平凡

平凡

永作博美主演のあのCMが、今も変わらず胸を打つのは

オンエア当時、狂ったように見まくっていたCMがある。

永作博美が出演していた「月桂冠 月」の一連のシリーズだ。

CMソングは、安藤裕子の「のうぜんかつら(リプライズ)」。

 

とくに、「ふたりの貝」編が好きだった。

 

CMは、永作博美*1演じる妻が、畳の上で笑い転げているシーンから始まる。

視線の先には、頭を丸坊主にしたその夫(役の俳優)。

黙って頭をさすりながら、(そんなに笑わなくても……)という表情をしている。

和室に面した洗面台で、夫が鏡をのぞく間も、笑い続ける妻。

商店街へ買い物に出たふたりは、魚屋で貝を買う。

帰宅後、貝を下ごしらえをする妻と、それを見つめる夫の後ろ姿。

ふたりは蒸した貝を肴に、月桂冠で乾杯する。

カメラはテーブルからベランダに並んだふたつの椅子に移り、

「わたしの趣味は、あなたです」のナレーションが流れる。

夫婦の表情からは、盃を傾けながら、また夫の髪型を話題にしていることが見て取れる――。

 

抑えたトーンで描かれたこの夫婦の日常の、「小ささ」に私は憧れた。

2間ぐらいのアパートタイプの部屋。

和室に面して洗面台が置かれている強引な間取り*2

ガスコンロが2口の、小ぶりな台所。*3

商店街での、手をつないでの買い物。

パートナーの行動への、予期せぬ反応とその戸惑い。

それすらもやがて楽しみに変わっていく、穏やかな生活。

 

小さなアパートに暮らし、お互いをお互いの喜びとするその姿は、「世間の片隅」を感じさせた。

世間の片隅にある、静かで穏やかな生活。

私にとって、「月桂冠 月」のCMはその象徴だった。

外で何があっても、夫婦の間には、小さな日常と、ささやかな幸せがある。

短いCMに凝縮されたそんな空気感に憧れるとともに、

いつも、ぎゅうと胸を締め付けられるような苦しさを覚えたのだった。

 

それはこのCMが、短い時間のなかで、小さな幸せが有限のものだと雄弁に物語っているからではないかと思う。

CMソングは冒頭に書いた通り、安藤裕子の「のうぜんかつら(リプライズ)」。

「いつかひとりになって」「ふたりの時間を」と歌う切ないメロディが、

いつかは離れてしまう夫婦の、人生の一瞬がかけがえのないものであると訴える。

 

CMのオンエアは2006年。

10年後の今、私は結婚している。

社会生活ではいろいろあるけれど、ふたりでいればとりあえず楽しい。

その一方で、夫と手をつないで歩くとき、食卓を囲んで笑い転げるとき、

やはりこの時間は有限なのだと強く思う。

楽しければ楽しいほど、いつかどちらかが残されて、

ひとりこの時間を思い出すとき、どんなに苦しかろうと思うことがある。

 

だから、あのCMを見ると、今も昔も変わらず胸が苦しくなる。

幸せであればあるほど感じる切なさ。

「ふたりの貝」は、普遍的な感情を見事にすくいあげたCMだと、

2016年の今、改めて思う。

*1:永作氏は、このCMのディレクターと後にご結婚なさった

*2:きっと、「独立洗面台」というものがなかった時代の、古い建物なのだろう

*3:CMソングが少し明るい調子の、コトリンゴの楽曲に変わってからは、夫婦の住まいはマンションのような新しさを感じる部屋に変わっている