平凡

平凡

旅の記憶

オーストリアの首都、ウィーンに降り立ったのは、5月も終わりのことだった。

 

旅の計画はこうだ。

オーストリアから南ドイツのミュンヘンへ。

そこから少しずつ北上、

北端の海辺の町まで到達したら南下して、

フランクフルトからパリへ抜け、帰国。

 

航空券の有効期間は1か月。

決まっていたのは帰国の日付け、パリ発の飛行機で帰ることと、

ウィーンでの最初の2日の宿だけ。

しかも、2日目の宿は手違いで取れておらず、満室で宿泊不可だった。 

 

移動は鉄道、宿はユースホステルがメイン。

ドミトリーでの相部屋生活に疲れたら、

ときどきガストホフ*1B&Bを取った。

 

ネットは既に普及していたが、iPhoneはまだ発売もされていない時代。

新しい町へ着くと、観光案内所が頼りだった。

 

大半の旅程で、光がまばゆく、どこへ行っても暑かった。

カラッとした空気の中、薔薇が咲き乱れていた。 

うつくしい季節に、うつくしい観光名所を巡る旅だった。

 

そんな旅になぜ出られたのか?

それは、当時、わたしが無職だったからだ。

新卒で入った会社を解雇されたのだった。

理由は「業績不足」。

 

会社の人たちは、「若いんだし、もっといい会社、たくさんあるよ」と笑って言った。

しかし、就職活動であれほど内定を取ることができず、

やっと入った会社で「仕事ができない」とクビになる。

若い自分には、若さが武器になるとは、とうてい思えなかった*2

 

会社員になることは、当時、自分が叶えた数少ない「普通」だと感じていた。

それが、閉ざされてしまった。

自分は、「普通」になれないのか。

どうしていいかわからなかった。

 

小さな町のお城の庭で、ベンチに座ってぼんやりしていると、

いつの間にか老婦人が隣に座り、

「ケ・セラセラ」のドイツ語版のような歌を口ずさんだ。

「あなた、こーんな顔をしてるんだもの!」

と、眉間にしわを寄せて見せた。

「人生、なんとかなるわよ」と彼女は笑って言った。

 

ユースホステルで一緒になった中国人と韓国人、日本人のわたしで、

額を寄せ合い、まさしく“恋話”としか言えないような話をした。

 

港湾都市の宿で同部屋になった女性とは、夕暮れの中を歩いた。

レンガ造りの倉庫が並ぶ界隈は静かで、彼女はゆっくり煙草をふかしていた。

ドイツの他の町から出張で来たという彼女の荷物には、

スーツがカッチリとしまわれていた。

 

旧東ドイツの小さな村で、駅のコインロッカーに荷物を預けたところ、夕方で駅舎が閉鎖。

ユースホステルの主人は、「これだから旧東ドイツは」と毒づき、自分は別の町出身なのだと言った。

 

北ドイツまで行くとさすがに肌寒く、

ヤッケを羽織り、曇天のもと、鈍色に広がる海をひとりで見た。

 

パリ郊外のユースホステルで、スペインから来た女の子達と同室になり、

クッキーにピーナッツバターを塗ったくったものをご馳走になった。

 

パリのファーストフード店で、

イケメンがわたしにウィンクをし、スマートに横入りした。

 

いろいろなことが、あったにはあった。

しかし、言うほど破天荒でも行き当たりばったりでもなく、

自分の殻を破るわけでもない。

地元の人と積極的にふれあったわけでもない。

 

旅の前に予想した通り、

1か月別の国をフラついたからといって、

画期的な将来ビジョンは、皆目思いつかなかった。

そんなわけで、帰国後は貯金を食いつぶしながら、

しばらく無職をつづけたのだった。

 

フリーターでもやって、お金が貯まったら、また旅に出るのもいいかもしれない。

 

またすぐにでも、旅に出られるさ。

鬱屈した毎日だったが、そういった可能性だけは、

無限に広がっているように思われた。

 

当時は予測がつかなかったことだが、

紆余曲折あって、その5年後にはフリーランスになる。

フリーランスはフリーではあるし、

最近はネットさえあれば場所を問わずできる仕事も多い。

しかし、1か月単位で対面が必要な仕事を断る勇気は、とうていない。

その理由としては、金銭面だけではなく、

「頼まれたときに断る心苦しさ」も大きいことは、この立場になってから知った。

 

そのうえ、いまのわたしは結婚している。

理由を話し、夫を説得すれば、家を空けることはできるだろうが、

わたしたちにとっては一緒にいることが一種の娯楽なので、

それほどの動機と衝動をもつことは、もはや難しいのだった。

 

「やりたいことは、いくつになってもできる」。

これはある意味真理ではある。

しかし、昔のわたしは「一緒にいるのが娯楽」という間柄の異性と結婚するとは夢にも思っていなかったし、

仕事を断る精神的な負担も知らなかった。

そして、何より昔のわたしが知らなかったのは、

そんな伴侶や仕事を「持って」いることを、

わたしは決して不幸とは思わないことだ。

 

気づけばあのひとり旅から、15年が経とうとしている。

独身のころは、先に挙げた旅行以外でも、

どこへ行くにもたいていひとりだったけれど*3

この先は長短問わず、新たなひとり旅に出ないまま一生を終える可能性もあるなと、最近は思う。

 

可能性はせばまり、未来はある程度予測できる。

自由と引き換えに、何かを手に入れることもある。

しかし、それは結果としてトレードオフになるのであって、

苦渋の選択というわけでもないのだった。

 

それでも5月が近づくと、すこしだけソワソワしてしまう。

また、あのカラッとした空気のなか、薔薇を見たいと思う。

異邦で、ひとりを強烈に感じる、あの瞬間を反芻する。

と同時に、今はひとりではないのだと、

「ここにいる自分」を意識させられる。

それも悪くない。

そして、また旅に出ることがあったら、それもきっと悪くないはずだ。

そんなふうに、人生は進んでいく。

*1:レストランやビール醸造所に併設された小規模な宿。だいたい風呂は共同

*2:今でも、若さだけでそこまで欠けたものを補えるわけがなかろうと思う。若さは万能ではない

*3:夫もそういうタイプである