平凡

平凡

ここにいるのが好きだ

COVID-19のために、世の中はたいへんなことになった。

そんなときに「生き方を見直せた」と言うのは好きじゃない。

フェアじゃない、ように感じてしまう。

それでもやはり、世の中が変わると、ものの見方は変わる。見直さざるを得ない。


春、仕事が激減した。

店の取材はできないし、映画や舞台も公開延期になり、それにともなうインタビューもなくなった。

それでも細々と、定期仕事はある。

何かの穴埋めと思われる、資料だけで書く飛び込み仕事もポツポツあった。

それをこなしながら思った。

フリーランスになって15年近く。こんなに時間があるのははじめてだ。

 

わたしは部屋の片付けをはじめた。

ダイニングを整え、ずっとほしかったオーブンを買い、炊飯器や湯沸かし器をひとまとめに置けるレンジ台を購入した。

小さなところでは調味料入れを買い、その便利さに驚嘆した。

それまでは、袋を輪ゴムで縛って使っていたのである。

片付けられない人間であるところのわたしは、常々、「時間があっても片付けをしないと思う」と断言していた。

だって、時間があったら、ダラダラ寝ていたいもの。

そして、そう発言するたび、自己嫌悪におちいっていた。

しかし、大量にあった資料や雑誌を捨てながら思った。

わたしがひとより気力がないのはたしかだ。

でも、時間と気力がたっぷりあれば、片付けをやらないことはない。

 

晴れた日には、近所を散歩した。

半径2キロに通ったことがない道はないのでは? というほど、あちこちをただ歩いた。

うちは郊外にあって、畑が多い。直売所もちらほらある。

たけのこ、小松菜、じゃがいも、菜の花、大根。

めぼしいものがあれば迷わず買い、オーブンで調理した。

散歩の必需品は、小銭とエコバッグだった。

直売所の野菜はスーパーで買ったものと何が違うのかわからないが、歯ごたえがあり、鮮烈で濃厚な味がした。

4月をすぎるころには、たとえ野菜ばかりでも、毎日食べ過ぎると胃を疲れさせることを実感した。

 

ほかにも、肉を近所の精肉店で買うようになった。

ソーシャルディスタンスの実践のため、店外に行列ができているのを見て、個人客も気軽に入ってよい店なのだと知ったことがきっかけだった。

 

下戸のためおいそれと入れない飲食店が、テイクアウトや弁当をはじめた。

昼はなるべく出かけて、それらを手に入れて食べた。


春はそんなふうに過ぎて行った。

「生活をしている」という手ざわりがあった。

 

そうこうしているうちに、多少仕事が戻ってきた6月。

ふとした拍子に、「誰にも見せない文章を書こう」と思い立った。

わたしはいままで、文章というのはおおよそ誰かに見せるものだと思って書いてきた。

ときどきつけている日記でさえ、後日、自分自身という他人が読むことを意識して書いている。

わたしの頭のなかには、常にいくつかの世界が遊び場、あるいは劇場としてあり、そこにはさまざまな世界や登場人物がいた。

いつか文章にして外に出してみたいと思うものもあれば、まったく外に出すことを考えたこともない、わたしだけの遊び場もあった。

そのとき思いついたのは、誰にも見せるつもりのなかった遊び場を、誰にも見せない文章にして記す、ということだった。

これがやってみたら楽しかった。めちゃくちゃ楽しかった。書いて書いて書きまくった。

頭のなかにわきあがったものをそのまま書く。書いているうちにわきあがってくるのでそれをまた書く。

今の時代、クラウドに保存しておけば、PCでもスマートフォンでも書けるし読める。

布団のなかでスマートフォン片手に書きながら眠り、書いたものを読み返し、また付け足すのが楽しくて、朝、目が覚める。

これはロングスリーパーのわたしにとって、驚異的なことだった。

仕事を極力計画的に進めて、可処分時間のすべてを使い、妄想をただただ出力しつづけた。

 

これはいまも続けている。当初のような楽しさはない。それは、書きなぐるだけでは満足できなくなったからだ。

もっと自分が読んで楽しいものにするため、インプットをしたり、資料本を図書館で手に入れて読んだりしている。

なかなか筆は進まなくなったけれど、あのめくるめく楽しさは、ぜったいに忘れたくない。

 

その経験を通じて、わたしは思った。

書くことが好きだ。

実用的な意味で、文章はいつもわたしの身を助けてくれた。

大学受験時代は小論文で受験を乗り切り、大学時代は小論文の添削のバイトをし、社会に出て、道に迷いに迷ったわたしが唯一落ち着けたのは、ライターの仕事だった。

ネットが普及してからは、サイトだブログだTwitterだと、根気はなくてつづかなくても、なんだかんだとやっている。

見たものは文章にしたい。感じたことは文章にしたい。

取材やインタビューをしたあと、こんなふうに書こうと考えると心が躍る。

書きたいと思うのは、当たり前だった。

だからこそ、書くのが好きかどうかは、考えたことはなかった。

 

でも、気がついたのだ。

頭のなかにあるものを出して、書くのは楽しい。

想像していたものは、外へ出したとたんに駄作になる。

文章の下手さも、人物描写の薄っぺらさも、筋書きを作る筋力の弱さも、表に出すとよくわかる。

わたしは凡人なのだと思い知る。

それでも「形」を与えるのが楽しいのだ。

 

頭の中で組み立てたものを出す楽しさは、仕事の文章と物語では、別個のものと思っていた。

でも、根底は一緒なのだとも気がついた。

そして、それは苦しさも同じ。

何を書くにしても、書くのはしんどい。

先に書いたように、外に出せばアラが見える。

今度はそれを埋めるための、正解のない迷いと、先が見えない上り坂がはじまる。

苦しい、苦しい。そんなことが好きなのか? 

