「メスガキ」とかはNG。こういう感覚は大事だな~と思いました。

・分散型SNSの宿命なのかもしれませんが、「ノート削除してもサーバーから完全に削除されない可能性がある」などの注意書きがあるのは気になります。

そして、Twitterには一時期からツイート全エクスポート機能が付きましたが、Misskeyにはないような……(ブックマークなどの情報はエクスポートできるようですが、ツイートにあたるノートはどうなんでしょうか)。とはいえ、Twitterも今は無料利用の場合、エクスポートできるツイート数に限りがあるようですが。

→5/22追記 全ノートエクスポートほか、フォローリストなどのエクスポート機能はあります。また、試験段階ですが、アカウントの移行機能も実装されました。

・総じてMisskey.designの雰囲気は、大昔にあった掲示を思い出します。2ちゃんねるなどではなく、teacupとかのやつ。人気の個人サイトに付随していたような「管理人の顔が見える」もの。すごくにぎやかで楽しくて、交流が活発な掲示板と考えれば、エクスポートが不十分な可能性があっても、ニュースが流れて来なくても当たり前。

 

で、結局、どこをメインに使っていくか?

ニュース的な情報を仕入れるためには、Twitterはまだ完全には切り捨てられない。ただ、Twitterもいつまで安定して動くのかは不透明です。近い将来、公式アカウントが引き上げ始める可能性もあります。そのとき、代替SNSが台頭していなかったら、情報収集をどうするか? 今、考えています。ニュースは各種報道機関のサイトで、エンタメ系の新作情報はナタリーなどでチェックするのか……。

ニュースに関しては、Twitterの動向とは関係なく、すこし前から意図的にネットではなく「紙の新聞、定時のニュースをチェックする」ようにしています。ニュース以外の、もっと雑多な情報をキャッチするにはどうするか。

Twitterでは、適当にフォローをしていれば、どっからか情報が流れてきたんですよね。

 

まとめ

 

わたしがTwitterをはじめたのは2010年のことでした。

創作関連以外はくだらないつぶやきが流れていくMisskey.designの牧歌的な風景は、2011年前のTwitterを髣髴とさせるところがあります。公式アカウントが増え、Twitterが一気にインフラ化したのは2011年前後だったと記憶しています。

Twitterができてから17年。日本上陸して15年。変化して、積み重ねてきたものがあります。昔はRTは公式機能ではなかったし、「いいね」は「スター」だったし、日本語そのままのハッシュタグも使えなかった。お堅い企業公式や官公庁がTwitterをやるなんて、昔々そのまた昔は考えられませんでした。

いまや、ニュースでTwitterが紹介されるとき、「マイクロブログサービスの~」「短文投稿型SNSの~」と枕詞的な解説もつかなくなりました。

 

MastodonにしてもMisskeyにしても、まだまだユーザーが増えはじめたばかりTwitterが日本に上陸した2008年に2011年の状況が、2023年の状況が予想できなかったように、これからのことはまだわかりません。

 

Twitterがどうなるのか不透明ですが、「今の、あるいは少し前までのTwitterの居心地を再現した、完全な代替物」はおそらく出てこないとわたしは予想しています。

ただし、Twitterの便利さをある程度カバーするサービスは出てくる可能性があるでしょう。つまり、多くの人がアカウントを取得し、公式アカウントが集い、情報収集の手法として便利な文字主体のSNS。そうなったら、Twitterも含め、複数のSNSが並び立ち、求める空気感や思想信条により、ユーザーがそれぞれのSNSに分散するんじゃないか。

 

Twitterには10年以上をともに過ごしたアカウントがあり、フォロワーさんたちがいる。多くは顔を知らないけれど、10年分一緒に年を取ってきた人たちです。去った人もいるけれど、ずーっと顔を見かける面々もいて、亡くなった人もいる。そういう場が危うくなっていることに、なんともいえない感情があります。

わたしは加齢によるさみしさ、不安が強いタイプなので、「憧れの人たちの訃報が増えてきたねえ」と、いつもの面々でしみじみできることは、けっこう大事だったりします。

 

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ここに書いたのは主観的なものであり、「使ってみたらすぐわかること」も多いと思います。使用感や雰囲気は、一カ月もしたら変化があるでしょう。

