平凡

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パロディがオリジナルになる瞬間『アキバ冥途戦争』

2022年秋アニメ、何を見ていますか?

機動戦士ガンダム 水星の魔女』『チェーンソーマン』『ぼっち・ざ・ろっく!』……。

今期はなかなか粒ぞろいで忙しいですね。

わたしが上記に加えて見ているのが、『アキバ冥途戦争』です。

akibamaidwar.com

 

『アキバ冥途戦争』は、2022年10月から放送スタートしたオリジナルアニメ。

アニメ制作はP.A.WORKS、共同製作にはCygamesが名を連ねています。

オリジナルアニメでCygamesといえば、ゾンビものかと思いきや、「ゾンビ少女たちが、佐賀で超熱くアイドル活動をする」意外性のある内容で人気を博した『ゾンビランドサガ』が記憶に新しいところ。何が飛び出すかわからない楽しさがあります。

一方、P.A.WORKSは『花咲くいろは』『SHIROBAKO』などお仕事アニメで知られているので、「メイドさんのお仕事ものでは?」といった期待感もありました。

 

蓋を開ければ、『アキバ冥途戦争』は1999年の秋葉原で、メイドカフェの店員たちが抗争を繰り広げるという「萌えと暴力について」というキャッチフレーズ通りの内容。

第1話では指ならぬツインテールをドスで詰められる冥途、もといメイドの姿が視聴者の度肝を抜きました。

ちなみに、1999年の秋葉原に「メイドカフェ」はありません。断言はできませんが、コンセプトカフェが一般的になったのは2000年代に入ってからのはず。

ただ、物語冒頭では1985年の抗争の一端として、メイドが銃殺されるシーンが挿入されており、「つまりはそういう世界線、リアリティの作品です」としっかり示されています。

時代考証は考えても無駄、ということです。

 

登場人物の行動原理はだいたい「メンツ」か「金」。そしてとっても短絡的。すぐにドンパチが始まります。

今どき見かけない元気な内容なのですが、絵もセリフも作り込まれていて、安っぽさは感じない。

「いい意味で悪趣味ギリギリを攻めてくるパロディ作品だな~」と、ゆる~く楽しんでいたのですが、どっこいどっこい、6話、7話まで見ると印象が変わったのです。

そこにはパロディがオリジナルになる瞬間、もっと乱暴に言えば、ニセモノがホンモノになる瞬間がありました。

今日はそれについて話そうと思います。

 

 

物語は、メイドに憧れる17歳の女の子、和平なごみが上京し、メイドカフェ「とんとことん」に入店するところからはじまります。

「こんとことん」は豚のメイドカフェ。メイドが豚耳をつけ、「ぶ~」を語尾につけてしゃべる、というコンセプトです。

なごみと一緒に入店した万年嵐子(まんねんらんこ)はなんと35歳。無口で一人称は「自分」。「頂戴します」など、丁寧というより時代がかったセリフでしゃべります。

戸惑いつつもお給仕を開始するなごみですが、別系列の店舗「チュキチュキつきちゃん」へと、嵐子とともにお使いに行ったことから運命が暗転。

そのお店でなごみに絡んだメイドを、嵐子がなんと銃殺。対して、別系列店のメイドたちも銃を取り出し、銃撃戦が始まります。

「とんとことん」のトップメイド・ゆめちが歌う軽快な萌えキュンソングをバックにして展開する激しい撃ち合い。

嵐子に撃たれ、ぴゅーっと血を流しながら、時には揃って倒れるメイドたち。

返り血を浴びながら、ドン引きするなごみ。

かっこよくもあり、なかなか悪趣味ポップな画面作りでもあり、「これはギャグなのか? マジなのか?」と混乱しました。

 

そんなこんなで第2話では上納金の滞納で闇カジノに手を出し、第3話ではやはり上納金の滞納で闇ボクシングに参加する「とんとことん」のメイドたち。

第4話では洗脳まがいの自己啓発、第5話では所属メイドの誕生日祝いがかち合ったという理由で、同系列店のメイドからなごみと嵐子が監禁され……。

各話、暴力が暴力を呼び、あっけらかんと暴力で解決していて楽しいですが、この物語はどこへ行くのか? と考えるとわからなくなるわけです。

各エピソードで、なごみは一貫して暴力が支配するメイドの世界に引いており、「戦いたくない」と口にしています。

「主人公は最初と最後で一番変化がある人物」という物語のセオリーを考えると、なごみはいつか銃を取り、戦いに参加するのか?

それともドン引きしつつ、暴力メイドの世界を案内する狂言回しのままなのか?

 

もうひとつ気になったのが、この物語の本質です。

登場するキャラクター達は、メイド+任侠というより、ほぼ任侠です。

では、任侠のガワを美少女メイドにした物語で終わっていくのか?

