平凡

平凡

羽毛布団を捨てる

羽毛布団を、捨てようと思う。

 

この布団を使うようになったのは、はるか昔、もう30年も前のことだ。

そのころ、わたしの実家は新築フィーバーにわいていた。

憧れのフローリング、

小さな玄関の吹き抜け、

そして子どもたちにとっては、念願のひとり部屋。

何もかもが新しい暮らし。

両親、とくに母は、この機会に奮発して、いろいろと質のよいものを買いそろえた。

台所には当時めずらしかった食器洗浄機が備えつけられ、

リビングにはどっしりとした木のテーブルが鎮座した。

母が、家具屋で一目ぼれしたものだという。

 

羽毛布団も、そのうちのひとつだった。

「平凡ちゃん、これ、すごくいいものなのよ」

母はキラキラした目でそう言った。

子どもだったわたしには詳しくは理解できなかったが、

とにかく品質が高いものであることを、母は語った。

実際、カバーを外せば本体に有名寝具店のりっぱなタグがついていたし、

布団は驚くほど軽かった。

しかし、そのことに気がついたのは、ずいぶん後のことだ。

 

新築の熱狂が冷めやらぬうち、家庭の雲行きはどんどんあやしくなり、

やがて崩壊してしまった。

まだ傷もついていないフローリングには埃が積もり、

ロマンチックな吹き抜けの照明を灯す人はおらず、

おしゃれな壁かけ時計が鳴らすチャイムがむなしく響きわたった。

 

わたしは夜半まで膝をかかえて床を見つめ、

夜明け近くになると泣きつかれ、羽毛布団にくるまって眠る生活を送った。

ほどなく、わたしはその家で暮らすことはなくなり、

羽毛布団は置いていった。

 

羽毛布団がふたたびわたしの人生に現れるのは、その少し後。

進学を機に、上京するときだ。

父が実家の物品を詰めてくれた新生活セットに、羽毛布団が入っていた。

寮のような場所で暮らすことになっていたので、荷物は少なかった。

段ボール箱、わずか2個。

うちひと箱は、羽毛布団と、それにくるまれたCDラジカセが入っていた。*1

上京してからも、実家でのあれこれの影響が残り、しばらく心身の状態は安定しなかった。

しょっちゅう貧血状態になり、羽毛布団にくるまって横になった。

 

「実家から持ってきた布団」以上の価値に気がついたのは、夏だった。

そこは冷房温度を細かく調整できなかったため、室温はまあまあ暑いか寒いかの二択だった。

しかし、布団はどちらの場合も、ちょうどよく調整してくれる。

酷暑の時季以外、春秋冬のいわゆる3シーズンは快適に使えるのだ。

調べてみると、羽毛布団には、そういった機能があるという。

わたしはそこではじめて、母が「これ、すごくいいものなのよ」と言っていたことを思い出した。

なるほど、これはよいものに違いない。

そう思うと、なんとなく布団のことを誇らしく感じた。

暑さ、寒さから守ってくれる布団に愛着もわいた。

 

それから何度も引っ越しをし、わたしは羽毛布団を使いつづけた。

どこにいても、羽毛布団は初夏までは快適で、秋冬はふんわりと暖かな空気を閉じ込めてくれた。

いつまでも羽毛布団は新しい、よいものでありつづけてくれる、そんな気がしていた。

 

完璧だったわたしの布団に、変化が訪れたのはいつだったろう。

「今年は寒いね」と、毛布を敷き布団に足し、羽毛布団の上に足し。

電気あんかや湯たんぽも必要になった。

 

新しいダブルの毛布2枚にくるまれ、湯たんぽを入れても寒かった冬。

あれは3年ほど前だろうか。

やっと気がついたのだ。

「この羽毛布団、ぜんぜん暖かくない!」。

 

あらためて羽毛布団を見ると、かつての厚みはまったくなかった。

そういえば、ここ数年、羽毛が部屋に舞っていることが増えた。

振り返れば、昔はそんなことはなかった。

 