でも、やめられない。

 

この春から夏、そんなふうにして暮らしていた。

わたしが充足を覚えることは、ぜんぶ家から半径1キロないし2キロで済むことなのだった。

わたしは思った以上に出不精だった。

それがコンプレックスになっていたことも自覚した。

SNSで情報を摂取するたび、「美術展も映画も演劇も見たい、やりたいこともたくさんある、でも、腰が重い」と焦っていたことにも気づいた。

出不精のままでよいとは思わない。

わたしはもっと外へ出たほうがよい。

しかし、自分を変えるにせよ、泰然自若とするにせよ、出発点として、「自分がどんな人間か」を知ることは必要なのだ。

 

そんなふうに暮らしているうちに、秋が来ようとしている。

ここまで書いてきてあらためて断言するが、新型コロナウイルス感染症にまつわるあれこれは、ないほうがよかった。

わたしは安全な場所にいられて、運がよかった。

健康で、激減しても仕事があり、家があった。

しかし、街には閉店の貼り紙が増えていく。

医療従事者をはじめ、強いプレッシャーのもと、仕事をしているひとも多い。

わたしはそういったひとたちに支えられている側の人間だ。

不安もある。

肝に銘じつつ、それでもせっかくつかんだものは、手放さないようにしたい。

そう思いながら、手洗い、マスクが標準になった世界で、鉛筆を走らせ、キーボードを打ちつづけている。

もうその人には会えない

それは、楽しい仕事だった。

刺激的な取材を終え、わたしと編集者、カメラマンは

息を弾ませながら帰路についていた。

まだまだ寒い時期で、吐く息は白い。

一見、気難しいインタビュー相手になんとか食らいつき、

生き生きとした言葉が引き出せた。

その手ごたえを、みんなが感じていた。

 

「平凡さんにお願いしてよかったなあ。

これから、司会的なお仕事もできるんじゃないですか!?

ああいうゲストを呼んで……」

 

編集者は機嫌よくそう言った。 

 

「いやいや、取材ならともかく、司会なんて無理です。

今回は上手くいきましたけど……」

 

ほめるときはくすぐったいぐらい、調子よくほめてくれる人なのだ。

そして、原稿をちゃんと読んで、赤(修正)を入れてくれるタイプ。

いつもおもしろい、いかにも雑誌的な誌面づくりを考えている。

そういう編集者だった。

その雑誌で、「よくこんな誌面づくりを思いつくな」と驚くページは、

たいていその人の仕事だった。

取材の待ち時間には、そういったページの制作裏話を聞きながら大笑いしたものだった。

 

年に1回の、とある大きなイベント前は、誰に取材するかを相談する。

それが恒例になったのは、もう7、8年前か。

 

その人との仕事が、わたしは好きだった。

プライベートでの人付き合いはほとんどないわたしだが、

仕事では、幸い、そう思える人が何人かいる。

 

「じゃあ、詳しくは、また改めて連絡しますんで!」

駅前で手を振って別れてからしばらく、連絡がなかった。

そろそろ締め切りとか、確認しなきゃ。

そう思いながら、日々の業務にかまけていた。

そんなある日、知らない電話番号から着信があった。

「あのインタビューの原稿なんですけど、わたしが引き継ぎまして……」

えっ、あの編集さんは、どうされたんですか?

「わたしもよくわからないんです……。

とにかく、出社していないんですよ」

血の気が引いた。

引き継いだだけなので、と話す相手と簡単に打ち合わせ、電話を切った。

 

そのあと、周囲へそれとなく聞いてみたものの、

その人がいなくなった理由を、ほとんどの人が知らなった。

ただ、なんとなくではあるけれど、

生命に問題がある状態ではないらしいことは、ぼんやりとつかめた。

生きていているんだな。

胸をなでおろした。

 

しかし、そのあとは喪失感に襲われた。

ある作品が周年を迎えたと聞けば、

「これ、超超おもしろいですよね!」と盛り上がったことを思い出す。

興味深い相手への取材が決まると、

「あの編集さんだったら、すごく興奮しただろうな」と思う。

 

興味と興味、喜びをピンポンのように打ち合って、

その人との仕事はこれからもずっと続いていくものと思っていた。

いや、その人もわたしも年を取ってきた。

「いつまでも」がないことは、心のどこかで知っている。

その人だって、転職をするかもしれないし。

でも、こんなにぷっつりと切れてしまうとは、想像もしていなかった。

 

毎年予定を空けていた年に1度のイベントも、

その年は何事もなく過ぎ去った。

 

数カ月後、転職したと、本人から連絡をもらった。

元気であることはうれしかった。

連絡をくれたことも。

が、同時に、もう編集者とライターとしては関われないのだと思うと、

限りなくさみしかった。

 

プライベートでも付き合いがあるような、

人間同士の関係ではない。

でも、仕事での関係は、わたしはとても、とても好きだった。

その人との、ある社会的なかかわりを喪失すること。

そのことが、こんなにショックだなんて。

 

そしてわたしには、前にも書いたように、

仕事関係者でそういった人が何人かいる。

彼ら彼女らとも、いつか、どこかで別れはやってくる。

人生は流転するし、「社会的な喪失」どころか、

我々は誰もがいつかは死んでしまうのだから。

 