とはいえ、今後のSNS選び、居場所探しの参考として。

2023年4月6日時点でのMisskey初心者の感想が、どなたかの参考になれば幸いです。

 

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画像は写真ACからお借りしました

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“フル”のお花見

 

「あの木って桜なんじゃない?」

 

この部屋に越したとき、そんな会話をかわした。ベランダがちょっとした緑地に面していて、そこには何本か木が植わっていたからだ。

それは一昨年の10月のことで、木々からは黄変した葉がはらりはらりと落ちていた。

やがて冬がやってきて、年が明けてから東京にも雪が降り、裸の枝をしならせた。

日ざしが暖かくなると、枝の先端にふくらみが目立つようになった。

つぼみがほころんで、ひとつひとつ淡い色の花が咲きはじめる。

ベランダから見える木々は、予想通り桜だったのだ。

 

我々夫婦はキャンプ用のチェアと踏み台をベランダに出してそれぞれ腰かけ、コーヒーと三色だんごを手に、青い空の下、風に揺れる花を楽しんだ。

まだまだコロナが心配な時期だったので、室内で心置きなく花見ができるのは、ありがたかった。

 

洗濯ものを干すたび、取り込むたび、桜が目に入る。やがて淡いピンク一色に覆われていた木々の枝に、若い緑がまじるようになる。

花びらが風に舞うようすは、なんとも叙情的なものだった。緑地の若草にピンクの絨毯が現れ、桜は花の盛りを終える。

 

若葉の季節が終わり、すべてを焼き尽くすような太陽が照りつけるころ。

コロナに倒れた我々は、陽光にきらめく緑の葉をぼんやりと眺め、時を過ごした。その姿は、かまびすしいセミの鳴き声とともにあった。

ただただそこにあって葉を揺らし、生き物を揺籃する植物の姿が、これほどまでに人の心を鎮めるのか。新鮮な驚きがあった。

 

そしてまた、落ち葉の季節がやってきて、今年も桜は花を咲かせた。

我々はふたたび、ベランダで花見をした。曇りのある日、近所のスーパーで買った「いちごプチシュークリーム」をお供に、ぼんやりと盛りの花を眺めた。

今年は都内の公園でも、飲食込みの花見が解禁されたとニュースキャスターがうれしそうに報じていた。同時に速報テロップが入り、コロナの感染者が増加フェーズに入ったと告げる。「第9波」がやってくるらしい。変な感じだ。

洗濯のたびに、散り行く花びらを愛でる。今年の夏もきっと暑くなるだろう。昨年、真夏の桜の緑に癒やされ、救われた我々。今年はきっと、健康であっても真夏の桜の木を見る目が変わっているはずだ。

 

「桜は儚いのが魅力」ということになっている。それでもわたしは例年、思っていた。

「いくらなんでも短期間すぎやしないか?」

これほどまでに短い花の盛りのために、日本全国に人工的にソメイヨシノが植樹されている。それがどこか不健康なことにすら思われた。

 

この部屋に暮らしはじめてから、そんな疑問はもたなくなった。

桜はほんの短い間だけ、花を咲かせる。

ただ、それは新年度の始まりとか、一月一日には年が変わるとか、そういったことと同じ、人間が作った節目。

桜はいつもそこにある。満開を迎え、花を散らし、若葉を茂らせ、やがて緑が濃くなり、紅葉し、裸の枝をのばし、やがてつぼみを膨らませる。

その巡りに対し、人間は「開花」を節目に据え、「あんなに花が咲いていたのに若葉が」「いまは葉の色を変えて……」と感慨を抱き、葉を落とした枝の先につぼみの膨らみを探そうとする。

そういったことを含めて、すべてが「花見」なのではないか。

ベランダから常に桜の木が目に入る環境になってから、そんなふうに感じるようになった。

 

今年も桜の一年を、あますことなく愛でたい。

桜は我々が生きようと死のうと、樹齢が尽きるまではそこにある。

だからこそ、来年もまた、ベランダで平和に花見をしたい。

葉桜というにはあまりにも「葉」の比率が高くなった桜の木を見ながら、そんなことを考えている。

 

今週のお題「お花見」

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画像はぱくたそからお借りしました。

白い花の桜(葉桜)のフリー素材 https://www.pakutaso.com/20170439102post-11024.html

 

 

