平凡

平凡

岩合光昭さんメソッドって、有効なんだなってこと

夫婦そろって猫好きだ。

しかし、BSが視聴できる環境にいない。

したがって、猫好きのマストコンテンツ「岩合光昭の世界ネコ歩き」を、

めったに目にすることができないのであった。

 

年末年始の帰省の折は、母宅において、「ネコ歩き」の録画をまとめて見た。

「あの長毛が!」

「自由な感じ!」

「ワイルド!」

など合いの手を入れながら、えんえんと視聴し続けた。

その結果、セールに行きそこね、初詣に行きそびれ、

母からは、「なんていうか……あんたたち……そんなに猫好き?」とあきれられた。

たまの帰省なのに、申し訳ないことである。

 

番組視聴で我々が得た知見は、「岩合さんは猫をほめる」というものであった。

「どこ行くの?」

といった語りかけに加え、

「いい猫だね」

「かわいいねえ」

と、穏やかな声でほめ続けるのである。

 

ところで、我々の近所には、猫が見られるスポットがいくつかある。

そのうちのひとつに出没するのが、白黒ハチワレの猫、通称❝うしだ❞だ。

煙草屋のおばちゃんがかわいがっており、本名は「ナツ」ということまで割れている。

整った顔立ち、香箱座りをしたときの下半身のふっくら度合など、

どこからどう見ても素晴らしい❝猫っぷり❞。

私たちのアイドル猫だ。

煙草屋のおばちゃんには撫でまわされているようだが、

とくに餌をあげるわけでもない我々には、ふだん見向きもしない。

近づくと、視界に入っていないような涼しい顔をして、すうっと離れていく。

なんとか、お近づきになれないものか――。

それは夫婦の悲願であった。

 

この前、その❝うしだ❞が、歩道沿いの花壇のへりに座っているところに遭遇。

ふだんは、煙草屋の入り口や駐車場の車の間など、近づきづらい場所にいることが多い。

これは千載一遇のチャンスとばかりに、私と夫はしゃがんで❝うしだ❞と目線を合わせ、じりじりと近づいた。

運動不足の身にはこたえるが、腰は決して上げず、少しずつ距離を詰める。

意外と、逃げない。

しかし、こちらを強く意識はしている。

そこで、

「かわいいねえ」

「いい猫だねえ」

「きれいな目をしてるねえ」

「何してるの?」

と、話しかけ続けた。

岩合さんメソッドの実践である。

やはり、意外と逃げない。

もう、❝うしだ❞に手が届くところまで来ている。

 

次なる野望は撫でることだが、いきなり手を出しても逃げられそうだ。

何より、嫌な思いをさせてしまうのは本意ではない。

そこで、ひとさし指と中指をトタトタと花壇の上に走らせ、物陰に隠し……を

繰り返し、遊び心を誘発。

❝うしだ❞は、目をらんらんと輝かせ、指の動きを追っている。

猫じゃらしではなく、指程度でのってくるとは、若い猫なのかもしれない。

そのうち、猫パンチが飛ぶ! 私、逃げる! を繰り返す。

興奮のあまり、❝うしだ❞はのびをしたり、舌なめずりをしたりしている。

なんだか楽しんでいただけているようですが、

撫でて仲良くなるのとは、違う方向にいっているような……。

 

そのうち、同じように❝指遊び❞をはじめた夫は、果敢にも❝うしだ❞の猫パンチを甘受!

一度ならず二度までも挑んだ結果、

パパパパパパン! と、肉球の心地よい音が連続で炸裂するに至ったのだった。

「はじめて❝うしだ❞にふれた!」

と万歳三唱をしかねない我々をよそに、

❝うしだ❞は爛々と目を輝かせたまま、花壇の奥の植え込みへと消えていった。

 

❝うしだ❞は、猫パンチは放ったものの、爪を一切たてなかったようで、その人慣れした気遣いにも、夫婦そろって感服した。

この体験を通し、猫とお近付きになるには、

  1. 猫と目線を合わせ、その高さをキープし続けること。
  2. 穏やかに話しかけること。
  3. 触ろうとせず、対面し、その場にい続けること。

の3点が有効である、との結論に達した。

どれも岩合さんが実践していることのように思う。

 

やはり世界をまたにかける動物カメラマンは伊達ではない。

もちろん、岩合さんの領域に達することはできないが、

それでも真似てみる価値はある。

近所の猫たちと、このメソッドでもっとお近付きになれないだろうか。

そんな野望を抱いた出来事だった。