「ガチ恋」。
それはアイドルファン界隈の用語で、「アイドルを恋愛対象とする」ことを指す。
ところで、猫カフェの猫は、“会いに行けるアイドル”だ。
小屋(猫カフェ)に入場料を払えば、アイドル(かわいい猫)たちに会える。
猫との接触(なでる)も可能(猫がその気になれば)。
塩対応や、接触禁止の猫もいるが、それはそれでファン(客)にはたまらない。
ファン(客)はそれぞれ、“推し猫”がいる者もいれば、
グループ(店の猫)全部が好きな“箱推し”もいる。
大好きな推し猫のために、
入場料を払って店に通い、それでは飽き足らず、せっせとおもちゃを買ったり、
オヤツやカリカリを店に寄付したり、
なんならCDなんてまだるっこしいモノは介さず、
直接お金を寄付したりする。
物販がある店では、グッズを買うこともできる。
となれば、当然“ガチ恋”もありえる。
我々が通う「譲渡型保護猫カフェ」における“ガチ恋”とは何か。
それは、「最終的に、推し猫と暮らすことを夢見ること」であろう。
アイドルと結婚するのは至難の業。
というかはっきり言って不可能に近い。
だが、保護猫なら可能だ。
譲渡型保護猫カフェは、猫たちの新しい飼い主を探すのが目的。
諸条件を満たして申し入れをすれば、
恋愛禁止だ「文春砲」だを気にすることなく、
祝福されて、猫ちゃんと暮らすことができるのだ。
大好きなあの子とフォーエバー、幸せに暮らしましたとさ。
実際に、そんなドリームを叶えた諸兄はたくさんいる。
さて、我々にも、もちろん推し猫がいる。
それは、スペースちゃん!
洋猫と何かのミックスらしく、灰青色の瞳が美しいスペースちゃん。
しかし、ストレートな美猫かというとそうではなく、
顔は丸く、瞳は猫なのに妙に細く、手足がとっても短い。
小柄で、生後半年の子猫サイズでありながら、しっかりと力強い体つきをしている。
その小さな体にバカでかい闘魂を宿しており、
気に入らない猫がいると、たとえ大きなオス猫でもぶん殴る!
ぶん殴り返されても、まったくひるまない。
そして、どこか見る者をハハーッとかしずかせる威厳と気品も兼ね備えている。
オヤツタイムなどあろうものなら、思わず貢いでしまう。
言ってしまえば、ちょっぴり気性荒めの猫ちゃんである。
当初は小さな体から子猫だと思われていたが、
後に小さな成猫であると判明。
年齢不詳、ミステリアスな貴婦人なのだ。
だいたい、「スペースちゃん」って名前はなんなんだ。
宇宙?
空白?
それとも、パソコンの上でスペースキーを押したとか?
保護猫なので、出自も不明。*1
不明ということは、自由に想像できるということ。
何しろあの威厳である。
ひょっとして、ハプスブルグ家や元華族にゆかりがある、
やんごとない猫ちゃんではないのか?
現実的に考えて路上出身であったとしたら、
きっとあの気性と迫力で、堂々とエサをもらっていたのであろう。
店に行くたびにスペースちゃんの写真を撮り、
家でそれを繰り返し見、
スペースちゃんの一挙手一投足にキャッキャし、
店のブログにスペースちゃんの画像が上がればLINEで報告し合い、
我々はいつの間にか、スペースちゃんとの暮らしを夢見て、
不動産屋巡りをするようになった。
スペースちゃんが家にいたら、楽しいだろうなあ。
あんまり「スペースちゃん!」って構い過ぎると、嫌がるよね。
夫が会社から帰ってきたらさあ、「にゃーん」とかって迎えに来るかもよ。
しかし、ペット可物件は少ない。
なかなか諸条件が折り合わない。
そうしているうちに、我が家に激震が走る。
「スペースちゃん、卒業が決まりました~!」。
卒業とは、新しい里親さんが決まったということ。
正確には、トライアル→正式譲渡と段階を踏むのだが、
譲渡型保護猫カフェでは、
カフェで猫とふれあい、その個性を見極めて家に迎えることを決めるため、
たいていが正式譲渡となる*2。
夫婦で「スペースちゃん……」「……スペースちゃん」と、
会話にならない会話をすること数日。
我々は悟った。
これは“ガチ恋”であったと。
そして、本格的に猫を迎える準備ができるまでは、
“ガチ恋”はすべきではないと。
そして、スペースちゃん卒業当日。
嫌がりつつも抱っこされ、
キャリーバッグにすっぽり収まったスペースちゃんは、
パニックになることもなく、
それどころか、ちょっかいをかけに来た他の猫をにらみつけて撃退し、
武闘派ぶりを見せつけながら、新たな家に旅立って行った。
スペースちゃん卒業が決まり、店に通い詰めた暑い夏。
正式譲渡の知らせが届くころには、風がすっかり涼しくなっていた。
里親さんはSNSをやっていないので、
今後、スペースちゃんの姿を見ることはないだろう。
ただ、正式譲渡の際、里親さんがお店に送ったという近況写真には、
すっかり家でくつろいでいる様子が映っていた。
生活感の中にいる、“お家猫”スペースちゃんは、
店にいたころとはまた違う可愛さがあった。
里親さんと、仲よくやっているのだろう。
推しが幸せなら、いいじゃないか。
しかし、唯一無二のあの丸顔がもう見られないと思うとさみしい。
こんなにがっくりくるなんて。
“ガチ恋”、ダメ、ゼッタイ。
少なくとも、お迎えの準備が整うまでは。
しかし、“ガチ恋”している間、楽しかったのも事実。
今後、どんなスタンスで店に通い続ければよいのか?
秋風にえもいわれぬさみしさを感じつつ、思案している今日この頃である。