平凡

平凡

奥多摩から帰る

その電話を受けたとき、わたしは奥多摩にいた。

「おじちゃんが、倒れてしまって」

電話の向こうで、母が泣いていた。

おじちゃんとは、母の再婚相手のことだ。

 

奥多摩で何をしていたかというと、

レンタサイクルを借りて、デートをしていた。

相手はまだ、恋人になる前の夫だ。

空腹をかかえてレストランに並び、ようやく席につけそうなときだった。

わたしはとりあえず涙をぬぐい、彼には食後まで伏せておこうと思った。

奥多摩は、山だ。コンビニもほとんどない。

紅葉シーズンで、レストランはどこも混んでいた。

ここで食べておかないと、先に進めないと思った。

すみません、と知らぬ顔で待ち合い席に戻った。

おいしいはずのシチューは、ほとんど食べられなかった。

「あとで事情は話します」と言って、お代はわたしが払った。

 

駐輪場所に戻り、彼に事情を話した。

何から話せばよいかわからなかったので、ひと通り話した。

両親が離婚していること、母が再婚していること、その再婚相手が倒れたこと。

「すぐに帰りましょう」と彼は言い、

自転車で走り出す前に、「もっと早く言いなさいな」と、くしゃっとした表情で言った。

 

わたしたちは駅まで走りに走った。

息を切らせて自転車を返却し、電車に飛び乗った。

電車で、涙が止まらなかった。

彼は自分の父が倒れたときのことを話し、

「きっと大丈夫です」と励ましてくれた。

泣いている女と一緒では、電車の中で気まずかろうと思ったが、

人目を気にするそぶりも見せなかった。

ふいに、しゃくりあげているわたしの手を、彼が握った。

思い切って握ってくれたことが、そぶりから伝わってきた。

うれしかった。

「こういうときって、自分が思っているよりずっと動揺していて危ないんですよ」

「横断歩道とか、気をつけてくださいね」

彼はそう言いながら、ターミナル駅まで送ってくれた。

 

わたしは電車に乗り、車に気をつけて横断歩道をわたり、

家に帰って荷物をまとめ、新幹線に飛び乗った。

おじちゃんはなんとかもち直し、

数カ月して、春を待たずに逝ってしまった。

 

葬儀が終わったころ、「東京で雪が降りましたよ」と彼がメールをくれた。

わたしが実家と東京を行き来していることを知ってのことだった。

「無事見送り、葬儀が終わりました」とわたしは返事をした。

寒い冬だった。

実家が多少落ち着いて東京に戻ったあと、わたしたちは付き合うことになり、

その後、彼はわたしの夫となった。

 

この季節になると思い出す奥多摩の錦秋は涙でゆがみ、

夫の手は、わたしの涙でベタベタしている。