変哲のない月曜日。
夫婦ともども、早めに仕事が切りあがった。
最寄り駅で待ち合わせ、いつもの中華料理屋に向かう。
梅雨の湿気に、気が早い真夏の熱気が混ざり合った空気は、ムッとしている。
この前、同じような偶然があって、仕事終わりに待ち合せたときは、
爽やかな気候だったはずだ。
毎日、一緒に暮らしてはいるけれど、
この季節に、平日に、夫婦ふたりで一緒に夕食を食べるのは、
今年はじめてかもしれない。
そう思うと、なんとなくうれしくなるのだった。
新しい季節を告げているのが、たとえ不快度100%の空気だったとしても。
初老の店主がひとりで営む、小さな中華料理屋ののれんをくぐる。
幸い、席には空きがあった。
ただし、満席に近いため、店主が厨房でてんてこまいしているのが、
気配で伝わってくる。
今日は、手伝いがひとりいる。
店主の息子だろうか、「男の子」と言いたくなるような、
幼さを残した彼がオーダーを取る。
夫は生姜焼き定食を、わたしは麻婆茄子丼を頼む。
客は、男性のひとり客が何組か、わたし達以外に夫婦ものがもう一組、若い男女ふたり連れ。
たいてい、店備え付けの漫画雑誌を読んだり、天井近くのテレビを見たりしている。
なかには、ページをクリップで挟んで開き、文庫本を読みふけっているサラリーマンもいる。
なるほど、こうすれば、ページがはらりとめくれてしまうこともなく、読書と食事に没頭できるというわけだ。
行儀はヨロシクないけれど、ひとり時間を満喫している様は、見ていて不快感はない。
店内は古びているけれど清潔に保たれ、客層は落ち着いており、思い思いの時間を楽しんでいる。
くすんではいても、よどんではいない空気感が、居心地がよい。
わたしたちもそれぞれ、漫画雑誌を持ってきて読みふける。
厨房はテンパりを極め、出前の依頼らしき電話を取っては断り、
若い男女が会計をしたいと告げると、
「ああ、えっと、ちょっと、ちょっと、5分ぐらい待ってくれる?」
と答えている。
満席に近いとはいえ、わたしたちより後に客は入っていないし、
大半の客には、料理は配膳済だ。
何をそんなに慌てているのかわからないが、
出前でも入っているのかもしれない。
会計を待ってくれと言われた女性は、
快活に「急いでないんで、いいですよ」と答え、連れの男性との会話に興じている。
我々の料理が運ばれてくるまでの道のりは遠そうだ。
覚悟を決めて、別の漫画雑誌を取りに行く。
やがて、店内に客は我々だけとなったころ、2人分の料理が運ばれてくる。
油がよく馴染んだ茄子、しっかりと味付けされたひき肉。
きちんと、中華鍋で強火で炒めたのだな、という味がする。
これまた町場の中華料理店らしい薄い琥珀色のスープには、
ワンタンが浮かんでいる。
前回来たときは、入っていなかったはずだ。
待たせたことを気にして、店主がサービスしてくれたのかもしれない。
途中、夫の生姜焼きと交換する。
豚肉は、炭火で焼いたようなスモーキーな香ばしさがある。
ちょっと意外性あるおいしさだ。
普通の、それでいて、家庭で作る味とはちょっと違う、丁寧で特別な味を堪能する。
会計を済ませ、店を出て、
さっき食べたばかりの料理をほめたたながら、家路をたどる。
まだ週半ばなのに、こうして夜道をふたりで歩いている。
それだけのことなのに、なんとなく特別な感じがする。
普通だけど特別、ちょっとさっきの中華料理と似ているな、
などと考えていると、
夫が「平日なのに、なんだか得した気分」
とうれしそうに言う。
疲れているから、早く家に帰りたいような、
ずっとこうして歩いていたいような。
そんな気持ちで歩きながら、変哲のない月曜日が終わっていく。
ちょうど1年前に、似たようなことを書いていた。
イベントの少ない梅雨の時期は、同じようなことを考える傾向があるのかもしれない。