 

1話~5話までを見ているとき、同作内でのメイドと任侠の関係性は、漫画『鍋に弾丸を受けながら』に近いものがありました。

この漫画は、危ない地域の危ないグルメを堪能するノンフィクションリポートなのですが、登場人物は美少女オンリー。

なぜなら、主人公の脳は長年の二次元コンテンツの過剰摂取で壊れており、「目に映る人間のすべてが美少女に映る」から。

何を言っているかわからないかもしれないですが、作品を読めばおわかりいただけることと思います。

鍋に弾丸を受けながら - Webで漫画が無料で読める!コミックNewtype

『鍋に弾丸を受けながら』は、美少女×危険地帯のグルメリポートという唯一無二の内容でパロディではありませんが……。

内容は違えど、“置き換え”の手法として連想したのが『鍋に弾丸を受けながら』だったのでした。

ようするに、『アキバ冥途戦争』は、任侠のいかつい男たちを美少女に置き換えた作品なのか? と。

 

でもそうじゃなかった。

 

第6話では、服役していた敵対グループのメイド、愛美(まなみ)が出所します。

武闘派の愛美は、いわば古い任侠。

自分たちの傘下「チュキチュキつきちゃん」が「とんとことん」につぶされたと知り、激昂。

「とんとことん」をつぶそうと提案します。

が、グループのトップは愛美の服役中に代替わりしており、「もう切ったはったの時代ではない」と説きますが、愛美はそんなこと聞きません。

単独で「とんとことん」を狙い始めます。

 

この愛美がすごいんですよ。

もはや萌えボイスですらしゃべらない。全編低音で、セリフは全部こってこての広島弁。ちなみに演じるユリン千晶さんは広島ご出身なので、ネイティブのようです。オーディションでは、「もっと低く、もっと低く」と言われたとか*1

表情も不敵で、メイドの服はまとっていますが、赤いバットを構えた姿はなんていうか……チンピラそのもの。

それも『闇金ウシジマくん』流にいうなら、《人間の頭を迷いなくバットでフルスイングできる》タイプです。

 

この愛美のエピソードは、「変わってしまった世間に取り残された古い任侠」を描くもの。

自らの姿勢を貫く中、次第に追い詰められていく姿には哀愁がただよい、見る者を惹きつけます。

任侠ものにはあまり詳しくないですが、定番のエピソードではないでしょうか。

 

エピソードの骨子としては、もはやパロディですらありません。完全に任侠物です。

ただ、そこに風穴を開けるのが、主人公のなごみです。

なごみはこの抗争で大切な友人(メイド)を失い、「とんとことん」から姿を消します。

しかし――。

やがて大切な友人のご主人様(ファン、客)から、彼女の思いを聞かされた彼女は覚醒。

自分なりの戦い方で、愛美を追い詰めるのです。

そこで、「メイドだって(時代とともに)変わるんだ」「わたしはあなたを許さない。でも、殺さない」と自らの“メイド道”を宣言。

なごみが愛美に向かって「メイドなら萌え萌えキュンキュンしろよ! 『萌え! 萌え! キュン! キュン!』」と叫び、ポーズを作るシーンは熱い……熱いんだけど明らかにおかしくて笑ってしまう……でもやっぱり胸が熱くなる……という、感情の行き場に困る名シーンでした。

ええ、迷シーンではなく、間違えなく名シーンなのです。

 

この7話で、「『アキバ冥途戦争』とは何か」がはっきりと示されました。

任侠もののパロディでありつつも、暴力メイドが闊歩する世界にあって、新たな“メイド道”をめざす女の子の軌跡を描くもの。

それは、パロディがまごうことなきオリジナルになった瞬間でした。

 

しかし、その直後の8話ではなんと、愛美の弔いのために敵対グループと「とんとことん」のメンバーが野球で対戦することに!

和やかでギャグいっぱいの野球回になるかと思いきや、ほぼチンピラである彼女たちがまともに野球をやるはずもなく……。

なごみが「フェアプレーを!」と呼びかけ、貫くなか、敵も感化されていくのですが、当然、『アキバ冥途戦争』がそんなきれいな形で終わるわけがありません。

作品名を検索すると出てくるジャンルが「ブラックジョーク」になっているのも納得の、ものすごい……笑っていいのか悪いのかわからない……ものすごい展開がありました。

 

そして、12月8日にオンエアされた最新10話では、嵐子の過去の因縁が絡むエピソードがスタート。おそらくこのエピソードが転がり、ラストへ向かうものと思われます。

強敵との戦いが予想される中、義理人情の人・嵐子は、そして、新たな“メイド道”に目覚めたなごみは、何を見せてくれるのでしょうか。

何より、あっさり人が死んでいくこの作品にあって、ふたりは生き残れるのでしょうか……。

 

パロディをやりつつも、どこへ向かうかわからないオリジナルアニメのおもしろさをしっかりと備えた作品、『アキバ冥途戦争』。

最終回まであとわずか。

『アキバ冥途戦争』の行く末を、しっかりと見届けたいと思います!

 

***

画像は写真ACよりお借りしました。《

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*1:インタビューでユリン千晶さんは、今どきあそこまでコテコテの広島弁をしゃべる若い人はいない、ともおっしゃていました。参考

『アキバ冥途戦争』佐藤利奈&ジェーニャ&ユリン千晶が第7話を振り返る【インタビュー連載第8回】 | アニメイトタイムズ

わたしの、新しい靴「2022年買ってよかった」

2022年。

いよいよダメになった。

何がって、この記事に書いたブーツである。

20年目のブーツと未来へ歩く - 平凡

 

 

記事に書いたとおり、修理しながら履いていたのだが、今年の春先、ついに足先の縫い目がほつれてきた。

 

ちょうど銀座に行く用があったので、買った靴屋に持っていく。

 

「これ、わたしが新卒で入社したときに発売された型番ですね」

 

ブーツを差し出すと、ベテラン風の落ち着いた男性店員が言った。

わたしがブーツを履いた年月と同じだけ経験を積んだ店員は、慎重にじっくりとブーツの状態をチェックしていく。

 