羽毛布団を買い替えようか、打ち直そうか。

検索したり、模索したりするうち、夫との結婚話が持ち上がり、

わたしは布団問題を先送りにした。

結婚したら引っ越すかもしれないし、そのときに考えよう、と。

 

ただ、わたしが問題を先送りにしようと、時間は止められなかった。

布団から舞う羽毛は日に日に多くなり、シーツを着脱する際は、

直後に掃除機必須となった。

見るも無残なぺちゃんこの布団に、

立派な有名寝具店のタグが輝いているのを見ると、

なんともいえず物さみしくなった。

 

そして、結婚してはじめての新居に引っ越し、夏を迎えた今。

夏がけ布団を使っているうちに、羽毛布団を捨てようと、やっと決意した。

粗大ごみに出さなくちゃと思っていたけれど、

ためしにごみ袋に詰めてみたら、すっぽりと収まってしまった。

それも、70リットルではなく、45リットルに。

清掃局に尋ねると、それなら燃えるごみに出せるという。

 

その日、帰宅した夫に、布団がごみ袋に収まって驚いたと話した。

粗大ごみの処理代かからないんだよ、すごいよね、いいよね。

夜、夏がけの薄い布団に入ったもわたしは、なかなか寝つけずにいた。

羽毛布団を使った30年のこと、東京で暮らしたさまざまな部屋のこと。

時はさかのぼって、お布団をはじめて入手した日のこと。

母の得意そうな笑顔。輝いた瞳。

新築にワクワクしていた、わたし自身の心。

あれは間違えなく、我が実家にとって、ハレの日だった。

結局、「ダメになった」という表現では足りないぐらい、

めちゃくちゃになってしまったけれど、

それでも実家には、あんな日があったのだ。

みんなが未来に胸をおどらせていた日が、確実に、あったのだ。

「平凡ちゃん、これ、すごくいいものなのよ」

母の声、キラキラした感じ。新しい家、明るい未来。

思い出したら、泣いてしまった。

情緒が安定している近年のわたしには、めずらしいことだった。

 

すんすんと鼻をすすっていると、

隣で寝ていたはずの夫が、わたしの頭をなで、背中をなでた。

起こしてしまったのかと思ったけれど、どうもそうではないらしい。*2

羽毛布団にくるまってひとりで泣いていたわたしの隣にも、

いまやなぐさめてくれる人がいる。

その人は、

血のつながりもなく、

たまたま出会い、

自分たちの意志と

法的効力をもつ紙切れでつながった赤の他人で、

でも、横でわたしが泣いていたら、

無意識にせよ背中をやさしくなでてくれる。

そのことが、とても不思議に感じられた。

 

よし、やっぱり羽毛布団を捨てよう、とわたしは決意した。

そして冬までに、夫ととびきりよい羽毛布団を買おう。

ふたりにとって、それはニトリのものかもしれないし、無印良品のものかもしれない。

いずれにせよ、また新しく、ふたりで❝布団の歴史❞をはじめるのだ。

 

こうして決意した❝今❞はあっという間に過去になり、

どんなに輝いた時間もいつかは色あせてしまう。

ときには輝いていたことがかすむくらい、

何かがめちゃくちゃく壊れてしまうこともある。

そのことに打ちのめされることも多いけれど、

生きている限りは未来があるし、過去の輝きは消えはしないのだ。

新しい布団への夢と、夫が見せたやさしさ。

ふたつの輝きを心にしまって、わたしはようやく眠りに落ちた。

*1:引っ越しのたび、「最初は2箱だったのがどうしてこんなに……」とため息をつく。洋服など、入学式用スーツを入れてわずか3着だったのに!

*2:実のところ、夫が起きていたのかはわからない。朝、それとなく話をふってみたら、「そういえば、背中をなでた気がする。なんでだろう~」と言っていたのでちょっとあやしい