今もときどき、共通の仕事関係者から、その人の近況を聞いている。

元気でいてくれるのは、やっぱりうれしい。

お互い、生きて歩いていれば、またどこかで

愉快に関り合うこともあるかもしれない。

それでも。

喪失感に打ちひしがれて、わたしはいまだ、

近況を知らせるその人からのメールに、返事を出せないでいる。

手料理という深淵

この、腹に響くものはなんだろう。

夫の料理を食べるたびに考える。

が、答えは出ない。

「料理って、家事のなかでも特別な気がする」と、夫は言う。

掃除や洗濯に比べて、やってもらったときの「ありがたい」度が高いのだと。

「人間の生命維持と関わっているからかな」。

そうかなあ、そんな気もする。

答えながら考えるけれど、やっぱりわたしにはよくわからない。

 

ここ数カ月で生活に変化があり、夫が料理をしてくれるようになった。

これまでの人生で、夫はまったく料理をしたことがない。

義母はわたしが義実家へ行っても何もさせないひとで、それは夫や義姉に対しても同様だ。

ただ、夫は、料理に興味はあるようだった。

以前から、「時間があったら、料理はやってみたい」としばしば口にしていた。

わたしが作った料理について、「これは……しょうがとニンニク?」「これは焼いているの? 蒸しているの?」など、聞くことも多かった。

 

我々家族の生活に変化があった時期、わたしは激烈に忙しかったため、

夫はいきなりひとりで料理を担当することになった。

ただ、わたしが横にいるとかえってやりづらいようで、それは彼にとってよいことだったのかもしれない。

 

「いちょう切り」がいかなる切り方なのか、「中火とは何か、弱火とは何か」などの基礎知識は、ネットで調べられる。

いまある食材を検索窓に打ち込めば、それらを使い切れるレシピは山のように出てくる。

夫はいつも、「すこし食材を厚く切りすぎた」「ぜったい火を入れ過ぎた」など、さまざまな心配をしながら料理を仕上げた。

インターネットの恩恵を受けつつ、おっかなびっくり作る夫の料理は、どれも驚きのおいしさだった。

食材の切りそろえ方、火の通し方、そして盛り付けまで、どこにも乱暴なところがなく、すべてが行き届いている。

心配性で丁寧で、まずはマニュアルをよく読むタイプ。

そんな夫の善性が表出している。

品数は多いが、一品一品は荒っぽいわたしとは真逆だ。

 

夫がかなり初期に作ってくれた料理に、焼きうどんがあった。*1

醤油を使った、和風の味付け。具材は油揚げとネギだけ。

醤油を吸った油揚げがややカリッとして、くたっとなったネギの甘味が絡み合う、素朴で安心できる味。

――これは小学生時代、半ドンのときに近所のやさしいお兄さんが作ってくれた焼きうどんの味……。ああ、あのお兄さんはタイムリープした夫だったのか……。*2

実際には、近所のお兄さんも、彼が作ってくれた焼きうどんも存在しない。

が、そんな偽の記憶が生まれるほどの味だった。

 想像力が広がる、というのはすなわち情動が動くということ。

夫の料理を食べるたび、軽く涙ぐんだ。

味覚ばかりか、腹に、心に響くもの。

これはなんなんだろう。

以来、考えつづけるけれど、わたしには、よくわからない。

 

そこでひとつ思い出したのは、母の再婚相手、すなわち義父の思い出だ。

義父はおおよそ表情を変えない昭和の男だったが、母の手料理を前にすると、相好を崩した。

母の料理を食べて、ではない。

母の手料理が並ぶ、それだけで、ほかでは決して見せないやわらかな表情をした。

実父は「妻が料理を作るのは当然」という人だったので、この反応はわたしにとっては驚きだった。

大人の男が、配偶者が料理を作るだけで、うれしそうにする。

そこに家庭の食卓がある。そのことに、喜びを示す。

それも、子どものわたしにもはっきりとわかるぐらいに。

 

長じて結婚すると、夫も同じような反応を見せた。

わたしはそう料理が得意なほうではない。

それでも、食卓に何かが並んでいるだけで、夫はうれしそうな顔をする。

悪い気はしない、というか、うれしい。

ただ、わたしには、夫の気持ちも、義父の気持ちも、我がこととして理解はできなかった。

「作られて喜ぶひと」の気持ちは、他人事だった。

「仕事から帰ってきて、食事があったらそりゃうれしいか、そうか」。

 

でも、そうじゃなかった。たぶん、それ以上のものがあるのだ。

夫が料理を作ってくれるようになってから、わたしにもそれが理解できた。

「それ以上のもの」が何なのかはわからないけれど。


今日の夕食は、夫の手による豚の生姜焼き。

ズッキーニとたまねぎも一緒に炒めたもの。

付け合わせとして、レタスとトマトが添えられている。

「生姜焼きに合わせるのはキャベツって思い込んでいたけど、レタスもいいもんだね」と夫は満足そうに言う。

炒め物をするとき、「付け合わせの生野菜」を用意するのは、けっこうめんどうくさい。

わたしはそう思っている。

だからこそ、夫がそれを付けてくれたひと手間がうれしい。

ちょっと生姜が多めの味付けは、夫婦ともに好きな味だ。

ほどよく食感が残ったズッキーニ、よく炒められたたまねぎの甘み。

それについてふれると、夫はズッキーニとたまねぎを投入するタイミングをズラしたと説明する。

 

