平凡

平凡

家事分担の我が家の秘訣、あるいは「あなたの家事は当たり前ではない」と思う話

「家事分担、どうしてますか」。

結婚後、よく聞かれる質問のひとつだ。

世間では、夫婦ともにフルタイムであっても、

妻が主軸で家事を回す、というイメージがまだまだ強い。

わたしのまわりでも、そういったカップルが多い。

性別役割分担に加え、長時間労働がその傾向を強めているのだろう。

そんななか、夫に家事をやってもらう秘訣として、

雑誌記事などで、「ほめること」が挙がっているのを見かける。

それに対し、「子どもじゃあるまいし」「当たり前のことなのに、なぜ」という声も聞かれるが、

これ、けっこう必要で、重要なことなんじゃないかと思う。

今日は、そんな話。

 

我が家の話をすると、ふたりの家事分担はゆるゆるだ。

ひとつ決まっているのは、

食事全般の舵取りはわたし、洗い物は夫、

ということ。

 

掃除機は、平日、わたしが仕事の合間に適当にかけることが多い。

洗濯やその他の掃除もそうだ。

気分転換を兼ねて、ちょこっとやったりする。

余裕があるときは、入浴後に軽い風呂掃除も毎日やる。

ただ、余裕がなくなると、一切合切、平日は動けない。

 

土日は、夫が、体力の残存具合と、家事のたまり具合により、

風呂掃除や洗濯一式を行う。

気になるところがあると、そこだけハンディ掃除機で吸ったり、

洗面所を「激落ちくん」でこすっていたり。

トイレ掃除は、わたしが多い。

 

うちはこれで、けっこう円満にやっていると思う。

 

結婚前は、わたしも

「男女できっちり家事分担!

男も女も家事やるのは当たり前!」と息巻いていた。

それは正しくはあると思うのだが、結婚後、気がついた。

わたしはいうほど家事ができもしないし、やりもしない。

正直、「なんだかんだ女の家事負担が大きいよね」とは言えない。

古いジェンダーロールから外れるぐらい、

人としてちょっと問題があるぐらい、家事に対して気力がない。

 

そんなわたしがもうひとつ、結婚後に気がついたのは、

掃除にしろ、ちょっとした整理にせよ、

家事を相手がやってくれるのは、

ものすごくありがたいということだ。

 

家事というのは、ひとり身であっても発生する。

そして、「よし、家事をやるぞ」ととっかかる気力は、

ひとり暮らしでもふたり暮らしでも変わらない。

一方で、家事の量は2人いれば2倍になる。

洗濯物は2倍速でたまり、干すときの時間も1.5倍ぐらいはかかってしまう。

髪の毛だって2人ぶんが落ちる。

ふたり暮らしの家事は、

「ひとりでもやらねばらぬ種類の作業が、

2倍量になってそこにある」状態だと思う。

その状況のなか、自分以外の誰かが、「よし!」と立ち上がり、

自分の分も含めて何かをこなしてくれる。

なんだかこれってありがたい! と思うのだ。

 

夫とわたしでは家事のやり方が違う点も多いが、気にすることはない。

どんな畳み方をしていようと、洗濯物が畳まれたことに違いはないし、

どんなやり方をしようと、掃除は掃除だ。

それに、わたしはもともと家事にポリシーがないので、

夫のやり方のほうに一理あることが多い。

 

感謝の念は、分担と決めたことでも変わらない。

仕事が忙しくなり、連日午前様の夫が、

半分うつらうつらしながら洗い物をしてくれているのを見ると、

「わたしなら絶対なまけてしまう……」と思うので、

きっちりこなしてくれる夫の意志力に感服するし、感謝もする。

 

ありがたい、と思うので、それを夫にも伝えるようにしている。

「こんなに疲れているのに、洗い物をやってくれてありがとう」

「すごい、洗濯物をいつの間にたたんでくれたの!」などなど。

また、

「洗い物してくれたから、朝ごはん作るのもスムーズだよね。助かるよね」と、

具体的に助かったことを挙げることもある。

夫もちょっと誇らしそうにするし、ときには

「洗濯物、(畳んだこと)気がついた?」とアピールしてくることもある。

もちろん、わたしは、ありがとう、助かる、すごい、と思ったことを伝える。

これは夫も同じで、

「料理おいしいなあ」

「洗濯、干すところまでやってくれたから、畳むだけだった」

「お風呂がきれいだと気持ちいいね!」など、感謝の気持ちを伝えてくれる。

逆にわたしから「洗面所、きれいじゃない?」とアピールすることもある。

 

何より、「ありがとう」と伝えていると、

お互い何かを当たり前と思わなくなる、

そんな好循環が生まれるように感じる。

 

そこで、冒頭の「夫に家事をやってもらうには、ほめる」メソッドに戻る。

わたしはおそらく世間で言われる「家事をやらない夫」程度に

家事をやらない人間なので、

感謝や「ほめ」がなければ、とてもやっていられないと思う。

夫がやった家事も、わたしがやった家事も、当たり前なんてひとつもない。

働くふたりが共同生活のなかで、何かを出し合って、がんばったその成果なのだと思う。

 

しかし、正直、家の状態がどうかといえば、ぐちゃぐちゃである。

何しろ、わたしは整理整頓が一切できない。

前述した平日「ちょこっとやる家事」の「ちょこっと」は、

たぶんあなたが想像する10分の1にも満たないであろう。

夫のほうが「共同生活を営んでいる」意識が高く飲みこみが早いので、

お互いが忙しい今、家事量は彼のほうが多い気がする。

小さなことで感謝できるのは、能力の低さゆえ、かもしれない。

なので、人様に胸を張っていえることではないのだが……。

 

それでも、「ありがとう」「うれしい」「助かる」は、伝え合っているうちに

夫婦の間を巡っていくし、必要なことばなんじゃないかと思うのだ。

男女関係なく、ある家事を担う人がいたとして、

あなたのこなす家事は当たり前じゃない、と思う。

ただ、そのことを相手に気づいてもらいたいとき、

まず相手がやったことに「ありがとう」と声をかけ、

「家事をやることは当たり前ではない」と気づいてもらうこともまた、

有効なのではないか。

そんなことを思うのだ。