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平凡

平凡

雨宮まみさんに、ありがとうとさよならを

雨宮まみさんの連載コラム、「40歳がくる!」が更新された。

大和書房・WEB連載〜40歳がくる!MOB 雨宮 まみ vol14

これで最終回だ。

著者の雨宮さんが、11月15日に急逝されたから。

 

雨宮さんが亡くなったというニュースが流れたのは、

11月のよく晴れた日の、正午ごろだった。

Twitterには、その3日前まで書き込みがあったし、

2週間ほど前にはウェブの連載も更新されていた。

逝去を知らせる一報には、

「11月17日には近親者のみのお別れの会が……」と記されていた。

11月17日は、そのニュースが配信された当日だ。

突然過ぎる。

何より、まだ雨宮さんは40歳なのだ。

にわかには信じられなかった。

 

雨宮さんは、すぐれた書き手だった。

 

冒頭に挙げた「40歳がくる!」では、40歳を目前にした雨宮さんが、

仕事、美容、恋愛、お金などへの焦りや戸惑い、不安に向き合う様子がつづられていた。

どれも雨宮さん自身の体験を描いたものだ。

しかし、読んでいるうち、わたし自身の年齢、

ひいては変化し続ける自分という存在をどのように受容するかについてヒントをもらえる、そんな内容だった。

読み終えると、だいじょうぶ、不安だけど、どうしていいかわからないけど、生きていこうと思えた。

 

もうひとつ、ネットで読める連載のひとつに、

雨宮まみの“穴の底でお待ちしています”」があった。

cocoloni.jp

簡単にいうと人生相談なのだが、投稿される悩みは

「人の恋愛がうまくいかないとテンションが上がる」

「借金があるのに趣味がやめられない」

「異業種転職を何回かして、また続かないのではと不安」

「恋愛感情を向けられると気持ち悪い」

「"美人"を使いこなせない」

など一筋縄ではないものばかり。

「自己責任」「甘い」「贅沢」と一蹴されそうなもの、恥ずかしいもの、

人間誰しもそうかもしれないけれど自分はちょっとおかしいんじゃないか……

そんな誰にも言えない悩みを、相談者は雨宮さんだけに打ち明ける。

雨宮さんは、けっして相談者を責めたりしない。

まず、(文章の上で)お茶を出し、ねぎらったうえで、

相談者が少しでも自分を受け入れ、生きていけるようなアドバイスをつむぎだす。

たとえば、長年、家庭ある男性と付き合い、さらに浮気されたという女性に、雨宮さんは、

相手の男性へ怒りをもってくださいとすすめ、

「醜くていいから、きれいに生きなくていいから、どうか力を失わないでください。」

と語りかける。

「14年間の不倫…都合のいい女にも程がある自分に辟易」雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第34回 | ココロニプロロ|恋愛×占い

「醜くていい、きれいでなくていい」。

これは、どの回答にも込められたメッセージだったように思う。

どんなに自分とはかけ離れた相談であっても、

「穴の底」から発せられた回答を読むと、わたし自身、

生を肯定されたような、

力強く包まれるようなあたたかさを感じることができた。

何より、「どうしようもない悩みを抱えたとき、『穴の底』に雨宮さんがいてくれる」ことが、とても、とても心強かった。

投稿するかしないか、採用されるかどうかは問題ではない。

ただ、「穴の底」があることが、そこに雨宮さんがいてくれることが、

最後の砦のように感じられたものだった。

 

西新宿で過ごした"何者でもない日々"を書いたこの寄稿文も、大好きだった。

suumo.jp

雨宮さんの文章は、どんなことを綴っていても、

不思議と「自分に向けられている」と感じられた。

それは、書き手として稀有な才能だ。

天賦のものというより、

雨宮さん自身の生き様によって獲得したものではないかと思う。

自身のことを書いたSUUMOのこのエッセイですら、

雨宮さんから長い語りを聞かせてもらっているような気持ちになった。

 

どの時代もそうだと思うが、「今」を生きる者には、

「今」ならではの悩みがある。

2016年の「今」は、多様な生き方をしやすくなった。

ジェンダーに縛られることはまだまだ多いとはいえ、親世代よりマシだ。

一方で、選択肢が多く、

旧弊なものも含め多様な価値観が乱立する「今」だからこそ、

モデルケースが見つけにくい。

自身を貫こうとすれば、思わぬところで否定されることもある。

大人になることも、

親になることも、

おばさん、おじさんになることも、

昔よりも通過儀礼にあたるものが少なく、境界線が曖昧だ。

「おばさんになるのは嫌」と思ったとき、

では、どのような中年女性になるのかを思い浮かべることは難しい。

ビジョンさえあれば、昔より選択肢の幅は広くなっている。

しかし、誰もが常にビジョンを浮かべられるわけではない。

選択肢すら見えないケースだって多いだろう。

 

そんな「今」に生きるわたしには、雨宮さんがいた。

モデルケースというわけではない。

「今」ならではの悩みに直面した雨宮さんが、

懸命に生き、ぶつかり、悩み、ときには自己嫌悪に陥りつつも、

自分自身を受容していく。

その過程には、立場が違う人々に、あまねく響く普遍性があった。

第一、「今」ならではの悩みを言語化するのは難しい。

それをすくいとって、「こんな悩み、ありますよね」と見せたうえで、

がっぷり四つに組んでくれる雨宮さんは、

戦友のようであり、先陣を切り開いてくれる先輩のようでもあった。

 

わたしは雨宮さんの書く文章のファンであったし、

書き手としての姿勢を尊敬もしていた。

しかし、逝去の報を聞いて、ここまでショックを受けるとは思っていなかった。

 「『穴の底』に雨宮さんがいる心強さ」も、

「戦友のよう」な存在感も、亡くなってから、気がついた。

年を取っていくのは不安だ。

仕事もお金も、老いていくことも。

でも、どんなに不安でも大丈夫。

わたしには、雨宮さんがいる。

醜さや弱さや加齢を正面きって見つめる雨宮さんが。

穴の底で待っていてくれる、雨宮さんが。

雨宮さんはまだお若かった。

だから、ずっとそこにいて、そんな存在であってくださると思っていた。

勝手に。

 

他人を大きく包む、やさしさをもった人。

反面、傷つくことが多い人生でもあったろう。

そうやって生きながら、雨宮さんは、魂を削るようにして、文章を綴ったのだと思う。

「40歳がくる!」で、雨宮さんは「心を道具にして仕事をする」と書いた。

大和書房・WEB連載〜40歳がくる!MOB 雨宮 まみ vol12

心を揺さぶるものを追いかけて文章を書き、その文章は、多くの人の心を揺さぶった。

その負荷、孤独は、わたしの想像を絶するものだったに違いない。

 

雨宮さんは、常に戦っていた。

いつだって、強く、美しかった。

 

この数週間、雨宮さんなしで、この先を生きていくのだと、飲みこもうとして、飲みこめずにいた。

実際に交友のあった方々のツイートや、出版社の出す訃報、まるでいつもの雨宮さんなのに最終回を迎える連載。

そういったものを目にして、少しずつ、雨宮さんはいなくなってしまったんだなと現実を受け入れ始めている。

 

わたしは、雨宮まみさんのニワカ読者だと思う。

もっとよい追悼文を、多くの人が書いている。

でも、雨宮さんに心を揺さぶられ、救われた者として、

どこか残る場所に、お礼を書いておきたかった。

それが、読者にできる、たったひとつのはなむけだと思うから。

 

雨宮まみさん、ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。