 「ズッキーニが入っていると、夏の料理って感じがするね」。

もし、最後の晩餐が選べるなら、こんなものを食べたい。

メニューはなんだっていい。

季節の食材を使い、わたしたち好みに仕上げられた味。

食材について、ちょっとした工夫について、語り合いながら味わうそんな食卓。

夫の料理を食べると、いまもすこし、涙ぐんでしまう。

その理由は、考えてもやっぱりわからない。

*1:味付けは「白ごはん.com」を参考にしているそう

ばっちり美味しい焼うどんのレシピ/作り方:白ごはん.com

*2:半ドンがあった世代です

ニューカレドニア、Wi-Fiどうするよ問題

知名度のわりに、案外、情報が少なかったニューカレドニア旅行。

そこで、事前準備で戸惑ったWi-Fi事情について解説してみる。

 

ネット大好き、旅行中もスマホで調べものしちゃいます! な現代っ子にとって、

ニューカレドニア旅行で戸惑うのは、Wi-Fi環境ではないだろうか。

以下、SIMフリースマホを使いこなすリテラシーがない前提で話を進める。

 

 

日本からのレンタルは一社のみ!

まず、2019年6月現在、日本からニューカレドニアへ借りていけるポケットWi-Fiは

グローバルWiFiのみ。

イモトのWiFiは、ニューカレドニアはサービス対象外だ。

グローバルWiFiのプランは限られていて、

3Gまたは4Gで「300MB/日」のみ。

無制限や大容量ではない。

渡航日数が計5日なこともあり、

故障時の補償を安価な「ライトプラン」にしても、9000円を超える*1

わたしが出した見積もりでは、3Gも4Gも変わらなかった。

この容量に9000円超を払うのは抵抗がある。

 「グループ旅行の場合、数人で割れば安い!」と書いているサイトもあったが、

数人で使ったら300MB/日はますますもたなくなるのではないだろうか。

 

 現地のWi-Fi環境の脆弱さ

そして、ホテルのWi-Fi環境がそれほど整っていない。

地球の歩き方』(’17-’18年版)には、

「最近では全室Wi-Fi対応のホテルも増えてきている。

なかには無料で利用できるホテルもある(略)」と書かれている。

これは、Wi-Fi環境が整った国に対しては用いられない表現だ。

わたしたちが宿泊したヌバタホテルは、「1日250MBの無料Wi-Fi付き」。

口コミには、「250MBなんてすぐに使ってしまって、有料で追加購入した」と書いている人もいる。

ガイドブックには、街中でもあまりWi-Fiは期待できないとある。

そして、これは事実だった。

 

おススメは現地でのレンタル(日本語可)

そんなときに目に入ったのが、

現地の日本人経営セレクトショップAQUAのポケットWi-Fiレンタル*2

最新情報

回線は4Gで容量は無制限。レンタル料金は 1日1,190cfpとある。

cfpは現地通貨の単位で、だいたい1cfpが1円前後。

日本から借りていくグローバルWi-Fiと違い、現地で借りるため、レンタル日数は3日。

1,190×3=3,570円*3

グローバルWiFiの4割程度の価格だ。

そのうえ容量無制限。最高だ。

気になる故障時などの補償をメールで問い合わせたところ

(問い合わせメールはもちろん日本語でOK)、

貸出時、現金2万cfpを預けるか、またはクレジットカード情報一式を書面に書き残すことがデポジットになるとのこと。

客の過失や故意で故障した場合は、その2万cfpで弁済とのことだった。

セキュリティコード含むクレジットカード情報を書面で書き残すのは、どうしても抵抗があった。

店の人は信頼できると感じたが、窃盗などの不測の事態が怖かった。

ただ、2万cfpの両替手数料・再両替手数料が発生してもグローバルWiFiよりも

AQUAで借りるほうが安いので、デポジットは現金2万フランを選択*4

今のところ、両替・再両替手数料や為替ロスは3000~4000円を見込んでいる。

クレジットカード情報を使ってのデポジットで構わなければ、料金は本当に安く抑えられる。

 

日本から問い合わせたところ、AQUAの方はメールで丁寧に対応してくれ、さらに契約書も事前に送ってくれた。

出発前によく考えることができ、大変助かった。

旅行客のワガママとわかっているのだが、唯一の欠点といえば、お店は10時からなので、初日の朝イチからは使えないことだ。

一方で、お店は19時まで開いている。

ニューカレドニアではこれは遅い閉店時間であり、その点は大変ありがたい。

立地はたいていの旅行客が滞在するアンスバタ地区のど真ん中、ヒルトンのショッピングモール内なのでわかりやすくて大変便利。

 

AQUAが扱うポケットWi-Fiは「NC Pocket WIFI」のもので、

取り扱いを始めたのは2019年5月から。

「NC Pocket WIFI」のサービス自体が始まったばかりなのかもしれない。

そして、現地では唯一のレンタルポケットWi-Fi会社なのではないだろうか。

 

この「NC Pocket WIFI」、空港のターンテーブルにもデカデカ広告を出しており、

空港にもレンタルカウンターがある。

帰路に気づいて、「次の旅行のために教えてほしい」とカタコト英語で話したところ、

料金表を見せてくれた。

なんとAQUAのほうが安い。

AQUAでは3日以上借りるとレンタル料金が1,090cfp/日に値下げされるのだが、

空港では5日目以上借りないと1,090cfp/日にはならない。

補償方法までは聞かなかったが、AQUAは「(Wi-Fiレンタルは)代理でやっている」と話していたので、方法は変わらない可能性がある。

 

また、ニューカレドニア旅行は、JTBだろうとHISだろうと、

現地の仕切りは全部、サウス・パシフィック・ツアーズという旅行会社が行っている。

何らかのツアーで申し込んだ日本人客は、

空港に着くとこの会社のカウンターに立ち寄るのだが、

そこでポケットWi-Fiらしきものを受け取っている人を見かけたので、

ひょっとしたら扱いがあるのかもしれない。

ただ、公式サイトには記載がない。

気になる人は問い合わせをしてみよう。

 

レンタルポケットWi-Fiの使い心地は?

