ティラミス、という食べ物がある。
生地は、エスプレッソが染みこませてあって、苦い。
その間に挟まれたカスタード状のクリームやマスカルポーネチーズは、甘い。
甘い、苦い、甘い、苦い。
ひとつのお菓子のなかに、その繰り返しがある。
生地はホロホロと崩れやすい。
人生もそうだな、と思うことがある。
さて、わたしは思春期の一時期、古い木造アパートに暮らしていた。
寝起きしていたのは、何もないひと部屋。
朝起きて、母が出してくれる味噌汁とご飯を食べ、
NHKのニュースを見て、7時7分発の普通電車に乗って登校する。
夕方には学校から帰る。
家には何もないので、勉強をするか、図書室から借りた本を読む。
その後は、母のしたくしてくれた夕飯を食べる。
これまた何もすることがないので、早めに床に就く。
が、情緒不安定になってめそめそ夜中まで泣く。
目を泣きはらさないよう、こまめに顔を洗う。
それは、わたしの実家たる家庭が崩壊した後の日々であり、
父のもとで暮らしていたわたしが、
母のもとへ居を移したのは、
あまりにも不摂生な暮らしから、
体重が極端に減り、貧血を起こして学校で倒れたからだった。
不規則の極みのような生活から、パターン化された規則正しい暮らしへ。
❝型❞にのっとった生活のなかには、肉体が回復していく安心感があった。
一方で、家庭崩壊の影響は尾を引き、精神は安定しなかった。
ある夜、かなしくてかなしくて、部屋を出た。
だいぶ寒かったけれど、わたしはぺたぺたと裸足で歩いた。
何かで足を切ってもかまわない、と思った。
月がさえざえと明るいものの、星の瞬きもまた、よく見えた。
夜空は色あせたビロードのような色をしていた。
どこからかよい香りがする。
あたりを見回すと、路地ぞいの生垣に、白く小さな花をたくさんつけた木があった。
沈丁花だった。
甘い香りと月の光が混然一体となって、清らかにあたりを満たす。
それまで心を乱していたものを忘れ、
わたしは月夜と沈丁花を包む静けさに身をゆだねた。
沈丁花がここにいてくれて、よかった。
そんなふうに思った。
そのころ、何もない部屋でどうやって勉強をしていたかというと、
細いパイプとベニヤ板で作った机だった。
母の再婚相手であった❝おじちゃん❞が作ってくれた。
わたしはその机が好きだった。
アパートの仮住まい感にぴったりだったし、
パイプの無骨さが、当時ハマっていたサイバーパンクっぽくないか、なんて思っていた。
その後、精神のぐらつきはじょじょに強くなった。
心の中を、蟻にすこしずつ食われていくように感じ、
頭の中で暗い未来がえんえんと流れ続けていた日々、
この苦しみの外にいけるなら、なんでもいいと思った瞬間。
その瞬間の強い恐怖。
人を死へと追いやる暗い道の、ぬかるんだにおい。
人生でもっとも苦く、生き抜くだけで精いっぱいだった日々。
しかし、あのアパートでの暮らしには、
不思議と甘やかな思い出がちりばめられている。
あの沈丁花は、とっくに切り倒されてしまった。
パイプとベニヤの学習机は、引っ越すときに捨ててしまった。*1
それを作ってくれた人も、もうこの世にいない。
苦い、甘い、苦いと積み重なって、人生のある一時期の思い出が、心にパッケージされている。
わたしはときどき、そのティラミスを引っ張り出す。
年々、記憶も、記憶を構成していた事物もどこかへ去ってしまい、
生地はホロホロと崩れやすくなっていく。
今年も沈丁花が香る。
引っ張り出すまでもなく、ティラミスはわたしの前に置かれている。
苦い、甘い、苦い、甘い。
その繰り返しの合間に、沈丁花の香りが絶え間なく流れ込んできて、
なんだか胸がくるしい。
苦い、甘い、くるしい。
いつまでわたしはこのティラミスを食べなければならないのか。
いや、いつまで食べられるのか。
苦さも甘さもくるしさも、きっと永遠ではない。
そのことがまた、くるしい、くるしい、くるしい。
ホロホロと崩れる生地を、かき集めているうちに泣いてしまう。
そんな春である。
*1:持って行きたかったのだが、親から「頼むから新しい机を使ってくれ、好きなのを買ってあげる」と言われたのだった。親からしたら、みすぼらしいものを使わせてしまったという負い目があったのだろう