ほつれたところは、似た色の革をパッチのように当てて補修できる。

が、当然、足の甲に当たるので履き心地が悪くなってしまう。

革自体がかなり弱っているので、今後、別の場所がさらにほつれる可能性もある。

 

「いきなりほつれて、全部がバラバラになってしまって、出先で困るような可能性も……?」

 

おそるおそる聞いてみると、「ないとは言えません」との返答。

 

カウンターに乗せたブーツを、わたしはまじまじと見た。

いつも足元にあるそれを、目線と同じ高さで見ることはめったにない。

手入れのときだって、手に持ってあれこれするのだから、見下ろす形には変わりない。

「履き込んだ」を通り越して、くたびれた革。

靴底と革が今にもはがれそうになっているところもある。

すっかりわたしの足の形と歩き方になじんだ結果、もはやショートブーツは直立しない。

20年間履き倒してもびくともしなかった強固な縫い目がほつれている。

 

ブーツを履き続けるうち、頭をときどきよぎるようになった疑問がある。

「大事に使う」と「こんなに使い倒してかわいそう」の境目はどこなのだろう。

もちろんそれは、とても主観的な話だけれど。

 

その境目も基準もわからないままに、その疑問にけりがついた。

わたしのなかで、「こんなに使い倒してかわいそう」にカッチリ切りかわったのだ。

修理して、修理して、いつか歩いているうちに、このブーツがバラバラになる。

それはとても残酷なことに思われた。

 

「修理、しません」

 

わたしはそのまま、20年前と同じ店舗で、新たなブーツを探すことにした。

プレーンで、できるだけ履きやすくて、比較的きちんとした服装に合いやすく、それでいてちょっとカジュアル感もあるデザイン。

 

いくつか見つくろって、サイドゴアでヒールがほとんどないブーツに決めた。

すこし白っぽい、オークル感ある茶色。

黒や茶色でないので、靴クリームの入手には難儀しそうだが、好みにはぴったり合っていた。

 

家に帰って、新しいブーツに足をそっと差し入れる。

「どこまでもどこまでも、歩いて行けそう!」

若かったあの日の喜びはもうない。

次に、古いブーツを履いてみる。

いつも通り、ぴったりとやわらかくわたしの足を包み込む。

この黒いブーツで、泥を踏み、落ち葉のパリパリとした感触を楽しみ、草のやわらかさを感じ、取材で入ったホテルのふかっとした絨毯の感触にドキドキして、時には固いアスファルトを蹴って走った。

 

新しいサイドゴアのブーツは、ワンピースにも、パンツのすそを折り返して履いてもよく合う。

2月に買って以来、存外、いろんなところへ履いていっている。

下手なスニーカーよりも歩きやすいのは、前のブーツと変わらない。

ただ、なんというか、履き心地がさらに気楽だ。

その気楽さが、“今”だな、とも思う。

 

冬を迎え、サイドゴアのブーツの親指の脇あたり、わたしの足の出っ張ったところがうっすらと擦れてきている。

新しいブーツは、いつの間にか、「新しかったブーツ」になっている。

 

このブーツを20年履くことはないだろう。

それでいいのだとも思う。

それでも――。

それなりに長い付き合いになるであろうこのブーツは、わたしをどこへ連れて行ってくれるのだろう?

思いがけない土地を踏むこともあるだろうか?

ブーツに足を入れるたび、コロナ禍と円安ですっかり枯れかけた希望が、かすかによみがえるのを感じるのだ。

 

だから。

「買ってよかった2022」はサイドゴアのブーツ。

未来へと連れて行ってくれる、わたしの新しい靴。

いま、出会えてよかったという気持ちを、ここに記しておく。

 

今年でさよならする予定のブーツ。2018年メンテナンスの後に撮影したもの。今まで、ありがとう

 

今週のお題「買ってよかった2022」

 

 

冒頭の画像は画像は写真ACからお借りしました。《

旅する女性 trip - No: 25341088|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

 

 

望郷

どんどん遠くまで来て、宇宙船はぼろぼろ。

仲間はほとんどいなくなってしまった。

あるものを使い、いまいるひとたちでなんとか航行をつづけている。

燃料はいつまでもつの?

機体はどうかな?

いずれ不時着するとしたら、どうやればいいんだろう。

 

宇宙は寒く、光は少なく、かぎりなくさみしい。

 

仕事をしていると、ときどきそんな気持ちになる。

 

わたしがやっているのは雑誌のライターで。

すなわち、仕事はこんな感じだ。

1時間の取材をして、カメラマンがキメキメの写真を撮影する。

それをデザイナーに美しくレイアウトしてもらい、わたしが書くのは400文字。

取捨選択しつつ、いかに情報を詰め込むか。

800字を600字に、そして400字に。

削るたびに内容が研ぎ澄まされていくような気がする。

400文字なんて、少なすぎ!

いい話、いっぱい聞けたんだよ。

そう愚痴りながらも、削ることのない原稿なんてホンモノじゃない、みたいな感覚がある。

 

WEB時代になっても、ライティングも編集もなくなりはしない。

ご存じのとおり、WEBにだってたくさんの記事はあがっている。

1記事2000~3000字が多いから、紙雑誌よりもだんぜんテキスト主体だ。

 

わたしもふくめ、周りのライターは自然とそういった変化に乗っかり、スライドしている。

時代が変われば、新たな仕事が増えるものだ。

たとえばWEB時代になって、動画コンテンツが増えた。

その台本を書いたり、司会をしたり。

それをライターが手がけることも多い。

 

「書く」ことにフォーカスすれば、こんなに恵まれた時代はない。

頭ではそう思う。

字数制限がないなんて夢みたいじゃない?