肝心のWi-Fiの使い心地はよかった。

画像などの表示が遅いというより、「引っかかる」感じで、

少し遅れて表示されることがあったが、ストレスになるほどではない。

Googleマップの表示は快適だった。

レンタル機器が真新しいせいか、

8時間から10時間電源を入れっぱなしでも、電池がもった。

日中は地図を表示することが多く、少し仕事も持ち込んだ身としては、

容量無制限は安心感がある。

街中では、Wi-Fiを飛ばしている店は限られるので、

ポケットWi-Fiは頼もしい存在だった。

レンタルするなら、ぜひ現地で。

 

スマホを見ないニューカレドニアの人々

そして、現地で思ったことは――。

スマートフォンを見ている人が少ないこと。

これはスマホが普及していないのではなく、

ネットに対する興味が低いんじゃないかと思った。

あるいはスマホが普及していないのだとしたら、それは需要の低さからではないか。

人々は基本、おしゃべりをしているか、ひとりでいるときはボーッとしている。

ボーッとしている人は、何を使って再生しているかは不明だが、スピーカーで音楽を流していることが多かった。

首都・ヌメアでは、1軒だけネットカフェを見かけたが、デスクにパソコンを並べた、古いタイプの店だった。

ただ、AQUAにしても、現地のレストランにしても、自前のサイトを持っていて、メール対応も迅速だ。

観光に関わる界隈では、インターネットは広く使われている。

 

グローバルWiFiに無制限プランがないところを見ると、

現地の回線状況はあまりよくなかったのかもしれない。

ただ、今は容量無制限の「NC Pocket WIFI」がある。

旅行客のWi-Fi環境に関しては、数年たたないうちに、

この記事が役に立たないくらい、変わっていくかもしれない。

「日本でレンタルすると、選択肢が1社だけ!?」

「容量が300MB/日!?」

と驚くことが多かった2019年6月現在の、ニューカレドニアのポケットWi-Fi事情。

何かのお役に立てれば幸いです。

*1:たとえば台湾の場合、5日間、4G、1.1GB/日で8000円ちょっと。ただ、ニューカレドニアの例も台湾も例も、料金は特定サイトからの申し込み割引20%などが引かれた料金なので、時期や申し込むサイトによって変わってくる

*2:このAQUAに行きついたのは、前回のエントリーに書いたように、気候について調べまくっていたとき。店主ご夫妻はニューカレドニア在住20年超の日本人であり、サイト内で現地の気候からマナー、両替のレートまで、懇切丁寧なQ&Aページを設けている。それをチェックするうち、「ポケットWi-Fi取り扱い開始」のニュースが目に入った

*3:後述の理由により、実際は1090×3となった

*4:Wi-Fiは最終日ギリギリまで借りるため、2万フランの現金を現地で有益に使い切ることはできない。そのため、最初から再両替するつもりで2万フランを両替。到着時、現地空港のATMでクレジットカードキャッシングで現地通貨を下ろし、出発時、現地空港の両替窓口で日本円に再両替した

海外旅行へ行く理由

今週のお題「2019年上半期」

 

曇天の下で、寄せては返す波をぼんやりと見ている。

透き通った海水が波となって立ち上がるその瞬間、繊細な飴細工のように見える。

視界を広く取ると、エメラルドグリーンの海が広がり、白い小さな波頭がそこかしこで砕けている。

まわりには、わたしたち以外にも同じように過ごしている人たちがいる。

ベンチに座ったり、その辺の砂浜に草が生えたところに寝転がったり、

サンドイッチを頬張ったり、おしゃべりをしたり。

 

夕方になると、風が強く、冷たくなってくる。

雨まじりの天気の下、現地の人が、ウィンドサーフィンを始める。

なかでも初老の男性が一番速い。

引き締まった体で巧みにセイルとボードを操り、沖を飛ぶように進んでいく。

砂浜では、彼の飼い犬が遊んでいる。

主人の活躍を見守るでもなく、浜辺に穴を掘ったり、木の根っこあたりのにおいをふんふん嗅いだりして、実にマイペースなものだ。

われわれの後ろ、遊歩道からは、カツンという音と、男性たちの歓声が聞こえてくる。

男性たちが集まり、拳ぐらいの大きさのボールを砂場に散らし、そこに同じようなボールを投げてぶつけているのだ。

フランス語圏ではメジャーな「ペタンク」という遊びで、ゲートボールのようなものらしい。

ニューカレドニアの1日が暮れていこうとしている。 

 

年に1回、夫婦で海外旅行へ行くことにしている。

行くのはたいてい、1年の折り返しとなるこの時期だ。

ホテルと航空券がセットになったフリーツアーに申し込み、

現地では王道の観光地へ行き、おいしいものを食べて、帰ってくる。

ごくごく普通の観光旅行だ。

それほど長く休みを取れるわけではないので、

ヨーロッパなど遠くへは行けない。

行ける範囲で、そのときのふたりの

精神的・肉体的・金銭的余裕に見合った土地を探して出かけている。

 