映画『BLUE GIANT』を劇場で見てくれー! と叫びたい

「これは映画館で見てよかった!」と思える映画ってありますよね。

この間、まさにそんな映画に出会ってしまったんです。それは『BLUE GIANT』。

 

bluegiant-movie.jp

 

 

原作は、『岳』で知られる石塚真一さんによる同名コミック。ジャズに魅せられてテナーサックスを吹き始めた宮本大(みやもとだい)が「世界一のジャズプレイヤー」を目指す姿を描いています。

原作の単行本はエピソード区切りでタイトルが変わり、巻数をリセットして連載中。

大の日本での黎明期を描いた『BLUE GIANT』が全10巻、ヨーロッパへ渡った大の姿を描く『BLUE GIANT SUPREME』が全11巻、大がアメリカ西海岸へ降り立つ『BLUE GIANT EXPLORER』は既刊8巻。累計発行部数1000万部を突破しています。

映画は大が日本で過ごした日々を描く『BLUE GIANT』部分をアニメ映画化したもの。

わたしは漫画未読――というか、実は何度か挑戦して挫折しています。

 

物語はジャズプレイヤーになるため、大が仙台から上京するところからスタート。やがて大は高い技術を持つピアニスト・沢辺雪祈(さわべゆきのり)、同級生でまったくの初心者ながらジャズに魅せられてドラムを始めた玉田俊二(たまだしゅんじ)と、三人編成のバンド「JASS」を組むことに。

あまりにもまっすぐ過ぎる大、自信家の雪祈、足を引っ張りがちだと悩むものの、いちばん柔軟な玉田。彼らはぶつかりながらも大の演奏に魅せられ、認め合い、頂点へと駆けあがっていきます。

 

タイプが違い、我が強い三人が直面するそれぞれの壁や挫折は、生々しいものです。たとえば、三人の中でいちばん経験も技術もあると思われた雪祈は、それゆえのハードルが立ちはだかります。乗り越えるのは最終的には己の力なのですが、跳ぶためのバネになるのが、認め合うものの馴れ合わない三人の関係性です。

それがもう、本当に見ていて胸が熱くなるんです。

 

その熱さと常にセットになっているのが、ライブシーンです。

ちいさなジャズハウスでわずか客三人だったはじめてのライブ。

地域のジャズフェスティバルで、「メインアクトを喰ってやる!」と鳴らす自分たちの音。

そして大舞台でのラストライブ……。

 

「JASS」は雪祈が作曲したオリジナルの曲を演奏しており、アニメ映画ではそれを上原ひろみさんが作曲。

ライブシーンでの演奏も、上原さんが雪祈のピアノを担当。ほか、大のサックスはオーディションで選ばれた馬場智章さん、玉田のドラムはmillennium paradeにも参加されている石若駿さんによるものです。

その音楽の迫力ったら! 

作品のキーになるのは間違えなく、吹いて吹いて吹きまくってきた大のサックスの“引力”で、その強く情熱的な音色が見事に表現されていました。

映画館で見てほしい理由のひとつが、この「音」を最高の音響設備で浴びてほしいから。

 

音楽に加えてライブシーンで圧巻なのは、映像表現です。人のリアルな動きを入れた方がよいごく一部のカットだけは3DCGを使い、あとは2Dアニメで演奏者の表情、音の奔流、感情の流れがひたすら表現されます。ここでポイントになるのが、「作中で観客が受けているエモーショナルな印象や、演奏に打たれた感動」もアニメーションで表現されていること。

このライブにたどりつくまでの熱い物語、そのすべての想いを叩きつける演奏(音楽)、加えて観客の感動。これらが三位一体になって迫ることで、思わず映画の観客だるわたしも、「今、伝説的なライブに立ち会っている!」気持ちになれる。この没入感は、ぜひ映画館で味わってほしい! それが劇場で見てほしい二つ目の理由です。

 

ライブシーンは一部YouTubeで公開されているのですが、あえて貼りません。単独で見ても素晴らしいものですが、初回は物語の流れの中で見てほしいから……。

 

いろいろ御託を並べてしまったのですが、『BLUE GIANT』はとにかく熱い!

キャッチフレーズの「二度とないこの瞬間を全力で鳴らせ」そのものな、青く激しく燃える三人の青春とその帰結、ぜひ劇場で見て! 見て! 見てください!

お願いしますッ!

 

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画像は写真ACからお借りしました。

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