平凡

平凡

母の人生

わたしは、ふつうになりたかった。

いまは、フリーランスで仕事をしていて、結婚していて。

自分なりの“ふつう”を手に入れたと、そんな気がしている。

 

わたしの母は、「父と結婚したのは失敗だった」とよく言っていた。

実際、そう思う。

父は悪人ではない。

まじめに働き、ギャンブルも浮気もすることがなかった。

ただ、独善的で、いまでいうモラハラ気味なところはあった。

なにより、母と父は相性が悪かった。

売り言葉に買い言葉、

お互いに発した言葉にカチンと来るのが、

子どもから見ていてもよくわかった。

 

そんなふたりが結婚したのは、見合いでもなく恋愛結婚。

「昔は24、25歳まで結婚しないと、

売れ残りのクリスマスケーキって言われたもんだよ」と、

これも母の言葉。

母の結婚は、たしか23歳かそこら。

父からの猛アタックを受けてのことだという。

とにかく“売れ残りのクリスマスケーキ”になる前に結婚したわけだ。

 

母の母、つまり、わたしから見た祖母は、変わった女性だった。

子どもを甘やかすことを是とし、

歯磨きを嫌がれば「むりやり磨かせるのはかわいそう」と放置した。

それで虫歯になってしまったと、母はよく嘆いていた。

娘時代に、母は、祖母はまちがっていると考えるようになった。

虫歯ができて、子どもが苦しむほうが、

何より永久歯が欠けるほうが、

「かわいそう」ではないのか。

 

祖母は子育てに関して頼りにならない。

義理の実家との折り合いも悪い。

父は子育てにノータッチ。

完全なる密室育児、ワンオペ育児。

母は大量の育児書を読み、ふたりの子どもを育てた。

 

夫婦仲が悪化の一方をたどり、母は働くようになった。

数年働くと、職場の人間関係に疲れて職場を変わることが何度かあった。

母は、職場でみんなに好かれている。

クセがあって嫌われている人にも、

母自身がよく思っていない人にも、「みんなに」。

話を聞くと、母は完璧な八方美人としてふるまっているようだ。

そして、数年に一度、そんな自分に疲れて辞めてしまう。

わたしはそんな風にはふるまえない。

器用な人なのだと思う。

 

その後、父と母は離婚した。

 

娘であるわたしは、大人になって思う。

母はわたしよりもずっと苛烈に、

「ふつうになりたい」と思っていたのではないか。

短大を出て、一般職につき、

24歳を迎える前に結婚し、

2人の子どもを産み、

家を買い、

祖母のような母にはなるまいと

子どものしつけに注意し、

家のなかはきちんとし、

料理は手づくりした。

 

当時の“ふつう”は、いまよりもっとずっと強固だった。

そして、母はその強固な“ふつう”に、全力で順応した。

職場で究極の八方美人として振る舞うのと同じように、

時代の、世間の要請にも応えたのではないか。

母にはそのポテンシャルがあったし、意志の強さも備えていた。

 

母は本来、もっとエキセントリックな人なのではないか。

若いころは、ベリーショートにし、

服の色柄はシンプルに、しかし形は奇抜なものを好んだという母。

風と共に去りぬ」のタラに憧れたという母。

わたしが幼いころ、ホラーやスプラッタ映画に熱中していた母。

犬でも猫でも大きな種が好きな母。

海が異常に好きな母。

人の愛情を疑いがちな母。

 

母はほんとうは、どんな人間なのだろう。

わたしと同じ年代に生きていたら、何をしただろう。

やはり、この時代なりの“ふつう”を目指し、順応したのだろうか。

 

ひとりの大人として向き合うほどに、

母のことはわからなくなっていく。

ましてや、 わたしも老い、母も老いて変わっていく。

ただ、母が手に入れた“ふつう”は、母の猛烈な努力によるものではないか。

わたしはその恩恵を受けてきたのではないか。

その確信だけが強まっていく。

 

母は、自分の“ふつう”を、子どもたちには強制しなかった。

新時代を、子どもに生きてほしかったのか。

愛のたまものなのか。

よくわからない。

しかし、それは本当に、文字どおり、有り難いことだった。

 

育てて愛してくれたことと、

そのことに、感謝している。

ありがとう。

 

今週のお題「おかあさん」