休みを取るのも楽ではない。

それでもいそいそと出かけていくのは、

出発してからの楽しさと、ちいさな発見があるからだ。

 

忘れられない思い出がある。

台湾・台北の大きな書店へ行ったときのこと。

夫婦ともに出版業界で働いているので、旅先では、書店を見かけると入るようにしている。

どのフロアにも、多くのお客さんがいた。

トークイベントは満員御礼、店内では地べたで“座り読み”する人も含め、かなりの人が本を手に取っていた。

日本とは違った活気がある。

ぼんやりとそう感じていた。

それがはっきりと形になったのは、最上階の催事場に着いたときだ。

そこでは、本のセールが行われていた。

どれぐらい新しい、あるいは古い本が並んでいるのか、何割引なのか、

再販制度がどうなのかは、よくわからない。

ただ、そこには頬を上気させ、目を輝かせて本を選んでいる人々がいた。

ほしい本をたくさん抱え、レジは大盛況。

宅急便で戦利品を送っている人も多かった。

本が買えてうれしい! 本を選んでいて楽しい!

そんな熱気が、会場に満ち満ちていた。

「こんなにも、本が求められている」

「こんなにも、本を求める人がいる」

「人々が、本を手に、こんなに幸せそうにしている」

そのことが、わたしたちの胸を打った。

書店全体、どのフロアにもふんわり漂っていた活気と喜び。

それが、セール会場には凝縮されていた。

 わたしたちは、比喩ではなく泣いた。

それは長らくわたしたちが忘れていたものだった。

こういった喜びのために、わたしたちは本を作り、

届けたいと思っているのではないか?

そして、自分たちがいかに出版不況に疲れているかを自覚した。

他人から見たら、ちいさな話だと思う。

しかし、それはわたしたちにとっては大きく、

旅行をしなかったら、決して得られなかった気づきだった。

 

「ただの観光旅行でも、海外に来るのは、意味があるね」

「日本国内だけを見ていると、わからないこともあるのかも」

わたしたちが年に1回は海外旅行をしようと決めたのは、

あの台北での出来事があったからだと思う。

 

とはいえ、基本は気楽な観光旅行だ。

今年は、予算内でとにかくきれいな海を眺めてのんびりしたいねと、

ニューカレドニアにやってきた。

 

海をぼんやり見ていると、もうちょっと精神的な余裕がある生活をしたい、そのためにはどうしたらいいだろうと、思考が前向きになってくる。

そういったことを、夫婦で話す。

 

ニューカレドニアで飲食店に入ると、人々がスマホをあまり手にすることなく、老若男女がひたすら会話を楽しんでいた。

フランスの海外領土なので、そっちの文化なのかもしれない。

そういった時間の使い方が、とても新鮮に映った。

現地の人は、ツーリストにとても親切だ。

完璧に相手の意思を汲み取らなくちゃ、間違えちゃいけないといった力みがない。

それがかえって親切さにつながっているように思う。

たとえば、QUICKというファーストフード店では、まったく英語が通じないうえ(公用語はフランス語)、

手元のメニューもなかったのだが、レジの女性は迷惑がるでもなく、落ち着いて我々のオーダーを聞こうとしてくれた。

出てきたものは、意図したものとはちょっと違ったのだが、眉間に皺を寄せたり、オロオロすることなく対応してもらえるありがたさを実感したのだった。

 

台北のカウンター注文の店では、まごまごしていると、たいてい店の人が『観光客が食べたいのはこれだよね!』

『美味しいのはこれ!』って感じで出してくれるよね」

「そういうときって、注文受けるときはしかめっ面しているけど、最後は『美味そうでしょ、それでしょ!』って感じで笑ってくれる」

「あの強引さ、うれしいよね」

普通サイズを頼むつもりが、XXLになってしまったポテトをつまみながら、ふたりで話す。

 

海沿いを、手をつないでホテルへと帰る。

まもなく冬を迎えようとするシーズンオフのニューカレドニアは、閑散として、とても静かだ。

天候には恵まれなかったし、理想的なシーズンでもない。

一方で、こののんびりとした時期に来られてよかったとも思う。

いつもと違う環境での、リラックスした、開放的な気持ち。

自分たちとは違う「当たり前」を、ちょっとだけのぞくこと。

ありふれた発見を、自分たち自身のものにする、ありふれた観光旅行。

それを楽しみに、今年の後半もがんばろうと思う。

6月のニューカレドニア、何を着ていくか問題

6月末。

ニューカレドニアに行くことになった。

理由は単純で、夫の夏休みがそこしか取れそうになく、

海がきれいな旅行先を適当に検索していたら、

わりと安めのツアーが出てきたからだ。

 

ニューカレドニアは、オーストラリアと同じオセアニアの国。

南半球に位置し、季節は日本と反対となる。

6月末は現地の晩秋である。

 

で、問題となるのは、何を着ていくか?

これはサイトによって二派にわかれる。

ニューカレドニアは常夏の国! 一年中、短パンTシャツでOK!

ただし、秋冬は朝夕冷え込むので一枚上着を持っていきましょう」派と、

「10月の気持ちで行きましょう」派である。

 

「常夏気分で上着を一枚」と「10月の気持ち」の間には、かなり開きがある。

わたしは調べた。

インスタで、Twitterで、画像を漁った。

6月、またはもっと現地の気温が低くなる7、8月。

旅行した日本人は、何を着ているのか?