削ったっていいんだし。

仕事以外にも、こうしてブログでも書けるし、読んでもらえる

 

それでも。

アニメや映画、ドラマを見ていて――。

「いったいつまで、『ソファやベッドに寝そべって雑誌を読む』描写が見られるのだろう」と思うことがある。

いまも激減しているはずだ。

電子化された雑誌を、タブレットなどで読む人も増えているだろう。

 

フィクションに雑誌を読むシーンがなくなるなんて、たいしたことじゃない。

喫煙シーンが消えた。

ガラケースマホに変わった。

それと同じだよ。

 

そう、では、あるの、だけど。

 

あまり指摘されているのを見たことはないけれど、紙の雑誌記事とWEB記事は、本質的に異なる点がある。

雑誌の特徴は、「雑多な情報」だ。

一冊の中に多様な情報が入っているのはもちろん、ページを構成する要素も雑多だ。

見開きの上3分の2に対談を載せ、下3分の1には別の専門家のコラムを入れる。

さらに左3分の1には、それらのコンテンツを踏まえた「おすすめの商品」の画像が並ぶ。

一時(いちどき)に、それが目に入る。

 

WEB記事だと縦スクロールが基本なので、「一気に雑多な情報が目に入る」構成にはできない。

したがって「雑多な情報が組み合わさった特集記事」は組みにくい。

対談なら対談、専門家のコメント記事なら単独コラムと独立した記事に。

表紙ページを作り、各ページにリンクを貼ることはできるが、それはよほどの大特集だろう。

また、モノの情報も画像もメーカー公式で見られるので、誰か語る「人」を立てた単発記事がより多いようにも感じる。

 

ようするに、雑多な情報が載っている物理的な紙の束を読むでもなくぺらぺらとめくる、といったシーンが消えつつあるということだ。

シーンの変化に、媒体の変化を感じてなんとも言えないさみしさを感じてしまう。

雑多な情報が流れていくTwitterInstagramをぼんやり眺めるのも同じ……と言われてしまえばそれまでだけれど。

 

変わっていくのだ。何もかもが。

 

わかっているけれど。

自分を形作ってきた世界の一端が燃え尽きようとしている。

そう感じるのは限りなくさみしい。

若いときなら、なんと感傷的な中高年だと笑い飛ばしただろう。

他人が「感傷的だな」と言っても「そうですね」とうなずくしかない。

 

レイアウトの文字数を数えて、原稿を削って、削って、削って。

ほんとうに必要なものだけを、できるだけいい形で残す。

不自由でありながら、最高に充足感のある瞬間を、いつまで感じられるのか。

わたしが生きているうちは、紙の雑誌という文化は残りつづけるだろうか。

 

故郷の惑星は、もう見えない。

いつの間に、こんなに遠くまで来てしまったのか。

 

そうして気がつくのだ。

わたしの宇宙は寒い。

 

指がかじかむのは、冬のせいだけではない。

息を吹きかけ、またキーボードを叩いている。

 

***

画像はぱくたそからお借りしました。《ウユニ塩湖の星空の写真素材 https://www.pakutaso.com/20160230047post-6972.html

2021年に買ったモノ答え合わせ

今週のお題「2022年に買ってよかったモノ」の前に、2021年に買ったものがどうだったのか~!? の答え合わせをしたいと思います。

 

2021年は本当にいろんなものを買いました。

こんなエントリーを書いたぐらい……。

やべぇ、家具家電に金使い過ぎてる。ところでいわゆる「浮かれ電飾」の季節ですね - 平凡

 

こんなにモノを買ったのは、人生初じゃないでしょうか。

ちょぼちょぼ使うラテマネーは多いタイプなんですけどね……トホホ。

買うたびにブログでネタにしてきましたし、一年使ってみてどうだった? を書いていきたいと思います!

 

 

冷蔵庫

息をするのもめんどくさいのに、麦茶作ってんの? マジ? - 平凡

わたしが一人暮らし時代から使っていた167リットル2ドアから、4室に分かれた355リットルに買い換えた冷蔵庫。

これはもう、ずっと前からこのサイズを使っていたのではないか? と思えるほど。

というか、いままでが小さ過ぎたんですね。

購入して一年経っても、サイズがデカくなったからといって、食材を無駄にすることが増えることもなく。

食材廃棄は残念ながらたまに発生しますが、頻度は前と変わりません。

コロナ療養中は、冷凍食品も含め、ストックがしやすいことで大変助けられました。

 

食器洗い乾燥機

息をするのもめんどくさい私が食洗機、買いました。どうですか? 便利ですか? - 平凡

食洗機買ってそろそろ4か月。いかがですかー? - 平凡

これも買ってよかったです。食後の洗い物が、並べてスイッチオンするだけで片付くのは本当にラク

予洗いがあろうがなんだろうが、圧倒的にラク

形や大きさがバラバラの調理器具や食器を、洗剤で洗って流して、水切りカゴのサイズを考えて並べ、乾かしてしまう「それぞれ違った判断が必要」で、「連続した別々の動作」を「一か所」「おまかせ」で終えられるのがいいんでしょうね。

