平凡

平凡

ひとつになりたい、のかもしれない

ときどき、夢を見る。

 

ある夢では、凍りついた野山で、吹きすさぶ雪が顔を打っていた。

まつ毛に雪が積もって視界はせまく、

肌の感覚はすでに失われていた。

目を開けていられなくて、ああ、わたしはこのまま死ぬんだと思う。

そのとき心に去来するのは、恐怖ではなく、あたたかな安堵感だ。

まわりには同じように、多くの人が凍りつく大地に伏せっていた。

たぶん、世界中で同じようなことが起こっている。

氷河期がやってきたのだ。

わたしは、死ぬ。

人類の一員として。

それはひどく、安心感を与えてくれた。

毛布にくるまれているような、

ランタンの灯りをみつめているような、

そんなあたたかな安心感。

 

ある夢では、ゾンビによる終末が訪れていた。

わたしもいち早くゾンビとなり、まだ生きている人々を追いかけていた。

人間は、体温があって暖かい。

その喉元を狙って、かぶりつく。

喉元を狙うのは、そこが衣服に覆われていなくて、

自分の口もとに一番近い場所だからだった。

霞がかかったような意識のなか、

わたしの胸を焦がすのは、

ひとりでも同じ存在を増やしたい、という想いだった。

衝動というより、想いだった。

そして、やはり、安堵していた。

みんながやがて、一緒になるのだ。

 

世間のみんなはどうだか知らないけれど、

こういう夢を見ると、わたしはひとつになりたいのかな、と思う。

若いころ、「新世紀エヴァンゲリオン」を見て、

人類補完計画」の必要性がまったくわからなかったけれど、

今さらながら、ああ、こういうことなのかなと思う。

人類の一部だと強く感じられること(それが死の結果だとしても)。

みんなと均質の存在になること(たとえ動く死体だとしても)。

その、得も言われぬ安心感。

 

今までわからなかったことが、実感になったりする。

見えなかった願いを意識させられたりする。

それも、ぜんぜん予測しなかった方向から、不意に。

夢って不思議だと思う。

 

ところで、わたしは、ひとつになりたいんだろうか。

そんなことを考えながら、

わたしは今日も床でまぶたを閉じる。