自撮りばんざい、現地の人がチラッと映っていたらそれも加味。

わりと真夏の服装をしている人が多いような……。

ただ、秋冬シーズン旅行記には、

「天気が悪いと、昼間はものすごく寒い」

「夜はめちゃくちゃ寒いが、昼間は太陽が照り付けて常夏」

との記述があることが気にかかった。

 

旅行の計画を立てていたときは、6月半ば。

日本は梅雨寒で、最高気温20度前後の日々が続いていた。

春用の薄手のセーターや長袖Tシャツ、

いつもなら4、5月に重宝するカーディガンが活躍していた時期だった。

そして我々の旅行予定の間、

ニューカレドニアの天気予報はかんばしくなく、気温も日本と同程度。

 

平均気温のグラフにおいても、

6月は気温が下がり続けるニューカレドニアと、

気温が上がり始める日本の線が、ちょうど交差するとき。

 

いくらなんでも、この気温で「常夏プラス薄手の上着」はあり得ない。

 

私はヤシの柄のサマードレスや

エスニック柄のリゾートワンピースをスーツケースから放り投げ、

かわりに

半そでTシャツとその上に重ね着できる長そでTシャツ、

ロールアップできるチノパン、

モンベルのウィンドブレーカー(下のようなもの)を入れた。

これは薄めの裏地がついているためほどよい防寒機能があり、

かつ、汗をかいてもあまり蒸れない。

webshop.montbell.jp

 

これは大正解だった。

実際に行ってみて軍配が上がったのは、圧倒的に「10月気分で行きましょう」。

 

もう少し詳しく言うなら、6月から8月にニューカレドニアへ行く場合、

ことに天候が悪いことが予想されるなら、

「ベースは夏」「そこに10月気分の上着」をプラスすることをおすすめする。

我々の旅行中はほとんどが曇りで風が冷たかったが、

1、2回、日がさしてくることがあり、そうすると途端に暑くなった。

現地の体感気温は、日本では体験したことのないものだった。

ベースは日本の夏服にして、上着で調整できるようにしたほうがよい。

 

滞在中の天気が晴れ続きなら、上着の出番は朝夕だけかもしれない。

そういう意味では、「常夏気分に上着を一枚」派も間違えではない。

ただし、その上着UVカットパーカーのような薄手のものではなく、

もう少し暖かいものを選びたいところ。

 

ちなみに、現地の人は何を着ていたか?

半袖と短パンの人もいたが、

多くは七分丈程度のパンツにTシャツ、

その上に日本の秋口に羽織るようなブルゾンや、

薄手のダウンジャケット(ウルトラライトダウンのような)など、

見た目にも暖かみのある上着を着用していた。

気温が低い日のローカルの服装は、常夏気分とは言い難かった。

 

現地でのわたしの服装は、具体的にはこんな感じだった。

飛行機移動時→

7分袖ワッフル素材カットソーとチノパン、モンベル上着

 

レストランでフレンチを食べた日→

ユニクロの綿のノースリーブワンピース(下記)と薄手のカーディガン、カバンにはモンベル上着(外にいるときはずっと着用)

www.fashion-press.net

 

それ以外の街歩き→

Tシャツとチノパン、カバンには長そでTシャツとモンベル上着(基本、外にいるときはモンベル上着を着用。風が強いときは長そでTシャツも着用)

 

夫はハーフパンツを1着持って行ったものの、出番なし。

ずっとチノパンを履いていた。

 

加えて言うと、ニューカレドニアと日本を結ぶエアカラン航空の飛行機内はめためたに寒い!

国際線の中でも、かなり寒い部類な気がする。

乗り慣れている風の乗客は、かなーり厚手のスウェット(裏地にボアがついていたりする)をこっぽり着込む人多数。

7分袖のワッフル素材カットソーとモンベル上着では太刀打ちできず、

長そでTシャツも持ち込めばよかったと後悔した。

 

 もうひとつ、ニューカレドニア旅行で注意したいのは、寝間着。

現地でミドルクラス以下のホテルに宿泊する場合、

アメニティがほとんどないため、寝間着を持っていくことになる*1

これも、現地が秋冬なら、薄手でよいので長そでTシャツと、長ズボンがおすすめ。

夫は薄い膝丈のステテコを持って行き、寒そうだった。

あと、よほどの速乾素材のアイテムは別にして、

天気が悪い場合は、洗濯ものの乾きはアテにできない。

水を含むと乾きづらいエアリズムのブラトップは、室内干しで感想までに丸2日ぐらいかかった。

 

ニューカレドニアの天気予報は、同じ日でもサイトにより、

「荒れ天」「曇り」「曇りときどき雨」とバラバラだった。

これも現地へ行って、なぜバラけるのかわかった。

昼間は基本的に、雨が降ってもパラパラ、短時間。

夕方からは時間により強い風が吹き、傘がないと辛い量の雨が降る。

夜半はかなり風が強く、荒れる。

天気が悪い秋のニューカレドニアは、これを繰り返している。

これを、「荒れ天」と書くか「曇りときどき雨」と書くか。

表現と解釈の違いなのだろう。

 

ニューカレドニアは、その土地の知名度のわりには、情報が少ないと感じた。

とくに現地のオフシーズンである秋、冬の気温や服装に関しては、

まとまった記事がなかったため、つらつらと書いてみた。

いつか誰かの参考になれば幸いです。

 

あ、気になるマリンスポーツについて。

1日だけ、離島に行ってシュノーケリングをした。

オプション会社が、ウェットスーツを用意してくれていた。

海には入ろうと思えば入れるものの、積極的に入りたーい! 泳ぎた―い!