うちは台所が狭いので、この「一か所」が案外、大きいです。

洗うものが少ないときは、麦茶ポットも洗っちゃっています。

うちは温風乾燥タイプなので、口コミで「食器が臭くなるかも」といった内容も見たのですが、とくにそういうことはないですね。

 

タブレット

2021年、タブレットにより、我が家に大電子書籍時代が到来した - 平凡

買ってからほぼ2年が経ち、夫専用のタブレットは、電池のもちがだいぶ悪くなってきました。

現在は、夫の英語学習方法や内容が変わってきたこともあり、タブレットはヘビーユースしていません。

ただ、最初の1年はめっちゃくちゃ使っていました。

2022年は、わたしも自分のタブレットを買ってみました。やっぱり電子書籍を読むのに便利です。

今使っている機体が古くなっても、新調して、ひとり一台持ちは続けるんじゃないかなと思います。

 

ベッド

ベッド選びは沼っていうか森。深い深い、迷いの森 - 平凡

こちらも2022年に真価を発揮したもののひとつ。

コロナに感染したとき、家庭内隔離でベッド以外の寝具で眠りました。

そこで思ったのです。

「うちのベッドつうかマットレス、めちゃからだを支えてくれてるんだな……!」

寝ていて本当にラクなんです。ふだん、「ラク」とも思わないほどに。

湿度が高い季節の管理が心配でしたが、夏にカビだらけになることもありませんでした。

買ってよかった……!

 

ワークチェア

いい椅子買って腰守ろ! ワークチェア選び購入編 - 平凡

こちらも、もうない生活は考えられません。

この一年、PC前で過ごす時間が増えてもどこも傷めずにいられたのは、このイトーキの「Act」のおかげでしょう。

座り心地がよく、「わたしの定位置」感があるのもいいですね。リモート取材にもリラックスして挑めます。

 

カニカルキーボード

これも買ってよかったです。

打鍵する喜びってありますね。書く快感と打つ快感。頭脳的なものと肉体的な喜びが一体となる感じ。

ノートPCのキーボードでも意外と打てるので、なければないでなんとかなりますが、やっぱりあったほうがQOLというのか、QOW(クオリティ・オブ・ワーク、あるいはライティング)は確実に上がります。

唯一の不満は、キートップのプリントが一部、薄れてきていること。

ブラインドタッチはできているとは思うのですが、パスワード打つときはがっつりキーボードを見ないとできないので、キーのプリントは薄れてほしくない……。

現在使っているのは、FILCOのMajestouchの茶軸。

REALFORCEのキーボードは「昇華印刷」でキートップのプリントが薄れにくいと聞くので、次はがんばってREALFORCEかな、と思っています。

 

ノートPC

ヤマダ電機をふらついていたときに見つけた、CPUがCore i7でHDD(SSDかも……)もメモリもそこそこで10万円切ってたDynabook

実は去年末は、長引くコロナ禍で電子機器の部品が手に入りづらくなっている、値段が上がっていると聞き、けっこう警戒していました。

PCが品薄になるのが怖かったのです。

元々のノートPCがまだ使えるうちに代替機を用意しておきたい……と思っていたところにこの出会い。

即・購入。

ちょこちょこサブとして使って、秋ぐらいからこちらに切り替えたのですが、爆速で立ち上がるので、とっても便利。

仕事で使うものは適宜買い替え、いいもの使おう~と反省しました。

15型で画面は大きいものの軽いので、ベッドに持って行って膝の上で打ちやすいのも良き!

 

買って後悔したものは皆無ですね。

というか、読み返してみると、「もっと早く買い替えれば?」「今まで環境に注意を払わなさすぎでは」という感想が……。

冷蔵庫とかベッドとかワークチェアとかキーボードとかノートPCとか!

 

そして、久しぶりに冒頭にリンクを貼った「やべぇ、家具家電に~」記事を読み返したのですが、部屋の状態は一切変わっていません。

今年もクリスマスの飾りを置くどころではない!

これはなんとかしていきたいですね……。ヨヨヨ。

 

番外編:引っ越し

モノではないけれど、引っ越しもやってよかったことのひとつ。

引っ越したのはペット可物件だからなのに、いまだに飼えてないじゃ~んというのはあり、前の物件の立地や周辺環境はとても気に入っていたのですが、何より間取りが変わったのが大きい!

前の物件は、「田」の字の下半分がDKと水回り、上の2コマが6畳間2間、みたいな構造で、部屋の仕切りが全部ふすまだったんですね。

コロナ禍などでライフスタイルが変わり、夫の在宅時間が増え……。

最初はわたしも仕事量が減っていたので、よかったんです。

ただ、仕事量が戻ってくると、ひとり暮らし歴が長く、在宅で孤独に仕事をしてきたわたしにとって、「誰かが常に家にいる感じ」が苦痛になる瞬間があったのでした。

それでも相手が夫なので、「わーい! 夫がいる!」という気持ちとだいたい相殺はされていたのですが、まあ当然、(夫には申し訳ないことに)相殺できないときもあったわけです。

とくに、開放的にして風通しをしないとしのげない夏は、けっこうつらいものがあり*1

穴倉にこもらないと、仕事ができないのよ……。

引っ越しで1部屋増え、短いながらも「廊下」がある物件に越したことで、それぞれが長い時間を過ごす部屋の独立性が増し、精神的にラクになりました。

家賃は少し上がってしまったのですが。

 

