平凡

平凡

精算する男

もう梅雨も間近だけれど、少し前の話。

フリーランスの春といえば、確定申告である。

結婚以来、夫は毎年確定申告を手伝ってくれるようになった。

 

腰が重いわたしに再三、夫は「確定申告、だいじょうぶ?」と声をかける。

遅まきながら領収書を集めて渡すと、

夫はPCのテンキーを使い、金額を項目別にパカパカと実に手際よく打ち込んでいく。

「若手だったころ、仕事でExcelに死ぬほど数字を打ち込んだからね~」

「こういう単純作業は好きなんだよ」

とニコニコしている。

わたしがギャランティの支払い調書を揃えたり、

ネット支払いの領収書をかき集めたりしているうち、

夫の作業はあっという間に終わる。

 

そのなかで、いくつか、宛先が取引先になっている領収書を見られてしまった。

昨年はバタバタとする中で、請求しそびれた経費があったのだ。*1

事情を話すと、「ええっ、もったいない!」と夫は眉をひそめた。

「経費って請求しなかったらただの出費でしょ。

平凡家から、お金がなくなっちゃうんだよ。

ちゃんとしようと」と夫。

当然の反応である。

そんなに責めているわけではないのだが*2、ついつい、

「そういう夫はどうなの? 付き合いはじめたころ、

『交通費の精算、忘れがち』って言ってたよ」

などと言ってしまう。

 

夫の返答は意外なものだった。

「最近、忘れたことないよ。毎月、キッチリ精算してる」。

聞くと、「結婚したから」とそんなに意識したわけではないけれど、

籍を入れたあたりから、必ず精算するようになったとのこと。

「平凡家から資産がなくなっちゃうってことだし」

「まあ、自分のお金を取り戻しているだけだし」

夫は、得意気になることもなく話す。

 

わたしは心底驚いた。

精算がめんどうなのは皆同じだと思うが、

世の中にはその実、なんだかんだきちんとやる組と、

ついつい忘れてしまう組がいる。

似ているようでいて、この二者の間には、埋めがたい断絶がある。

だらしない人間にとって、「やる」「やらない」、

さらに、「ときどきやる」「忘れずにやる」の間には、

明確なハードルが存在する。

恥ずかしながら、これは、わたしが大変にだらしないからわかることである。

夫は「ついつい忘れてしまう組」だったはずだ。

それが、結婚を機に、「忘れずにやる」にひと飛びした。

しかも、この確定申告のやり取りがあるまで、意識していなかったという。

それゆえ、自慢もしなかった。

なんという無言実行ぶり。

 

「やる」組の皆さんには、なんとだらしないと誹りを受けるだろうが、

だらしない人間が行動を変えるというのは、大変なことだ。

夫は、無自覚にせよ、「新しい家庭を築いた」「共同生活を営む」ことを、強く意識したのだろう。

そして、行動を変えていた。

わたしの知らないところで。

無言の誠実さだと思う。

これには正直、まいった。

 

 

わたしが夫に与えられるものなんてあるのかなあと、ときどき考える。

あんまりありそうにないが、

せめて、自分のことはきちんとしよう。

そう思って、パカパカとテンキーを打ち込み、

経費の請求書を作成している今日この頃である。

*1:念のためだが、仕事のギャランティはもらっている。請求しそびれたのは経費のみである

*2:ここで責めない夫のやさしさよ……