平凡

平凡

平穏無事な街

そぼ降る雨の日。
仕事に行くため、駅へ急ぐ。

その途中、幼稚園児くらいの姉弟を連れた女性とすれ違う。
弟は「アイスの棒が~1本~アイスの棒が~」と、作詞作曲オレによる“アイス数え歌”を歌い、
姉は顎に傘の取っ手を乗せて歩けないか試している。
ふたりともご機嫌で、おそらく母であろう女性もニコニコしていて、実に平和だと思う。

この街に越してきて、2ヶ月あまりが過ぎた。
ここは、私の考える「利便性の高い範囲」からは、少し外れている。
当初は、不安を感じていた。
電車に乗る距離が長くなるなんて、
忙しいときはどうしたらいいの?
納期に追われて外仕事が続いたら、とても暮らしていけないんじゃないの?

ただ、物件と住環境をおそろしく気に入ってしまった。
さまざまな街、物件を見ての直感は、無視しがたいものがあった。
築年数ゆえの手頃な家賃、
古いけれど、よく手入れされた室内。
最新の設備とはいかなくても、住む人が便利なよう、
よく考えられていることからくる、居心地のよさ。
駅のまわりは賑わう一方、住環境は落ち着いている。
不動産サイトの条件検索には引っかからない、数々のささやかなよさ。
これらをすべて満たす物件との出会いは、そうそうあるものではない。
夫と話し合い、思い切って物件を決めた。

引っ越して、休日はこの街で過ごすことが増えた。
というより、ターミナル駅にはほぼ出かけない。
たいていのものは駅前で揃うし、
足をのばしての買い物は、より郊外のショッピングモールだ。
緑道を散歩したり、駅前の催しものをのぞいたり、気になるカフェや定食屋に入ったりして、のんびり休みの日が過ぎていく。
最初はもちろん、新しい街が物珍しくてそうしていたけれど、
今ではただ、このあたりをブラブラするのが楽しい。

仕事で遅くなる日は、早く我が街に帰りたいと思う。
前の住居より交通の便は悪くなったけれど、そういった気持ちがあるせいか、気にならない。

このあたりは、緑が多い。
とても静かで、朝には山鳩が鳴く。
夜は広い空に、星がまたたく。
心なしか、風がやさしい。
外からの帰り道、家路をたどっていると、
ここではなんにも悪いことは起こらない、そんな気持ちにさえなる。

もちろん、人は人生の理不尽さから逃れられはしない。
あらゆる不運にあう可能性は、誰しも、どこにいたってある。
しかし、だからこそ、ほんの一瞬だけでも「ここにいれば平穏無事だ」と思えることには価値がある。
私は、そう思っている。

話は、霧雨が舞う、肌寒い午後に戻る。
子どもたちに気を取られながらも、私は無事、時間通りに駅に着くことができた。
閑静ながらも、駅からは近い。
これも、今の住まいの魅力のひとつ。

電車がホームにすべりこんでくる。
安心してゆったり暮らせる街から、いざ出陣。
都心に近くて便利もよいけれど、これも悪くはない。
私はジャケットのえりを正し、電車に乗り込むのだった。