平凡

平凡

ふたり暮らしのほうが、料理は楽ですね、意外と。

結婚するにあたって心配だったのは、料理のことだった。

私は家事が得意ではないが、料理だけはちょっと好き。

それでも、独身時代の自炊は気分次第。

ひとりでなら美味しいけれど、人に作って食べさせるものではない、といった献立も多かった。

たとえば、野菜をしこたま入れたデトックススープだけ、味噌汁とご飯だけ。

あるいは、フライパンひとつでできる、玉ねぎと豚肉のケチャップ炒め。

そんな夕飯は、自分だけの食卓だから許されるものだ。

 

こんな私が、夫に料理を作ることができるのか。

気分次第ではなく、基本、毎日、そこそこの献立を。

 

しかし、やってみるとこれが案外、楽ちんなのだ。

 

まず、食材管理が楽。

ひとりで何種類もおかずを作った場合、

残りの食材を使い切るのが難しかった。

しかし、ふたりだと残り野菜の大半は味噌汁に入れればすぐに消費できるし、

味噌汁に向かない素材もごく簡単な一品にすれば食べきることができる。

料理を毎日続けるほどに食材のサイクルがスムーズに回るのが、ゲーム感覚で楽しい。

 

何より、誰かに料理を作るというのは、いいものだ。

作った料理を自分ひとりで食べているときは、

よほどうまく作れたか、精神状態が飛び抜けてよいときでないと、

「おいしい」とは思わなかった。

一緒に食べる人がいると、料理の手順にも注意を払うから、

(といっても分量を正確になど、最低限のことだが)出来栄えが違うし、

夫が「おいしい~」と言っていると本当においしいのだなと思える。

 

夫の場合、喜んでくれるだけでなく、

「これって、醤油と何で味付けをしているの?」

など質問するので、

「これこれが隠し味なんだよ」

と解説するのも楽しい。

説明するなかで、

「この料理は、この調味料がポイントなのか」と気づくことも多い。

感謝だけではなく、「興味をもつ」ことも、

家庭内の雑事を上手く回していくポイントなのだ。

そんなことにも、結婚と料理を巡って、気づかされたことのひとつ。

 

もっとも、夫はたとえ一汁一菜でも文句を言わず、

「缶のミートソースも、冷凍ギョーザも美味しいね。

半額お惣菜買うのも楽しいよね」と言い、

「忙しいときは外食、中食も問題ないですよ、もちろん」なスタンスなので、

プレッシャーがない、というのも大きい。

 

家で食べる料理は、作る手間も洗い物(夫担当)も必要だけれど、

ゆっくり食べられるし、何より味がやさしい。

美味しい、何入ってるの、洗い物ありがとう。

手間はそのままコミュニケーションもなる。

外食とはまた違った何かを満たしてくれるものだと思う。

 

人のために何かすることは、すてきだけれど、

頑張りが必要なのだと思っていた。

ちょっと、いや、けっこう苦しいことで、

それをあえてやるから美しいのだと。

そういう「人のため」もあるけれど、

日々の営みを自然にするなかで、

「人のため」になることもあるし、

その喜びを得ることもできる。

 

毎日ご飯を作るのって、めんどうだけれど、楽しいこと。

それは、結婚生活のうれしい誤算であり、副産物なのであった。