番外編:購入は2021年じゃないけど、使わなくなったモノ

逆に、2020年に買ったモノで、2021年~2022年にかけて使わなくなっていったのが、ブレンダーでした。

ほぼ毎日スムージーを作っていたのですが、夫がごく軽度のバナナアレルギーなのでは? 疑惑が出て、ぴたっとやめてしまいました。

ブレンダーは、コロナ禍で世の中がまだ止まっていた2020年に購入。

当時は夫婦ともに、生活時間に余裕があったんですね。

スムージーはとても美味しいのですが、ベースとなる牛乳とバナナを大量に消費するので、食材を常にそろえておく必要があります。

背景としては、それが難しくなってしまったこともあります。

「そろえる常備食材の種類・量が増える」って、負担もそれだけ増えますよね。

アタッチメントを使い、ブレンダーをチョッパーがわりにして、夫がコールスローなど、キャベツの細切りを大量に使う料理を作ってくれたこともあったのですが、こちらも夫が忙しくなり、やっぱり難しくなりました。

でも、一時期は使い倒していたので、後悔はありません。

冬になったので、久々にかぶのポタージュでも作りたいですね。

 

近々、「2022年に買ってよかったモノ」エントリーも上げようと思っています!

*1:エアコンが一台しかなかったこと、また、家の構造上、全部屋を開け放ってセントラルヒーティングというかクーリング状態にするのが電気代的にも効率がよかったんですね。隔てるものがない空間に常に人の気配があることが精神的に負担でした

秋は去りゆき12月

ベランダに出たら、この前まで「色づいてんな~」と思っていた木々の葉がすっかり落ちていました。

冬です。

というわけで、11月が終わりました。

 

11月はブログ更新6回。うち1回は10月のまとめなので、5回。

カウンセリングの話が中心でした。

 

11月前半は人に会う機会に恵まれ、後半は意図して人に会うようにしていた月でした。

対面で話すのはやっぱり楽しいし、情報量がまったく違いますね……。

そこでもらったアドバイスをもとに、仕事用のSNS運用を少し変えみてたり。

自分には昔ながらのネット作法が根を張っていて、「本名や顔出し、めちゃ怖い」と思っていることに今さら気がつきました(笑)

だから、仕事の告知がすごく怖かったんですね。

別にその感覚のままでもいいのですが、自営業でやっていくなら、自覚なく、「なんとなくそうやってる」のはマズい。

ネットとの付き合い方は、やるにしてもやらないにしても、どこかで決めたほうがいい。そんなことに気づきました。

 

人に会ったり、なるべく映画を見に行ったり、できるだけ楽しく過ごすことに注力しました。

そのなかで、先日の「未知なる生物、犬2」でも書いたことも含め、自分が閉じていることをあらためて自覚しました。

「どうしたら自分が開けるか」を考えたひと月でもありました。

未知なる生物、犬2 - 平凡

 

11月は心が波打つ時間も多く、書くことはおろそかになりがちなひと月でした。

「毎日これを書く」と決めていたことも途切れがちでした。

取り戻していきたいです。

ブログにしても小説にしても、おそらくわたしが「自分を外に開く」ために必要なこと。

歩みを止めてはいかん……まずいまずい扉が閉まってしまう! せっかくこじ開けたのに! みたいな感じです。

 

本当は11月中に『すずめの戸締まり』と『アキバ冥途戦争』について書いて、ブログにアップしたいな~と思っていたのですが、まとまらないまま、下書きに。

12月、早めにアップしたいです。

秋アニメはいろいろ楽しんでおりまして、とくに「他人に、世界に心を開かないと」とか言っているわたしにとっては、『ぼっち・ざ・ろっく!』のぼっちちゃんには共感が止まりません……!

 

現在、この瞬間は、カウンセリングで底にあったものがわかったことで、外面的には心の波打ちが少なくなり、なんか「まあいいや」ってことにしたがっている自分がいるのですが、そんなわけないので、もうちょっと頑張らねばならないでしょう。

心の底にあるものは - 平凡

 

師走はその名の通り、何はなくともあわただしく、マイペースを保つのは難しい月。

毎年この時期に開く『クリスマス・キャロル』(岩波少年文庫版)でも読みながら、なるべくペースを作っていきたいです。

今年は音読して読み進めています。文章のリズムがより楽しめていい感じなのです。

 

ちょっと気が早いけれど、来年の今ごろは「昨年の年末はいろいろあわあわしていたけど、いまはマシになったなあ」「歩んできてよかった」と思っていたい。

そういう未来をイメージしようと思います。

 

コロナも猛威ふるってますし、皆さんどうか心身お気をつけて、年末を乗り切っていきましょう!

