桜が好きか、と聞かれたら、はっきりと答えられない自分がいる。
電車に乗っていて、歩いていて、視界に飛び込んでくる、淡い、淡い、ピンク色。
白にほんのり紅を垂らしたような色合いが、ある日突然、公園を、校庭を、土手を埋めつくす。
若葉が芽吹き切る前、あまりにも唐突に現れるその色彩は、心をひどくざわざわさせる。
そのさざ波は、単純に「好き」と肯定的に表現できるものではない。
年々、その思いは強くなる。
たとえば、2011年。
節電のため多くの街灯が消された公園内で、
夜闇に浮かび上がるように桜が咲いているのを見たときの気持ちは、
忘れられるものではない。
あやしいほどに美しい桜。
暗がりのなかで、それに魅入る人々のざわめき。
まだまだぐらぐらした日常。
変わらない季節の巡り。
そういえば、数年前の春、こんなこともあった。
仕事がまったく終わらず、でもちょっとだけ桜を見に行きたくて、日曜日、夫と散歩に出た。
花の名所もないような街中を、普段行かない方向へ、ひたすら桜を探して歩いた。
そこここに、こぼれるようにソメイヨシノが咲いていた。
そのときのことを思い出すと、桜のうつくしさと、
出口の見えない仕事へのモヤモヤとした重圧がないまぜになる。
古い団地群、コンクリートで護岸された水量に乏しい川、その灰色の景色のなかに差し挟まれる桜。
自信がもてない仕事、締め切りへのプレッシャー。
桜の季節であること以外は、なんでもない休日だった。
それなのに、強く、記憶に残っている。
どれもこれも、いい思い出なのか、悪い思い出なのか、わからない。
でも、年を重ねるって、こういうことなのかもしれないとも思う。
いろんなものが混ざり合った思い出が、濾過することもできず、
自分の中に残り続ける。
わたしは、あと何回、桜を目にするだろう。
そのうち何回かは、何かと混然一体となって心に沈殿するだろうか。
ともあれ、今年も桜が咲いた。
見たい、見に行かねばならないと思っている。
こう思わせるところも、桜のなんだか怖いところだな、などと思いつつ。
今週のお題「お花見」