ビーチで水着で寝転がっちゃえ! みたいな気分は皆無。

現地の人もほとんど泳いでいない。

海に入った後は歯の根がかち合わなくなるので、陸での防寒をしっかり。

私はTシャツとラッシュガードとモンベル上着を重ね着。

ただ、上記の服装でいったん体をあたためれば、落ち着いて過ごせた。

その辺が日本の秋冬とは違うところ。

そして、注意したいのが紫外線!

夫は1日街歩きをした日、日焼け止めをつけなかった胸元が赤くなっていた。

曇っていても日焼け止めはマストです!

*1:消耗系のアメニティは本当に何もない。わたしたちが泊ったホテルには、歯ブラシや綿棒、ボックスティッシュもなかった。ソープ類はシャワーにシャンプーとボディソープのみ。手洗い石鹸もなし

わたしは、私

年明け早々、西武・そごうの広告が炎上した。

医学部の入試不正をはじめ、

ジェンダーギャップの存在をまざまざと見せつけられた2018年。

パイをぶつけられてしょんぼりし、

いやいや、しょんぼりしているだけではいけない、

次世代にこんなことを背負わせるわけにはいけない、そう思っているところに、

パイをただぶつけられている広告を見せられるのはキツかったです、はい。

 

ところで結婚して丸4年が経ったが、いまだに新姓に慣れない。

法律婚に無邪気な憧れがあったので、

「(新姓)平凡だって、キャッ」という気持ちはなくはなかった。

夫のことは今も昔も大好きだ。

しかし、いつまでも「キャッ」は「キャッ」の域を出ず、

病院や役所で名前を呼ばれるときは、よほど集中しないと聞き漏らしてしまう。

「(新姓)平凡」と書くべきところで、夫の名前を続けて書いてしまうことも多い。

この名字といえば、夫、なのだ。

 

わたしの旧姓と下の名前には、同じ「偏」が使われており*1

その組み合わせに愛着があったので、ある程度は予測できていたことだ。

しかし、いくらなんでも1、2年でそれなりに慣れるだろうと思っていた。

それ以上に予想外だったのは、「(旧姓)平凡」という名前も、自分のものとは思えなくなったことだ。

仕事では「(旧姓)平凡」で通している。

旧姓で呼ばれて返事をすることに、だんだん集中を要するようになってきている。

 

「(旧姓)平凡」は、仕事関係の人が、私を呼ぶときに使うもの。

「(新姓)平凡」は、病院や役所で呼ばれる法律名。

「旧姓のほうがやっぱりしっくりくる」と思えるならまだよかった。

以前は「わたし」とぴったり結びついていた「(旧姓)平凡」も、

もはや自分とは切り離されてしまった。

かといって新姓にはなじめない。

よるべのない、宙ぶらりんな感じがする。

 

友人が少なく、下の名前で呼ばれることが少ないからか。

あるいは、在宅仕事で、そもそも人から名前を呼ばれることが少ないからか。

両方かもしれない。

 

夫婦別姓論議で、夫婦どちらかが改姓することの問題点を

アイデンティティを奪われる」と表現することがある。

自分自身に関して言えば、アイデンティティはそのままだけれど、

それを束ねるものがなくなってしまった感じがする。

「わたしは、私」で変わらないけれど、

そのパッケージをペロリとはがされてしまった感じ。

それを広義に「アイデンティティを奪われる」状態と呼ぶのかもしれないけれど。

 

いずれにせよ、名前がはがれた、むきだしの「個」のまま生きるのは、

フワフワ地に足がつかず、しんどい。

何がしんどいか、いまに至って言葉でうまく説明することができない。

ただ。

フリーランスのわたし、だれかの娘、妻であるわたし、

今こうして文章を打っているわたし。

それらを黙って統合してくれていた名前がない。

もしくは希薄になっている。

いちいち、それぞれの「わたし」を意識してまとめあげないと

「わたし」になれない。

そういう感覚が、年々、重くのしかかってくる。

 

こんなことは、改姓するまで考えたこともなかった。

 

そういえば、西武・そごうの広告には、

「わたしは、私」という表現が使われていた。

「わたしは、私」。

ほかの何者でもなく、「わたしは、私」。

それが生きづらさを突破する、護符のように掲げられていた。

 

今の世の中、「男性らしく」「女性らしく」でみんなが幸せになるのは難しい。

その役割の息苦しさと、役割の中に潜む差別や抑圧に、

多くの人が気づいているからだ。

社会的に決められた「らしさ」を外れたところには、

無理せず生きられる幸せと、ロールモデルが存在しない苦しさと不安がある。

「わたしらしく」は、原動力であり、希望でもあり、ハードルでもあり、課題でもある。

護符なんかじゃない。

 

そして、広告の趣旨とはズレているとわかってはいても。

改姓でアイデンティティクライシスを抱えたわたしは考える。

広告を作った人は考えたことがあるのだろうか。

ラベルなく、むきだしでバラバラの「わたしは、私」で存在することのしんどさを。

 

時代は、「らしさ」と「個」の過渡期。

旧姓と新姓のはざまで、わたしは、

ただむきだしの「わたしは、私」であることの重さに耐えかねている。

*1:たとえを出すと、河村清子のような組み合わせ