 

画像は写真ACよりお借りしました。《

秋の実りのイメージ 2 - No: 24772028|写真素材なら「写真AC」無料(フリー)ダウンロードOK

未知なる生物、犬2

目があった瞬間、ビビビときた。

「あっ、このワンちゃんとは無理」

おそらく、犬も思ったに違いない。

「あっ、この人間は無理」

 

よく晴れた日曜日。

わたしたち夫婦は電車を乗り継ぎ、川をわたり、林立する団地地帯や工場群を抜け、果てはSuicaPASMOが使えないローカル線に乗り込み、郊外の街を目指していた。

目当ては保護犬の譲渡会。

なぜそんな遠くまでやってきたかというと、気になる犬がいたからである。

シニア手前の大人の柴犬。

里親募集サイトやInstagramの写真から感じる、なんともいえないのんびり、どっしりとした雰囲気に惹かれたのだった。

説明文には、「柴犬だけど、人にも犬にもフレンドリー」「犬が初めてでも飼いやすい子です」とあった。

「柴犬だけど」とつくからには、ふつうはフレンドリーでない前提がある。

猫派のわたしは最近まで知らなかったが、聞くところによると柴犬とはかなり特徴的な性格の犬種らしい。

里親募集サイトにおいて、柴犬にはたいてい「和犬の性格をよく理解し、愛してくれる人に」といった説明文がついてくる。

 

柴犬に限らず、我々には圧倒的に犬経験値が不足している。

犬という生き物が皆目わからない。

譲渡会には、複数の犬が集う。

その柴犬を目的にしつつも、さまざまな犬と間近に接することで、犬を知り、慣れることも目的だった。

何しろ、猫と違い、犬は触れ合える場所があまりない。

中型犬以上となれば、なおのこと。

 

最寄り駅に着く。

踏切を渡り、ちいさなロータリーを渡り、5分ほど歩くとログハウス風のフリースペースの前に「譲渡会会場」とのぼりが立っていった。

 

入り口ではじめてである旨を伝えると、スタッフさんが簡単に説明してくれた。

今日参加する犬たちの中には、怖がりの子もいること。

しかし、みな、ゆっくりであればさわれるので、ふれあい希望の場合は、横についているスタッフに声をかけてほしい、と。

 

ベビーゲートのような脱走防止柵をくぐると、15畳ほどのスペースに、7匹の犬がいた。

新たに姿を見せた人間に対し、犬の反応はさまざまだ。

こちらに興味を持つ子あらば、壁と一体化している子あり、どっしり構えて動かない子もいる。

 

入り口のボードには、写真入りで各犬の簡単な説明、体重、健康状態が一覧にして掲示してあり、どの犬も胴衣タイプのハーネスをつけ、そこに名札を貼っている。

どの子がどの子かとてもわかりやすい。

犬1頭につき、人間スタッフがひとり付き添っている。

このスタッフは「預かりさん」と呼ばれる人たちで、犬たちの飼い主が決まるまで一緒に暮らし、面倒を見ているボランティアだ。

 

さっそくお目当ての犬の元にいく。

 

で、残念至極だが、冒頭の状態になったわけである。

お見合いは初手でご破算。

我々は犬を選び、また、犬から選ばれる存在なのだ。


ビビビとはいかなかったものの、柴犬は、説明書き通りの穏やかですてきなワンコであった。

夫に対しては興味を持ったようで、まずペロペロと手をなめ、しゃがんだ足元にもぐりこみ、手の甲にぎゅうぎゅうと鼻を押しつけ、次に手や腕のあたりをあむあむと口に入れ始めた。

わたしはびっくりしてしまったが、夫は「あひゃひゃひゃひゃ、くすぐったい」と笑っていたので、悪いものではないらしい。

預かりさんによると、これはこの子の愛情表現で、甘噛みですらなく、歯を当てるような動作をするのだという。

そんな話をしている間も、あむあむ、あむあむ。

それにしても柴犬というものは、驚くほどに表情が変わらない。尻尾もふらない。

Twitterなどでよく見る子たちもそんな感じがするので、これは犬種の特性なのだろう。

あむあむ、ペロペロ、ぎゅうぎゅう、あむあむ。

やがてなぜか短くうなり、預かりさんの足元に戻って伏せの姿勢でくつろぎ始めた。

猫をもしのぐ気まぐれさ。


くつろぐ柴犬をなでながら、預かりさんにいろいろなことを聞いた。

その子の性格、散歩の頻度、脱走防止の方法、柴犬の抜け毛のすさまじさ。

車のない家庭で中型犬を飼えるのか。

将来、介護状態に入ったとき、どうやって通院させるか。

そして、我々の大きな疑問であった、「散歩以外の時間、犬はどうやって時間を過ごしているのか?」。

ちなみにその子はふかふかした場所でくつろぎ、たいてい寝ているのだそうだ。

いまいちその犬と通じ合えず、犬も塩対応ではあるが、額やのどをかくようになでると、気持ちよさそうな顔はしてくれた。

 

お礼を言い、他の子とも触れ合ってみる。

 

分離不安気味の中毛ふわふわの雑種は、工場地帯を放浪しているところを保護されたらしい。

お座りどころかお手もおかわりもする。

預かりさんが大好きで、しゃがんだ預かりさんの肩に手を乗せ、しっぽを振っていた。

「きっと人に飼われていたんだと思います。なんであんなところでさまよっていたんだろうねえ」

預かりさんは犬をなでながら言った。

「ま、犬に聞いても答えてくれないんですけど」

 

最も心惹かれたのは、体重20キロのオス。

こちらも雑種だ。

どでかいポウにやさしい瞳。

ラブラドールなど大型犬には及ばないが、思わず抱きつきたくなるしっかりとした体躯。

そばにいれば、血中犬濃度は爆上がり。

暖炉の前でのんびり寝そべってほしいサイズ感だ。


おびえて体を丸めているが、なでるとキョロリと上目遣いをするのも愛らしい。

というかこの、「おびえているのになでなではできる」状態に、猫派は大変驚く。

えっ、噛んだりしないの? に、人間の方が弱いよ? 犬ってなんて優しんだ……。

まだ若いがとても落ち着いているとのことで、覇気のない中年夫婦の暮らし向にはマッチしそうだが、何しろサイズがうちの賃貸ではNG。

 

犬たちと触れ合いながら、それぞれの預かりさんから、いろいろな話を聞く。

 

とくに、賃貸契約には飼える犬の体重まで明記してもらったほうがよい、というアドバイスは有益だった。

かつてマンションにて、大家との口約束で「柴犬オッケー」と言われて飼い始めたところ、実は以前、柴犬NGと言われた家庭があり、そこから物言いがつくというトラブルもあったそうだ。

「そういったときにモノを言うのは契約書ですよ!」とのこと。

我が家は目下、「柴犬OK」というあいまいな許可を取り付けている。

できれば柴犬くらいの中型犬、もし許されるなら同サイズの雑種と暮らしたいので、とても参考になった。

 

総じて会の人たちはおだやかで、現実的だった。

犬のために守ってほしいことは理由も含めてしっかり伝えてくれるが、決して高圧的ではない。

犬のことはいいことも悪いことも教えてくれる。

ここからなら犬を譲り受けたいと思えた。

保護動物を譲渡されるさい、飼い主にふさわしいか我々は審査される側だが、我々も団体はしっかりと選びたいと思っている。

 

小一時間ほど滞在して犬をなで、話を聞き、スペースを出た。

申し込みには至らなかったが、犬経験値はすこし上がった気がする。

 

しかし、課題も見えた。

複数の犬と触れ合っていて感じたのは、人間が心を開く重要性だ。

おそらく、初手から心をドーンとオープンにしないと、犬との暮らしは大きくつまずく。

そして、わたしはそれがなかなかできない。

柴犬はそこを瞬時に見抜いた気がする。

猫に対して「コミュ障や遠慮はよくないな」と感じたことがあるが、犬はその比ではない。

猫はシェアメイト感があるが、犬はもっと親しく暮らすバディ。

もっとシビアに選び、選ばれる必要がある。

と、また肩に力が入ってしまうのは悪い癖なのだろう。

 

「鼻、しっとりしてた。あむあむされた」

 

駅で電車を待ちながら、夫がニヤニヤしてつぶやく。

夫は触れ合ったほぼすべての犬から手をペロペロされていた。

夫の方が、心を開くのが上手なのだ。きっと、犬ともやっていけるだろう。

でも、わたしは――。

もうすこし心を開けないと、マズい気がする。

 

そして、犬のことはまだまだわからない。

次なる謎は、お散歩……とは??? である。

今度、保護犬カフェでお散歩体験をしようかと話している。

我々の犬経験値蓄積の旅はつづく。

 

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写真は写真ACからお借りしました。

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心の底にあるものは

カウンセリングは3回目にして底に到達。

わたしをぐらぐら揺らしているものが何なのかわかった。

わかったけれど、それは取り返しがつくものではなく、何かで埋め合わせができるようなものでもなかった。

なんとかそれを持てる、受け入れられる形にしましょうね、となっている。

 

わたしは幸運だと思う。

たしかに両親の仲は悪かったし、実家はしっちゃかめっちゃかだったけれど、親からの愛情は受けて育ったと思う。

家庭の影響で長らく精神をぐらつかせたけれど、それはそれ。

女子だからと言わず、行きたい学校に行かせてもらえた。

社会への適応はアレだったけれど、好きな仕事ができて、夫にも出会えて、穏やかな日常を送ることができている。

 

けれど、「この先に何があるのかな」と思う。

心の底にある、取り返しのつかない何かを見ると、悲しい気持ちになる。

 

いちばん怖いのは、この未来がない感じ、悲しい感じこそが、「本当の現実」だと思うようになってしまうことだ。

有名ブロガーさんが、鬱のときに見た景色を、「そっちがほんもの」と書かれていたのが印象に残っている。

そのブロガーさんの意図と合致しているかはわからないけれど。

ドーパミンが不足した状態で、理不尽に満ちた予測不能な世の中を見ると、とても生きていけないもののように見えることがある。

悲しまずに生き、安楽に、「明日はなんとかなるや」と思って眠りにつく。

それこそがまやかしのように映ることがある。

 

ドーパミンでコーティングされたものであっても、わたしはふつうの、泣かなくて生きている日常が「ほんもの」であると思って生きていたい。

夫や友人と笑う、楽しさを感じる。

それがまやかしやごまかしだと思いたくない。

どんな状況にあっても光を見出そうとする姿勢――は取れなくても、すくなくともそんな姿勢があることを覚えていたい。

 

まだわたしはだいじょうぶなので、なるべく楽しいことをするようにしている。

アイドルアニメの映画を見に行ったり、人に会ったり。

脳がしびれて止まってしまわないように。心が停滞しないように。

ブレーカーが落ちないように。

 

心の底にあるものを、持てるようになる。受け入れる。

それは自分にとって、いいことなんだろうか。

自責をともなう痛みをハンドリングする。

それは正しいことなんだろうか。

 

朝降った雨があがり、日が差してきた。

今日も日光に当たって、人に会う。

楽しいことをしよう。

なるべく、楽しいものを見よう。

 

そうしてまた、来週はカウンセリングに行く。